2-7地図

 翌日から朝食と共に火茶ひちゃを飲みながら、コニーとその日の予定を話すようになった。

 彼女が宿代を取らないという代わりに、家事や畑の手入れを手伝わせてもらう。


 油が持ち込める量と私の体力から考えて、一日に洞窟を探索できるのは最大3時間ほど。朝でも夜でも変わらず真っ暗な場所へ行くのだから、私たちの予定の方が動かしやすい。

 今日は午前の晴れ間を狙って、シーツを洗って干す。そしてコニーにも同行してもらって洞窟へ向かった。




 その次の日は早朝からハンターに畑の植え替えを任せて、コニーと二人で野菜の収穫をしていた。

 学校の前に姿を現した雑貨屋のご主人に、一瞬クワを置いて警戒したハンターも、顔見知りだと気づくと作業を再開する。


 二人で門の前まで走っていって、両手が泥だらけだったコニーに代わって食事の差し入れと、彼女宛の小包みを受け取る。

「きっと火茶ですね、ハリス様が送ってくださったんだわ」

 嬉しそうにコニーは言った後で、きっと薬の依頼も入っているから、明日からしばらくは一緒に行けませんと今度はシュンとしてしまった。


「必要なものがあったら、私たちが採ってきましょうか」

「いえいえ、採取も含めて、薬師にしかできないことですから」

 コニーは明るく申し出を断って、今日はスープを作るのも手伝ってくれますかと言い、私は腕まくりして、まかせてくださいと請け負った。




「あの、やはりコニーさんに、私が薬師だと言うのは危険でしょうか」

 探索を終えて帰途につきながら、私はポツリとハンターに尋ねた。彼は、すでに予想していたという顔で軽くため息をつく。

「危険か安全かで言えば、危険だ」

 はっきりとハンターは言う。

「教会にバレたら、あんた自身はもちろん、知らずにかくまっていたことになるコニーにも迷惑がかかる」

「はい……」


 獣道から出ようとしていた私は、ハンターに急に腕を引っ張られて森の奥へ逆戻りする。

 木陰の下まで進んだ彼は倒木に腰かけて、私を手招いた。前に立って静かな目で見つめられると、自分がどれだけ愚かなことを言ったのかよく分かる。

「ごめんなさい」

 私が言うと、ハンターは首をふる。

「理屈じゃないことは分かる。謝るな」


 情けない気持ちで結局彼の腕におさまる。どうして飲み込んでおけなかったのだろう、浅はかで、私は弱い。

「また何か余計なことを考えてるな。あんたを寝不足にさせると、ロクなことがないんだ」

 今から2時間昼寝だ、俺も寝ると宣言してハンターは目を閉じた。

 まだ明るい吹きっさらしの森で、それでもこの腕の中より寝心地がいい場所は無い。




 数日間の探索の結果を、街から持ち込んだ紙とインクで地図に起こす。

「この先も確か、天井が低くて這わないと進めませんね」

ハンターが描いた地図に、コニーの知識も織り込めば、いかに私たちの挑もうとしている場所が巨大で入り組んでいるのか分かった。


「さすがは大鍾乳洞。お嬢様、これは長くなりますよ」

「私はいつまでいてくださっても構いませんよ」

 コニーはにっこりと笑ってそう言ってくれる。




 眠れない夜を読書に当てるのは、とても有意義で、ゼシカの森には生えていなかった薬草の知識がだいぶ増えた。


 「鍾乳洞の生態」の方は洞窟内部に生息する生き物の調査記録で、かなり歩き回ったつもりだけど、書かれている生き物を一つも見たことが無かった。

 時々頭を掠めるように飛ぶケイブバットも、サッと飛び去ってしまうので影しか見たことがない。


 甲殻種や水棲生物。ネズミやモグラなどの哺乳類。モンスターに分類されるケイブマンティス、ケイブアリゲーター。

 どの生き物の最後にも「光を嫌い、脅威は無い」と書かれているから、ランプの光を向ける時には、逃げてしまっているのだろう。

 

