1-4港街ゴナス

 世界地図は、鳥が左の翼を撃ち砕かれたような姿をしていた。

 無事な右羽根が私たちの住む大陸で、上下に二つに別れている。


「この二つの大陸は、単に北大陸と南大陸と呼んでる。で、俺たちが住んでいるのは北大陸の方だな」


 北大陸は、雨傘のような形をしていた。彼はフォークでお行儀悪く壁の地図を指し示す。

「大雑把に言えば、傘の右半分がナナムス王国、左半分がアカランカ王国、で、柄の部分に当たるのがネジバロだ」


 ネジバロは商人連合の呼び名のようなもので、細長い半島一帯を指すが、特に長や王のいるようなものではないらしい。

「金次第で、ナナムスともアカランカとも、もちろん南の大陸のハセルタージャとも商売をする」


「おや、お嬢さん。朝食を取りながら地理の勉強とは精がでますね」

 卵料理を運んできてくれた宿の主人に言われて、地図を見上げたままポカンと開けていた口をあわててしめる。


「昨晩はさぞお疲れでしょうに、いや、若い人は疲れなんか残らないのかな」

「……ちょっと足がだるいくらいで、元気です」

「もう、ミハイルのダンナ! こんなかわいい子と!」

 やり取りを嫌そうに聞いていたハンターは、ハエを払うように手を振った。

「どっちも余計なことを言わんでいい。それより航路図があっただろう? あれを貸してくれ」

 はいはいともみ手をしながら引っ込んだ主人は、すぐに丸めた大きな紙を持ってきてくれた。


 広げると、より詳細な北大陸全図と、南大陸の上半分が描かれている。ハンターは何か説明したそうにしているのだが、主人がテーブルから離れない。

「ここが……いや、この町のことは、街で一番上等な宿の主人に説明してもらうほうがいいだろう」


 持ち上げられた男は、嬉しそうに腹をふるわせて話しはじめる。

 その時、私の視線の先でハンターの指先が素早く地図を二度叩いた。


「では、僭越せんえつながら。ここはネジバロ最大の町、港街ゴナスでございます。南北大陸全ての品が、この町で取引されていると言っても、大げさではありませんぞ」

 話はたいして頭に入って来ない。さっきのが「地図を覚えろ」という合図だとすると、今は記憶する事に全力を傾けるべきだからだ。


「宝飾品や流行の服には事欠きませんし、麗しのロヴァの内海を眺めながら食事ができる店もたくさんあります、きっとお嬢様のお心を癒してくれることでしょう。そして、滞在中のお泊りはぜひ『海猫亭へ』と、こんなものでいかがでしょうかね」

「助かった。さ、ではお嬢様、主人推薦の店でも回るとしましょうか」

 もう少しだけ、と地図にかじりつく私を、いやはや勉強熱心なお嬢さんだと主人は褒めてくれた。




「俺たちはゼシカの森を出たあと、ほぼ真南に進んできた。地図でナナムスとアカランカの境に森があったのを思い出せるか? あれがあんたが住んでいた森だ」

「あれがそうでしたか。案外小さな森だったんですね。ふもとの村がカノ鉱山に隣接しているからカノ村だったこともさっき知りました」


 混雑する道で人をよけながら歩くのが難しい。どうやってこんなに大勢がぶつからずに歩き回っているんだろう。


「南に進んだということは、最初に泊まった町がセブカントで、少しだけ立ち寄ったのがモニタですか? わっ」

 前を歩くハンターが急に止まったので、背中に鼻をぶつけた。さりげなく横に来て私の肩を抱いたハンターは、声をひそめる。


「まさかとは思うが、地図を全部暗記したのか」

「いたた……そんなはずないでしょう。でもあの合図って地図を覚えろってことだったんじゃないんですか?」


 今日はお嬢様とその護衛という設定なのか、彼は宿で借りた光沢のある黒いマントを羽織っていた。

 それがまた妙に似合っているものだから、すれ違う女性たちがみんな振り返っている気がするし、時々ミハイル! と呼び止められたりもする。


「合図に気づいただけでも上出来だが、なんだ、たまたまそこばかり見ていたのか?」

「大事そうなところはちゃんと見てきたつもりですよ」




 宝飾店のショーケースを前に、店員さんからは指が重くなるほど指輪をはめられ、ハンターからはアカランカの一番西端の村の名前が分かるかとか、ナナムス南方の大河は何だとかクイズを出される。


