1-5船

 静かになった路地で剣を収めたハンターは、私に向き直ると少し意外そうに眉を上げた。

「おびえているかと思ったが?」

「あざやかすぎて、危険を感じる暇もありませんでしたよ」

 いや、と言いながらこちらへ歩いてきて、彼はまだ緊張感の残るまなざしで私を見下ろす。


「俺におびえているかと。薬師殿は案外、図太いな」

「それ、褒めていますか?」

「うっかり修羅場に立ち会わせると、縁の切れる女の方が多いんだ」

 答えになっているような、なっていないような返答で誤魔化した彼は、路地を抜けてまた大通りへ戻る。その歩調は、いつもより少し早かった。




 まだ日も高いというのに、屋台からエールを買って広場へ移動する。

 噴水前のベンチに座ると、彼はエールをグッとあおり、しばらくそのまま海を見つめていた。花壇にはよく手入れされた花がゆれている。


「今後も、こういうことがあるかもしれん」

 ようやくポツリと漏らした声に、はいと返事を返す。

「仕事を選ばずやってきたツケだな。殺しもしたし、禁制品も流した。俺を恨んでいる人間は、両手じゃ足りないくらいいる」


 その言葉にうなずくには、目にしてきた町の人たちが彼に好意的すぎた。

 恨まれている数より、尊敬され、愛されている人の数の方が、はるかに多いんじゃないだろうか。

 でも、あまりに彼が思いつめたような目でうつむくから、私の思いはうまく言葉にできなかった。


「ゼシカの森からあんたをかっさらってきておいて何だが、俺を旅の相棒にするには……」

 ハンターは自分の右の手のひらを見つめて、それから強く握りしめる。

「少しこの手が汚れすぎていた。人殺しの手だ」

「……」


 長い沈黙の後で、彼以外に聞かれるわけにはいかない話をしようと決めた。

 限界まで身を寄せると、ハンターの体が少しこわばるのが分かる。

 マントの中で、彼いわく「人殺しの手」をつかまえて、私は囁いた。

「薬師も人を殺します」

 ぴく、と指先が動く。


「前の花壇を見てください、小さな赤い花がありますね。あの花を材料にした薬を教会に百本納品したことがあります。去年の夏のことです」

 彼にはすぐに思い当たる出来事があったのだろう、ようやく私と目が合った。


「私はあの薬が何に使われたか知りません。ですが、あれが一本で確実に人を死に至らしめることを知っています」

 否定するように彼は首を横に振ってくれたが、私は目を閉じて終いまで言った。

「分かっていて、人を殺しました」


 作らなければ殺すと言われて、作ったのは確実に誰かが死ぬ薬。

 納品の後で涙が枯れるほど泣いて、ずっと悪夢にうなされた。体重が落ちすぎて一時期はベッドから起き上がることもできなくなった。

 だけどそれだけだ。結局、私はしぶとく生きている。


「だから私の手の方が、あなたよりずっと汚れているのだと思います」

 手を離そうとすると、ギュッとつかまえてくれたから、嬉しくて少し笑う。


「卑怯だぞ、ビビ」

 恨めしそうにハンターは言った。

「言い始めたのはあなたですよ。さっきの続きは何ですか? 自分が相棒にふさわしくないみたいだからと、私をこの町に放り投げていく気ですか?」

 畳みかけるように言うと、彼は眉をしかめて、残りのエールを一気飲みした。


「……分かった。もうあんたを普通の女だと思うのはやめる。調子が狂うなんてもんじゃない」

「何ですか、その宣言」

 口元をぐいっとぬぐったハンターは、港を見下ろして、そこに停泊している船を指さした。


「予定変更だ。今夜あれに乗る。南大陸に渡って、沼地のヌシのウロコを探すぞ」

 何からの予定変更なのか分からないが、旅を続けてくれるなら、どんな行先だって大歓迎だ。 


 そうして私たちは、一度宿に戻って旅用の服に着替える。

 ごちそうの仕込みを始めようとしていた主人に、涙ながらに引き留められつつも、必ずまた寄るからとワンピースを預けて、船に乗り込んだ。




「そんなに気に入ったのか。もっと買ってくれば良かった」

 部屋に戻ったハンターにそう言われて視線を落とすと、自分の膝にカケラがいくつも散らばっていて赤面した。

「一度だけ師匠がどこからかもらってきてくれて、食べたことがあったんです。何というものですか」

「ビスケットだ。その胡桃屋くるみやのは特に人気だぞ。退屈な船旅の供にしてくれ」


 一等室と呼ばれるここは、四方に壁があって、入り口には目隠し布が下がっている。

 ただ、上の方は空いているので、他の乗客たちの声が聞こえてくる。もちろん、こちらの声も聞こえるということだ。

「本当はゴナ……あったんだが」

「えっ?」


 彼の声が聞こえなかったので、すぐ傍まで近づく。

 隣の大部屋で酒盛りをしているらしく、酔客の声がにぎやかすぎて、こちらが抑えた声で話すとお互い聞き取れないのだ。


 試行錯誤の結果、彼が壁に背中を預けて座り、私がその足の間におさまるというスタイルが一番良いことが分かった。

「良くはないぞ」

 いや。海上に出てからうっすら寒い気もするし、これならポカポカで良い事づくめだ。


「おとぎ話の旅の始まりですね」

「あんたはおとぎ話と言うがな、4つの材料のうち3つまでは場所がハッキリしているだろう」

 氷河雪ナマズは、アカランカの永久凍土。ドラゴンの棲家すみかは、ナナムスの南の死の山。どれもちゃんと頭の中の地図で覚えている。


