2-3見習い修道士
「女神の慈愛に感謝を。お嬢さんにうっかり怪我をさせたんだ。ダンナにバレないうちに治せないか?」
数人の順番待ちを経て、ハンターは修道士の前に進み出る。
年若いその男は木彫りのロザリオを下げて、青い修道衣を着ていた。
「女神様の導きに感謝を。正直な者を女神は愛しますよ、きちんと謝れば許されるでしょう。さぁ、お嬢さんをこちらに」
診察台を勧められても、固まった手がハンターの服を離せない。
「お嬢さんの人見知りも、ここまでくれば病気だよ。困ったなぁ」
わざとらしくハンターが言うと、修道士は人のよさそうな笑顔で、そのままでいいから痛めたところを見せなさいと言った。
ハンターに靴を脱がされ、素足に修道士の手が触れる。彼にしがみついていなければ、叫んで逃げ出したいほど嫌だった。
「もう少し力を抜いて。私の癒しに呼吸を合わせてくれないと、効果が出ませんよ」
「ご、ごめんなさい……」
にじむ視界で、少しだけ顔をあげてそう告げると、再びハンターの胸に顔をうずめる。
張りつめていた空気が緩んで、彼が少し警戒を解いたのが伝わった。
「しかし、教会も片っ端から旅人を引っ張るなんて、ひどいことをするもんだ。俺らみたいな傭兵稼業は、そんなことされちゃその日の売上がパアなんだぜ」
「それはすまないことをしましたね。そうか、あなたもこの人を連れていたなら、かなり手厳しくやられたのでしょう」
フンと、どうとも取れるような態度をハンターは返す。
じんわりとくるぶしが暖かくなってきて、これが教会の癒しの奇跡なんだと唇を噛む。彼らの力に癒されることは、ひどく屈辱的な気がした。
「ゼシカの森の薬師が男と逃げたと言うので、かなり大がかりになってしまったみたいでね」
「薬師ぃ?」
初めて聞きましたとでも言うように、彼は声を張り上げる。修道士は肩をすくめて答えた。
「それ自体、無茶苦茶な話だと思いませんか? 異端者を連れ出すなんて普通は考えられない」
どこかに囲って薬の密造でもやらせようとしているのではないか、というのが修道士たちの推理らしい。
「しかし、こんな綺麗なお嬢さんまで疑うなんて、最初の上からの指示が悪かったんですよ」
「その薬師ってのは、どんなナリなんだ?」
それはね、と修道士は怪談でも聞かせるような声で言った。
「年はまだ10代だって話ですが、髪は真っ白で、フケだらけのクモの巣。片足をひきずってる上に、背中にコブがあって老婆のように腰が曲がっているらしいんです」
「そんな娘がいるもんか。話を盛りすぎじゃないのか?」
そう言うと、ハンターは私をチラリと見下ろす。
「それが、私の知り合いの修道士が、ゼシカの森まで薬を受け取りに行ったことがあって、その娘を見たんです。異端者に生まれるというのは残酷なことですね」
じゃあただの女連れの旅人なんか、関係なかったじゃないかと、ハンターは憤慨した芝居をして、修道士は再び謝った。
「さぁ、いいですよ。もう立てますか」
言われて、そっと地面に降ろされると確かに痛みが引いていた。それでもハンターのシャツは離さない。
「女神様の奇跡に感謝を」
「愛し子を癒す機会をお与え下さった女神に感謝を」
うつむいたまま唇を噛んだ。
何が愛し子だ、私は異端者で、呪いの化身で、だから森に閉じ込めていたんじゃなかったのか。修道士なのに、目の前の薬師が分からないのか!
「ありがとう、ございました」
目を合わせずに私がそう言うと、偉かった、とハンターの手がそう言って背中を撫でてくれた気がした。
「まだ最後の馬車に間に合う。今日は、海猫亭に戻って休むか?」
修道士が去ると広場は閑散とし、乗り合い馬車の御者だけが遠くで馬の世話をしていた。
「鍾乳洞の調査が何も進んでいません」
うつむいたままそう答える。嵐のような怒りが過ぎれば、足は治してもらったし、教会はお嬢様を追跡対象から外した。いいことづくめだ。
「……そうだな。よし、明日はコニーに鍾乳洞を案内してもらおう。そして、予定通り一旦街へ戻る。もう一日頑張れるな?」
はい、とうなずいて、今日も弁当の残りにしては豪華なおかずを受け取り、学校へ戻る。
昨日はあんなにおいしいと思った魚の揚げものが喉を通らなかった。明らかに元気の無い私を、コニーが心配してあれこれ世話を焼いてくれる。
「二日続けて鍾乳洞を歩いたからな、少し疲れたのかもしれん」
「洞窟の中は湿気が高くて、気温は低めなので、思っているより体が冷えるんです。ちょっと待っていてくださいね」
コニーはてきぱきとお湯を沸かして、3つ分のカップを持って戻ってきた。最初に口をつけたハンターが「
「よくご存じですね。もとはアカランカの寒い地方で飲まれているお茶だそうです」
「前に飲んだものよりスパイスが効いている気がするな」
「私が鍾乳洞で採取を始めたころ、続けて熱を出して寝込んだので、牧師様が分けてくださったんです。現地のものとはスパイスを変えているんですって」
これを飲んでから洞窟へ潜ると、体がポカポカして寒さ知らずらしい。
ハンターから許可が出たので一口飲むと、確かに香辛料が効いていて辛いお茶だ。しばらくするとボワっと耳が塞がるような熱が広がる。
「なんだか急に体が温まったせいか、耳が聞こえにくいようなボワっとした感じがします」
