2-8巣

 壁の窪みから、ボタボタと落ちてきた白い塊は、地面に着くと脚を開き、特徴的な鎌を高く掲げた。

「なんだ? マンティスの亜種か。クソ、何匹いる!」

 ロウソクの炎を近づけても恐れる様子も無く、じりじりと迫ってくる。


 ハンターの腰の高さほどもある体高、小さな頭には退化した目。真っ白な腹と背はブヨブヨとしているのに、両手の鎌だけが異様に鋭い。

 そのうち一匹がハンターに向かって飛び掛かって来たのを合図に、数えきれないカマキリの群れが私たちを襲った。


 背後に私をかばい、片手に持った燭台の炎を消さないように、暗闇からの襲撃をかわして反撃する。

 ハンターの正確な太刀筋に、足を切り飛ばされたマンティスがひっくり返っても、その上を踏み越えて次の個体がやってくる。


 ケイブマンティスは、光を嫌うんじゃなかったのだろうか。

 彼の邪魔にならないように、頭を低くしていることしかできない私は、本の知識が役立たなかったことにも混乱する。


「ここは、こいつらの巣だ」

 息を切らす彼の背中が熱い。闘気が湯気になって立ち上るようだった。

 それでも、あらゆるハンデを背負って戦うハンターと、洞窟の壁も使って跳躍してくるモンスターの優位差は縮まらない。

 少しずつ私たちは崖の方向へ押されはじめた。


 また一歩、大きな岩に向かって片足を下げた時、私のかかとを白い脚が捕らえた。

「あっ……」

 バランスが崩れて、後ろへ倒れそうになる。ケイブマンティスの退化して濁った目が、捕食者の笑みで私を見つめた。


「ビビ!」

 明かりが遠くなり、ガシャンと音が聞こえ、二の腕が強くつかまれた。目の前のカマキリは、ハンターの剣で両断されて中からブクブクと体液をこぼす。


 必死で体勢を立て直して、ハンターの方へ向き直ると、何故か彼は驚いたような顔をして自分の胸に手を当てていた。

「っ……はっ」

 次の瞬間、鮮血が口から溢れ、今度はそっちを抑えようと、彼は胸から手を離す。

 

 真っ赤に染まった胸当てから、白い鎌の先が生えていた。

 

