2-4名前
部屋に入るなり、真っ赤なカーテンが目に飛び込んできた。ベッドカバーも赤で、二つ並んだ枕にはフリルまでついている。
ちょうど良くついたてがあったので、私はその影で、バサバサとワンピースを脱ぐと、いつものキルトのパンツとシャツに着替えた。
「寝ましょう」
入り口で呆れた顔をして腕組みしていたハンターの袖をつかんで、ぐいぐいベッドへ引っ張っていく。
「あのな、あまり性急なのはどうかと思うぞ」
村で受けた淑女教育はどうしたと彼は苦言を呈する。
「レディの誘い方としては0点だ」
飯くらい食ってから寝ろと、ハンターが立ち上がろうとするので、後ろから全体重をかけて引っ張る。
「ベストが邪魔なので、脱いでください」
手探りでボタンを外そうと試みるが、なかなか難しい。ベストより先に剣のほうが邪魔だな、外してしまえと、ベルトに手をかける。
「ビビ、あんた、酒癖は悪くないのに、何だ? 寝グセっていうのか? ひどいぞ」
「どうせクモの巣アタマですよ」
あぁ、と思い出したようにハンターは声をあげた。
「足が悪くて、背中にコブ? どういうことだ?」
私の指を一本ずつベルトから離しながら尋ねてくる。
「教会から人が来るときは、かまどの灰で髪をクシャクシャにして、背中に丸めた毛布を入れて、右足は無いものとして、平身低頭お迎えしなさいって」
「あの人がそう言ったのか」
こくんとうなずく。師匠がいるうちは部屋の奥にかくれていたけど、一人になったら薬の受け渡しも自分でしなくちゃいけない。
彼女の教え通りにしたら、教会の人たちは、化け物を見たような悲鳴をあげた。そんな態度に最初は傷つき、後半は正直結構楽しんでやっていた気がしないでもない。
剣を横のテーブルに置いた彼は、ハッと愉快そうに笑って自分の膝をたたいた。
「実際、こっちの姿を知られていたら、あんたはかなり隠しにくかったから助かった」
「お嬢様に上手に化けてるから、教会の人は私が薬師だと分からなかったんですか?」
「そもそも見た目で薬師かどうかなんて判別がつかんだろう。ビビはどう見たってただの綺麗なお嬢さんだ」
嘘、と低く言った自分の口から、異端者の黒い魂がこぼれてきそうで、私は唇をかみしめた。
「嘘じゃない」
強く噛んだ口を開かせようと、あやすように彼の指が顎にかかる。
「異端者はすぐ分かるって、どこに逃げたって必ず不幸をまき散らすから、すぐにつかまえられるって、あんなに、何回も、言ったもの」
彼は驚いたような顔をして、そのあとで切なく目を細めた。同情されたように感じて、余計頭が熱くなる。
「異端者は死んでも天国にも地獄にも行けず、ただ灰になって闇に消えるって、そうなりたくなければ、言うことを聞けって! 異端者とは、何だったんですか」
ビビ、と低く彼は私を呼び、大きな手が頭を包んだ。額同士を合わせてきて、それきり何も言わない。
「何か、言ってくださいよ」
「すまない……うまく言えそうもない」
眉根を寄せて目を閉じたままのハンターが、私の煮えるような胸の内をすくってくれようとしている気がしたから、少し投げやりな気持ちで口をひらいた。
「じゃあ、レディとして100点の誘い方を教えて下さい」
彼の瞳孔が一瞬、細くなったのが見えるほど、視線が近かった。
まるで痛みをこらえるように息を吐いて「いいだろう、あんただけ特別だ」と、かすれた声が囁く。
ぽす、と私を枕に沈めると、ハンターはベストを脱いで寝台の外に放った。
「その濡れた目で、見つめられるのには弱い」
言われて、自分のまなじりから涙がこぼれていたことを知る。
涙をぬぐって頬を撫で、私の頭の下に手を入れて、ゆっくり彼は体を倒した。
「背中に腕を回してくれ。あんたの細い腕にしがみつかれると、庇護欲でクラっとすることがある」
「ひごよく?」
「守ってやりたいってことだ」
私が全力で抱きつくと、同じくらいの力で抱き返してくれる。それが少し物足りない。
乱暴にしてくれればいいのにと、望んでいる自分に気づいた。
「これで、名前を呼ばれたら、陥落なんだがな」
言葉とうらはらに、彼は私から手を離したがっているように思えて胸が痛い。
「私、あなたの名前を知らないです」
「言っただろう、どれでも好きなので呼べばいい」
「……それじゃ、嫌です」
目が合うと彼は少し息を呑んで、口を開きかけ、ゆるゆると頭を振った。
「だからそんなに急ぐな。どうせこれからも長い旅の相棒なんだ。あと何回、夜があると思う?」
なだめるような声に、もうこれ以上はダメだと自制する。彼はとても優しいから、甘え方を間違えちゃいけない。
「あと、何回ですか?」
私の言葉に、分かりやすくハンターの緊張が解けた。
「そうだな数えてみるか」と、言った彼は、ひとつ、ふたつ、と夜を数えはじめる。ずっとずっとその数が続いていくのを聞いていたいのに、20も待てずに私の意識は途切れてしまった。
目を覚ました時、私はおそらく初めて彼の寝顔を見た。眉間にシワを寄せたまま、難しい顔で眠っている。
カーテンが赤いせいで、部屋全体が赤い。たぶん夜はあけているのだろうけど、起きてしまうのがもったいなくて、私は再び目を閉じた。
二度寝から覚めたのは、自分のお腹が鳴る音で。だから腹ごしらえしてから寝ようと言ったのに、とハンターに笑われながら、支度もそこそこに酒場へ降りる。
すると階下には見慣れない男性が、仁王立ちで待ち構えていた。
