2章 大鍾乳洞の七色の涙

2-1薬師

「ミハイルの旦那! ご無事でしたか」

 海猫亭の扉を開くと、主人が駆け寄ってきてハンターの手を握った。

 船酔いもさめるような必死さに、顔を見合わせる。

「どうした。何かあったのか」

 まだ昼過ぎなので、酒場にはほとんど客は居ない。それでも店主は声をひそめた。


「ここをお発ちになったすぐあと、教会の大規模な人探しがございまして、旅人が片っ端から聖堂に引っ張られたんですよ」

 教会と聞いただけで、心臓をつかまれたような気分になる。

「しかも、若い女性連れだと、それだけでナナムスまで連行されたようで、尋問を受けた人もいるっていうじゃないですか。私はもうお二人が心配で心配で」


「すまないな、こっちはお嬢様と優雅な勉学旅行だったというのに。心配しすぎて痩せたんじゃないのか? 一緒に一杯飲もう」

 すぐにご用意いたしますと、主人がカウンターに入る。

「大丈夫だ。大丈夫」

 なだめるように彼が肩を撫ででくれても、震えが止まらない。


「それで教会の人探しは、まだ続いているのか?」

 しばらくの雑談の後で、さりげなくハンターは話題を戻した。

「何日か前までうちの店も騒がしかったんですが、そういえば最近、とんと見かけなくなりましたね」


「あぁそれなら、教会に王家から急な監査が入ったって話だよ。何やらかしたんだろうねぇ」

 酒樽を運んで来た男が、なんだかうれしそうに口をはさんでくる。


「おおかたワインの樽の数でもごまかしてたんだろ、教会の祭り用に納品すると、必ず足りないって連絡が来るからな」

 ハンターはカウンターに酒代を置いて、預けていたものを頼むと主人に言う。すると、すでに二間続きの部屋にご用意してありますと、したり顔で返事をしてきた。


 部屋の鍵を受け取って、カウンターを離れようとすると呼び止められる。

「おっと、もしかして広い寝台が一つのお部屋の方が?」

 鼻の下を伸ばして尋ねてきた主人に、ハンターは「余計な気を回さんでいい」と振り返らずに答えた。


 部屋に入ると、たまらずにハンターにしがみつく。彼は何も言わずに、私が落ち着くまでそのままでいてくれた。

 かなりの時間を要した後で、やっと顔を上げる。

「ごめんなさい。南大陸にいる間に、すっかり気が抜けていたみたいです。もう、大丈夫です」

「もはや役得だと思ってるからな、俺に遠慮することはないさ」

 彼の軽口がありがたい。


「船旅の疲れはどうだ?」

「船では座っていただけですから、元気です」

 よし、とうなずいてハンターは私の手を取った。

「こっちに戻って来たからには、追跡は覚悟しろ。だが俺は、絶対にあんたを教会に渡さない」

はい、と強く手を握り返す。

「最初に言った通り、自由になるには救国級の功績で、教会と王家の連中の横っ面をひっぱたくしか無い」


 カバンに大切にしまったヌシ様のウロコが、万能薬をただのおとぎ話から、現実の世界へと繋いでくれた。

 これから先は、残り3つの材料を探しながら、万能薬の調合方法も調べる必要がある。


「次は、大鍾乳洞の七色の涙だ。行けるか?」

「行きます」

 強い瞳で見つめられると、彼の力を分けてもらえるような気がした。


「教会が一通り調べて撤退したってことは、ゴナス周辺は一旦安全だと考えていい。明日の朝イチで鍾乳洞近くの村まで行こう」

 そう考えれば、あの時に街を離れたのは幸運だったな、とハンターは笑う。




 予定が決まると、まず公衆浴場で久々のお湯をたっぷり使った。3回髪を洗ってもまだ砂が出て来て驚く。

 その後、夕食を済ませて早々に二階へ上がり、ようやく二間続きの部屋をゆっくり見学した。


「部屋が入れ子のようになっているんですね」

「普通は奥に警護対象を寝かせて、護衛の俺たちは、こっちで隣の部屋の番をする」

 確かに奥の部屋は広く、調度品は高級そうで、手前の部屋は簡素だった。


「守りながら寝るには、一緒に寝るのが一番なのでは?」

 確かこの前そう言っていたはずだ。でも、ほう、と細めた目が怖かったので、何でもありませんと口をつぐんだ。


「そうだ、今日はあなたが奥の部屋を使ってください。私、こっちに寝ますから」

 南大陸でも船の間も延々と、彼をベッド替わりにしてきたので、たまにはゆっくり体を伸ばして寝てもらいたい。

「だから、奥が警護の……いや、いいか。そうさせてもらおう」

 あっさりとそう言うと、彼は奥の部屋でブーツを脱ぎ始める。私も上機嫌で固い寝台に横になった。


 何度目かわからない寝返りを打ったあたりで、ビビ、と呼ばれた。

「明日は早いぞ」

 呆れているのだろうなと思いながら、裸足で歩いていくと、寝台の前半分を空けてくれている。申し開きの言葉も無く、私はベッドに潜り込んだ。


「次からは主人の言う通り、広い寝台一つの部屋が良さそうだな」

 からかう声も、いちいちもっともで反論のしようが無い。

「すみません……」

 とりあえず、そう絞り出した。

「俺に遠慮することは無い。寝てる時くらい、気を抜いておけ」

 言われるまでも無く気が抜けて、あっと言う間に眠たくなった。




 今日はワンピースを着るように言われたので、久々にブーツはお留守番だ。宿の主人に2、3日村の方へ泊るかもしれないから荷物だけ置かせてくれとハンターは頼んだ。