 あまりの衝撃に呼吸もできずに立ち尽くす。

 眉をしかめた彼は、剣を握りしめると、後ろを見ずに自分の背後に振った。

 ギ、と鳴き声のような音を出して、片方の鎌を切り落とされたケイブマンティスが後ろに下がる。


 今まで周りを取り囲んでいたカマキリの群れは、さっきハンターが投げた後も消えなかったロウソクに集まりはじめた。


「後ろに気を付けて、もう少し……下がれ。ランプを」

 ザックからランプを取り出すと、彼は油を撒けと言い、その後で激しく咳き込んだ。

 自分たちとカマキリの間を隔てるように、半円を描いて油を撒く。手が震えて、ランプと持ち手がガチャガチャ音を立ててしまう。

 ケイブマンティスはこちらへ顔を向け、首を傾げた後でまたロウソクを見つめた。


「お嬢様! どこですか!」

 その時、洞窟内にコニーの声が反響して、私は必死で声を張り上げた。

「コニーさん! ここです! ハンターさんがケイブマンティスにやられて……っ、手を貸してください!」

 むこうの空洞を走る足音が聞こえる。


「ハンターさんがやられたんですか!」

「鎌が胸を、貫通してっ……」

 遠いロウソクの炎にぼんやりとしか見えない彼の姿。

 背中から刺さった鎌は彼の体に埋まったままで、胸から飛び出した切っ先からポタポタと血がしたたり落ち続けている。

 ビビ、と囁いた彼は私にもたれるように身を寄せた。


「よかった。ちゃんとハンターだけをカマキリが始末してくれたんですね」

 岩を隔てて、多分彼女はすぐ向こう側に立っている。

「もう、お嬢様はむこうに渡らないで下さいって言ったのに。こっちへ戻ってこれますか? 一緒に帰りましょう」


「しまつ……?」

 頭が割れそうだ。ロウソクのゆらめきと同じ速さで、ズキンズキンとこめかみが脈打つ。

「危ないからロウソクを消してください。そのロウが溶ける匂いでカマキリが誘われるんです」

 そっちへ行きますからね、と彼女は明るく言って水の音がした。

「分かってて、これを私たちに? どうして?」

 ずぶぬれのコニーが岸に上がる。ハンターの腕が私を守るように回された。


「どうしてって、そんなの私が聞きたいですよ。薬師がどうして、そんな綺麗な服を着て、ハンターに大事に守られて、自由な生活をしてるんです?」

 まだ立ってるなんてほんとにすごいハンターですねとほほ笑んだコニーは、知らない人のようだった。


「最初は信じられなかったけど、煮立てちゃいけない薬草をお嬢様が知ってるはずないし、火茶を飲んで耳がボワっとするのは薬師だけなんですって」

 一歩こちらに進んだコニーに、ハンターは来るなと警告したかったのだろう。声にならずに、咳き込む音だけが反響した。


「薬師だって教えてくれたら、その人の命まではとらなかったのに」

 暗い声で彼女はつぶやいて、またパッと明るい笑顔に戻った。

「でも牧師様は許して下さいますよ。とっても優しいんです。一緒に謝ってあげますから、さ、行きましょう」


 彼女が歩いてくると、ハンターは手のひらから炎を地面に移した。ボっと油の線を伝って火の輪ができる。

 急に明るくなった洞窟で、コニーは一瞬目をかばい、ケイブマンティスたちは驚いて鎌をふりあげた。

 一歩ずつハンターに引かれて後退すると、深淵は足元で大きな口をあけていた。


「まさか……道連れにしようって言うの? 待ちなさい!」

 二匹の白いカマキリが、いきり立って飛び掛かって来る。私たちは後ろに倒れるように、闇の中へ身を躍らせた。




 空中で私の頭を抱えて、彼が着水の体勢を整える。それでもドフッと鈍い音がして、首と肩に強い衝撃がはしった。

 力を失った彼の腕をつかみ、ぼんやり光るものを目印に、冷たく暗い水の中で必死にもがく。水面に顔が出ると、光ゴケの明かりだった。

 何度も水中へ潜って、浮力を助けに彼の体を押し上げる。


 コニーが彼を始末しようとしていた。私が薬師だと知っていて、彼女は。ゴナス村に来てからの毎日が頭の中をぐるぐる回る。


 ハンターを岸に上げるまでに、かなりの水を飲んでしまって吐き出した。

「火茶は薬師にしか効かない」と笑ったコニーの声を思い出すと、胃が持ち上がるような気持ち悪さに襲われる。

 

