1-7半分

 夜が更けてくると、湿った空気が風に流されてあたりがひんやりしてきた。

「まだ、シャツは濡れてますね。他に上着は無いんですか」

 上半身裸のままのハンターに尋ねると、それも愛用の胸当てと一緒に注文しているところだったのだという。

 火にあたっているから問題ない、と言う彼の背中は結構冷たい。


「さすがに風邪をひきます。これ、着てください」

 ポンチョを脱いで渡そうとし、彼はそれを固辞し、私はむりやり渡そうとし、無理やり渡した。


「その強引さで、昨日俺を風呂に叩き込んでくれれば良かったんだ」

「さすがに男湯に押し入るほど、恥知らずじゃありません」


 シャツ一枚になると、ブルっとふるえる。ポンチョの耐風能力はすごかった。

「ほら、風邪を引くのはどっちだ。こっちに来い」

「先に風邪をひくのは、水浴びしたあなたです」

 手をつかんできたものの、いつものように強引に引き寄せてはこない。


 仕方がないので、自分で膝の間に潜り込んで、ポンチョを二人羽織りのように胸の前で合わせた。

 彼が、ほっとしたように息を吐いたのが伝わってくる。


「お香の匂いって、すごく強いんですね。あんなに服につくなんて知りませんでした」

「着たままだったからな、余計だろう」

「着たままなんですか?」

 私が聞き返すと、あんたは一体どこまで分かって言ってるんだとハンターはうめいた。

「ビビも、仕事中に服は脱がんだろう?」

 一通り思い浮かべてみて「ええ、多分」と返事をする。基本は脱がないはずだ。


 ふと思いついて、私は後ろを向いた。そして、彼の裸の胸元に頬をくっつける。

「じゃあ、こういう風にはならないって事ですか」

「……そうだな、ならない」

「今は仕事中ですか?」

 ポンチョの隙間から目だけ出して尋ねると、ハンターは少し困ったような顔で笑った。


「半分仕事で、半分は仕事ではない。ご覧の通りだ」

 その中途半端な答えに、私は不思議ととても満足した。

「今日はこのまま少し寝てもいいですか? 昨日、寝てなくて」

 返事の代わりに、もたれかかりやすいように体勢を変えてくれたから、私はストンと眠りに落ちた。




 目を覚ますと、まだ辺りは真っ暗で、馬も眠っていた。

「まだ早い、もう少し寝ていろ」

「かなり熟睡しました。今度は私が火を見ていますから、少し眠ってください」

 前を向いて、流木をくべる。いつものように、俺はいいと言うかと思ったら、今日は素直に私の肩に額を乗せて、体の前に腕を回してきた。


「あんたが離れると寒い」

「ふふっ、半分裸ですからね」

 そのまま静かに、焚火を眺めて過ごした。途中から結構ずっしり重くなったから、本当に眠っているのかもしれない。そうならいい。




 日の出と同時に、身支度をして私たちは密林の探索をはじめた。馬は川辺が気に入ったようなので、そのまま置いていく。

「細いが道があるな。この丸太も、橋代わりに置いたものだろう」

 ハンターの言う通り、密林には人の歩いた跡があり、ところどころに木杭が打たれている。刻まれている文字を見た彼は、ハセルタージャの文字だなと言った。

「この密林も開拓するつもりなのかもしれん。とりあえず道沿いに歩くか」


 厚い葉の生い茂るジャングルを歩きながら、彼はコンパスで位置を確認し、時々深いシダの茂みに足を踏み入れて周辺を確認する。

 そして蒸し暑さにバテる私に、もう一晩野営しようと言ってくれた。


 翌日は雨の中を歩く。細い道に私を残してハンターが一人密林に分け入り、また二人で道沿いを移動して彼が探索するという方法で、もう一度ジャングルを一周した。

 しかし雨が降ってもなお、沼と呼べるようなものは初日の泥溜まりを除いて見当たらず、この浅いぬかるみにヌシが潜んでいる気配もない。


「これは、ガセだな。ハセルタージャに戻るか」

 ついにそう結論付けたハンターは、全くの無駄足だったと顔をしかめた。




 密林の雨にずぶ濡れになった服は、馬の背で砂漠の風に吹かれるうちに、たちまち乾く。ハセルタージャに到着する頃には、かなり薄暗くなっていた。

 宿に向かう道の途中で、ハンターの歩調が遅くなったので顔を上げると、前から鎧を着こんだ2人連れが歩いてきていた。


「止まれ。旅行者か?」

 呼び止められたハンターは、大人しく従った。

「ああ、北大陸から来た。ハセルタージャの衛兵だろう? こんな広い都じゃ見回りも大変だな」

 彼は私を少し後ろへ下がらせながら応答する。


「大人しくこちらの質問にだけ答えんか。目的は?」

 背の高い方の兵が、不機嫌そうに言う。

「ネジバロのギルドでここの王宮が立派だと噂になっていてな、それならぜひ拝んでおこうと観光しにきた。実際、足を運んだ甲斐があったよ」

 そうだろう、と背の高い方はすぐに態度を軟化させたが、もう片方の衛兵は高圧的にさらに続けた。


「連れは誰だ? 顔を見せろ」

 ピリっとハンターの気配が強張り、迷うような間の後で「……どうぞ」と、私を自分の影から一歩前へ出した。

「ほう、北方の少女か。見ろ、この透き通るような肌を。このあたりの女たちとまるで違うな」

 言いながら私の顔へ手を伸ばしてきたので、ビクッとして後ろへ下がる。


