3-4足手まとい

「久しいな、ここでは何と呼んだらいい?」

「今回はグレイにした。灰の牙のグレイだ」

「いつまでそんなことを言ってるんだ、変わらんなぁ」

 宿の前で待ち構えていた男性と、ハンターが珍しくハグの挨拶をした。


「紹介しよう、レナーテ村の村長で、元穴熊酒場のマスター、ローエンだ。そしてこっちが前に手紙で書いた、薬師のビビだ」

「はじめまして、ローエンだ。湖の村、レナーテへようこそ」

 彼が後ろを指し示すと、到着の時に気づかなかった大きな湖が目に入った。

 静かな湖面が、雪を頂いたままの山を、さかさまに映し出している。


 ここが、彼が一番最初に言った、湖の村。

「湖のほとりにある小さな村の村長は俺の知り合いだから、そこにあんたを預ける。あとは自由に達者で暮らせ」

 あの時の声を思い出して、とっさに彼の袖をつかむ。


「何だ、ビビは本当に薬師モードで無い時は、からきしだな」

「これ、言うでない。ビビさん、ここにはもう薬師だ教会だと、あなたを怖がらせるものは何もない。心配しなくていいんだよ」

 違う。私が怖いのは、そういうことじゃない。


「グレイさーん! お手紙です」

 村の入り口から走って来た青年は、ハンターの手に手紙を渡した。

 おや、と眉を上げたハンターはその場で手紙を開く。


「あっ、昨日はどうも。足は良くなりましたか」

 青年は私にも昨日と同様、明るく挨拶をしてくれた。

「は、はい。昨日は、失礼しました」


 村長が青年の肩に手を置く。

「息子のルークだ」

「いつのまにこんな大きな息子を!」

 ハンターが驚いて顔を上げる。

「おまえが何年も知らせをよこさん間にだ」


「ルークです。ビビさんと呼んでも?」

 ハンターに助けを求めても、彼は手紙を読むのに夢中でこちらを見てくれない。しかたがなくて、黙ってうなずいた。

「開戦前だってのに、敵国からのお手紙だ。ビビ、あんた宛だぞ」

 敵国と聞いて微かにルークが反応する。渡された手紙は、ヴァイスからだった。


「ヴァイからだ。今は、第二公妃の近衛をやってる」

「あのボウヤがか。偉くなったものだな」

 村長はヴァイスも知っているらしい。

「あの、部屋に戻りたいです」

 ハンターの袖を引くと、彼はああとうなずいてくれた。




「これは、お姫様の詳細な病状の記録です。かなり古いものからある……」

「そんなものが何であんた宛に?」

 自分の調合記録や、師匠の書付を見返しながら答える。


「私がヴァイスさんに頼んだからです。あの時、私は万能薬の調合をするとは言いましたが、お姫様の病気を治すとは言えませんでした」

 確かに、とハンターは言う。


「診てもいない病気を治すことはできません。でも私が今、ナナムスに行くのも不可能です。だからせめて情報を……」

 顔を上げると、彼は私をじっと見つめていた。

 何を考えているのか、いつもはぼんやり分かるのに、今日の彼の目から何もつかむことができない。


「……全体的に体温が低すぎます。体を温める薬を調合するので、できたらそれをまたナナムスまで届けることはできますか」

「いくらでもツテはある。まかせておけ」




