2-5旧友

 精霊に愛される子どもは「不自然に幸運」である。

 あの子だけがたくさん採れる、あの子だけが怪我をしない、あの子だけが、生き残った。

 狭い村の中で、そういう不自然な幸運が重なれば、あっというまに嫉妬の対象になる。


 そして無垢な子どもには、精霊の声が届きやすい。それなのに、語り掛けてくる精霊とのおしゃべりを隠すなんて知恵は無いから「何かとしゃべってる」「変なものが見えている」と、ますます人の輪から浮いていく。


 そんな我が子を家族ですら持て余す頃になると、ちゃんと教会の使いが現れて、これは悪しき異端者ですね、あとはお任せくださいと引き取っていくのだという。


 私もそうやって家族から疎まれ、師匠の元へ引き取られてきたのだろうか。

 6歳までは親元にいたはずなのに、何一つ覚えている事が無いから、忘れてしまいたいような暮らしだったのかもしれない。


「精霊に愛される子どものほとんどは、成長と共にその兆しが消えます。しかし、ごく稀にビビさんのようにそのまま大人になっていく人がいるんです」

ヴァイスの説明に、ハンターが首を傾げる。


「精霊に愛される、ってのは分かるがそれが薬師と何の関係がある?」

「癒す力を、薬に託せるということです」

「オマエは昔から言い方が回りくどい、もっと簡潔に言え」

 これが一番簡潔ですよ、とヴァイスはメガネを押し上げる。


「ビビさんは、癒しの奇跡を受けたことはありますか?」

 つい先日のことだったので、その感触までもはっきり覚えている。

「教会の癒しの力とは人から人へ直接与えるものです。それも、ごくごく小さな力で、少しの切り傷でさえ、ふさぐことは難しい」

 背中をさすってもらったら、ちょっと楽な気持になるのと大差ないのだとヴァイスは自嘲した。


「しかし、薬師は違います。あなたたちは精霊の力を借りて、薬を生み出し、その薬は薬師の手を離れても他者を癒すことができる」

 私があなたと同じ材料で、同じ手順を踏んでも、同じ効力の薬を作ることは不可能なのですと、ヴァイスは言った。

「だから教会は薬師の力を恐れ、同時にその力を欲する。だから薬師を閉じ込めて、囲い込んでしまったのです」


「……私は、女神様に嫌われているんじゃない?」

「むしろその逆です」

「私が居ても、不幸をまき散らしたりしない?」

「しません」


「私、彼と……これからも一緒に旅をしていても、いいですか」

 あぁ、とヴァイスは眉をしかめた。

「あなたの旅に、女神様のご加護があらんことを」


 長い話が終わったら頭がパンクしそうで、私は行儀悪くテーブルに突っ伏した。

「全く、昔からどうしてあなたばかりがそうモテるのか、理解しがたいですね」

「羨ましいか? 姫から乗り換えるなら今だぞ」

 冗談を、とヴァイスは鼻で笑う。そうか、彼はお姫様を想っているんだ。


「教会はしばらく動きません。あの方が圧力をかけました」

 一瞬私のほうへ向いたハンターの注意は、眠ったか? というつぶやきと共にそらされる。

 二人でしたい話しもあるだろうから、ここは村で鍛えたタヌキ寝入りを発揮するところだ。


「ウロコを入手した後で手紙を送った。早かったな」

「ただ、これであの方も、あなたも、もう後には引けなくなりますよ」

 引くつもりなら最初から手を出さんさ、とハンターが不敵に笑う声がする。


「手を出すと言えば、ギル。海猫亭のご主人から聞きましたが、昨日はいい部屋にお泊りだったようですね。旅の邪魔はしたくありませんが、騎士団として見過ごせない事はありますよ」

