2-6大鍾乳洞
私たちが来たことに気づかなかったのか、コニーはこちらに背をむけて薬の調合をしているところだった。
青い小さな花がついた薬草と、樹皮を砕いたものがテーブルに置いてある。きっと咳止めの薬を作っているのだろう。
コンコンとすでに開いているドアをノックして、ハンターが声をかける。
「コニー、またしばらく世話になるぞ」
振り返ったコニーは、真剣な顔をして薬さじを持っていた。あまり寝ていないのか目の下にはクマがある。
「おっと、すまない。仕事の邪魔だったな。終わったら休憩しよう、
「びすけっと……」
コニーがふらっとこちらに歩いてきたので、彼女と入れ替わるように部屋の奥へ走る。
火にかかっていた鍋の一つだけを脇によけた。薬草の方は沸騰させると薬効が失われてしまうのだ。
「あ、すみません」
彼女はぼんやりした表情で、私を見つめる。
「吹きこぼれてしまうかと思って……大丈夫ですか? かなりお疲れのようです」
「忙しくて、寝ていなかったので。片付けますね」
「手伝おう」
すぐにハンターが出しっぱなしになっていた箱を重ねたり、手桶を脇によけたりする。
私たちがまた来ると言ったから、無理をして仕事をしていたのだろう。悪いことをしてしまった。
ビスケットを頬張ったコニーの頬が、ぱっと明るくなる。
「お、おいしいです!」
夢中で焼き菓子をかじるコニーを見て、私たちはホッと顔を見合わせた。
午後から予定していた鍾乳洞の探索は繰り延べて、溜まっていたコニーの家事を手伝う。ビスケットを食べた彼女は、寝不足の疲れも見せずによく働いた。
「洗濯が終わったなら、干してこようか」
「結構です! どこでもいいので掃除をお願いします」
ハンターのからかいに反撃する元気も出たコニーに、ハタキとほうきを渡されて、学校へ押し込まれた。
前回泊まった時に使わせてもらった部屋は、さっき掃除が終わったから、別の場所も綺麗にしようかと、開けたことのなかった扉を開く。
細長い窓が一つだけのその部屋は、狭くて暗い。そして壁一面に本が並んでいた。
「図書室か。田舎の学校の割に立派だな」
「こんなにたくさんの本、見たことありません。あっ、これは薬草学の本ですよ」
一冊の本を抜き出して表紙を開いていると、ハンターは私を本棚との間に挟むように立つ。
開きっぱなしの扉を見てから周辺の気配を探ると、棚の上段に手をついた。
「本が読めるんだな」
小さな声が聞こえるように背中を丸めて彼は言う。
「お師匠様が教えてくれました」
彼は、何かを懐かしむように目を細めて言った。
「知識は荷物にならないが、必ずおまえさんの役に立つ」
その後のセリフは私が引き継ぐ。
「たんと頭に詰め込んでおくんだね。……どうして知っているんですか」
「昔ゼシカの森で怪我をしたとき、あの人が俺を治してくれた。でも、治療費の金貨5枚が払えなくて、一月近くも水汲みと薪割をさせられたんだ」
「師匠の治療は特別ですから、それでも破格ですよ」
そうだ、と思って薬草学の本から該当するページを探す。
「私、引き取られた時に、自分の名前が分からなかったんです。それじゃ不便だからと、師匠がこの木から名前をつけてくれました」
ハンターにも見えるように本を持ちあげると、彼は噛みしめた奥歯を、ため息で開きながら視線を落とした。
「……ビビミティカ? あぁ、あの黄色い花が咲く木か」
「はい。花や葉はもちろん樹皮までまるごと薬の材料になるんです」
最初、いつまでも小屋の片隅で震える私を「こんな臆病者見たことが無いよ。おまえはビビりのビビだ」と師匠は言って「ビビ」と呼ぶようになった。
そのままかなり長いこと私は自分を「臆病者のビビ」だと思い込んでいて、本当の由来を聞いたのは、森で暮らし始めてから数年は経った後。
「ビビミティカは薬師の愛する木だと。自分が一番好きな木だから、私にその名をつけたと……」
胸の奥がキュウっとなったら、すぐにハンターが私の頭を自分の胸に引き寄せてくれる。
「ビビ、あんたの名は、口にすると甘い。呼ぶ者を幸福にする名前だな」
耳に彼の声が振動ごと伝わる。響く「ビビ」の音は、呼ばれる者だって特別に幸せにしてくれる名前だ。
夕飯の後で、明日は朝から鍾乳洞に潜りたいとハンターが言うと、コニーは例の
「……なかなかこの感覚に慣れません」
耳を触りながら私が言うと、コニーはそれでも寒いよりマシですよと言う。
夜は相変わらず、男性と女性の二部屋に別れて眠った。ハンターは廊下で座っているから、一部屋半と言うべきだろうか。
いっぱいお掃除もしたし、明日は早いんだから、と自分に言い聞かせる。目を閉じて、ちらっと外を見て、また閉じて、くりかえしているうちに結局夜が明けた。
朝も飲んでから行くと体の冷え方が全然違うからと、コニーは火茶をいれてくれた。
「昨日の朝、熱を出した子どもの様子を見に行くので、私は一緒に行けません。あまり奥まで行かないで下さいね」
彼女は薬を作っていただけじゃなくて、看護にも行っていたのだ。
コニーにそれが終わったら今日は少しゆっくりしていて下さいね、と言って学校を出た。
彼女が使っている方の出入口を使う許可をもらって、私たちは本格的に鍾乳洞の探索を開始した。
