1-9決戦

 2時間きっかりで私は目覚め、かなり回復した足取りで砂漠の沼へと向かうことができた。

 四方の砂丘から波のように砂が流れ落ち、その合流地点で渦を巻いている。

 

 キサナは大きめのサボテンを、槍で突き刺して地面からもぎ取ると、渦に放り投げた。

 サボテンが落ちると同時に、砂の中から巨大な牙のようなものが生えてきて、サボテンを一瞬で砂の中に引きずり込み、その後ボンと上空へ弾き飛ばした。


「魔物、肉食。サボテン食ワナイ」

「反応速度が早いな。あの一瞬では手だしができない」

「夜ニ、遅クナル」

 どのくらいかとハンターが尋ねると、キサナは槍を横に持って「コノクライ」と真面目な顔で答えた。額に青筋が浮きそうな彼を私がどうどう、となだめる。

 ハンターはそれから石や、枯れ枝を投げ込み、流れる砂に少しだけ降りてみたりして、大岩に戻ろうと号令した。




「アントリオンという砂に住むモンスターがいると聞いたことがある。数例の情報があるだけだから、俺も見たことはない」

 さっき砂から出たのは牙ではなく大あごで、あれ以外にも鋭い爪を持つ足が6本ある。そう説明すると、キサナは「マチガイナイ」と大きくうなずいた。

「習性は単純だが、砂の中の巣まで落ちれば、猛毒で動けなくされてから、干からびるまで体液を吸われておしまいだ」


 3人で岩影に輪になって座り、水を飲んで干し肉をかじる。

「向こうを砂の沼から出せれば、こちらが有利になるということですか?」

 それは間違いない、とハンターはうなずく。

「魔物、砂カラ出ナイ。卑怯」

 拳で砂を叩いて唇をかんだ青年は、かつて失った仲間を思っているのかもしれない。


「先ほどは、サボテンには反応したが、石や枯れ木には反応しなかった。水を嫌がったのかもしれんな」

 砂の沼の絵を地面に書いたハンターは、すり鉢状の地形の半分あたりに線を引いた。

「それに、おそらくこのラインより下に入ったエサにしかヤツは反応しない。夜には鈍化するってのに期待するしか無いが、賭けとしては分が悪い」


「キサナ、餌デキル。捕マラナイ」

 槍を一振り、皮の水筒、それに小さな荷袋を一つだけ。散歩のような装備で来た青年は、唯一の荷袋から長いロープを取り出して、自分の腰に結わえ、その反対側をぎゅっと握った。

「岩ニ結ブ、キサナ走ル。砂カラ魔物出ル。頼ム」

 真剣なまなざしを、ハンターは厳しい顔で見返す。


「今夜魔物の反応速度を確認した後、引き返して餌と、長柄の武器と、あと3人くらい手伝いを呼ぶ。これが最低条件じゃないか」

「待テナイ!」

「おまえが犬死にするのは構わないが、彼女にむごいところを見せたくない」

 今にも槍をつかんで立ち上がりそうなキサナに、私は戸惑いながら声をかけた。


「キサナさん、何をそんなに急いでいるんですか」

「砂嵐来ル、ヌシ戻ラナイ、水枯レル、皆死ヌ!」

 ぼろぼろと青年の瞳から涙が溢れて砂に落ちた。

 一気に情報過多になって、私たちは顔を見合わせる。

「な、泣かないで。一個ずつ説明してください」


 昨日のような強い西風の後、 砂嵐が起こりやすい季節であること。一旦嵐になれば、10日以上も砂漠へは入れなくなること。

 ラノニーの人たちがヌシを守り神と崇めるのは、水を呼ぶ存在だからで、ヌシが去ってからあちこちの井戸が干上がったこと。

 立ち寄ったオアシスも、去年は人が住めるほど豊かな場所であったこと。


「最初からどうしてそう言わない」

「子ドモタチ、聞カセナイ」

「そうですね、子ども達には心配かけたくなかったんですよね」

「集落の存亡がかかってる時に、そんなことを言っている場合か」


 そっぽを向いたハンターが、実はもうそんなに怒ってないのだと分かるくらいには、私たちの旅は成熟しはじめていた。

「実際10日の足止めは困る。こんなジャリジャリのところにいつまでも居られん。今夜で決めるぞ」




 一気に暗くなっていく砂漠の夕べに、ハンターは装備を再確認し、キサナは槍の先を砂岩で軽く研いだ。

 砂丘には、大小さまざまの岩があり、その下からも常に砂が零れ落ち続けている。触るとすでにグラグラと動くものもあった。いずれ、どんなに大きな岩だって、この沼に飲み込まれていくのだろう。


