第37話 水着は、それしかないんです

 イツキが隣で真っ青になっていることなど知らないまま、チップが口を開いた。


「は? 水着とか。なんでそんなの着ないといけないんだよ!」


「ええと、その……気分転換?」


「なんだよ、その理由は……」


 理解できない、という様子でチップが自分の額に手を当てる。

 そこでノルがイツキに目を向けた。


「あ、あの! イツキさんも水着を着たいよね!?」


「え、ええと……」


 ノルの目が訴えかけてくる。ここだよ! 今だよ! 作戦は! ここでイツキさんが着る! と言ったら、お姉ちゃんも抵抗できなくなるから! 手伝ってくれるんだよね!?


 イツキは内心で頭を抱えた。


(……あの水着を着るのか?)


 どうにも女性ものの水着を着ることに抵抗がある。

 しかも、あんな大胆なビキニを。

 だが、断ってしまうと、頑張ろうとしているノルの行為に水を差すことになる。

 すぐに答えられないイツキの代わりに、チップが話をする。


「……イツキも困っているだろ。だいたい、水着なんて持ってきて――」


「水着なら、あるよ!」


 そういうなり、ノルは自分の荷物から三着の水着を取り出した。


「これ、お姉ちゃんの。で、こっちが、イツキさんのやつ。買ってきておいたけど、これでよかった?」


 ノルが買ってきてくれた水着は、ワンピース型の、落ち着いたデザインのものだった。

 女性水着という時点でイツキには微妙だが、それに目をつぶれば、ビキニとどちらを選ぶかと言われると、こっちだった。


(……う、ううう……辛い、辛いけど……)


 頑張っているノルの気持ちに応えたいという気持ちもある。


「は、はい。そ、それで――」


「いや、だめだろ」


 チップはノルの手からイツキ用の水着をひったくる。


「お前さ、これ、普通サイズだろ。イツキをなめすぎじゃないか?」


 そう言って、水着の胸の部分をみょーんと広げた。

 イツキはチップが言わんとしていることを理解した。イツキのスタイルが良すぎて、どうやら水着のスペックを超えてしまっているらしい。


(……確かにそうかもしれない……)


 ノルの顔が真っ青になる。


「あ、あ、あ、本当だ……! うう、声をかけて一緒に買いにいくべきだった……!」


 おそらく、巻き込むイツキの手をわずわせたくなかったのだろう。

 チップが肩をすくめた。


「イツキだけ水着じゃないってのも変だろ? じゃ、水着の話はなしで」


 これで話は終わったかのように思えたが――


「ま、ま、ま、待って、ください」


 イツキは声を振り絞った。

 2年の付き合いだ。姉のことを思うノルの気持ちに乗ってやろう、そんな覚悟を決めた。


「水着は、あります」


「え」


「水着は、あります!」


 とまどうチップに、イツキは続けた。


「な、なので、一緒に水着で過ごしませんか、チップさん?」


 こわばった笑みを必死に誤魔化しながら、イツキはそう提案した。

 そんなわけで水着に着替えたところ――


「おお」


「うえっ」


 水着に着替えたイツキを見るなり、チップとノルは目を丸くした。


(は、恥ずかしい……)


 いわゆる『大胆なビキニ』なので、イツキの艶やかな肢体が、これでもか! と言わんばかりに露出している。

 細くて、出ているところは出て、引っ込むとこは引っ込んでいる。

 そんなパーフェクトバディが。


「これが同じ女なのか? ちょっと、その、別の生き物じゃないか?」


 チップは口をぱくぱくとさせて、自分を見た。


「はあ、現実って残酷だねえ……」


 チップとノルは地味なワンピース水着だ。ボディラインも標準を超えてはいないので、いわゆる、普通だ。


(これ、逆効果じゃないのか……?)


 チップが女であることをジンクスに認識させたい! というノルの作戦なのだが、この中で扇情的なのは、圧倒的に、ぶっちぎりでイツキだ。

 間違いなくジンクスの視線をもぎ取ってしまう。


(前世が男だけに、絶対の自信があるぞ……)