「これはこれは、ミハイル殿? ごゆっくりなお目覚めで」
詰襟をキッチリ上まで留め、銀縁のメガネのツルを押し上げているその人は、どうみてもご立腹の様子だ。
「ヴァイ! 来たか」
「来たか? ええ、来ましたよ。昨日まではゴナス村にいたそうですね、おかげ様で早朝から村までの往復を済ませてきたところです」
すまないな昨日の夕方こっちに戻っていたと、悪びれることもなくハンターは言う。
「『南へ駆ける』なんて伝言でも何でもないのだと、いつになったら学習するんです? それともあなたは聖騎士を暇人の代名詞だとでも思っているんですか? 人が果ての村まで足を運べば南に渡るとたった一言。あの手紙だって……」
永遠に続きそうなお小言を、ハンターは何故か少し嬉しそうな顔で聞いている。
「あー、コホン。失礼いたしました。宿のご主人にもご迷惑ですし、個室のある店でじっくり話しましょうか」
確か穴熊酒場で、伝言を頼んでいた相手がヴァイスだったはずだ。ハンターとゆっくり話しがしたいのだろう。
部屋に戻ると言うべきか、酒場で待っていると言うべきか迷っていると、聖騎士は私の前に立ち、優雅に一礼した。
「あなたも、ぜひ、ご一緒に」
店の奥まった場所に広い個室があるレストランで、私たちはテーブルについた。
まずは食事にしようとハンターが言ってくれたので、私はミルクで煮た麦粥をヤケドしないように食べる。
ヴァイスは紅茶を飲みながらしばらく黙っていたが、ハンターの食事が終わったのと同時に「それで、首尾は?」と尋ねた。
「上々だ。砂漠の沼地でヌシ様から直々にウロコをいただいてきた」
軽い調子でそう告げたことに私が驚き、その内容自体にヴァイスが驚いた。
「……まさか、本当にあるとは」
「ハンター稼業も長いんでな、あれがただのおとぎ話じゃないってことには確信があったんだ」
ただ、手に入れたのは俺じゃない、彼女が受け取ったんだと彼が言い添えたので、ヴァイスの視線がまっすぐにこちらを向く。
「ご挨拶が遅くなってしまいました。私は聖騎士団所属のヴァイス=エリオネットと申します」
聖騎士団は教会直轄。しかも、地位としても王族、貴族に次いで高いはずだ。
そんな聖騎士に届け物を依頼するハンターなんて聞いたことがない。私は困惑して彼を見る。
「いいんだ。なんせ、マインドイーターの花を依頼してきたのは、コイツだからな」
「機密事項ですよ、口の軽いハンターは感心しませんね」
聖騎士はそう言いつつ、ハンターの言葉を肯定する。
「ヴァイがなるべく沢山だとか無茶な要求をするから、毒をくらったんだぞ。ビビが戻らなかったらあのまま死んでたところだ」
ハンターが人前で初めて私の名前を呼んだので、私はその場に立ち上がって礼をした。
「ゼシカの森の薬師、ビビです」
マインドイーターの花は、姫の痛みの緩和のため。幻の万能薬もまた、姫の不治の病のため。二人の間には同じ目的がある。
だから彼は、教会の人だけど、敵ではない。
「先代の亡き後、殿下の鎮痛剤を調合できる薬師はあなただけでした。ありがとうございます」
そんな薬師をこの男は……と、額に青筋を浮かべてヴァイスは再びハンターに向き直る。
「こんなお嬢さんをかどわかして、砂漠なんて危険なところを連れまわしたんですか? 次は鍾乳洞で、あげくの果て、昨晩は何を? ちゃんとこっちを見なさい、ギル!」
咄嗟にそう口から出たのを、ヴァイスも、ハンターもしまったという顔をしてやりすごそうとする。
だけど私の耳元でチリン、と鈴がふるえるような音がして、空気が笑いだした。
「ギル……ギルバート。あなたの、名前だわ」
ようやく分かった、と思うと嬉しくてたまらない。
「待て、ビビ、前から思っていたんだが、時々理解の範囲がおかしくないか?」
「当然でしょう。彼女は高位の薬師ですよ。精霊から愛されているんです」
ハンターと二人、ぽかんとしてヴァイスを見上げる。
「まさか。ビビさんはともかく、ギルまで知らなかったとは言わせませんよ。もう一月以上は一緒にいるんでしょう。おかしいと思うことは一つや二つじゃなかったはずです!」
そういえば、とハンターは指折り数えはじめる。
「最初に驚いたのは、地図の時だな。俺が説明したい場所だけを、完全に把握していた」
「なんとなく、ここかなと思っただけです」
「次が、鎧の山からスケイルメイルを探し当てた時だ。あの後ゴタゴタしたからすっかり忘れてた」
「確かに、ゴタゴタしましたね」
「南に渡ってからも、妙に香の匂いを嫌がったのもそのせいか?」
そういえば、風が吹けばいいと思った時に都合よく風が吹いて砂嵐が消えたり、キサナの水筒を捨てたくなかったりもした。
もしかしてヌシ様があんなに好意的だったのも、そういうことなのだろうか。
「そこまで揃っていたら、普通気づくでしょう! 何でそう、昔から変なところで鈍感なんですか」
肩で息をしながら、ヴァイスは言う。
「精霊達は彼女を愛し、無条件に助けます。だから教会は薬師を管理し、支配下に置こうと躍起になっているんです」
「……それは、どういうことですか」
「ビビさん、何の償いにもなりませんが、心から貴女に謝りたい。薬師は異端者などではないのです」
聖騎士は深く頭を下げた。
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