「この岩は、頑丈そうですね」

 二人が同意してくれたので、その岩にキサナは命綱の端を託し、私は平らな部分に登って決戦の地を見下ろした。

 皮の水筒も、カラになった荷袋さえも全部岩の上に置いて、彼は槍だけを握り、数回ジャンプする。そして「デキタ」と準備完了を知らせてきた。


 月明りの砂漠で、褐色の戦士は短く祈る。

 それからハンターの目を見てうなずくと、急こう配の斜面を垂直に駆け下りた。

 カシャアアと、何かが擦りあわされるような音がして、砂の沼からアントリオンの大あごが突き出る。

「クソ、どこが遅くなってる!」

 昼間とどこが違うのか私にもさっぱり分からない。


 キサナの足が顎に挟まれる、と思った瞬間、彼は曲芸のようにポーンと上空に飛んだ。

「すごい!」

 しかし、アントリオンはさらにもう一段階、上空へ伸びあがる。

 

 大ばさみのような顎がクロスする直前にキサナは槍を支点にして離脱。

 一呼吸も置かず、不安定な姿勢から閉じた顎の脇へ槍を突き刺すと、ドッと地面が揺れて、アントリオンの頭と脚が地表に現れた。


 流砂の底を見下ろしていたハンターは、でかいなとつぶやくと、素早く岩を登ってきた。そして自分が持っていた水筒を私に手渡す。

「できれば失いたくないが、ヤバいと思ったら、あいつの体にぶつけてみてくれ」

「はい……気を付けて」

 まかせろと請け負って、彼も砂の波を滑るように降りていった。


 二人は砂の壁と、アントリオン本体の脚を交互に足場にしながら攻撃を加えていく。

 敵の甲殻は固い音を返し、その巨体と相まってハンターの剣は有効な武器とは言えない。

 それでも二人は長年共に戦ってきた戦友のように、常にモンスターの対角線上に位置取って、敵の注意を分散しながらダメージを与えていく。

 ついに魔物が焦れたように大口を開けた隙に、ハンターの剣が上あごをいだ。

 緑色の体液が飛び散り、ひるんだアントリオンの目をキサナの槍が貫く。


 瞬間、ザワっと背中に鳥肌が立って、私は叫んだ。

「離れて!」

 ボッ、と砂嵐が吹きあがり、目をかばう。辺りは砂埃に覆われ、月の光も届かなくなった。


「キサナ! どこだ!」

 けぶる中心から、ハンターの声が響き、私は水筒を握りしめて目を凝らす。どこに投げたらいいのか分からない。

 砂埃さえ晴れれば……と思ったのと同時に、強い西風が吹きつけた。

 砂が晴れ、沼の底が見えるようになる。


 大きな口から体液をあふれさせるアントリオンと、魔物の前足に剣を突き立てて退避したハンター、そして、砂の沼に飲まれながら、もがくキサナの姿があった。


 上等な餌にありつこうと、キサナににじりよったアントリオンの背中を狙って水筒を投げる。

 甲殻に当たった水筒は、パカンとマヌケな音を立てて割れた。

 もう半分も残っていなかった水が体に触れた瞬間、アントリオンはビクっとこわばって、その場で背中を気にするように回転しはじめる。


「いいぞ! キサナの水筒も投げてやれ」

 流砂に降りて、キサナの肩をつかんだハンターが叫ぶ。でも、褐色の頬に薄く残った涙の跡と、閉じたままの目が気になって、手からこの水を投げ出す気になれない。


 自分の足が砂に呑まれるのに抵抗しながら、腰まで埋まったキサナを引き上げるのは困難を極めていた。

 ようやくキサナの片足が自由になった頃には、アントリオンは砂の中へ潜り込んで逃げようとしているように見える。


「キサナ、この岩につかまって自力で上がれ。アイツに砂に潜られたら終わりだ」

