1-10おとぎ話を超えて

 残り少ない水で、慎重にキサナの目から砂を取り除いていく。真っ赤に充血した左目が特にひどい。

「魔物倒セタ。ヌシ様戻ル。キサナ、見エナイデモ、構ワナイ」

 青年は覚悟したように静かにそう言った。


「キサナさんはラノニーを守る戦士でしょう、見えたほうがたくさんの子どもを守ってあげられますよ」

 どうか角膜が傷ついていませんようにと祈りながら包帯を巻いた。

「……ソウダナ、ソレガ正シイ。正シイ者。感謝シテイル」

傷薬は目に使うには強すぎるから、集落に戻って調合を変えなければいけない。体の小さな擦り傷に軟膏を塗って、キサナの応急処置を終えた。




「お待たせして申し訳ありません!」

 全力で頭を下げた私に、翼あるヘビはころころと笑った。

「話は彼から聴きましたよ。あら、でもまだ薬師さんは必死な顔ね」

 ヌシ様を見上げていたハンターは、駆け寄ってきた私に、分かっているとでも言うようにうなずいた。


「今度は集落までキサナを担げばいいのか?」

「私も支えて歩きます。じきに陽が昇りますがいけるでしょうか」

 ハンターは難しい顔で地平に目を凝らす。

「私が上を行きましょう。大きな影ができますよ」


 ヌシ様の影の下は、真昼の日差しも感じぬほどひんやりと涼しい。

「これだけ乾いた風の中を歩いているのに、シャツの肩が濡れてきた。すごいものだな」

「涼シイ」

 キサナも両目を包帯で巻かれているとは思えないほど、確かな足取りで歩く。

 私は自分が歩くのに集中しろと言われて、結局ハンターが一人でキサナを支えていた。


 往路で立ち寄ったオアシスで休憩し、水を飲もうと小さな泉に手を浸すと、みるみるうちに水量が増えてブーツのつま先が水に浸りそうになった。

「枯れてた草が……あっというまに」

 枯草が新緑に変わり、溢れんばかりに泉は満ちる。

 見る間に変わるオアシスの景色に息を呑んだ。上空を回っているヌシ様を見上げて、守り神の力に畏怖すら覚える。




 その後キサナを支えながら馬を引き、集落に戻ると熱烈な歓待を受けた。

 ヌシ様が広場の高座に降りたつと、長や老人衆が涙を流しながら周りを囲む。


 私は再度綺麗な水でキサナの目を洗浄し、目薬を作って点眼した。あとはキサナの回復力を信じるしかない。

 一通りの治療が終わると、彼は再び心を込めてアリガトウと言い、そのままコトンと眠ってしまった。

 精悍な戦士だと思った彼の寝顔は、思いの他あどけない。

 若いキサナの肩にかかっていた重圧を思うと、彼の頑張りが実って本当に良かったと思った。


 テントを出るとすでに日暮れ。広場では宴の準備が始まっていた。ヤシの葉の上に団子が並び、中央の大きな焚火で塊肉が焼かれている。


「白イ旅人、ヌシ様連レテ戻ッタ! キサナ連レテ戻ッタ! 英雄ヲ、称エヨ!」

 長が号令すると、オオオオと地鳴りのように男衆が低い声を出し、「ヤッ」と立ち上がりながら高く腕を掲げた。

「オマエ、ヤル」と言われたハンターも、無理やり「ヤッ」と腕を上げさせられていて、ちょっと微笑ましい。


 宴が始まると、代わる代わる集落の人が私たちの席までやってきて、男性は濁り酒を注ぎ、女性は料理を置いていく。

 たちまちテーブルがいっぱいになって、注がれっぱなしのハンターは飲むのに忙しそうだ。


 しばらく大人の後ろでこちらを伺っていた子どもたちも、意を決したように走ってくる。はにかみながらハンターに握手を求めて、私の頭にヤシの葉で編んだ冠を乗せてくれた。

「ありがとう、とても上手に編むんですね。私には真似できません」

 一斉にデキタとかウマイとか、胸を張ってくる女の子たちが可愛らしい。




 宴もたけなわの頃、ようやくお酌から解放されて私たちはヌシ様の高座に登った。

「改めて、砂漠を荒らす魔物を倒してくれてありがとう。ようやく住処に戻れるわ」

 翼をたたんだ白いヘビは、おっとりとした声でそう言った。


「質問しても構わないか?」

 ハンターは、どうぞと促されて先を続けた。

「ヌシが、なんでアントリオンなんかに住処を奪われたんだ?」

「奪われたというより、空き家にそのまま居座られてしまった感じかしらね」 


 彼女は古来より、このラノニーの集落を守護してきた。

 しかし近年ハセルタージャとの争いが起こるようになると、民は傷つき、時に死んでいく。

「争うのやめて、傷つかないで、ってどんなに言っても誰も耳を貸してくれないの。私……悲しくて。気づいたら砂漠をさまよっていたわ」


 争うのをやめてハセルタージャの言いなりになっても、その先にラノニーの民が傷つかずにいられる保障は無い。

 それでも目の前の人々が死にゆくところを、見ていられなかったのだろう。彼女の純真さは、集落の民と重なるところがあった。


「私の力はね、守るべき人を守るためなら無限に沸くのよ。だけど、そうじゃ無い時は全然発揮されないの。だから自分の力では住処を取り戻すこともできなかった」

 なるほどな、とうなずいたハンターに、ヌシ様は少し遠い目をして「きっとあなたには、分かる日が来るわ」と言った。


