第27話 レベル999生産職は旅立つ

 グレーリッツがイツキに視線を向ける。


「ところで君、リティアの優勝は果たしたのだから、目下の仕事は片がついたと思ってもいいのかな?」


「そうですね、今のところ、ロゼさんからの仕事しかない状態です」


「新しい仕事に興味はないかね?」


「……どんなものですか……?」


「前回の件だよ。私が思う、最高の楽器を作ることだ。せっかくの技量だ。『最高』に挑戦してみてはどうかね?」


「それは――」


 イツキは言い淀み、ちらりとロゼに視線を送る。気づいているはずなのに、ロゼはイツキのシグナルを無視した。


(……ああ、なるほど。すでに話を通しているわけか)


 その上で、ロゼの答えは『あなたの判断に任せる』だ。受けるのも受けないのもイツキの自由。

(2人の大物がいるところに呼び出された理由はこれか)


 断ることもできるが――

 イツキにとって、グレーリッツの話は挑戦の価値があるものだった。

 つまり、決して悪くはない。

 もともと前世でいうところのストラディバリウス的なものは作ってみたいと思っていた。だから、前に同じ要求を聞かされたとき、イツキは純粋に、面白い、と思ってしまった。

 だから、答えは悩むまでもなかった。


「面白そうですね、やってみましょう」


 最高に挑戦する。

 それはレベル999のみに許された愉悦なのだ。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇  


 それから2年が過ぎた。

 あいかわらず、イツキはルフェイン楽堂での仕事を続けていた。ハイエンド楽器ブランド『クロイツェル』は軌道に乗り、いいものに目がない演奏家たちに好評を博している。


「いったい、どんな職人が作っているんだろう?」


 そんな噂をたまに聞くようになった。

 イツキは自分の銘は入れるものの、自分の正体や名前については絶対に表に出さなかったので、製作者が謎の楽器とされている。

 おかげで色々な噂があり、中にはイツキが笑ってしまうものをあったが、イツキは真実を告げなかった。

 そして、もうひとつの仕事、最高の楽器作りもついに節目を迎えた。

 グレーリッツ邸を訪れたイツキは、持っていたヴァイオリンをグレーリッツの執務机に置いた。


「こちらが完成品となります」


「ふぅむ。楽しみだ」


 グレーリッツがバイオリンを手にして演奏を始める。

 そこから奏でられる音色の美しさは――

 グレーリッツの演奏が終わった。


「完璧だ」


 その短い言葉は、半ば熱病のような色があった。


「ようやく私が思う理想に届いたよ。生きているうちにたどり着けるとは思っていなかった。君だからできたことだ。本当にありがとう、イツキ」


「それは良かったです」


 イツキの技量を持ってしても2年だ。本当に長かった。さすがに人生を音楽に捧げた巨匠グレーリッツの目指す『最高』だけあって、一切の妥協がなかった。

 何本ものヴァイオリンを作ったが、ダメ出しダメ出しダメ出しでなかなか合格点がもらえなかった。

 本作における合格点とは、満点を意味するのだが。

 ちなみに、失敗した作品ですらクロイツェル・シリーズを軽々と超える代物なので、引き取ったロゼが大喜びで売っていたが。

 グレーリッツがヴァイオリンをケースに戻した。


「素晴らしい出来だ。だが、これが終わりとは思っていなくてね、ヴァイオリン以外にも同じ品質のものを作りたいと考えている。それで相談なんだが、次は――」


 もう答えを決めていたイツキは割り込んで答えた。


「申し訳ございません。次の仕事はお受けできません」


「ん……」


 イツキの断固とした言い方にグレーリッツが思わずたじろぐ。


「……やや厳しくしすぎたな……? 不快にさせたのであれば謝るが……」



「いえ、そういうことではないのです。この仕事は率直に言って楽しかったです」


 それは嘘偽りのないイツキの本音だった。

 グレーリッツの厳しい指摘があったからこそ、レベル999の生産職としての力を遺憾なく発揮できたと思う。

 特に問題がなければ、イツキだって仕事を請け負いたい。

 だが、イツキには決めたことがあるのだ。


「この仕事を最後に、街を出ようと思っています」


「……!?」


 予期していなかったのか、グレーリッツの表情に驚きが浮かぶ。

 もうこの町に来て3年。全てが『ありふれた日常』になっていた。シャイニング・デスティニー・オンラインで、他にも見たい景色はある。イツキの旅をしたい気持ちがもやもやと大きくなってきた。