 キサナを離して剣を構えたハンターは、壁沿いに回り込むように走り始めた。

 後退しながら顎まで砂に埋もれたアリジゴクは、キシキシキシと不穏な音を立てる。


 何かしてくる、と叫ぶより前にアントリオンが地中から跳ねあげた大顎が、今度はまっすぐにハンターに向かって大量の砂を飛ばした。砂嵐に一瞬で搔き消えた彼の姿に、冷や汗が背筋を伝う。


「い、やっ……!」

 叫ぶべき名前を知らない私の口から、悲鳴のような声だけが漏れた。

 どうして名前を聞いておかなかったのだろう。めちゃくちゃに吹き荒れる砂嵐の中で、うずくまることしかできない。


「強イ者! 返事スル! 負ケナイ、負ケラレナイ!」

 キサナの必死な声が沼の底から聞こえてきても、目を開けられない。


「ヌシ様! ラノニー守ル、チカラヲ。キサナニ、チカラ、欲シイ!」

 青年の天をくような祈りの声が響くと、ポタリと首筋に雫が落ちたような気がした。


「あぁ……呼んでくれたのね。いとしい子には恵の水をあげましょう。ふとどきものは溺れておしまい」

 どこからか美しい声が響くと同時に、包むような霧雨が降り注ぎ、砂嵐が消え、アントリオンは怯えるように空を見上げた。


 岩から身を乗り出して穴の底を見ると、いつのまにかハンターは槍を持ってキサナの後ろに立っている。

「無事だったんですね!」

 私が叫ぶと、ハンターはアントリオンと上空を交互に見上げながら口の端を上げた。


「同じ手を何度もくらうか。しかしビビ、真打の登場だぞ」

 ハンターの示す方向を見上げれば、白いヘビの体に鳥の翼を持つ魔物が悠々と宙に浮いていた。羽ばたくごとに、細かな雨が砂を濡らす。


「まずは死にかけから片付けるか。ほら、戦士が得物から手を離すな」

 キサナの手に槍を握らせると、青年は目を閉じたまま立ち上がった。

 アリジゴクは必死で地面に潜ろうと後退するが、濡れた砂がそれを拒む。

 

 このまままっすぐ15歩だ、とハンターが褐色の背中を押すと、キサナは助走をつけて宙に舞い、しなやかに背中を反らせた。

 固い頭部の甲殻を貫いて、槍はアントリオンの脳天に深く刺さる。

 最初に大あごが外に開き、体が大きく横へ傾きはじめた。


 もう一瞬も待てなくて、岩から飛び降りて砂の丘を駆け下りた。脚を縮めたまま倒れていくアントリオンを横目に見ながら、ずるずると沼の底へ降りていく。

「少し気が早いだろう」

 眉を上げたハンターに抱きとめられて、答える間も無く首にすがりついた。


「砂漠を荒らすものを倒してくれて、ありがとう」

 ゆったりと降下してくる翼あるヘビを、私を抱いたままハンターは厳しい目で見上げた。

 しかし乾いた頬に当たる霧雨はどこまでも優しく、害のあるモノには見えない。


「私たちを、助けてくれたんですよね。あなたが沼地のヌシですか」

「ヒトが何と呼ぶかは知らないわ、でも、あなたがこの地を訪れて……」

「ヌシ様……帰ッテキタ」

 キサナは見当違いな方向へ顔を向けて微笑した。その涙の跡に、うっすら血が混じっていることに気づいた私は、空へ向かって手のひらを向ける。


「すいません、やっぱり、後でいいですか」

 私はハンターに懇願した。

「昼間の大岩までキサナさんを運んでください、今すぐ!」

「ああ、いや、しかしいいのか?」

「一刻を争います!」

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