第39話 大航海時代の夜明け

 無事に入水式が終わり、サンタ・マリア号は海へと解き放たれた。


「いいいいやっほおおおおおお! ついにきたぞおおおお!」


 その日、サンタ・マリア号に乗り込んでいたジンクスは興奮のあまり、一日中うるさかった。それでも船員たちに指示を出しながら、リキララ周辺の海を試走する。

 そんな我を失いかねない状況でも、的確に操船しているあたり、ジンクスのセンスは非凡なようだ。


(これなら、すぐに出航できそうですね)


 一緒に船に乗り込んでいたイツキはそう結論づけた。


 その読み通り、ジンクスたちは何度かの訓練を無事に終えて、半年後には東の大陸への航海に旅立つことになった。


 もちろん、姉のチップも同じだ。


 出航の日、サンタ・マリア号が係留されている桟橋には多くの人でごった替えしていた。船に乗り込む人たち、彼らの無事を祈り、見送る人たち。


 大陸の位置関係からして、往復で半年ほどを見込んでいる。


 それなりに長い期間、会えないのもあるが、やはり、初の遠洋航海なので、ひょっとすると今生の別れとなるのかも――

 そんな興奮と心配が空気には入り混じっていた。


「ううう、お姉ちゃん、無事に帰ってきてねえ……」


「ええい! 一週間以上もウジウジして! 最後くらい笑顔で見送りなさい! あんたにゃ大仕事が待っているんだから。これじゃ、こっちが心配だよ……」


 だばだばと涙を流しているノルの見送りに、チップが肩をすくめる。

 チップが旅立った後も、仕事は山ほどあった。

 ライゼン商会は二隻目の大型帆船作成の企画を立てている。正式なゴーはサンタ・マリア号の帰還を待ってからだが、それまでにパーツ作りなど、細々とした作業は進めていくことになっている。

 それ以外にも、やはり大型帆船完成のニュースはインパクトがあり、仕事の引き合いが止まらなかった。

 チップが肩をすくめる。


「どうにも、頼りないね。イツキ、こいつのこと、頼まれてくれない?」


「お任せください」


 いつまでここにいるのか、という問題はあるが、少なくともサンタ・マリア号が帰ってくるまではここにいる予定だ。

 なぜなら――


「お願いがあるんです。醤油を見かけたら、必ずゲットしてください」


「ショーユ?」


「はい。調味料で、真っ黒な水みたいな感じです。舐めると、しょっぱいです。魚の生の切り身につけて食べてみてください」


「生の切り身? マジかよ」


 顔をしかめながらも、チップはこう続けた。


「ま、あんたの頼みだ。確保しておくよ」


「ありがとうございます!」


 そんな会話をしていると、ジンクスがやってきた。

 いつもの海男風のラフな感じではなく、長袖の上着を羽織った船長らしい服装だ。


「ようやく、ここまで来たなあ! ありがとよ、お前たち!」


「礼は航海に帰ってきてからでいいって。沈没したら目も当てられない」


「大丈夫! お前たちの仕事だから、心配はしてない!」


 太陽のような輝きの笑顔を見せる。


(これは信頼というより、根っからのポジティブシンキングなんだろうなあ……)


 やや心配ではあるが、上に立つ人間はそういう側面があったほうがいいのも事実だ。


「それにさ、船そのものを作った腕利きの職人もいるわけだから。頼むぜ、チップ?」


 ジンクスが気安く肩に手を置くと、チップが振り払った。


「気安く触るんじゃない!」


「おいおい。昔はスキンシップくらいに目くじら立てなかったってのに。プロポーズしてから厳しくなったな」


 肩をすくめるジンクスに、チップは顔を赤くして反論する。


「ううう、うるさい! と・に・か・く! 船旅中は触るの禁止だから!」


「やれやれ、ガードが硬いもんだ」


「ううう、お姉ちゃん、よかったねえ、結婚相手が見つかって……」


 そんなわけで、それが答えだった。

 なぜ船旅以降、ゲームからチップが消えてしまうのか。

 彼女は船旅に同行するし、無事に帰ってきてからも、ジンクスと結婚してしまう。


(これで、シャイニング・デスティニー・オンラインの謎のひとつがまた解消されたわけか……)


 やがて、出港の時間が訪れた。

 大型帆船サンタ・マリア号が離岸する。桟橋側に残った人たちが手を振りながら、無事で帰ってこいよー! と叫ぶ。乗船している人たちも手を振りながら、無事に帰ってくるからなー! 元気でいろよー! と叫び返す。

 無数の想いを乗せて、サンタ・マリア号は水平線の向こう側へと旅立っていった。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 それから半年が過ぎた。

 あの日からずっと、イツキたちは2隻目の船の部品作りをしている。


 この作業が報われるかどうかは、サンタ・マリア号の成果次第だ。もちろん、作った分については商会が責任を持って支払いしてくれるのだが、作ったものが廃棄処分になるのはやるせない。

 あれから、ノルはみんなを陰から支えるリーダーとして奮闘していた。

 己の背中と卓越した技術で引っ張るチップとは違うスタイルだが、それはそれで要員たちに受け入れられていた。


(しっかりとやってくれてるよな)


 なんてイツキは思っていたが、半年を過ぎてから、ノルはぼんやりすることが多くなった。


「はぁ……」


 今日もぼんやりとして、ため息を吐いている。作業する手も動きが鈍い。


「大丈夫ですか?」


 イツキが声をかけると、意識が戻ったのかノルがあたふたとした。


「あ、ごめんね!? ぼんやりしちゃって……」


「別に問題ありませんが――気になるんですか? サンタ・マリア号が」


「うん……」


 そう言って、ノルは薄く笑った。

 海を行くサンタ・マリア号からの連絡は当然、ない。無事に帰還する――それだけが消息を知る術だ。

 逆に言えば、沈没した場合は、その事実すらも知ることはない。

 姉もジンクスも大好きなノルが、帰還予定日を過ぎて、そわそわするのは無理もないことだ。


「イツキさんが作ってくれた船で、お姉ちゃんも乗り込んで……。ジンクスさんが船長だから絶対に問題はないと思うんだけどさ」


 どうしても悪い未来が頭をチラつく。

 それは、どうしようもないことだ。


「どうせなら、1ヶ月ほど休んではどうです? ぼうっとした様子で作業していると怪我しますよ」


「そっかー、それもそうだね。今の状態じゃ、ちょっと――」


 そんな話をしているときだった。

 造船所の入り口に現れた男が大声で叫んだ。


「帰ってきたぞ! 船が帰ってきた! サンタ・マリア号の帰還だ!」


 その声を聞いた瞬間、ノルの浮かなかった表情が笑顔に切り替わった。飛び上がるように立ち上がり、大急ぎで造船所を出ていく。

 その背中を見ながらイツキは思った。


(……どうやら、休む必要はないようだな……)


 イツキもノルの後を追う。

 水平線の近くに、近づいてくる大きな船が見えた。


「お姉ちゃーん! ジンクスさーん! おかえりー!」


 聞こえるはずもないのに、叫びながらノルが両手を振ってぴょんぴょんと跳ねている。 

 ふぅっと息を吐いた自分自身にイツキは気がついた。どうやら、イツキ自身も内心ではストレスを抱えていたようだ。

 それも今日で終わる。

 満足感とともに、小さくイツキはつぶやいた。


「お帰りなさい」


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