2-2物見遊山

 猛烈な勢いで床を掃いているコニーに、鍾乳洞まで行ってくると断って、私たちは学校を後にした。


 村からつづら折りの坂を下っていくと、かなり水量のある川にあたり、その岸辺をさかのぼると見たこともない大きな洞窟が口をあけていた。川の水はこの洞窟内部から流れてきているらしい。


「まずは物見遊山ものみゆさんだ。気楽にな」

 彼の言葉通り、観光に訪れている人と、土産物を売る村人でにぎわうその場所を歩く私たちは、ただの旅行者だ。こんなところに幻の素材が眠っているのだろうか。


 ガイドのロープが張られている通路を道なりに進むと、洞窟内部に入り、ひんやりした空気に包まれる。

 外からの光が届かなくなるあたりからは、たいまつが壁にかけられていた。


 天井と床の両方から牙のように生える鍾乳石を、観光客は珍し気に眺める。

 奥へ進むほど足元が滑るようになって、この靴ではちょっと怖いなと思った時には、ハンターが私を抱き上げていた。


「あーっ、いいなぁ。ねぇ、私もあんな風に抱き上げてちょうだいよ」

 若い男女に指さされ、すれ違う人たちからも好奇の目を向けられる。

「……かなり恥ずかしいんですが」

 その恥じらいは別の時に発揮してほしいものだがなと、ハンターは私にだけ聞こえるように囁く。


「高いところが見えにくいかと思いましてね、ほら、これは古代の貝の化石ですよ」

 天井を指さしながら、彼は観光案内を始める。私はとりあえず往来の人と目を合わせないことに全力を使った。


「お嬢様、観光できるのはここまでのようです」

 ハンターに言われて、ロープで囲われた先の「立ち入り禁止」の看板を見る。その先は急に天井が低くなっていて、真っ暗な穴の奥から水が溢れてきていた。

 そうか、私たちの目指すのは「この先」なんだ。




 村の中央まで戻ると、雑貨屋の主人が揚げた魚の惣菜を持たせてくれた。

「悪いな。この村には酒場が無いから助かる」

 礼を言うハンターに、観光客向けの弁当の残りだから気にせず持っていけと気前よく男は言い、最後に当たり前のようにこう続けた。


「大事なお嬢様に、薬師の作ったものなんか気持ち悪くて食わせられんだろう」

 気配の変わった彼の腕をそっと引き、小さく首を横に振る。

「ご馳走様です。ありがとうございます」

 私は丁寧にお辞儀をした。


 不機嫌顔のままのハンターと学校までの道を歩く。怒ってくれているのは、彼が、かなりの変わり者だから。ハンターが特別で、あのおじさんの方が普通だ。

 私は今、お嬢様に化けさせてもらっている。だけど真実の姿は、異端の薬師だということを、忘れたりしない。




 食事を持ち帰った私たちを見て、コニーは鍋いっぱいのスープをかき混ぜていたひしゃくを慌てて隠した。

「どうぞ、テーブルを使ってください。食事が済んだ頃にまた戻って参ります」

「あ、あのっ」

 ハンターの反応を確認するより早く、コニーを呼び止めてしまった。彼女は入り口から体を半分だけ出してこちらを見つめる。


「その、私、勉強の。なので、一緒に、これを」

 準備していなかったセリフに全く舌が回らず、コニーは首を傾げたまま固まっている。

「勉強のために、薬師の話を聞きたいので、食事を一緒になさりたいそうだ。魚をもらってきたので、スープを分けてくれないか?」

 でも、薬師の作ったものなんかと恐縮している彼女をなだめて、なんとか3人でテーブルを囲む。


 先に一口スープを飲んだ彼は、これは絶品だとコニーをほめちぎり、お礼に魚を刺したフォークを口元に持って行って、彼女を混乱させている。

 しばらくしてから、私の足をトントンと二回叩いて、良しの合図を送ってきた。


 細い根菜と、野草が具材のスープは懐かしい味がする。薬師が十分に手に入れられる調味料は塩くらいだから、誰が作ってもだいたいこんな味になるのかもしれない。


「それで、薬師の何をお知りになりたいんですか?」

「そうですね……どんな生活をしていますか?」

 あまりにザックリとした質問にコニーは戸惑い、ハンターは渋い顔をする。自分の質問力の無さが辛い。

「薬を作るのはもちろん、村の方たちの小さな怪我や病気も診ます。忙しい時期は、雑貨屋さんに皿洗いのお手伝いをしに行くこともありますよ」


 森から出てはいけない、他者と関わってはいけない、薬師は災いの元なのだから。

 教会の使いの声を思い出して、絶句している私に代わって、ハンターが質問する。


「スープに使われていた野菜はコニーが作ったのか?」

「はい。畑もやりますし、採取にも出ます」

 パンと大げさに彼が手を打ったので、慌てて意識を集中する。


「なるほど、じゃあ、鍾乳洞にも行くんだな」

 もちろんですと答えた彼女に、ハンターはしたたかにほほ笑む。

「光キノコとコケは、調薬できる鮮度を保つのがとても難しいので、注文があるといつも緊張します」


 少し考えて、数年前に急に教会が薬師を派遣したのは、この村でしか作れない薬を発見したからだと気づく。

 だとすればその特殊な材料は鍾乳洞産だろうし、調合を任された薬師は鍾乳洞に詳しいことになる。

 ハンターはわずかな時間でその可能性に気づき、だから薬師に近づいたのだ。

 すごい、と改めて彼の横顔を見上げる。