私が言うと、コニーもしますよねとすぐに同意してくる。ハンターだけがそうか? と首を傾げた。
「おじさんは感じにくいのかもしれませんね。さ、お嬢様、飲んだら早めに休んで下さい」
横で明らかにショックを受けている表情のハンターに気づくことなく、コニーはもじもじと下を向いた。
「あの、もう一部屋も片付けたんですけど……今日もここで寝ませんか?」
ちらりとハンターを振り返ると、彼はうなずく。
「あなたのベッドをお借りするのは、心苦しいんですが」
「そんなこと! 今すぐむこうから持って来ますから、待ってて下さいね」
簡易ベッドは寝心地が悪いから、お客様には寝かせられないとコニーが譲らないので、結局今日も彼女のベッドを借りる。
ドアの向こうにハンターはいてくれるのだろうけど、私には姿が見えなくても気配を感じるような芸当はできない。
心細くなると治療されたはずの足が、今更ズキズキ痛くなってきた。
「私、こうして誰かと寝るなんて初めてで、とっても嬉しいんです」
唐突にコニーが無邪気な声をかけてきた。
「あ、お嬢様はもちろん、薬師となんか嫌でしょうけど。こんな機会二度とないかもって思ったら……ワガママを言ってしまいました」
私は、ひどい。身分を偽ったまま自分のことばかり考えて、本当に悪い薬師だ。
「コニーさん。私も、年の近い子と一緒なんて初めてで、昨日は緊張してよく眠れませんでした」
せめて精一杯の真実を返す。するとコニーは、さもおかしそうにクスクス笑った。
「ふふふ、ちゃんとぐっすり眠ってましたよ」
「そうでしたか。良かった」
私は今日も、堂に入ったタヌキ寝入りができるよう、ベッドの上で気合を入れた。
翌朝、私が支度を終える頃には、コニーとハンターの間で話がついていたらしく、すぐに鍾乳洞へ向かう。
川岸から獣道を下ると、木の葉に隠れるように小さな入り口があった。
「ランプはこれ一つですから、私から離れないでください。最初こそ一本道ですけど、中は迷路ですからね」
観光用の洞窟と違い、こちらの入り口は一歩足をふみいれた瞬間から、真っ暗闇だった。
先行するコニーの後にハンターが続き、私の手を引いてくれる。
中腰で進む通路を歩くと、寝不足と相まって地味に体力が削られた。時々姿の見えない何かがバサバサ飛んでいる音がするのにも、ドキっとする。
「コニー、すまないがゆっくり進んでくれ」
「はい。どのみちここで一度ランプに油を足します。一旦真っ暗になりますよ」
ランプが吹き消されると、頭の上をひときわ大きな音で何かがかすめた。剣を抜く音がしたのと同時に、ハンターの手のひらに小さな光が灯る。
「わ、炎の魔法が使えるんですね。でも大丈夫、ケイブバットは何もしてきませんよ」
コニーは笑いながら、ランプの給油口を開ける。
「不真面目な生徒だったから、魔法はからきしだ。すぐ息切れする。早くランプを頼む」
師匠から聞いてはいたが、炎を操る魔法をはじめて目の当たりにした。今まで一緒に旅をしてきたのに、彼が炎を扱える人だということも知らなかった。
いや、使う必要に迫られたことが無かったのだ。一度だけチャンスがあったとすれば、あの野営の時だが、私がさっさと火打ち石を見つけて火をおこしてしまった。
少し天井の高い広場まで来ると、コニーは水辺の壁を指さしてあれが光ゴケですと教えてくれる。
「まだ先もあるんですけど、かなりゆっくり来たので帰りの油を考えるとそんなにのんびりできません」
「今日は無理はしない。先というのはあの先か?」
洞窟内を流れる川の向こう側に、また低い天井と、暗い空間が続いていた。
「はい、一旦水に入るので、無理かと」
私の格好を見てコニーは首を振る。
「少しだけ見てくる。コニーはここにいてくれ」
「あ、ランプは」
いらんと短く返答したハンターは、迷いない足取りで暗闇に消えていく。
「お嬢様のハンターは、本当にすごく優秀ですね。暗視ができるみたい」
姿が見えなくなって、私がソワソワし始める前にハンターは戻ってきた。
「これはでかい洞窟だ、奥が全くわからん。とりあえず油が切れる前に戻ろう」
帰りは一度通ったことがある分、行きよりも少し道のりが短く感じた。
「俺たちも洞窟を探索できるよう、街で装備を整えてくる。次はもっと長丁場で泊まらせてもらってもかまわないか?」
広場まで私たちを見送りに来てくれたコニーは、ハンターの言葉に飛び上がって喜んだ。
「もちろんです! 明日あたりには、また教会から仕事が来るはずですから、すぐに終わらせてお待ちしていますね」
明るい笑顔に見送られて馬車に乗り込んだ私は、石のようにうつむいて客車での時間をやりすごす。
街に着くと海猫亭までの短い距離でさえ、歩くのが辛いほど体が重かった。
「おかえりなさいませ! おやおやお嬢様、ずいぶんお疲れのようですね。すぐにお部屋を……」
カギを取りに行こうとした主人に、フラフラする頭で声を出す。
「広い寝台が一つの部屋を、お願いします」
「へっ?」
目を丸くした主人から、鍵を受け取りながら「もう寝言みたいなものだから気にしないでくれ」とハンターは言った。
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