 そろそろいい頃合いだろう。


「実は、ロゼさんたちにも話をしていて、グレーリッツさんの依頼が終わり次第と約束しております」


「そうか……」


 グレーリッツは大きく息を吐いたが、冷静さは失っていないようだった。寂寥感のある表情を浮かべて言葉をつづける。


「君のような楽器職人を失うのは悲しいものだ。だが、君ほどの腕を持つ人間を1箇所に縛り付けておくことも難しいのだろう。君と出会えた幸運に感謝するべきなのだろうな」


「そう言っていただけると助かります」


 巨匠からの最大級の賛辞に、イツキはそう言って頭を下げた。グレーリッツと握手を交わし、彼の家を後にする。

 数日後、ロゼの家で食事会が行われることになった。参加者はロゼ、イツキ、リティア、リッツーの四人。

 もちろん、イツキとの別れを惜しむためのものだ。

 食事会は語り明かし、そのまま風呂場に連行されて再びイツキが恥ずかしがり、夜は3人で外が明るくなるまで語り明かした。

 そして、朝食を食べて――

 イツキは旅装に着替えて玄関口へと向かう。食事会に参加した残りの3人が見送りにきてくれた。

 本当に本当の、お別れだ。

 昨日までの明るい雰囲気とは真逆の空気だった。


「ありがとう、イツキ。あなたがいてくれたから今のわたしがあるわ」


 リティアがしんみりとした声で言う。

 リティアはこの2年間で、ミューレにおけるトップヴァイオリニストとしての立場を確立した。

 彼女のチケットは非常に取りにくくなってしまったが、イツキはお友達パワーでいつでもいい席がもらえるのが密かな自慢だった。


「リティアさんを助けることができたのは、わたしにも嬉しいことです。これからも頑張ってくださいね、リティアさん。またいつか、この街に来たとき、演奏が聴けるのを楽しみにしています」


「必ずだよ! 必ずきてよ!? イツキが来てくれるのを待っているから! きたら、絶対に会いに来てよね!?」


 リティアは喋りながら涙目になっていた。

 そんな表情を見ていると、イツキはリティアの楽器作りで苦労した日々を思い出してしまう。すごく濃厚ではっきりと思い出せるのに、もう3年も経っていることに驚く。

 困難をともに乗り越えた友人に向かって、イツキはほほ笑んだ。 


「もちろん、またお会いしましょう」


 会話がひと段落したところで、リッツーが口を挟む。


「いやー、本当に出ていっちゃうの、イツキちゃん? イツキちゃんのあとを継ぐとかマジ無理なんだけど?」


「それは……ご苦労をおかけします。でも、リッツーさんもずいぶんと腕を上げましたよね?」


「ええ? まあ、ねえ? ずっと神と一緒に仕事していたわけだし?」


 まんざらではなさそうにリッツーが応じる。

 実際、リッツーの腕はメキメキと上昇していた。もともと凄腕だったので、とんでもない職人になっている。

 イツキを基準にするせいで指標が狂っているのだ。

 ロゼがリッツーに話しかける。


「わたしはあなたの実力も買っているから。あなたはイツキと張り合わなくていい。あなたはあなたの持ち味を活かしなさい」


「へーい」


「クロイツェルはしばらく休止するけど、代わりのブランドを用意したわ。あなたが主担当になるのよ?」


「ううう、うえええええ!? マ、マジですか!?」


 なんて言いつつリッツーはのけぞっているが、さすがにロゼは人の扱い方がうまい。まさに期待の表れ。環境が変わったタイミングで、リッツーに鞭を入れたわけだ。

 話が一段落したところで、イツキは深々と頭を下げた。


「今までありがとうございます。また立ち寄ったときは連絡しますので、そのときはよろしくお願いいたします」


 3人と別れてミューレの街を歩く。

 宿屋の娘とも、荷物を引き上げた昨日のうちに別れを告げておいた。


「いやー、3年も泊まってくれたお客さんがいなくなると――っていうか、音楽仲間がいなくなると寂しいよお!」


 そう別れを惜しんでくれた。彼女とはずっと音楽談義をしていたので、イツキとしても悲しい。

 お別れに、手慰みにこっそりと作っていたウクレレを渡した。内側に、こっそりクロイツェル・シリーズと同じイツキの銘を彫っておいた。


(仲がいいのに、ルフェイン楽堂で働いていることは隠していたからな。その罪滅ぼしってやつか)


 もしも彼女が銘に気づいて――その真意にたどり着いたら、少し面白いかもしれない。

 最後に、イツキは職人マーケットに向かった。

 悩めるリティアとロゼの家で食事会をした頃から、イツキは職人マーケットに行かなくなった。


(……ずいぶんと経ったなあ……)


 入れ替わりの激しい場所だ。当然、ほとんどの店は新しくなっている。そんな風景を眺めながら歩いていると――

「あ」


「あ」


 イツキと、その視線の先にいる若者が同時に声を上げた。

 若者は、やってきたばかりのイツキにあれこれと職人マーケットの話をしてくれた人物だ。

 若者が笑う。


「久しぶりだね」


「ご無沙汰しておりました。街を出るので、足を運んだんですよ」


「ほー、そうなのか」


 うんうん、と頷いた後、若者はにかりと笑った。


「奇遇ってのはあるもんだ。今日で店をたたむんだよ。なつかしい人に会えてよかったよ」


「……店をたたむ? そうなんですか?」


「おっと、閉店じゃないぜ? スカウトされたんだよ」


 若者が告げたのは、ミューレでも有名な宝石細工の店だった。知り合いの思わぬ幸運にイツキは気分が高揚した。


「そうなんですか!? よかったじゃないですか!」


「ああ、頑張ってみるもんだぜ」


 若者は満更でもない様子でうなずいた。


「あんたはどこに行くんだい?」


「わたしですか? そうですね――」


 セルリアンの時期から含めて四年ほど街で暮らしていたからだろうか、ぱっと閃いたのは青い海だった。


「海の見える場所にでも行こうかと思います」


「悪くないね」


 うんうんと若者がうなずく。


「俺も落ち着いたら海に行きたいけど、しばらくは無理かな」


「せっかくのチャンスです。頑張ってください」


 イツキは若者と握手して別れた。

 ここはミューレ――音楽と芸術、そして、それを支える職人たちの街。諦めずに頑張れば、いつかは報われるかもしれない街。上品で物静かな街の奥底で、彼らの明日を信じる熱狂がマグマのように対流する街。


(いい街だな)


 イツキは旅に出た。

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