第20話 ハイエンド楽器ブランド『クロイツェル』

 イツキの部材を使ってハイエンド楽器のブランドを展開する――

 思いも寄らない展開にイツキは混乱した。

 ブランドはとても重要だ。それを聞いただけで顧客は一定のイメージを連想する。ベンツやフェラーリと聞けば、誰だって高級車だと思うように。


(……前世で言うところの、ストラディバリウス的なものか)


 そういった名前を冠したものを作ろうとしている。

 イツキの技術を中心として――


「なかなか思い切ったことをしますね」


「そう? あなたの腕から考えて、とても妥当な判断だと思うけど」


 ロゼが笑みを浮かべる。


「ミューレの一流演奏家たちが、新ブランドの楽器を愛用する――とても素敵で誇らしいと思わない?」


「はははははは……」


 気宇壮大さにイツキは目が眩みそうだった。


(商売人にはなれないなあ……)


 世界を震えさせる力を持っていても、どうしても自分の小市民的な生活にしか目が向かない。おそらくは思考の方向性が違いすぎるのだろう。

 ロゼが話を続ける。


「ブランド名はクロイツェル。古い言葉で、最高を意味する言葉よ」


(すごい意気込みだなあ……)


 だが、気になることもあった。

 ゲームだと『伝説の楽器シリーズ』というのがあるのだが、そのシリーズ名が『クロイツェル』なのだ。


(あれ? それを俺が作っちゃうの?)


 まさかの展開にイツキは興奮してしまう。


「あら、乗り気みたいね?」


「少し興奮してしまったみたいですね」


「それでね、あなたにロゴマークを作って欲しいの。あなたの意匠を彫り込むわけ。どう?」


 かっけー、とイツキは思ってしまった。


(なんだか、すごい職人みたいだぞ!)


 すごい職人なのだが、別にボケているのではなく、まだ前世の一般人感覚が抜けていないだけだ。


「いい図案を考えておいて。別に今すぐでなくてもいいから」


「……今すぐ、でもいいですか?」


 カンスト生産職のインスピレーションが爆発したのだろうか、イツキの頭には候補となる図案が浮かんていた。

 これしかない、という確信がイツキにはある。


「構わないけど?」


 イツキは紙の上にさらさらと絵を描いた。

 それは一本の木を抽象化した図案だった。


「さすがね、デザインは申し分ないけど。コンセプトは?」


「わたしの名前、イツキは木を意味しているんです」


「へえ」


 感嘆の声を漏らして、ロゼはうなずいた。


「あなたのロゴとして、いいんじゃない?」


 自分の作品に残すサインが決まった。それは意外と自分の機嫌を高揚させてくれた。


(よし、これからこれはという作品ができたら、それを彫り込んでいこう) 


 なんだか生産職として一端いっぱしになれた気がしてイツキは楽しい気分になった。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 最高級楽器ブランド『クロイツェル』の立ち上げが始まっても、イツキの日常は何も変わらない。

 なぜなら、もともとイツキが作る部材の品質は最高級だからだ。

 今までと同じものを提供するだけ。

 大変なのはリッツーら、他の職人たちだ。


「あうあうあうあう、無理だよー、こんな超品質に張り合う部材を作るなんてさー。イツキちゃーん、手を抜いて?」


「無理です」


 そんな作業をこなしながら、リティアのヴァイオリン作りをイツキは進めていた。


(今度こそは!)