「もう知らないと思って集落を飛び出したけど、 離れるとやっぱり寂しかった。みんなの笑う声が聞きたくて、たまらなかったの。だから、本当にありがとう」

 さあ、これをどうぞと両手からはみ出るくらいの透き通ったウロコが置かれた。しっとりと濡れているような手触りだ。

「これが、沼地のヌシの大ウロコ……ありがとうございます」

「きっと探していたものよ。私たちには、あなたの望みがとても良く分かるから」


 私の望み? と見上げると白蛇は意味深に笑う。

「そう、あなたのことが大好きだから良く分かるの。もちろん、そちらの彼には負けるけど」

 えっ、と声を出して横のハンターを見ると、彼は嫌そうに眉間にシワを寄せたところだった。

「……ヌシ殿、うちの薬師は時々冗談が通じないからやめてくれ」

「そう? じゃあ、ごめんなさいね。ふふふ」

 沼地のヌシの涼やかな笑い声が、宴の輪に降り注いだ。




 それからさらに数日、キサナの経過を見るために滞在を伸ばした。

 彼は光を失うことは無かったものの、本人曰く左目の視力が落ちたらしい。


「岩ノ上、サボテン見エナイ、ナッタ」

「……どこのサボテンですか?」

 陽炎の彼方の岩に目を凝らす私に、キサナは二カッと白い歯を見せて笑った。

「誰ノ顔モ見エル。正シイ者、強イ者、感謝。キサナ、嬉シイ」


 ひさかたぶりの雨が井戸を満たし、人々は感謝を込めて歌をうたう。

 名残惜しい旅立ちの日には、砂漠の高い空に、美しい守り神が優雅に舞っていた。




 北大陸に渡る船の甲板で、暑さを感じる潮風に吹かれる。季節は夏へ移り変わろうとしていた。

 ウロコを大切にしまったカバンを押さえて、ハンターを見上げる。

「おとぎ話を超えましたね」

「無事にな」


 前の手すりにもたれかかった彼は、海面を跳ねる光に眩しそうに目をすがめた。

「しかし、ヌシがどうぞとくれたから良かったものの、あれを狩ろうと思っていたのはヤバかったな」

「戦ったら、とても強かったということですか」


「あんたには見せられんような、からめ手を使って、どうにかいけるか、いけないか……」

 戦う相手がアントリオンで助かったと、ため息をつく。

「……この先、七色の涙は分かりませんが、あとは雪ナマズと、ドラゴンの心臓ですよ」

「ナマズはともかく、ドラゴンか……」

 目を閉じて上を向いたハンターは、しかめっ面のまましばらくそのままの姿勢だ。


「でも、やっぱりあなたは強かったです。あんな大きなモンスターを倒して、ラノニーの英雄になってしまいました。私、隣にいて誇らしかったです」

 半回転して今度は手すりに背中を預けたハンターは、目だけこちらに向けてくる。

「あんたは俺をおだてるのが上手いな」

「そういう風に言うあなたは、少しひねくれています。たまには素直に聞いて下さい」

 ひねくれているけど腕はいい。穴熊酒場のマスターが言った通りだ。


「素直にか……。俺に触れている時は安心だとか、口説いていると思われても構わんとか、あれも全部素直に聞いていいのか?」

 そうですけど、と返事をすると彼は私を手招きし、すいっと頬に手を伸ばしてきた。


「一度も鏡を見たことが無いわけじゃあるまいし、自分がどんな顔で俺にそういうセリフを言っているか考えたことがあるか?」

 耳の形をなぞるように指先が動いたので、くすぐったくて片目を閉じる。

「……どんな、顔ですか」

「さては、分かっていてやってるな?」

 浅くにらむ瞳が珍しくて、鼓動が早くなった。

 私から手を離したハンターは、腕組みして少しの間考える。


「そうだな、ビビにそう言われるほどの男なら、ドラゴンくらい狩るだろうな」

 どういう意味ですか? と尋ねると、教えてやるから良く聞けよ、と前置きして彼はとびきりのいい声で言った。


「俺にしがみついて離れない儚げな少女は、実に有能な薬師でな、頭の回転が早くて、魔物の知識も深く、何より……とびきり器量がいい。おっと、目を逸らすな」

 顎を持ち上げられて、うつむくこともできない。

「そんなビビに、毎晩腕の中で寝たいとせがまれるほどの男なら、ドラゴンの一匹や二匹、狩ってご覧にいれるだろうと、そういう話だ」


 少し拘束が緩んだ隙に、ハンターの胸を押して後ろへ下がった。

「……あなたこそ、どんな顔でそんなセリフを……」

「鏡を見たことが無いから、わからんな」

 余裕の表情でそう言ってくるのがくやしい。


「そうにらむな。たまには俺にも楽しい思いをさせてくれてもいいだろう」

 私のことを少女だと言ったくせに、大人気無いこと、この上ない。

 でも、こんなに心を乱されて、彼の言葉を少し嬉しいと思っている自分も大概だった。


「旅の楽しみが増えると張り合いがあるな」

 ハンターがわざとらしくそう言ったので、私はそっぽを向いて顔をしかめた。

「そういう楽しみ方は、邪道じゃありませんか」


 これが王道で無くて何だと、熟練のハンターが自信満々に言うのだから、薬師は不服ながらもうなずくしかない。

 とにもかくにも私たちの旅は、おとぎ話を超えて、確かに最初の一歩目を踏み出したのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る