「待て待て、誓って手は出してない。昨日はヤバかったが、俺はシロだ」

「それを聞いて安心しました。私だって旧友が、寄るべない少女を泣かせる鬼畜だとは思いたくないですからね」


 ハンターの言葉に心臓が跳ねる。今のセリフは、私が全くの対象外ではなかったと、そういうことでいいのだろうか。


「調書を読みましたが、ビビさんは18歳でしょう? 部屋はせめて別に取るべきです」

「まぁ、悪い習慣なのは俺も分かっているんだが、隣から離すと眠れないらしくてな」

「ふむ……危険察知の一種なのかもしれませんね。彼女が一人で寝られるくらいの場所は安全で、それ以外は危険。確かに、ギルが傍にいれば安全でしょうが……」


 無論だ、と言ったハンターに念を押すようにヴァイスが言う。

「一番安全な場所だと思われてるんですよ? それを肝に命じてくださいね」

「分かってる、分かってる」

 はぁ、とため息をついたヴァイスは、最後に低い声で言い添えた。


「ナナムスの教会本体は動きませんが、近隣の村の牧師たちはひと手柄上げて、本部へ昇進したいという野心のある者もいます。油断しないでください」

「分かっている」


 今の「分かっている」がハンターの真剣な返事だとすると、一つ前の返事はかなり「わかってない」ほうだ。

 でも、彼が肝に命じようが命じまいが、あの腕の中が私の一番安全な場所であることに、変わりはない。


 ヴァイスとレストランから出ると、街中まで彼の部下が馬を引いてきて待っていた。

 慌ただしく出立するのを見るに、聖騎士というのは本当に忙しい仕事なのだろう。


「さて、買い出しだ」

 見送りもせずに歩き出したハンターの背中を見上げながら、それにしても、不思議な組み合わせの二人だなと思った。一体どこで彼らの人生が交わるというのだろう。




 道具屋には、見たことのない品がたくさんあって、どれもこれも珍しい。

「いやぁ、これ以上のランプはありませんよ。船で使っているものですからね」

 ハンターと話していた店の主人は、真鍮しんちゅうの大ぶりなランプを持ってくる。

「そうか、しかし水に浸かるとダメだろうな」

「芯さえ乾けばまた使えますし、少々の雨なら消えたりしません。ご安心下さい」

「これを貰おう。油を入れる瓶も丈夫なものが欲しい」

 はい、ただいまと言って主人は奥へ引っ込む。


「重たいですね」

 カウンターに乗せられたランプを持ち上げると、ちょっと足がふらついた。

「油を入れる回数を少なくしたいし、照らせる範囲は広くしたい」

「私も別に小さなランプを持ちましょうか?」


「いや、あんたはいざという時のために片手を空けておいてくれ」

 片手でいいならランプが持てる。自分の右手を見ていると、ハンターは私の手を握った。

「こっちはふさがっているだろう?」

 なるほど、確かにそうだ。


 その後、紙とインクなどの筆記用具、干し肉や果実、それにコニーのお土産にと胡桃屋のビスケットを買った。一箱手に取ると、その上にもう一箱乗せられ、そっちはあんたの分だとハンターに笑われる。

 不自然でない程度に血止めの薬草や、直火にかけられるすずの小鍋も買い足す。これがあれば野外で簡単な調薬も可能になるのだ。




 露天商と話していたハンターがこちらに戻って来る。

「コニーに教会が作らせていた薬が分かったぞ。何だと思う?」

「光ゴケもキノコも清涼成分を含んでいるはずなので、その方向の薬でしょうか」

 さすが薬師殿、と彼は小声で言った。

「二日酔いの酔い覚ましだそうだ。結構人気らしい。教会の連中も、残るほど飲まなきゃいいのにな」

 そんな用途の薬のために、コニーが一人、暗闇で採取しているのかと思うと胸が痛かった。




 海猫亭に戻ると、ハンターは宿の主人に「客の情報をぺらぺらと話すな」とひとしきり説教をし、今日は、ここに一番最初に来た時に泊まった部屋を借りることになった。

 二間の部屋は結局一つ使わないし、赤い部屋はもう絶対にダメだと彼が反対した。

 部屋に上がる前に少し早い夕飯をいただく。


「これ、おいしいですね」

 焼き菓子のような見た目なのに、甘くない。ベーコンや葉野菜がたっぷり入っていて、ワインと良く合う。私が食べている様子を見ていたハンターは、バーテンダーに声をかけた。