 イツキはノルに視線を送った。

 ノルは涙目で首をふるふると振った。その様子は、恐ろしいものを見てしまった……そんな感じだった。

 ノルが立てた完璧な計画は、イツキのパーフェクトバディによって粉砕されてしまった。

 だが、もう計画を止めるわけにはいかない。

 チップがキャビンのドアを開けた。


「ほら、行くよ。安心しな、イツキ。もしもジンクスのやつが変な目を向けたら、私があいつを海に落としてやるから!」


 3人揃ってデッキに出た。


「時間がかかったな。どうし――うおわっ!?」


 ジンクスが目を向け――

 慌てて目を逸らした。

 まさか水着姿になって出てくるとは思わなかったのだろう。


「え、どうして!?」


「仕方ないだろ! うちのバカ妹が急に水着を着たいなんて言うから!」


 そう言った後、さらに語気を強めた。


「こら、ちらちら見るな! 特にイツキを!」


「いや、まあ、確かに、その、イツキの破壊力は――」


「うるさい! あんたはずっと、大好きな海に目を向けてろ!」


 などと言ったが、さすがに遊びにきて、顔を見ずに喋るわけにもいかず、やがて不自然なりの自然さで間合いが落ち着いた。

 ジンクスの視線の位置は大変そうだったが。

 そんなジンクスの視線が最も集まったのは、イツキではなくチップだった。


(なるほど)


 それで、イツキは結論づけた。

 ノルの予測は正しかったのだ。

 なんの条件もなければ、男の視線は確実にイツキに集まるだろう。だが、ジンクスはそうではなかった。

 そこには、何かしらの条件があるということだ。


(今日のこれが、きっかけになればいいんだけどな)


 そうであれば、恥ずかしい思いをしたイツキも救われるのだが。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 それから2ヶ月後――

 ついに船サンタ・マリア号が完成した。

 その日はライゼン商会の人間を引き連れたクラインもやってきて、完成した船の周囲で盛大な酒盛りが行われた。

 進水式――船を海へと出す日取りも決まった。


(いよいよか……)


 その後は、しばらくジンクスを中心に船員たちと船の試走をした後、準備が整い次第、東の大陸に向けて航海に出る。

 もうイツキたち技術者の手は離れた。

 あとは、海を愛する男たちの戦いだ。


(ま、問題はないか)


 ゲームで成功が約束されているのだから。いや、それがなくてもイツキは大丈夫だろうと踏んでいた。ジンクスの海好きは相当のもので、航海の知識は深い。ゲームという前提がなくても、彼ならばやり切るだろう、とイツキは思っていた。


 そんなことを考えながら、イツキが造船所の奥にある部屋で手紙を書いていると、チップがやってきた。


「や、お邪魔するよ」


「大丈夫ですよ」


 イツキは手紙を書く手を止める。


「どうしたんですか?」


「たいした話じゃないよ。その節はバカな妹が迷惑をかけたからさ、謝りに来たんだよ」


「……? どの件ですか?」


「ほら、あれだよ」


 少し恥ずかしそうに言い淀みつつ、チップが話す。


「ジンクスの船に乗ったとき、みんなで水着に着替えただろ?」


「そんなのもありましたね」


「バカな妹の態度がおかしかったからさ、問い詰めたんだよ。そしたらさ、私とジンクスをくっつけたくて、あんなことをしたって――」


 そこで、チップは大袈裟なため息をこぼした。


「全く! しょーもないことに気をつかって!」


「それだけ、お姉さんのことが好きで――ジンクスさんのことも好きなんですよ。ノルさんは」


「余計なおせっかいを……関係ないあんたまで巻き込んでね。本当にすまないね」


 少し黙ってから、チップが恥ずかしそうに付け加えた。


「あのバカ妹は勝手に決めつけていたんだけど――実は、ジンクスから将来の話をされているんだ」


「えええ!? そうなんですか!? おめでとうございます!」


「ははは、ありがとう。ま、別にまだ恋人とかじゃないけどさ」


 照れた様子でチップが言う。


「それでさ、ジンクスから頼まれているんだ。船に同乗してくれないかって。長い旅だから、何があるかわからない。詳しい人間がいてくれると助かるって。で、無事に帰ってきたら、結婚しようって」


「ほほー、お熱いですねえ」


「この造船所は、妹のやつに預けようと思っている。で、あんたに聞きたいんだが、あいつで大丈夫だと思うか?」


 その目は真剣だった。

 もしも、イツキが大丈夫じゃないと言えば、チップは同乗を拒否するだろう。その結果、結婚話が流れる――とは思わないが、それとは関係なく、チップの気持ちとしては行きたいのだろう。

 イツキは、よかった、と思った。

 嘘をつかなくてすんだから。


「ノルさんなら大丈夫ですよ。立派にチップさんの跡を継いでくれると思いますよ」


「そうかな?」


「はい。職人として優秀です」


 それが2年間、ノルを見続けたイツキの正当な評価だった。チップが目立つが、ノルはその影でいい仕事をしている。


「そうか。あんたがそう言うのなら、間違いないね。妹と話をしてくるよ」


 チップが部屋を出ていく。

 イツキはチップの背中を見送ったあと、手紙を書く作業に戻った。

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