 そんな感じで気合を入れて取り組むが――

 なかなか簡単にはいかない。

 まずはヒアリング。もう一度最初からリティアの要望をまとめるのだ。

 防音室でリティアが既製品のヴァイオリンを奏でている。弾き終わった後、リティアがイツキとリッツーに要望を伝えた。


「うーん、ちょい待ち」


 リッツーがリティアを遮る。


「その楽器さ、1回目のときもヒアリング用に使ったんだけどさ、前と要望が真逆になってるよ?」


「え、そ、そう?」


「変わるのは当然だろうけどさ、真逆はないんじゃないの、リティアちゃん?」


「う、う、う……」


「自分でもわかんなくなってるんじゃない?」


「う、う、う……」


 リティアは額に手を当ててため息をついた。


「……そうなの、なんだか、自分の感覚に自信がつかめなくなっちゃって……」


 大問題だった。

 どうやら、1回目の失敗でリティアは考えすぎてしまったようだ。

 であれば、とリッツーとイツキは自分たちからリティアに質問を投げかけてみた。思考の交通整理をしようという発想だ。

 だが、リティアの返事は要領を得なかった。

 リティアが髪をかきむしる。


「ううん! 情けないぞ!」


 彼女はヴァイオリンを手にすると、立ち上がって演奏を始める。

 それは、さっきまで奏でていた、音の調子を探るような繊細な調べとは違う、荒々しい迫力と勢いに満ちた、激流のような音だった。

 粗暴で雑だけど――

 今の彼女の乱れた感情がそのまま表現されているようで、イツキは嫌いではなかった。

 演奏が終わった後、リティアは天井を見上げる。


「……迷惑ばっかりかけて……悔しいなあ……」


 結局、その日は何も得るものがないまま、解散となった。

 リティアと別れた後、イツキはリッツーとともに作業場へと戻る。イツキはクロイツェル用の部材を作り始めるが、集中力が出ない。


 どうすればリティアの局面を打開できるのか、そこに意識が向いてしまう。

 だけど、答えは出ない。


 彼女の才能を正しく伝える楽器がなんなのか、イツキには想像もできない。

 イツキはイツキなりに、悔しかった。

 表現力、演奏力という点で彼女の才能は比類ない。それは、さっきの感情を発露させた演奏からもわかる。


 生産職として――それをサポートできないことが辛かった。


「イツキちゃーん、悩み事?」


「え、うーん、わかります?」


「手が止まってるし、表情も深刻だからねー」


 へらへらとリッツーが笑う。だけど、その笑みはいつもと比べて冴えない。


「どうしようかね?」


「うーん……難しいですね……」


「何が難しいの?」


 ロゼが話に割り込んできた。どうやら、いつの間にか作業場に来ていて、会話を聞いていたようだ。

 イツキが答える。


「リティアさんの件です。2本目の制作に取りかかろうとしているのですが、うまくいかなくて……リティアさんのために、何を作ればいいのかがわからないです」


「ああ、そういう状況なのね」


 ロゼがうんうんとうなずき、少し考えてから続ける。


「断る、というのはどうかしら?」


「こと、わる?」


 頭に存在しなかった提案にイツキは面食らった。

 だが、ロゼの言葉の正しさをイツキは理解した。自分の手に負えないと判断したのなら、引くのも商売だ。無理をしてもろくな結果にはならないからだ。


 ――だが。


 限界にたどり着けないと嘆くリティアの、悔しそうな表情が浮かんだ。

 そして、思う。

 最高の生産職である自分にできなければ、他の誰ができるというのか。


(廃ゲーマーとして、クリアしなくちゃいけないクエストだろ、これは!)


 退くつもりはない。


「今回の仕事は、やり遂げたいと思います」


 もう4ヶ月も付き合っているのだ。彼女の才能にも確信がある。今さらものを捨てるように別れることなんてできはしない。


「そう」


 あっさりとロゼは引いた。まるで、その言葉を予期していたかのように。 


「なら、アプローチを変えてみるのはどうかしら」


「アプローチ?」


「そうね。根をつめすぎるのも良くないわ。リッツーも誘って3人でわたしの家に遊びにでもきたら? 見えるものもあるでしょう」


「へ?」


 いきなりの展開にイツキは唖然とした。

 代わりに、リッツーが声を上げる。


「えええ!? ロゼさんの家って、あの豪邸っすか!?」


「豪邸と自分で言うのは気がひけるけど、あの豪邸かもね」


 ロゼが笑う。


「リティアと仕事抜きで過ごしなさい。リフレッシュも兼ねてね」


 仲良くなる――リティアと友達になるのはいいことかもしれない、とイツキは思った。

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