2-9行かないで

 うつ伏せにしたハンターの背中に足をかけて、一息で鎌を引き抜く。

 再び大量の血を吐いた彼の気道を確保して、背中側の治療からはじめた。もう、ここから一瞬も迷う時間は無い。


 胸当てのベルトを限界まで締めて脇の下を圧迫し、血止めの薬草を押し付けながら、内部の血管をさぐる。

 幸い太い血管はそれていたが、鎌は胃の上部をかすめていた。

 血でぬめる指先で細かく針を動かすうちに、ハンターの体が痙攣けいれんしはじめる。


「ダメっ、意識をこっちに。落ちちゃだめです!」

 うつろな目をのぞき込む。その先に落ちれば二度と浮いてくることはない、死の淵だ。

 傷が近すぎて、心臓を刺激することもできない。


 両手が塞がっているから、焦げ付くような思いでただ叫んだ。

「ギル、お願いだから、行かないで!」

 悲鳴のような私の声に、彼はハッとしたように目を合わせた。


「そうです。もう少しで良くなりますから、私の声を聞いていてください。ね?」 

 はやく、早く、私の手よもっと早く動いて。


「あなたは……我慢強くて、本当に偉いよ。最後まで頑張れるね、男の子だもんね」

 師匠の口真似をしていると、彼女が私の震える手を支えてくれるような気がした。耳元で、つっけんどんで、懐かしい声が聞こえてくる。


 縫合する時は、皮膚がつらないように気をつけな。傷を塞ぐだけじゃなく、治った後でコイツがどんな風に動かしたいのか思い描くんだ。


 弟子を名乗るんだろ、泣くんじゃないよ、今は涙は邪魔なだけだ。

 よく目をこらして、耳を澄まして、患者の命の強さを信じ、自分の腕を信じな。


 糸を切って、細く息を吐いた。ハンターの脈は弱いけど安定している。ようやく彼の頬に触れて、私は祈るように囁いた。

「きっと良くなります。さぁ、もう眠っても大丈夫。大丈夫ですからね」




「……ビビ?」

「はい、ここですよ」

 裸足でパシャパシャと水に入っていく。目覚めて一番最初に私を探してくれたことが嬉しい。


「ここは?」

「まだ洞窟の中で、あれから3日がたっています。この鍾乳石に傷を癒す力があるみたいだから、水の中に寝てもらっていました」

 自分の状態を確認しようとした彼は、顔をしかめた。まだ相当傷が痛むだろう。


「今回は上手く脱がせたな」

 彼の裸の上半身には、包帯だけが巻かれている。

「ええ。胸当ては切ってませんよ。それに、腰のベルトにも手をつけていません」

 剣だけこっちに置いてありますと見せると、そうかと彼は苦笑いした。


「あんたのマントはどうした? 寒くないのか」

「あなたの頭の下です。他の場所の水よりはかなり温いほうですが、寒いですか?」

 肩に手のひらを置くとやはり少し彼の体は冷たい。


 でも、この温度が彼が回復するまで肉体を保護してくれたとも言える。

 魔物の鎌に貫かれ、野外で手術した割に、傷口は化膿もせずに回復しはじめていた。


 失った血を補うには、十分な食事が必要だ。血色の悪い彼の顔を見ながら、外への道のりを思案する。

 そして、自分のシャツのボタンを外し、砂の上に丸めてポンと投げた。

 皮のパンツはすでに、ひざ下まではまくってあるが、水に座り込んでしまえばどのみち濡れる。


 あんた、また何かやらかす気だなとハンターの顔に書いてあるような気がした。もう痛いことはしないから、そんなに警戒しないでほしい。

「あのな、俺が脱ぐのとビビが脱ぐんじゃ、重みが違うだろう」

「レディとしてちゃんと下着は着たままです」

 水中の彼に、そっと肌を重ねる。


「……そんなちゃんとがあるか」

 呆れる声、規則正しい鼓動、彼が生きている実感が、ようやく。


「ちゃんとしてないのは、あなたの方です。どうして、諦めようとしたんですか?」

「諦められないから、あんたに逃げろと……ビビ、泣かないでくれ」

「もう、いいでしょう。ずっと我慢っ、してたんですから」

 タガがはずれて、子どものように泣いた。

 彼の腕が私の背中に触れて、撫でてくれる。さっきは冷えていると感じた手のひらが暖かくて、嬉しくて涙が止まらなかった。


「薬師のビビと、約束、してください」

 しゃくりあげながら私は言った。

「どんなにひどい怪我でも、絶望的な状況でも、私に絶対に治せと言ってください」

 彼は返事をせずに、困ったような顔で私を見上げる。


「置いていかれるのも、一人で逃げろと言われるのも嫌です。最後まで、連れて行って」

「……あんたを地獄には連れていけない」

 その声は少し苦しそうで、口先だけでも約束すると言ってくれないのが切ない。


「じゃあ、天国まででいいですから」

 ほんとにあんたは無茶苦茶だと、ぎゅっと力が込って、彼は痛い痛いと胸を押さえて笑った。

「馬乗りで言うことか。どう見ても、天国に連れて行かれるのは俺のほうだ」

 失礼な。薬師はいつでも命の味方だ。




 動けるようになった彼が、鍾乳石の周りを丹念に調べると、一番長い鍾乳石の先端が涙型にぷくりと丸くなっていた。

 折り取って水から上げると、それは美しくキラキラと七色の光沢で輝く。


「これが七色の涙か?」

「泉の効果を考えても、この場所の鍾乳石が特別なものなのは間違いないですね」