「そして大鍾乳洞は、さっきまでいたゴナスの街の東海岸にある」

 びっくりして目を見開いた私に、ハンターはため息で返事をする。

「本当はゴナスで十分休んでから、鍾乳洞を先に探索するつもりだったんだ。街から馬で2時間くらいだし、さらに近い場所に村もある」

「何で先に船に乗ったんですか」

 私の問いに、間髪入れず「わからん」と彼は言った。


「よく分からんが、とりあえずあの街に居たくなかった。あんたがいたたまれなくなるような事を言うからだぞ」

 自分が先に言い出したんだから、人のせいにしないでほしい。

 まぁ、それは別にしても「この場所は嫌だ」と感じる場所からは離れた方がいい。それは、森での生活でも一番大事にしていた感覚だ。


「3つまでは分かってるってことは、最後の1つは分かってないんですよね?」

「女神は3つの宝を北に、1つだけを南に隠しましたとさ、って聞いたことがあるだろう」

「それをおとぎ話って言うんですよ」

 あきれた、と思ったのが声に出た。


「詳しいことはハセルタージャで聞き込みすればいい。どのみち逃避行の身だ」

「……もう、教会は私を追っているんですね」

 口を滑らせたのを自覚したのだろう、彼は少し咳払いをした。

「案外早かったな。俺たちが2日目に穴熊酒場に寄った時にはすでに動き始めていた」


 それであの後は、走りどおしだったのだなと思った。捕まったらどうなるんだろう、彼も罪に問われるんだろうか。

「心配するな。さすがに南大陸までは追ってこない」

 優しい声が背中を包んでくれる。

 おとぎ話が、一日でも長く私たちに旅をさせてくれたらいいのに。そう思わずにいられなかった。



 

 船は半島の先端に近い小さな港町に停泊した。

 この先の海峡は岩礁が多く、水深が浅い。新月や満月で大潮になる時は、干潮時を避けて航行しなければいけないので、この町で時間の調節をするのだとハンターが教えてくれる。


 そういえば師匠が人の身体にも月の満ち欠けが影響する、と言っていたことがある。満月の日にはお産が多いんだそうだ。

 岸壁に刻まれた印を指して、ここからここまで一日のうちに水位が変わるんだ、と言われれば、この星の壮大な呼吸を目の当たりにしたような気分になる。


 私が感心している間に、彼は船に弁当を売りに来た少年を呼び寄せると、駄賃と一緒に手紙を託した。

 やっぱり南大陸に渡ることにしたよという手紙だろうか。セブカントの町からずっと追いかけてきてくれている人がいるなら、かなり申し訳ないことだ。


 再び出航すると、今までとはくらべものにならないくらい船が揺れた。

「これが外海の潮の流れだ。朝にはハセルタージャに着くから頑張れ」

 この気持ち悪さは、どの薬の副作用と似ているだろうかなんて考えていると、私が返事もできないと思ったのか気遣わしげな手のひらが、背中をさすってくれる。

 気持ちがいいから、そのまま甘えることにした。




「あつい……」

 船を降りると、強烈な日差しに顔をしかめた。ほんの3日の船旅だったのに、照り付ける太陽の強さがまるで別物だ。

「フードを被っておけ。直接日光を頭に当てないほうがいい」

「これは、脱水にも注意ですね」


 港から石組みの階段を登っていくと、ハセルタージャの都が見えてきた。砂色の石畳がまっすぐに敷かれ、その先に豪華な建物がでんと構えている。

「あれが王宮だ。ハセルタージャ5世だかが住んでる。またデカくなった気がするな」

 彼の言葉通り、この都は今まさに拡大中といった様子で、あっちもこっちもやぐらが組まれていたり、レンガが積まれている最中だったりする。


「まずは宿を取って拠点にするか。もういちいち聞かんぞ、一部屋にするからな」

 もうあんたを普通の女だと思うのはやめる、と宣言したのはこういうことだろうか。

 望むところだ。船でべったりくっついて寝たおかげで、もう座ってようが、転がってようが、ぐっすり眠れる気しかしない。


 日中は露店を周りながら情報収集にいそしんだが、思わしい成果はない。そもそもこの南大陸において「沼地」自体に、みんな首を傾げてしまうのだ。

 乾いた風が、サラサラの砂を運んでくる。都より南は広大な砂漠が広がっているというこの大陸に、沼なんてあるのだろうか。




 夜を待って酒場に行くと、踊り子のお姉さんたちがいた。褐色の肌に金の紐みたいな衣装がよく映える。

「あら、素敵な方。お名前を教えてくださいな」

「そうだな、マークと呼んでくれ」

 今、新しい偽名が産まれた瞬間を目撃したかもしれない。


「マーク、ねぇ、ちょっとだけ休んでいく?」

 ハンターにすり寄る踊り子のお姉さんから、甘い香りがした。

 それにしてもこの人は、本当にモテる。どの街でも女性に声をかけられている気がする。

「残念だが、護衛任務中でな、彼女から目を離せない」

「この店に危ないことなんてないわ。お嬢ちゃんも、少しの間だから待ってられるわよね?」


 私が答えに窮していると、ハンターが間に入ってくれた。

「南大陸に沼地があると聞いてきたんだが、何か知らないか?」

 ん? とかわいらしく小首を傾げたあとで、彼女は「ミカイのことかしら」とつぶやいた。

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