「にぎやかな場所だが、仕事がしにくくないのか?」

「観光用のとは別の入り口があるんです。薬の材料になるものはその奥にしかないので、私はにぎやかな方には近づきません」

 なるほどと興味深そうにうなずくと、ハンターは話をやめて窓の外へ目をやった。もうすっかり夜のとばりが降りている。


「そろそろお休みになりますか? 隣にハンターさんの寝床をご用意しました」

 世話になると彼は応じ、一緒に歩きはじめた私を、コニーは一瞬戸惑うように見た。

 夕食を食べたのと同じ広さのその部屋は、端の方に机と椅子が寄せられて、ぽつんと一つベッドが置かれている。


「急だったので、一部屋しか掃除が間に合いませんでした。今日はこちらをお使いください」

 ありがとうございます、と礼を言って部屋に入ろうとした私の袖を、コニーが慌ててつかむ。

「で、ですから、こちらのお部屋は殿方のお部屋です」

「……?」

 意味が分からなくてキョトンとしてしまった私を、ハンターは笑いをかみ殺したような顔で見ている。


「薬師と一緒はお嫌でしょうけど、今日はお嬢様も向こうでお休みください」

「え、でも、私は彼と……」

 今度は彼女の方が驚いた顔をして、私とハンターを交互に見る。


「お嬢様と、護衛のハンターさんでは?」

「そうだ、護衛のハンターだ」

 彼の流し目に、髪の毛を逆立てるようにコニーは叫んだ。

「いけません、一緒にだなんて! さぁ、お嬢様、参りましょう」

 

 ぐいぐいと引っ張られて、私と彼女は元の部屋に戻る。

「私のベッドですが、さっき寝具は全部新しいものにしました。今日はここをお使いください」

「あ、でも、あなたは?」

 私はこちらでと、椅子を並べた上に毛布を敷いて準備をはじめる。おろおろしていると戸口にハンターが姿を現した。


「コニー、その人はなかなか難儀でな、一人では……」

 助け船を出してくれようとしている彼の鼻先で、肩をいからせた薬師はピシャンと引き戸を閉めた。

「こちらは男子禁制です! お引き取りください!」

 はっはっは、と向こうから彼の笑う声がする。しかし、笑いごとではない。


「すまんすまん、扉は開けないから、椅子を持ってきてもいいな? お嬢様、ハンターはここに居りますので、ご安心を」

 ベッドの上で呆然としていると、コニーは優しく私を枕へ誘導してくれた。


「安心してください。絶対部屋には、いれませんから」

 そう言って、自分も椅子へ横になる。しばらくしてから彼女はポツリと言う。

「寝ずの番をしてくれる人がいるなんて、お姫様みたいですね」

 薬師のベッドを奪った薬師は、返すべき言葉が思いつかず、眠ったフリをした。




 眠れなかったこと以上に、寝たふりを続けることにくたびれきって夜が明ける。庭の井戸から水を汲んで顔を洗っていると、ハンターが後ろに立った。

「この薬師は図らずも、ビビのレディ教育の先生になってくれそうだ」

「……生徒がこんなに辛いものだとは知りませんでした」

 私が正直に弱音を吐いても、彼は楽しそうに笑っている。


 今日は朝から鍾乳洞へ行き、昨日コニーが言っていた「別の入り口」をさりげなく探す。しかし、整備された道からは見つけられそうもなく、私たちは再びにぎわう鍾乳洞の正面へ行った。

 昨日と同じコースを辿り、途中で抱えられてまた注目を集める。でも今日は、薬の材料がこの洞窟にあるのだと思うと、そっちに夢中になって人目は気にならなかった。


 入り口で降ろしてもらった後、村への遊歩道を歩いていると、全く何もないところでカクンと足を挫いてしまった。

「大丈夫か」

 近くの岩に私を座らせて、様子をみようとしてくれたハンターより先に、自分で靴を脱いで曲がる角度や腫れ具合を診る。


「軽い捻挫です。心配ありません」

 そうか、とうなずきつつも彼は苦い顔をしている。

「コニーのところへ戻ろう」

 抱えてこようとしたハンターに、ゆっくりなら歩けますと伝えるが、ダメだと一蹴された。

 

 滑りやすい洞窟ならまだしも、こんな歩きやすい道を抱かれて歩いていると、もはや足の不自由な人物に見えるのだろうか。すれ違う人のまなざしが、ひやかしから同情に変わっている気がする。

 結構な急勾配の坂を、人一人抱えて登って息を乱すこともないハンターは、時々周りを隙のない目で見回し、私を見下ろす時だけちょっと口の端を持ち上げる。




 村の広場に近づくにつれて、彼が緊張するのが伝わり、私も顔を上げる。遠目にも人だかりができているのが分かった。

「ミハイル! まぁ、お嬢様が怪我でもしたのかい?」

 後ろから坂を登って来た宿屋のおかみさんに、大きな声で呼ばれて彼は微かに眉間にシワを寄せた。

「少し足を挫いただけだ」

「あら、じゃあちょうどいいわ。教会の人が来ているから診てもらいなさいよ」


 想定より遙かに早い教会との遭遇に、私は身を固くする。

「そりゃいいな、で、誰が来ている?」

 ハンターが静かに殺気立っても、おかみさんは気づく様子もない。

「知らないわ。なんだか若い人よ、見習いじゃない?」

「……そうか。それは挨拶をしておくべき、だろうな」

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