 実際、何か生き物の気配に怖いと思うことは無かった。

 寝不足が続いていつもより頭がぼんやりしているから、暗闇に危険な生き物が居ないというだけで、とても助かる。




 コニーの手伝いと、洞窟の探索と、帰り道の昼寝。このセットを繰り返しながら、地図を少しずつ書き足していく。

 歩ける範囲はほとんど歩き尽くしても、目当ての素材らしきものは全く見当たらない。

 七色の涙というものが、どのくらいの大きさで、どんな形なのかも知らずに暗闇をさまよっているのだから無理もない話しではある。




「ここを渡るなら、頭まで水に浸かる必要がありますよ」

 最後に残ったのは、目下最大の難所である深い水場だった。天井からの岩が水面すれすれまで伸びていて、ゆるやかに流れのある水は底が見えないほど深い。

 その奥にも少しの空間が広がっていることは分かるけれど、向こうへ行くにはコニーが言う通り全身水に浸かって、天井からの岩をかわすしかない。


 ランプを貸してくれとコニーに頼んだハンターは、彼女のランプの油の残量を確認してから返却する。

「俺一人で、ランプを持って向こうに渡れるか試したい。彼女を頼めるか」

「もちろんです」とコニーは胸をたたく。コニーが一緒に来てくれる時には、こうして少しの間、単独で探索することがあった。


 ハンターは上着とベストを脱いで水に入り、一息で向こうへすり抜ける。ランプは彼の頭が水に全部浸かったあたりで消えてしまった。

 岩の向こうで青白い光が灯り、少しそれが動き回ると、あっさりと彼は戻ってくる。

「大して広くもないが、下から水の流れる音がする。前に降りられなかった滝と繋がっているかもしれん」


 だが、と彼は自分のランプを差し出した。

「この通り、芯が濡れて向こうに渡った後の明かりが無くなる」

 シャツを脱いで、その場でジャっと絞ったハンターに、コニーがあっちでやって下さいと悲鳴を上げた。




 学校に戻って、地図を見ながらもう探すのはここしか無いとハンターとうなずき合った。

「お嬢様の調査って、そんなに危険な場所まで行かなきゃならないものですか? もう、こんなに地図も描けたじゃありませんか」

 心配そうなコニーに、あの先を見たらもう完成でも問題なさそうだとハンターは言う。さすがにお嬢様の研究目的で押し通るには、冒険がハードになりすぎるのだろう。


 水に浸かって冷えただろうと、今日もコニーは火茶を持ってきてくれた。それとは別に細長い箱も持っている。

「それなら……ロウソクをお使いになりますか?」

「その手があったか!」

 私が火茶のスパイシーな香りに包まれていると、彼は嬉しそうに箱を開け、祭りの時に使うのだという立派なロウソクを取り出した。


「油紙に包んで、一番濡れにくいところに入れれば向こう側でも火がつけられると思います。でも時間はこの2本で1時間あるかないかですよ」

「それだけあれば方針が決まるくらいは見てこれる。助かった」


 大事そうにロウソクを箱にしまったハンターは、礼を言って支度をはじめる。

 コニーはロウソクを入れて持ち歩きやすいようにと、風防のある燭台も貸してくれた。


「あ、でも3日後に大量の薬の納品があるので、その後でないと私は一緒に行けません」

「コニーも忙しいな、大量ってことは教会で引き取りに来るのか?」

 ロープを確認している素振りで、ハンターは探りを入れる。

「ええ、久々に牧師様もお見えになると手紙に書いてありました」


 そうか、と彼はまるで気にしていないように返事をして、荷袋の口を閉める。

「まずは明日にでも二人で行ってみる。その先もまだ進めそうなら、あらためて街にロウソクを買いに行く必要があるしな」

「じゃあ、早めに片付けてお休みになったほうがいいですね」

 

「明日だな」

「はい」

コニーがカップを洗っている間に、小さく囁きあって、私たちは寝床に別れた。




「お嬢様は絶対に水に入ったりしないで下さいよ? ほんとに冷たいんですからね」

 何度も念押しされて、いつもの倍は濃い火茶をいれてもらい、私たちは洞窟へ向かった。

 

 鍾乳洞に向かう獣道にさしかかったあたりで、今日は私が先回りして言う。

「私は泳げますから、置いていかないで下さいね」

「言うと思ったが、あんたはその白いシャツが濡れたらどうなるか知らんのか?」

「冷たくなります」

「……まぁ、身をもって知るのも勉強だな」


 油を節約するために、最短最速の道を選び、深い水場の前まで到達する。

「水に入る前に、今日はランプを消して上着で包んで渡ってみる。完全に暗くなるし、水はかなり冷たい、絶対に俺の手を離すな」


 全ての荷物をもう一度確認して、先にハンターが水に入り、その手を頼りに私も水に浸かった。服は一気に冷水を吸い、底にかなり早い流れがある。

「息を吸って、いくぞ」

 彼の合図で頭を下げ、岸辺の岩を蹴る。自分で泳いだというよりは、引っ張ってもらっただけで向こう側に出たらしかった。


 上下もわからなくなりそうな暗闇の中で、ザブザブと水をかきわける音がする。

「そろそろ足がつく、よし、いいぞ先に上がれ」

 彼の言う通り、足元に岩の感触があり、まもなく水から上がることができた。コニーが暗視ができるのがすごいと言っていたけど、本当にすごい。


 彼が手のひらに炎を灯すと、小さく辺りが照らされた。

 水辺から少し離れて、上着に包んで運んだランプを取り出すが、ほやの中に水が溜まっていた。水を捨てて、一応試すがやはり火は点かない。


「ここまでは織り込み済みだ。燭台を貸してくれ」

 ハンターが油紙に厳重に包んだロウソクを取り出していると、後ろから冷たい空気が流れてきて体がゾクっと震えた。


「やはり、下から空気の流れがあるな」

 ロウソクが灯され、ハンターは慎重に足元を照らす。水辺から見て奥方向に、岩壁が途切れている部分があった。

 足元がもろいかもしれないから、自分の踏んだ岩をついてくるようにと彼は言う。ハンターの袖から滴った水が私の手を濡らした。


「深い……」

 のぞき込んだつぶやきが、闇に吸い込まれる。ロウソクの光では見通すことができないほど、広大な深淵が広がっていた。ところどころに光ゴケが生えているのか、そこだけボヤっと光っている。


 小石を真下に落としたハンターは耳を澄まして「下は水だ。深いな」とつぶやく。

「ロープを結べる岩を探す。いまのうちに一度シャツを絞るといくらかマシだが……」

 あんたから目を離すわけにもいかん、どうする? と、彼がからかうように笑っても何か反応する気にならない。

 ジジ、とゆらぐロウソクの炎、ずっと耳鳴りがしているのが気持ち悪い。

 

 私がその「何か」に気づくより前に、ハンターは剣を抜いた。

「……壁から離れて、頭を低く」

  

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