 露店でパンを買うと、今日は馬を借りずに馬車に乗るのだと言う。ゴナスの街と村を結ぶ定期乗り合い馬車が出ているらしい。

 乗り場には、客車と荷車が連結した馬車があり、荷台には新鮮な魚がたくさん積まれている。

 最初私たちだけだった客車は、出発の頃には満員になるまで人が乗り込む。私はずっと窓の外を向いて過ごした。




 村には2時間ほどで到着した。馬車を降りて、すっかり固まってしまった体をほぐす。

「ここも、ゴナスなんですか」

 広場の中央にかけられていた看板を見てハンターに尋ねる。

「そうだな。ゴナス村か、鍾乳洞の村でだいたい通じる」

 離れているがゴナスの街の一部という扱いらしい。村に一軒だけだという雑貨屋は、魚の加工屋を兼ねているのか運び込まれた魚を早速解体しはじめていた。




「そうなの、娘夫婦が戻ってきて、ぽんぽんと子どもが産まれたもんでね、部屋が足りなくて宿はやめちゃったのよ」

 それはめでたいな、とハンターは言ったが明らかに困った顔をしている。


「馬車も出てるから、わざわざこの村に泊まろうって人もいないしねぇ。何でまた宿が必要なのさ?」

「あー、実は彼女の学問のために、鍾乳洞の調査が必要でな」


 元宿の女主人は、私の頭のてっぺんからつま先までを見て鼻を鳴らした。

「まぁ入り口のあたりは整備されてるからね、でも奥を調査するのはちょっと……」

 無理じゃないかしらね、とその目が言っている。

「だから俺が雇われたわけだ。彼女が文書を書いてまとめる」

「お世話になります」と、私は一応笑顔を作ってみた。


「じゃあ、薬師のところに泊めてもらうのが一番いいだろうね」

 おばさんの言葉を聞いて、驚きが顔に出る前にハンターの影に隠れる。

「薬師? この村の近くに薬師なんかいたか?」


「村の子どもがみんな街の学校に通うようになったから、こっちの学校を廃校にしたでしょう。そこに教会から薬師が送られてきたのよ。もう2、3年になるかしら」

 ということは、村の中に薬師が住んでいるってことだ。そんなことあり得るのだろうか。

「やだ、そんなびっくりしないでよ。異端者って言ったって、別に何にも悪さなんかしないわよ。それに薬師のところなら宿代もいらないからね」

 あら、ちょうどいいわと、おばさんは私たちの後ろの方へ大声を出した。


「コニー! 薬を置いたら寄ってちょうだい」

 振り返ると、おさげ髪の少女が、はいと返事をしたところだった。薬瓶の入った木箱を馬車の御者に渡し、すぐにこちらへ走ってくる。

「お待たせしました。何か?」

 見慣れない二人組を前に、戸惑いながら前掛けで手を拭く。


「こちらのお嬢さんが鍾乳洞の勉強をするから、村に泊まりたいんだって。泊めておやりよ」

 薬師と教会はセットだ。薬師に近づけば、教会との距離もまた近くなる。私は黙って彼の判断を待った。


「と、泊めるってこちらの男性もですか?」

「ミハイルはお嬢さんの護衛だよ。腕のいいハンターさ」

「ミハイルだ。世話になりたいのは山々だが、仕事の邪魔じゃないか?」

 差し出された手を取らず、薬師はもじもじとうつむきながら言った。


「仕事はちょうど今終わったところですから、何日かは大丈夫です」

「じゃあ決まりだ、粗相の無いようにね」

 パンと手を打って、おばさんは家に戻っていく。少女はこちらです、と先に立って案内をはじめた。




 到着までの緊張とは一転して、はじめて入る学校という場所に心が躍った。

 横に長い建物に、同じような部屋が4つ並んでいて、手前二つの部屋は、小さな椅子と机がやたらとたくさん並んでいる。

 ここで、同じくらいの年の子が集まって勉強をしたのだろうか。


 案内された部屋には、調薬のための道具がきちんと整理して置かれている。テーブルにはクロスがかけられ、ベッドも当然のように整えられていた。

「これから休んでいただく部屋の掃除をしてきますので、ここでお待ちいただけますか」


「先に確認したいんだが、宿代は?」

「薬師がお代をいただくことなどありえません」

 はっきりとそう言った彼女の言葉に、雷に打たれたような衝撃を受ける。

 タダで治療はするな、ではないのか。もしかして、宿業は治療じゃないからだろうか。


「なるほど。真面目な薬師だ。じゃあ、体で払うとしようか」

 言いながらシャツの襟をくつろげたハンターに、コニーはゆであがるように真っ赤になった。

「ななな、何を、何を」

「薪割りでも、水汲みでも何でも言ってくれ」

「結構です、何も結構ですから、ここにいてください!」

 ほうきをひっつかむと、彼女は部屋から転がり出ていった。


「わざとからかうのは良くないですよ」

「反省している」と口先だけで言いながら、彼は素早く部屋を確認してまわる。

「この部屋に、薬師として不自然さは?」

「ありません。同じような感じでした。……私の小屋はこんなに片付いてませんでしたが」

 ちょっと立ち止まったハンターはわざとらしく何かを思い出すような仕草をして、「確かにな」と肩をすくめた。

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