「ビビ、寝ないのか」

「……もうすこしなので、先に寝ていて下さい」

 横になったハンターから、もう3回同じことを言われ、同じ言葉を返している。


 やっと満足のいく調合ができると、もう夜明けが近い。

 前半分をあけてくれていたベッドに潜り込んで、いつものように、彼の手に自分の手を重ねて眠りに落ちた。




「……!」

 一人で目を覚ます。自分の後ろのシーツがすっかり冷たくなっていることに気づいた私は、裸足で部屋から飛び出した。


「わっ、ビビさん? どうしたんです、そんな格好で!」

 目を丸くしているルークに尋ねる。

「あの、彼は!」

「酒場でオヤジと話して……」

 全速力で酒場までの廊下を走ると、カウンターで座って話をしていたハンターの背中に飛びついた。


「ビビ、そんな勢いで……なんだ、裸足で出てきたのか」

「おまえが隣の部屋にいなかったから驚いたんだろう。かわいいじゃないか」

 ドッ、ドッと心臓の音が耳に響く。

「真っ青だぞ、薬ならさっき知り合いに預けたから、もう一回寝ろ。ほら」

 抱きかかえられて部屋の前まで戻ると、ルークがさっと目をそらした。もう、誰にどう思われても構わない。




「俺が離れても大丈夫だったな」

「大丈夫じゃありません」

「いつもは、手を離すと必ず浮上するんだが、今日はそのままぐっすり眠っていた。この村は、ビビにとって安全なんだ」

 言い聞かせるように彼は言う。

「どうしてそんな事を、言うんですか」


「俺は、傭兵として戦争に行く」

 それ自体は、アニエス様に啖呵たんかを切ったときから、覚悟していたことだ。

「戦果をあげたら、アカランカ王家に伝わる「星の書」をたまわる約束を取り付けた。これが恐らく万能薬の調合書だ」

「行きましょう。戦地にでも、どこへでもついて行きます」


「……ビビ、女を連れて戦場には行けない」

 想定外の線引きに言葉を失った。

「今度戦うのは、モンスターじゃない。あんたのようなかよわい女が、一番最初に狙われて、一番ひどい目にあう」

 首を振っても、ハンターの目は和らがなかった。

「……それに乱戦の場では、はっきり言って、足手まといだ」


 ケイブマンティスに囲まれたときに、私が彼をどんなに不利にして、実際死の淵まで追いやったのか、分からないわけがない。


 視界が歪んで、涙が落ちた。

 どうしようもなく情けなくて、もう何も言うことができない。

「戦争が終わって、星の書を手に入れたらまたここへ戻って来る。それまで村の連中と仲良くして、ちゃんと寝て、元気でいてくれ」




 実際彼に招集が来るまで、その後5日の猶予があった。

 でも、あれ以来、ハンターは私の部屋に「よばい」に来ない。


「ビビさん、大丈夫? もしかして眠れてないんですか?」

 井戸の前でぼんやりしていたら、ルークに声をかけられた。

「それとも、ここが救護場所になるのが不安ですか?」

「救護場所?」

「この村に来る時に、谷を通ったでしょう? あそこに陣が敷かれるってオヤジは言っています。そしたら、一番近い村はここだから、軽傷の兵はこっちで看護することになるはずです」