「分かりません、知りません……あと、ごめんなさい、これは要りません」

 そっと宝石をお返しして、ハンターの腕を引っ張って店を出る。

「気に入ったのが無かったか?」

「はい、指輪はガラス瓶を傷つけるし、薬品と反応する宝石もあるので危険です。そしてクイズを出すのをやめてください」


 それは悪かったと、全然悪びれてない顔で言うと、彼は再び町を歩きだす。

 いくつかの露店に顔を出して、店主と何やら小声で話をし、買い物をせずにいくらか渡すこともある。


 分かるのは今まで通過したどの町でも、彼はよく知り、よく知られているということ。ネジバロの勢力内の町や村では、どこでもそうなのだろうか。




 昼食は宿の主人が言った通り、海が見えるテラス席で魚料理をいただいた。

 ここでも彼は、昨日エールを片手に手づかみで肉をほおばっていたとは思えないほど洗練された仕草で、魚を切り分けて口に運んでいる。

 私は早々に皿の料理をあきらめて、焼きたてのパンをおかわりした。


 レストランより2本くらい通りを下がると、潮の香りが強くなり、急に街並みがごちゃついてくる。

「すまないが俺の買い物に一軒つきあってくれ」

 珍しくハンターはそう断ってから露店の前に足を止めた。


 古ぼけた敷物の上に、これまた古ぼけた甲冑やらすね当てやらが乱雑に置いてある。

 背の高いツボにはサビの浮いた剣が何本もまとめて突っ込まれていた。

「ダンナみたいなお人に勧められるようなものは扱ってませんぜ」

 商品を見ていたハンターの前に店主が立ちふさがる。


「いや、食い詰めの傭兵だ。見てくれ、上っ張りだけ借りもんだ」

 宿のマントを開いて使い込まれたベストを見せると、店の主人は後ろに控えていた私をチラリと見て「そうか、あんたも苦労人だな」とつぶやいてよけてくれた。


「何を探しているんですか」

「どれでも銀貨一枚」という適当な値札が掲げられた一角で、しゃがみ込んで熱心に何か探しているハンターに声をかける。

「とりあえずの胸当てが欲しい。前のを修理に出しているが、まだ届きそうもないからな」


「胸当てって、あの、革の?」

「そう、あんたが見事にベルトを切ってくれたやつだ」

 二ッと笑ってまた、別の革鎧を手に取る。

 あれは、私は悪くない。百人の薬師に聞いたら、百人とも切るに決まってる。


「聖騎士団やら、アカランカの軍用品やらの払い下げなんだが、たまにマシなものもある」

「なるほど、これなんか良さそうですけど」

 ひしゃげた盾の下敷きになっていたその革鎧を引っ張り出す。叩くともうもうとホコリが舞った。


「げほ、お嬢様もなかなかの目利きですな」

 咳き込みながら彼は一応という素振りで胸当てを受け取った。その時微かに、シャリと音が鳴って、露店の主人とハンターは二人は顔を見合わせる。


「これ……皮の下にリザードのウロコが貼られてないか?」

「マジか、外側からは全く分からんぞ」

 ひっくり返したり振ってみたりして、それがただの革鎧ではないことを確認している。


「で、どれでも均一価格だよな?」 

 男の手のひらに銀貨一枚を乗せて、あくどい顔でハンターは言う。

「ダンナ! それはないぜ。胸当てとはいえリザードのスケイルだぞ」

 悲鳴をあげた店主の手のひらに、私はもう一枚銀貨をのせた。二人から同時にじっと見られたので、ハンターの背中へ逃げ込む。


「ハァ、仕方ねぇな。お嬢様の目利きにやられたってことで、勉強させてもらうよ」

「それは助かる。ついでに何か拭くものを貸してくれ」

 丁寧に拭き上げてハンターが身に着けると、それなりに立派な胸当てだった。

「いい買い物をした」とハンターと店主は握手を交わして、私たちは露店を後にする。




「しがないハンターに、上等な鎧をどうも」

 店から離れて人通りの少ない路地へ入ってから、ハンターは私に銀貨を渡そうとしてきた。

「いりません、その胸当ての半分だけですけど、贈り物のお礼です」


 贈り物? と返ししてきた彼が、本当に思い当たらないという顔をしているからブーツに視線を向ける。今日は私は履いてこられなかったから残念だ。


「あの靴のお礼です」

 ハンターが何も言わないので、見上げると、何とも言い難い複雑な表情でこちらを見ていた。


「もちろんこれで全部返せたと思ってるわけではないですから、それは心配しないでください。持ち合わせが無くて……」

「いや、いいんだ。全部返そうなんて思わんでくれ」


 不意にトン、と壁際に押されてよろめいた。ハンターの気配がピンと張りつめていく。

 こっちだという怒声とともに、たくさんの足音が迫って来た時には、既に彼はマントの下で剣を抜いて、私を後ろ手にかばっていた。


「キサマ、俺のかわいい弟を殺っておいて、よくものうのうと戻ってこれたもんだな!」

 息を切らしたガラの悪い男たちが6人、路地の入り口をふさぐように立ちはだかった。

「その前にオマエの弟が、何人の女を殺した? 釣りが来るだろう」

 聞いたことの無い冷たい声でハンターは言い捨てる。


「あんな商売女、何人死んだところで誰も構うかよ! キサマこそ女連れで歩いてるなんて余裕だな。やっちまえ」

 最初にダガーを振りかぶって走ってきた1人は、ハンターの手刀であっさりと沈み、もう1人もスネを蹴られてうずくまった。


「バカ、女の方を狙うんだ」

 別の二人が走って来た時、今度ははっきりとハンターから殺気がほとばしるのを感じた。

 私の目には彼がくるりと一回転したようにしか見えなかったのに、一人は肩を、もう一人は腹を抑えてひぃひぃ言いながら血まみれで後ずさりする。


「確かに、町の害虫が何匹か減ろうが、誰も構わんだろうな」

 ハンターが抜き身の剣を手にゆっくりと前へ進むと、さっきスネを蹴られただけの男は、歯の根が合わないほど震えていた。

「金にならない殺しは気が進まんが、彼女を傷つけると言うなら仕方ないな。死ぬか?」


「お、俺は降りるぜ、こんなに強いなんて聞いてねぇよ!」

 散り散りに逃げていく男たちに、統領格の男は「おい待てよ」と手を伸ばし、誰も戻ってこないことが分かると、忌々し気に路地へ向き直って叫んだ。

「くっそ、覚えておけよ!」


 捨て台詞を吐いたはずの相手が、何故か自分の真後ろに立って襟首をつかんでいることに気づいた男は、声も出せずに冷や汗を流した。


「いいや、悠長な事を言わずに選んでくれ。この場で死ぬか、金輪際俺に関わらないか、どっちにする?」

 ハンターの低い声に、男は過呼吸になりながら言葉を紡いだ。

「こ、金輪際、関わりません」

 賢明だなと言って手を離すと、男は四つん這いで逃げていった。

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