1-6ミカイ

「知っているのか」

 顔を上げたハンターの顎の下を、踊り子のお姉さんはなまめかしい手つきで撫でて「ほんとに好みだわ」とほほ笑む。

「これ以上は、ここでは話せないなぁ」

 彼がこちらを見てきたので、黙ってうなずく。


「席をバーテンダーの前に移動させてくれ。それから、君が一番信用できる女の子を一人、彼女につけてくれ。一緒に飲んでくれればそれでいい」

 すぐに請け負った彼女に案内されて、バーテンダーの目の前の席に移動する。ハンターはすかさず「彼女を頼む」とバーテンダーにチップを握らせた。


「行きましょ! 二階にすごくいい部屋があるの」

 飛び上がって彼の腕をとったお姉さんの胸が揺れた。

「いや、一階に部屋は無いか?」

「ないわけじゃ無いけど……倉庫みたいで嫌よ」


 ふくれっ面になった踊り子さんの耳に、ハンターが何かを囁くと「いやだぁ」と彼女は黄色い声をあげた。全然嫌そうではない。

 比較的この席に近い、目立たない扉を開けて、二人は中へ消えていってしまった。




「えっ、この子のお相手? わーぉ、かわいいー」

 閉められた扉をボーっと見ていたら、目の前で手をひらひら振られた。

「こんばんはー、メイサだよ。よろしくね」

 人懐っこい笑みを浮かべた女の子が私の前のスツールに座る。彼女はいくぶん布面積の多い服を着ていた。


「ココナツジュースもあるよ、エールはまだ早いんじゃない?」

「ありがとうございます。でも、あの、飲める年なので」

 うっそだぁ、背伸びしちゃってかわいいーとメイサはケラケラ笑う。一体私はいくつくらいに見えているんだろうか。


「護衛の人、ステキすぎて姐さんにとられちゃったんでしょ。でも、わかるぅ。あんな人に守られたいし、なかされたいよねぇ」

 いや、泣かされたくはない。

「入って来た時から、キミのことをものすごーく大事にしてたからさ、姐さんの誘いも断っちゃうんじゃない? って、裏で賭けてたんだけどなぁ」

 エヘン、エヘンとバーテンダーがわざとらしい咳払いをして、メイサはいけない、と舌を出した。


「それにしても、肌白いね。北からの旅行者でしょ? ほっぺもスベスベ!」

 いつまでも私の頬を触る手が離れてくれないので、無理やり話題を変える。

「ちょっと調べていて、それを、ご存じだったようなので……」

 何を言ってるのか分からなかっただろうに、ニッコリとメイサは笑った。


「えっ、なーに? お嬢様の調べものとか、メイサも興味ある!」

 ちょっと迷って、まぁ、おとぎ話なんだからと私は口をひらいた。

「南大陸で、沼を探しています」


「沼っていえば、アレでしょ、砂漠の沼! なんだっけ、大きなアリジゴクのモンスターがいて、ヤバいところ」

「メイサ、砂漠にあるのは流砂だろ。お客様に不正確なことを言うんじゃない」

 今度はピシャリとバーテンダーが口をはさんできた。アリジゴクにはウロコが無いからヌシでも無い。これはハンターに賭けるしかないようだ。


 それからしばらくメイサのにぎやかなおしゃべりを聞いていると、ハンターが一人で戻ってくる。

「話し相手をありがとう。助かった」

 まずメイサに話しかけると、彼女も頬を染め、どういたしましてぇと今までにないしおらしさで一礼した。


「見送りもせず、何をしてるんだ」

 バーテンダーが苛立たし気に扉の方を振り返る。

「要望に応えたからな。すこし休ませてやってくれ。見送りはいらん」

 涼しい顔でハンターはそう返す。

「待たせたな。宿に戻ろう」

 はい、と応じて立ち上がる。ふわりと先ほど彼女からした甘い香りが鼻をくすぐった。




 ハセルタージャの夜は風が強い。そのせいもあってか、ほとんど外に明かりが無かった。

「何か分かりましたか?」

「ミカイというのは、単に未開の地のことらしくてな、都の北西はジャングルらしい」


 だいたい彼の左後ろで、ヒジあたりに手を置いて歩くというのが定番になりつつあった。

 住宅の並ぶ区画に公衆浴場があって、子どもが父親らしき人と手をつないで出てくるのを横目で見る。


「ジャングルになら、沼の一つや二つあるだろうと、その程度の情報だな」

「ウロコのある生き物もいるかもしれませんね」

 ピタッと止まったハンターに、今日はぶつからなかった。

「おい、ビビ。言いたいことがあるならハッキリ言え」

「何ですか、聞きたいことを聞いています」


「じゃあ、なんだその微妙な距離は」

「……いつもと同じじゃないですか」

「あと二歩前、一歩右。だいたいそこにくっついてるだろうが」

 言われた通りに移動すると、確かにそんな気もする。

 だけど、外に出てからあの甘い匂いが強くて、どうにも耐えがたいのだ。


「じゃあ、ハッキリ言います。お風呂に行きましょう。そして服も全部洗ってきてください」

「風呂? ああ、香の匂いが気になるのか。ここはまだ俺の街じゃない。安全かどうか分からないから、別行動は勘弁してくれ」

「はい、諦めます。だからこれ以上、私にも構わないでください」


 うつむいた私に「まったく、かわいげのない……」とつぶやいて、彼は再び歩き出す。いつもより二歩後ろ、一歩左の位置をキープして黙々とあとをついていった。


 宿に着くと私はベッドと窓の隙間に自分の荷物を持ち込んで、毛布を被る。

 彼も特大のため息をついたきり、それ以上何も言ってこなかった。




「お嬢さん上手よー、そうそう、馬の動きに合わせてね、いち、に、いち、に」