「逃げるな逃げるな、これも衛兵の仕事の内なんだからな」

 ハンターの腕にしがみついていると、背の高い方の衛兵が慌てて止めに入った。

「バカ、男の方がギルドに出入りしてるってことは、こっちの女も只者じゃないだろ。ヘタをして取引が潰れたらどうする!」


「話が早くて助かる。俺も方に手出しされたら、指をくわえて見ているわけにはいかないんでな」

 含みのある言い方でハンターが凄むと、衛兵は取り繕うように笑った。

「よぅし、話は良く分かった。ハセルタージャをゆるりと見て歩かれると良い。帰国後も良い土産話だけをするのだぞ、分かったな!」

 それだけを言うと、二人は暗い夜道を走って行った。


「あの方とかこの方とか、一体誰のことを言っていたのですか?」

 誰も居なくなった通りで、小さな声で尋ねる。

「さあな。衛兵も具体的に誰かを思い浮かべていたわけじゃないはずだぞ」

 さらりとそう返してきた彼に、それであんなに慌てふためくものですかと問う。


「そのくらいまだハセルタージャの連中は、北大陸のことを知らないのさ」

 肩をすくめながら彼は続けた。

「ただ、ネジバロのギルドが貿易を牛耳っていて、教会が巨大な聖騎士団をようしていることは知っている。そいつらが怒り狂えば、発展途上のこの国がひとたまりもない、ってことくらいは分かってくれたようだな。救えないバカじゃなくて助かった」




 宿の部屋に着くと、ポンチョとブーツを脱いでベッドの上に正座し、改まってハンターを見上げた。

「私に教えてほしいんです」

 一瞬ぎょっとしたハンターは、徐々にあきれ顔になって頭をかいた。

「心臓に悪いから、省略するのはやめてくれ。何が知りたい?」

 驚かせるつもりが無かったので、ちょっとためらいながら口をひらく。


「教会とナナムスと、それにネジバロもアカランカも。さきほどの衛兵より、よほど私の方が知らないことばかりです」

「まっとうな質問で安心した。そうだな、まずはゼシカの森を起点に説明しようか」

 はい、と私が真剣にうなずくと、長くなるから楽に聞けと彼もベッドに足を投げ出す。


「ゼシカの森はナナムス領で、教会の管轄だ。教会は他にも何か所か、薬の材料が豊富な森や山を所有している」

 そして近年教会は、ネジバロにも積極的に拠点を置く活動をしているのだという。


「ネジバロは前にも言ったが、ナナムスにもアカランカにも支配を受けず、どちらとも対等に商売をしてきた。最初にナナムスからギルドに話があったのは「無料の療養所」の設置だったんだ」


 派遣されてきた牧師と修道士は町の空き屋を借りて、怪我や軽い病気を診たりする活動を始め、すぐに重宝されるようになったという。

 すると今度は、きちんとした施療院を建てませんかと打診があって、あれよあれよという間に、気づけばどの町にも教会が建ってしまっていたそうだ。


「身近に不調を診てくれる場所があるというのは、悪い事ではなさそうですが……」

 教会に悪いイメージしか無かった私は、戸惑いながら言う。

「町の連中もそう言うからギルドも黙認せざるを得ない、だが実質ネジバロ支配の大いなる第一歩だ。タダより怖いものは無い」

 それに肝心の薬を薬師に作らせておいて、我が物顔なところも、いけ好かんとハンターは顔をしかめた。


「教会とナナムス王家については、ほとんど同じモノと考えていい」

「教会と王家が同じ?」

「そうだ。国王陛下の正妻は教皇の娘で、腑抜けの陛下は……あの女狐の言いなりだからな」

 そう言った彼の目が、あまりに険しかった。

「あ……いや、少し説明に力が入ったか」


 ハンターが慌てて取り繕ったのは、自分がおびえた顔をしたせいだと気づいて、彼の胸へ顔をうずめた。

「少し驚いただけです。ここなら安心なので続けて下さい」

「怖かった相手の胸に飛び込んでどうする」

 そう言いながらも優しく髪を撫でてくれる。


「教皇の方にはここ数年、目立った動きは無い。代わりに皇后が王家の全権力を掌握して、好き放題やっている。ご機嫌を損ねただけで即処刑らしいから、一握りの聖騎士を除いて、配下もほぼ操り人形のようなものだな」


 ナナムス国王は、皇后のどんな非道もいさめず、隣でただ座っているだけ。それでナナムス王国の意思は、すなわち皇后の意思なのだそうだ。

「アカランカとの戦争の火種も、おそらく皇后が指示したものだ」

 何かから私を守るように、背中を抱く手に力がこもった。


「……アカランカの王様はどんな人なんですか?」

 沈黙が続いたので私から質問すると、私を体から離したハンターは、もういつも通りの少し皮肉な笑みを浮かべていた。

「豪胆で覇気のある大男だ」


 簡潔な説明に、思わずくすっと笑った。

「その人のことは、気に入っているんですね」

「気に入ってるだなんて、仮にも一国の王だぞ、俺がそんな不敬なことを言うハンターに見えるか?」

 さっき仮にも一国の皇后陛下を女狐よばわりしていた気がするけど、思いません、と一応返事をしておく。

 一通り教えてもらったので、ありがとうございましたとお礼を言った。

 

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