 来て下さい、と言われてはじめて集会場に足を踏み入れる。

「ここを解放して、けが人を介抱します。ビビさんはお客様だけど、もしかしたら少し手伝ってもらうことになるかもしれません」

「その時はぜひ、お手伝いさせてください」


 ありがとうとルークは笑い、夕食を食べて元気を出そうと言ってくれた。

 スープをもらって口をつけると、訓練を終えた人たちがぞろぞろと入ってくる。


「グレイさんも戻ってきましたね、呼んできます」

「あ……いえ、いいんです。忙しいと思うので」

 彼が私を呼んでくれないと、そばにいっていいのか分からない。こっちへ来るなと言われるのは怖かった。


 ルークは厨房から手伝いを頼まれ、すぐに戻りますからと駆け足で姿を消す。

「おおっ、ついにナイトがいなくなったぞい。テオおじさんに一杯おごらせておくれ」

 ヒゲ面の兵士が、愉快そうに笑いながら私のテーブルに来る。


「ここは夏でも冷えるじゃろ、火茶ひちゃにするかの? それとも酒がいけるのかな?」

「火茶は体に合わないので……お酒をいただいてもいいですか」

 やあそれは嬉しい、とおおげさに男は喜んだ。

 お酒の力を借りて少し頭を休ませたい。何も考えない時間が欲しかった。


「アカランカ特産の焦酒こげざけじゃ。喉が焦げるほど強いから、気を付けておくれよ」

 透明な酒を口に含むと、確かにアルコール度数が高く、ポッと胃のあたりが温まる感じがする。

 火茶の件があるので、慎重に口にしたが体に異常は感じなかった。


「お嬢さんイケるのぅ。肉の燻製がまた最高に合うんじゃ。うまいじゃろ?」

 宣伝通り、抜群の組み合わせだった。一杯目を飲み終えて、お代わりだとおじさんが呼んだので、ルークがグラスを持ってやってきた。

「わ、ビビさんに何を飲ませてるんだよ! お水、お水!」

 慌てて水を運んでくる。いや、この子は酒豪じゃぞと、陽気に笑うテオおじさんに、ルークはめいっぱい怖い顔をしてみせた。


「テオじい悪ふざけがすぎるよ! 焦酒が飲める年じゃないことくらい分かるだろ」

「……いえ、私、18歳ですから、お酒は飲めます。アカランカでは違いますか?」

「じゅうはちぃっ?」

 いつかハンターにも同じような顔をされた覚えがある。


「あ、いえ驚いたりして失礼でしたね。てっきり僕より年下だと思ってたんです」

「ルークさんは何歳ですか?」

 僕は今年16になりましたと言う彼は、なんてしっかりしているのだろうと静かに驚く。


 ふと、視線を感じてそちらを見ると、ハンターがさりげなく顔をそむけるところだった。

 そういえばもう何日も、彼と目も合わせていない。




 結局明日、ハンターが出立するという日まで、私たちはすれ違いっぱなしだった。

 彼は村の男たちと武器の手入れや、訓練をするのに忙しく、私も姫の病因を探りながら、ルークを手伝ってシーツや包帯の準備に追われた。


 考え事をしたまま酒場から出ようとすると、いつのまにか戸口にハンターが立っていた。

「今夜、そっちへ行ってもいいか?」

 久しぶりに聞いた彼の声に、何故かカッと頬が熱くなり、顔を上げることができない。

 強く首を横に振って、自分の部屋に飛び込んだ。




 真夜中、窓を開けると、しとしとと雨が降っていた。

 草の上に降り立って、隣の部屋の窓を見上げる。そのままぐるぐると答えの出ないことばかりが頭を巡った。

 ようやく意を決して背伸びをしても窓ガラスまでは手が届かなくて、窓の下をたたこうと手を伸ばす。すると音も無く窓が開いて、一瞬で部屋へ引き上げられた。


 顔を見る間もなく、強く抱きすくめられる。冷たい雨に濡れた体が、彼に触れて熱いと感じた。

 あまりに強い抱擁に、あえぐように息を吸う。


「っ……ビビ……!」


 彼の声に名前を呼ばれるのが好きだ。困った時も、怒った時も、ずるい顔で笑う時も、何度も何度も「ビビ」と呼んでくれた。

 だからこのせつない声の意味を、ひとつもこぼさずに受け止めたい。


 頬をすりよせて、鼻先がふれるほどの距離で目をのぞき込んだ。

 優しい曇り空の色が、今にも雪が降り出しそうに凍えている。


「あなたに言われたこと、一生懸命考えたつもりです。迷惑をかけてごめんなさい」

「……違う」


 きっと、何もかも本当で、何もかもが違うのだろう。

 安全な村で達者で暮らせと思うのも、足手まといだと言葉にしなければならなかったのも、本当で、違うのだと思う。


 ゆっくりと彼の腕の下から、背中へ手を回して顔を伏せる。泣いているのは見られたくなかった。

「薬師のビビは強いです。この村で、みんなを助けて、あなたの帰りを待ちます」

 だから、と。

「かえってきたら、いっぱい褒めて下さい」

「俺はあんたに、幸せになってほしい。それには、この村がふさわしいと思っている」


 こんなに近くにいるのに、何故彼が、私の幸せを外側から見ようとしているのか、どうして伝わらないのか、もどかしい。

「私を幸せにしてくれるのは、あなただけです」

 揺らがない思いを、精一杯の言葉に託した。

 

 どうしてもと頼み込んで、シャツを脱いでもらうと、もう彼は包帯も巻いていなかった。

「傷は完治です。元通りだと保障します」

 引き留めるための最後の糸も、自分の手でプツンと切った。もうワガママを言いませんから、どうかこの人を、無事に帰してください。

 強く手を握ったままで、眠りに落ちる間もないほど、朝は駆け足でやってきた。

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