1-8砂漠
「俺からも、一つ尋ねてもいいか?」
めずらしくハンターからそう質問されたので、何でしょうと首を傾げた。
「道中ずっと思っていたんだが、あんたはそんなに人見知りで、今までどうやって治療をしてきたんだ?」
「そんなに」人見知りと言われたことに、少なからずショックを受ける。そんなにだろうか。
「最初は師匠と一緒でしたから、
あとは寝込みを狙って診察することで、
「師匠が亡くなった後は、薬を売ることはあっても、ゼシカの森を尋ねて来た人を直接診療したことはありません。薬も窓から受け渡ししていました」
「徹底してるな。まるで幻の薬師だ」
教会の使いはもちろん、助けてくれと尋ねて来る人も、やはり最後には「薬師の分際で」と吐き捨てていく。
それも、師匠といるうちによく学んだことだから、私は息をひそめて、ひっそりと暮らしていた。
「じゃあ、あの時俺の治療をしてくれたのは何故だ?」
「あなたがドアの前に倒れていたので、あのままじゃ小屋に入れなかったからです」
そうだったか? と、彼は記憶を辿っている。
「それに最初からあなたは、薬代を払うと言ってくれました」
「先代が苛烈な取り立て屋だったことは、身を持って知っているからな」
ハンターが苦笑いした顔を見て、あの日の感覚がよみがえってくる。
「あなたは瀕死で、でも、私は死なすには惜しいと思ったんです」
「惜しい?」
彼は本格的に分からない様子で、眉間にシワを寄せた。
「はい。お師匠様は言っていました。自分の身にも危険が及ぶような治療を、すべきか、やめるべきか迷ったら……」
真剣に私の言葉を待つハンターに告げる。
「最終的には、顔で選べと。死なすには惜しい顔だと思ったら助けろと」
珍しく彼の口がポカンと空いて、そのあと両側のこめかみを押さえながら頭を下げた。
「……あの婆さん」
「というわけでした。謎は解けましたか?」
目だけ上げたハンターは、苦言を呈する。
「薬師の腕はいいのに、男の趣味が悪いぞ」
「そんなことはありません。あなたがどこでもすごくモテるから、自分の審美眼に自信を深めているところですよ」
それに、と言いながら、彼の首に触れた。
「初めて見た時から、あなたに強い生命力を感じるんです。肌に触れると、その力を分けてもらえるような気がします」
死にかけていた相手におかしな表現だとは思うけれど、弱っていてなお、煌めくような命の炎を感じたから、それを消してしまうのは惜しいと思った。
この人には、生きていて欲しいと思ったのだ。
「そんな目で見るのはよせ。その気が無いと分かっていても、口説かれているような気分になる」
同じように私の首元に手のひらを当てたハンターは、少し温度のある瞳で私を見下ろす。
「口説いていると思ってくれて、構いませんよ」
結構本気で言ったのに、生意気を言うなと髪をクシャクシャにされた。
「沼は見つからんのに、泥まみれになって、あんたにはやられっぱなし。南大陸に来てからはいいところ無しだな」
彼の言葉に、ふと人懐っこいメイサの顔が浮かんだ。
「そういえば酒場で私についてくれた子が、流砂を「砂の沼」と言っていました。たしかにそうだなって思ったんです」
砂の沼か、とハンターも繰り返してつぶやく。
「確か都の南に、原住民が住んでいる集落があるはずだな。明日行ってみるか」
毛布で包まれて、彼から「明日の話」を聞いて眠る夜はとても満ち足りていた。
集落の入り口でひと
この集落はラノニー。古来よりこの南の地に住む一族で、最近支配地域を急拡大しているハセルタージャと、たびたび衝突しているらしい。
私たちを白いと言った通り、彼らはハセルタージャの人たちよりもさらに濃い肌の色をしていた。
「ヌシ、我ラノ神」
「ヌシノ住マイ、荒ラサレテ、久シイ」
「ヌシというのは何だ? 魔物か? 動物なのか?」
「ヌシハ、ヌシ!」
片言の村人から苦労して情報を引き出そうとしていると、一人の
周りから、キサナ、キサナと声が上がる。彼の名前だろうか。
「オマエ、戦士カ」
「そう名乗ったことは無いが、戦う者なのは確かだ」
「砂ノ沼ノ魔物、強イ。倒シタイ」
「倒したら、ヌシの死骸は俺にくれるのか?」
ヌシ倒サナイと強い口調で彼は言い、ハンターは頭を抱えた。
「もしかして、砂の沼はもとはヌシ様の住処で、今は別の魔物が住みついているから、それを追い払いたいってことじゃないでしょうか?」
それなら、大きなアリジゴクがいると言っていたメイサの言葉とも符合する。
「ソウ! 正シイ。オマエ、正シイ者」
青年は嬉しそうに私の肩をつかむと、ハグしてくる。
「俺たちの目標はあくまでヌシのウロコだ。見つけたらそっちもやらせてもらうぞ」
すぐに私を引きはがすと、自分の後ろへ隠す。青年は「オマエ、正シクナイ者」とハンターを指さした。
「デモ、時間無イ。オマエ勇敢ナ戦士。強イ者。キサナ、分カル。チカラ借リタイ」
そう言うと青年は、床に両方の拳を付けて頭を下げた。ハンターは返事をせずに腕組みしている。
「強い者の彼とキサナさんが一緒に砂の沼へ行けば、魔物を倒せますか?」