「これを3本、明日の朝までに焼いて包んでおいてくれ」




 部屋に上がると、大きな包みがテーブルに置かれていた。

「届くのにだいぶかかったが、タイミングとしてはちょうど良かった。部屋から出てるから合わせてみてくれ」

 新しいシャツと、やわらかい皮のパンツ、そしてなめし革の短いマントを羽織る。マントの裏は毛皮がついていて、部屋にいると暑いくらい暖かい。


「計ったようにピッタリです」

 計ったんだよ、と笑いながら彼も新しいシャツを取り出す。一番最初にワンピースを買った時の店で、すでに注文してあったのだ。

「そのマントは、ある程度まで水をはじく。寒さもかなりマシになるはずだ」


「あの、これ、あなたに預けます」

 自分の荷物入れから、古ぼけた皮袋を引っ張り出してきてハンターの手に乗せる。

「着るものも食べているものも、どのくらいお金がかかっているのか、見当もついてないんですが、それを足しにしてくれませんか? ゼシカの森で稼いだ分は、それで全部です」

 革袋を開いた彼は、中をチラリと見るとヒモを結びなおした。


「全然足りませんか?」

「いや、結構稼いでいるな。たいしたもんだ。でも、これは自分のためにとっておけ」

 ポンと私のてのひらに、財布が返される。

「このマントも服も、私のためのものです」

「気に入ったか」

 とても、と返事をすると、大きな手が頭を撫でた。


「あんたが自分で買ってしまうより、俺が与えたもので喜ぶ顔が見たい。先に言うがこれは俺のワガママだからな」

 そう先手を打たれると、返す言葉に困る。

「そんなのワガママって言いますか?」

 言うとも、とハンターは片目をつむる。

「あんたの小鳥の餌のような飯代や、皮のマント一枚に困るようなハンターじゃないつもりだ。たまには格好をつけさせてくれ」


 皮のマントを大切に脱ぎながら、私は彼を見上げて言った。

「あなたはいつだって素敵です。たまにじゃないですよ」

「……ヴァイのやつには、ビビのこういうところを見てもらえばいいんだろうな」

 褒められてるところをお友達に見てほしいなんて、彼にもかわいいところがある。 


 明日からまたコニーのところに泊めてもらうことになるから、その夜は寝貯めする気持ちでベッドに入った。

 私と彼の新しいシャツは、前のものより少し上等で、少し薄手だったから、いつもよりたくさん体温が伝わってきて幸せだった。


 海猫亭に荷物を預けて出立の支度をする。ワンピースと一緒に自分の財布もしまいこんだ。

 ハンターはせっかく修理が終わった胸当てを使わず、露店で買った隠れスケイルメイルをそのまま着ていくことにしたようだ。

 昨日注文したものを酒場で受け取って、馬車に乗り込む。今朝はそんなに人がいなかったので快適だ。




 ゴナス村に着くと、元酒場のおかみさんは「そうよ、鍾乳洞に行くって言うなら、最初からそういう格好で来なきゃだめでしょ」と言った。

 皮のマントと、ブーツ姿は鍾乳洞探索に合格らしい。

 ハンターがさりげなくここ数日で変わったことは無かったかと聞くと、特に何もないわよと彼女は答えた。何かを隠している様子も無い。


 コニーにまた会えるのは、少し嬉しい。嬉しいけど、学校に近づくとどんどん緊張感の方が強くなっていく。

「お嬢様の、淑女教育再開だな」

 彼は何故かとても嬉しそう。私だって早く立派なレディになって、百点満点で眠りたい。

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