 もう一回吐くと、耳鳴りが止み、周りが一段階明るくなったように見えた。

 同時に首の後ろがビリビリと痺れるように痛みはじめ、今私たちがどれほど危険な状態なのかを知らせてくる。

 あの耳が塞がれるような感じが、本当に薬師の感覚を封じ込めていたのだと気づいた。


 巣から一緒に降って来たカマキリたちは水には入ってこないが、あきらかにまだこちらに敵意を向けて距離を詰めてきている。

 片足が水に浸かったままのハンターの手から、剣を取ろうとすると、彼は微かに目を開き上半身だけを起こした。

 動かないでと言うより前に、とびかかってきた一匹のケイブマンティスが腹を裂かれて吹っ飛び、後退したもう一匹は、彼が投げた剣に貫かれて、地面で標本になった。


「ビビ……すまない」

 頬に伸ばしてきた手を強くつかんだ。手のひらが冷たくて、固い。

 水に濡れた胸から、命が零れ落ちていく。


「ランプの芯が乾いたら、火をつけるから、行け」

「やっ……」

 私が強く首を振ると、彼はなだめるように目を細めた。

「水が流れて行く方に、まっすぐ進め。おそらく正面の、行き止まりの……先に当たる。大声で助けを呼ぶんだ」


「それまで、ここで待てますか」

「ああ、待つ」

 だから、俺の言うことをちゃんと聞いてくれとハンターは囁いた。

「無事に出られたら、ヴァイを頼れ」


 その言葉に、腹の底から沸いたのは、悲しみより怒りだった。

「絶対に教会に渡さないと、約束したじゃありませんか。あと何回でも夜があるって、数えてくれたでしょう!」

 うん、と彼は濡れたような目で私を見つめ、もう一度「すまない」と口にした。


 溢れそうになる涙を、両方のほっぺたを叩いてひっこめる。コニーとの事も一旦全部脇に置く。

 私はその場に屈みこむと、手ですくった水をガブガブ飲んだ。

 さっき死んだケイブマンティスの体液が淵から流れ込んでいたので、最初は指を突っ込まなくても簡単に吐いた。


「ビビ……?」

 えづく背中に触れてきた手を払う。

「見ないでください。火茶を全部吐いて、感覚を取り戻します」

 また無理に水を飲み込み、今度は喉に指を入れた。一回ごとに、耳も目も静かに研ぎ澄まされていく。


 ヴァイスさん、あの時、私に彼と一緒に旅をしてもいいと言ってくれてありがとう。

 あなたからの言葉をもらわなければ、私が不幸をまき散らしたのだと、泣きわめいて、うずくまっていただけだろう。


「刺さっている鎌を抜いて、傷を縫合し、回復まで隠れられる場所が必要です。移動しましょう」

「ダメだ。助けを呼びに……」


 バキッと私がカマキリの死骸から鎌を折ったのを見て、ハンターの顔色が変わる。

「なるほど、この方向にトゲがあるんですね。担ぐのに邪魔になるので、胸のを押し込みますよ」

 血でぬめる切っ先は鋭い。布で手のひらを保護して、ハンターの目を見た。

「息を詰めないで。苦しいでしょうけど、ゆっくり吐いていて下さい」

「俺が言う方じゃなくて、残念なセリフだ」

 ようやくいつものように彼は笑う。そして、なかば諦めたようにため息をついた。


「あと一回だけ言うぞ、俺を置いて一人で行け」

「嫌です。押し込みますよ」

 ぐっと体重をかけると、彼はおとがいを上げて低くうめいた。

 切っ先が胸に沈み、溢れる血にヒジまで濡れる。

「移動します」

 ほやが割れたランプをザックに押し込み、地面の剣をハンターの腰の鞘に戻す。そして、私は辺りを見回した。


 精霊が薬師を愛してくれると言うのなら、どうか今、力を貸して。

 私は強く祈った。


 幸運の兆しがある時は、いつも小さな鈴が鳴るような音がする。耳を澄まして、その音の響きに心を開く。

 優しい光が灯る泉がまぶたの裏に映った。


 先ほどの失血で、意識が混濁しはじめていたハンターは、どうにか担ぎあげようと苦心する私に気づくと、よろめきながらも自分の足で立ち上がった。

 肉体の限界を精神力だけで超越している。


「あとは、私の肩に頭を預けてください。そんなに遠くありませんから、頑張って」

 落下した場所から、岩棚を2段降りると、岩と岩の隙間に人が一人通れるかどうかという穴がある。私は迷いなく彼を先に降ろし、自分もその穴に潜り込んだ。


 すり鉢状になったその場所は、手前が砂の岸になっていて、奥に泉が沸いている。天井から淡く七色に光る鍾乳石が伸びていた。水も空気も澄んでいて、魔物の気配も無い。

 私は水辺に近い砂地を整えると、自分のマントを敷いてハンターをそこに横たえた。


 その場でぐるぐると歩きながら、必死で考える。

 胸を貫かれて即死でないということは、心臓はやられていない。呼吸の様子から考えて、肺もそれている。でも、あれだけ血を吐いたということは、消化器のどこかを傷つけたのは間違いない。


 もう一度持ってきたケイブマンティスの鎌をじっくり見つめると、硬質な鎌は刃のようで、思っていたより薄い。

 あとは鎌を引き抜いた後で、彼が失血死する前に縫合できるかどうかだ。

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