 早朝から貸し馬の牧場で、一人で馬に乗る練習をする。

 ハセルタージャの馬は北の馬より一回り小さく、ハンターが二人で乗りたいと言うと、とんでもないと拒否された。


 私にとってはまさに渡りに船ならぬ、渡りに馬。さっそく一人で乗る練習をさせてもらう。

 二人で乗っていたこともあってか、案外早く馬主さんから一人乗りのオーケーが出た。

「この子、穏やかでいい子だから、きっとお嬢さんの言うことききます。楽しい旅を!」


「基本的にゆっくり行く。何かあったらすぐに馬を止めて、でかい声で呼んでくれ」

「はい」

 都からしばらくは、舗装路が続いて快適だったが、次第に悪路になり、乾いた風が湿り気を帯びてくる。虫の低い羽音が時々耳をかすめた。


「この先はほとんど道が無い。行けるところまで行ったら、馬をつないで徒歩だな」

 次第にうっそうとしてくる森は、ゼシカの森と違ってツタやコケが地面を覆っていて滑りやすい。手綱さばきに神経を使ううち、自分の背中がじっとりと汗ばんできた。

 すると、前方を行くハンターからまた昨日の甘ったるい匂いが漂ってきて、すごく嫌で嫌でたまらない。


 ヴン、と今までにない大きな羽音がした瞬間、私は思い切り馬の手綱を引いた。同時に彼も気づいたらしい。馬から飛び降りて剣を抜きながら、私の方へ駆け寄ってくる。

 木のうろから、巨大なハチのモンスターが次々と現れて、周りを囲まれた時、ハンターの判断は一瞬だった。


「そこにいろ!」

 叫んで彼は駆けだす。全てのホーネットが自分を狙っていることに気づいたからだ。

 私はモタモタしながら何とか馬を降り、二人分の馬を近くの木に繋ぐ。そして、ハンターの駆けて行った方向へ走り出した。


 少し森が開けた場所に、生臭いにおいがたちこめる沼があり、そのふちでハンターはホーネットたちをバサバサと切り捨てていた。

 その数は、最初に現れたものより3倍にはふくれあがっている。同類がやられると、仲間を呼ぶ習性があるからだ。

 一匹ずつは彼にとってそんなに脅威ではないだろうが、この密林中のハチを切り殺すより先にハンターの体力が尽きるだろう。


「多分そのお香が、ハチを怒らせてる原因です!」

 沼の反対側から私が叫ぶと、険しい顔で「来るな」と怒鳴り返してくる。

「嫌だと思いますけど、沼にダイブして、ゴロゴロしてください」


 チラっと沼を見て、1匹を斬り捨てて、森のどこからか新たな2匹が追加されたことを確認したハンターは、素直に沼に飛び込んだ。

 飛び込むというほど深くもなかったようで、泥だまりをごろごろと転がる。


 すると、一瞬泥まみれのハンターに群がったホーネットたちは、戸惑うように散ってあたりを探しはじめた。

 ここで私が見つかると面倒なので、一度馬を繋いだ場所まで戻る。


 しばらくしてから沼へ戻ると、泥人形、じゃなくてハンターがぽつんと一人で座っていた。

「無事ですか?」

 沼に自分のブーツが浸らないように、ちょっと遠くから声をかける。


「これが無事に見えるか?」

「実に不衛生です。洗濯と水浴びの必要がありますね。川を探しましょう」

 歩き始めてものの数分で、ハンターは川の方角にあたりをつけた。見つけ方にコツがあるらしいから、今度聞いておかなくてはいけない。




「こっちで洗いますよ、貸して下さい」

 泥だらけの衣服が次々に置かれ、大きな岩の向こうでバシャバシャと水音がする。

「水浴びには……キツい温度だな」

 確かに洗濯をしていてもかなり手が冷たいんだから、全身浴びたらさぞかし寒いだろう。

 しばらくして荷袋をごそごそやっていたハンターは、今洗ったものとどこが違うのか分からないズボンだけを身に着けてこっちへ来た。


「ブーツが乾くまでは、密林を歩けん。馬をここへ連れて来て野営だな」

 裸足で歩く彼を見ながら、自分がもう少し大きくて力持ちなら、いつもしてもらっているように抱いて運んであげられるのになと思う。

 連れて戻った馬たちは、嬉しそうに川の水を飲んで、あたりの草を食べ始めた。


 私がかまどを整えて火をおこす間に、ハンターは大きな魚を4匹も仕留めてきてくれた。浅瀬を泳いでいる魚の頭を、剣の柄で殴って気絶させるという離れ業らしい。

 ちょうど良いおき火になっていたかまどの前に座って、たいしたものだと感心してくれる。

「森での暮らしが長いので、火おこしくらいは当然です」

 なるほどとうなずきながら、彼は手際よく木を削って串を作り、魚を炙りはじめた。


「薬師の腕を見込んだつもりが、魔物への見識も深い。ビビは普通にハンター稼業でも食っていけそうだな」

 ホーネットの習性なんてどこで学んだんだと問われたので、師匠が教えてくれたと答える。


「ゼシカ森でホーネットを誘引する薬を調合してみたこともあります。昆虫はフェロモンで異常行動をすることがあるのも、その時に知りました」

「……そうか。あの人は本当に全部の知識をあんたに継承していったんだな」


 炎を見つめながら懐かしそうに目を細めたハンターに、師匠とはどんな知り合いなのか尋ねると「そのうちにな」とはぐらかして、焼きあがった魚を渡してくれた。

 ふっくら焼けた魚にかぶりつくと、自然と笑みがこぼれる。外で食べる料理というのは、どうしてこんなに美味しいのだろうか。

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