「デキル」
「分かりました。彼と二人で相談させてください」
テントを出ると、ハンターは難しい顔で考えこんでいた。
「なんとなくですけど、これがアタリな気がしませんか」
だな、と短く彼は同意する。
「しかし、砂漠の狩りはリスクが高い。それに、あんたを預けられる場所が無い」
「連れて行ってくれないんですか」
「準備が足りなすぎる。装備も無ければ、情報もあやふやで、守りながら戦える状況じゃない」
自分の身は自分で守れるとは言えないのが歯がゆい。
「……でも、私が一番安全なのは、あなたのそばにいる時です」
「買い被りすぎだ」
それは買い被りではない。
逆に彼の側以外に、安全な場所はもう、どこにもないのだ。
「では、あなたが一番安全なのは、私のそばにいるときです。これならどうですか?」
考える暇を与えないように、言葉を続ける。
「瀕死だったあなたの毒の治療をした実績があります、ホーネットの襲撃もかわしました。腕の一本くらいなら、その場でつなげて差し上げます。どうです? こんな優秀な薬師を置いていくなんてもったいないでしょう」
薬師の必死の押し売りを、彼は笑って受け止めた。
「確かに、こんないい薬師を置いて行こうなんて、阿呆のハンターのすることだったな」
そうですよ、と何とか声にする。
「あんたを連れて出た時に、覚悟を決めてきたはずが、トシを食うと守りに入ってダメだな」
ポンポンとなだめるように頭を撫でながら、すまなかった、一緒に行こうと彼は言ってくれた。
3日で片付けると言ったキサナの言葉を信じて、なるべく身軽な装備で砂漠に挑む。
私まで馬に乗って出立しようとしたときは、集落中の人がひっくりかえって驚いたけど、意外なことにキサナは反対しなかった。
「ヌシ、正シイ者、好キ。守ッテモラエル」
早朝に集落を出て、陽が昇りきる前に枯れかけた小さなオアシスに着いた。ここに馬を置いて、あとは徒歩で進む。
わずかなヤシの木の木陰で、ハンターとキサナは入念に進路の打ち合わせをしていた。
「まず、今日の日暮れから明日の日の出までの間に、大岩まで移動するんだったな。どの方向にある?」
「2本太イ、ヤシ、コレ、コレ、コノ間、ズット行ク」
「ほぼ真東か。途中に何か目印は?」
「キサナ、覚エテル」
「前途多難だな……」
眉間にシワをよせて首を振ったハンターは、私に夜中歩くことになるから、いまのうちに少しでも眠っておけと言う。指示に従って、カバンを枕に砂の上に横になって目を閉じてみた。
「コノ娘、美シイ。名前知リタイ」
「オマエには教えん」
「正シクナイ! 強イ者、正シクアレ!」
……全然眠れない。
残照のころから3人で砂漠を歩き始める。灼熱の砂は月明りと共にシンと冷えて、風が吹きはじめた。
先を行くハンターの背に隠れるように歩いているのに、パチパチと音を立てて砂粒が顔に当たる。
時々キサナが目印とだと言うサボテンや、さっきもどこかで見たような岩に立ち止まるたびに、ハンターは手元のコンパスを見て、星を見上げた。
そして冷たい砂漠の夜が明け、朝日の暖かさにホッとする間もなく、今度はあっと言う間に気温が上がっていく。
「無理はするな。背負って歩けるからな」
振り返ってそう言ってくれる彼に、大きくうなずいて、それだけはするまいと必死で足を動かす。
砂が溶けたクリームのように足にからみついてきて、一歩ずつが重い。
ダメだ、休憩をお願いしよう。脱水になりかけている、と自覚した時、キサナが声を張り上げた。
「見エタ、大岩」
ついに、かげろうに揺れる巨大な岩が、眼前に現れた。
倒れこむように岩の影に入ると、すぐにハンターが水筒をくれる。唇を湿らせると、顔から砂を払って、まず二人の手首を握った。
「キサナ、嬉シイ」
頬を染める青年も、涼しい顔をしているハンターも共に異常なし。
「体の大きい二人がまず、十分水分補給して下さい。あとは、塩も失われていますから干し肉を……」
「分かったから、少し座れ。よく歩いたな」
「ウン、良ク歩イタ。正シイ者」
二人に褒められて、ホッとするような、情けないような気分だ。
「で、次はどうする?」
「今夜、戦ウ。砂ノ沼、遠クナイ」
「少し休んだら、昼のうちに現地を見ておきたい」
「キサナ、イツデモイイ」
「私も行きます」
名乗りを上げると、ハンターは2時間したら出発しようと言った。
「さて、お嬢様には少しでも眠ってもらおうか。夜までもたんぞ」
私を抱え上げて自分の膝の間に置いたので、キサナが驚いて目を見開いた。
「実は彼女は貴い身分でな、いつも絹のベッドでしか寝ないから、抱えていてやらないと眠れないんだ」
そんな貴い人が砂漠の行軍なんかするはずない。ベッドでしか寝ないのに抱えられて寝れる理由も分からない。
なのに、純真な青年は「ソウカ」と目を輝かせてうなずいていた。
「……じゃあ、そういうことでいいです。少し休みます」
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