新調したランプはかなり明るく、前回より鍾乳洞の内部がよく見渡せる。
ハンターは腰に愛用の剣を下げ、追加用の油瓶3本をザックに入れて背負っていた。ザックには他にロープと小ぶりなピッケルが入っている。
私は火茶を入れてもらった水筒、海猫亭の甘くないケーキをスライスしたもの、缶入りのビスケット、それと少しの薬師道具をカバンに入れ、彼に手をひかれて歩いていく。
ブーツに履き替えたことで、足元はかなり安定した。
「念のため、ここで一旦油を足そう」
前回コニーと来た広い場所まで一息に来て、彼は言った。
右へ左へとかなり複雑な経路を通ってきたように思えるのだけど、ハンターはこれを一度で覚えてしまえるんだ。すごいなと思って彼を見つめていると、火を吹き消そうとしていた手を止めた。
「暗くなるのが怖いか?」
私が首を横に振ると、ハンターはザックから油の瓶を取り出して栓を抜いた。
「俺が明かりを点けているから、油を入れてくれ」
そう言うとフッとランプが消え、代わりに彼の手のひらに小さな光が灯る。
どこからどう出しているのかさっぱり分からないその炎は、ランプの明かりより少し青白いような気がする。
「前にも言ったが、俺は魔法が苦手だ。長持ちせんから早めに頼む」
慌てて給油口を開け、油を注ぐ。ちょうどビン一本分が中に入ると、彼はホヤを上げて手のひらの炎をランプの芯に移し、あたりが明るくなった。
広めの空間を隅々まで確認すると、やはり川になっている場所を越えなければ向こうに渡れない。流れの早い川は水深もあり、濡れずに渡ることはできそうもなかった。
「向こうは、かなり奥まで穴が続いているだろうし、あっちからは滝の音がする。この空洞が今後の探索の起点だ」
そう言うと私にランプを渡し、自分の上着を脱いで平らな岩に敷いた。
「そこに座ってこっちを照らしていてくれ」
ハンターは手近なところから、あたりに転がっている岩を川に落としはじめた。一抱えくらいの岩なら、少し離れた場所からでも持ち上げて運ぶ。
流れをせき止めてしまわない程度に岩を配置すると、一旦自分で渡ってみて、私のところまで戻ってきた。
「時間がかかったが、毎回濡れて歩くのは嫌だからな、さ、行こう」
対岸に渡ると、進む速度は激減し、一つ一つのくぼみや天井を確認するように歩いていく。
途中で2本目の油をランプに入れて、まずは南方向へ続いている穴のほうを先に調べようと決め、今日の探索を終えた。
新しいマントのおかげか、コニーの火茶のおかげか、今日は全く冷えを感じなかった。
村への道を歩きながら、私は彼に尋ねた。
「あの炎の魔法は、練習すれば私にも使えるようになりますか?」
「魔法の習得は遅くても十歳までとは聞くがな、それで魔法学のある上流学校がボロ儲けしているんだ」
「あなたは、どこで魔法を学んだのですか?」
「学校だ。悪い生徒だったから、学問も魔法もサッパリだがな」
彼と学生のイメージが全く結びつかない。
「覚えたとして、役に立つのは
ヴァイスはそこまでは言ってない。
でもそうか、魔法を覚えるにはもう遅いのか。ちょっとシュンとしていると彼は私の背中をポンポンと叩いた。
「俺には薬は作れない。怪我も治してやれない。でも俺たちは二人旅だ。互いに無いところを補えばいいだろ」
それを納得するには、私に無いところばかりが多すぎる。
学校へ戻ると、うたたねをしていたコニーが跳ね起きた。
大丈夫でしたか、怪我はありませんかとしきりに私を心配してくれる。
ベッドに入っても、洞窟を歩いて体は疲れているのに、やっぱり寝付くことはできそうもなかった。
今夜は月が明るい。ふと思い立ってコニーに声をかけた。
「あの、なかなか眠れないので、図書室から本を持ってきても構いませんか?」
「……お嬢様は、字が読めるんですか」
「はい。一生懸命勉強しました」
お嬢様設定なのだから、学校に行って勉強をしていても不自然じゃないはずだ。
「うらやましい。どうぞ、どれでも好きなものを持ってきてください」
小さな燭台を渡されて廊下への扉を開けると、すでにハンターは立って私を待っていた。
ろうそくの明かりで本を探す私に、彼は言う。
「あまり夜更かしなさいませんように」
「夜更かしなんかしません」
「薬草学」と「鍾乳洞の生態」という2冊の本を手にとった私はきっぱりとそう言い返す。するのは夜更かしではなく、夜明かしだ。
すると、唐突に後ろからぎゅっと抱きしめられて、あやうく持ってる本を取り落としそうになった。
「これで、睡眠1時間分になったりは?」
「……そういう便利なものではないんです」
それは残念だとあっさり彼は手を離してしまい、それはそれで、ちょっと名残惜しい。
コニーが怒り出す前に部屋に戻ると、ハンターはドアの前の木の椅子に腰を降ろしてひらりと手を振った。
ベッドで過ごしている私が弱音を吐いている場合ではない。
月明りで本を読み、しばらくすると、コニーの寝息が聞こえてくる。
私は、彼女の眠りを邪魔しないように、なるべく静かに次のページをめくった。
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