 手のひらに乗せてもらうと、ヌシ様のウロコに触れた時と同じ、しっとりと濡れた暖かい力を感じる。

 大きくうなずいた私に、ハンターはこれで二つ目だなと言った。




 早速街へ戻ろうと言う彼を、さらに4日、この泉で回復させた。

 既に食料は底をついていたので、ハンターは洞窟エビや、鎧魚を釣りあげて上手に焼いてくれる。


「今日で飲み始めから7日目なので、化膿止めの薬は最後でいいかもしれませんね」

 ハンターに薬を手渡すと、眉をしかめてぐっと飲む。


 本の知識はやはり荷物にならない。洞窟の中で採取できるものだけでも、薬を作ることができた。

 包帯を外して傷口に薬を塗る。こっちの傷はまだしばらく時間がかかるだろう、と思っていると彼は神妙な顔でこちらを見ていた。


「痛いですか?」

「アレから出来た薬と知らなければ、塗られるのは気持ちがいい」

 巣から一緒に落ちてきたケイブマンティスの腹部には、上質な油脂が詰まっていた。

 ちゃんと自分の体で問題ないか確認してから使っているので心配ない。皮膚の保護にちょうどいい塗り薬ができた。


「……待て、今日で飲み始めから7日と言ったか?」

 包帯を巻く手を一旦止めて、あぁ、化膿止めの話しかと理解したので「そうですよ」と応じると、彼は額を抑える。


「最初の3日間飲んだ覚えが無い。意識のない俺にどうやって飲ませた?」

 返って来た薬のカラ瓶を、自分でぐっと飲むフリをして「で、こうです」とジェスチャーすると、形容しがたい声をあげて、彼は膝をついた。


「それから、あなたの体温が下がりすぎた時は、何度もああして温めましたよ。薬師が仕事中に服を脱ぐ珍しい事例でしたね」

 もうそれ以上言わないでくれというような、うらめしそうな顔で見上げてきたので、おしゃべりをやめて包帯を丁寧にとめた。




 もう行けると言った彼と、薬師の私の見立てが一致したので、私たちは外の状況を整理する。

「あなたが眠っている3日の間に、コニーさんと一緒に何人かの男性が私たちを探しに来ました」

 血痕を水で流す程度の工作はしたけど、落水地点からかなり近い場所に潜んでいたというのに、私たちは見つからなかった。

 その後にも今度は二人連れの男たちがやってきて、この空洞の上を通過しながら「これは死んだな」と納得してさっさとひきあげていった。

 一旦追跡は途切れたと考えていいだろう。


「コニーの罠にまんまとはまったのは、完全に俺の手落ちだ。すまない」

「いいえ、私こそ自分の勘の良さみたいなものを過信していました」

 彼に手を引かれて歩くのが当たり前になりすぎて、その勘が完全に鈍っていることにすら気づかなかった。


「自分で考えて行動するという基本中の基本を、あなたに預けて甘えていました。反省します」

「あんたに甘えられるのは男冥利に尽きる。あまり反省しすぎないでくれ」


 だから、そういうところなのだ。

 気づかぬうちにハチミツに浸かるように甘やかされて、それが一番いいのだと勘違いしてしまう。

 それでこの人を失いそうになるなんて二度と御免だった。


「そもそも私をかばって、こんな大怪我を……」

 私の言葉を、待てビビ、とハンターは遮った。

「そこは何というか、俺の存在意義に関わる。言わないでくれ」


 今までで一番と言っていいほど弱った顔で言うので、私はごめんなさいの言葉を飲み込んだ。謝ったところで怪我が無かったことになるわけでもない。

 彼を困らせるだけなら、謝罪はただの自己満足だ。


「では、薬師の意地にかけて、その傷は必ず完治させます」

 決意を込めてそう言うと、ハンターはようやく表情を和らげた。

「頼りにしている」

 

「しかし火茶といい、魔物を誘引するロウソクといい、コニー単独の仕事じゃないのは確かだ」

 ハンターは目を閉じて、村に着いてからの経過を順に追っているようだった。

「最初に会った修道士は、何も感づいていない。これは断言できる」

 彼がそう言うなら、間違いないのだろう。

 コニーの背後にいるのは誰だ? とハンターは怖い顔をする。


 私もコニーと話した事を思い出そうとすると、いろんな感情がないまぜになった。

 今思い返せば、二度目に学校を訪れた時から彼女の様子はおかしかったのだ。

 でも多分、あの時はまだコニーは迷っていた。薬師だと打ち明けることはできなくても、せめてお嬢様のフリなんかやめてただのビビとして彼女に向き合ったら、違った結末があったのかもしれない。


 火茶、教会、薬師の仕事……。雑貨屋の主人から小包を受け取った日を思い出す。

「あ……ハリス様と、彼女が」

 チッとハンターは舌打ちした。

「モニタの町の牧師だ」


 私たちが来るより前から、牧師に勧められてコニーは火茶を飲んでいた。

 あのお茶が薬師の感覚を鈍らせると分かっていて、コニーに勧めていたのだとしたら、鍾乳洞で遭遇する危険からも彼女は身を守れないことになる。

「酔い覚ましの薬を作らせるために、コニーさんの危険察知力も封じていたことが、許せません」




 ハンターが私に一人で行けといった道は、ひたすらに洞窟内を下っていた。

 ツルツル滑る岩を寝転んで滑り降りる場所があったり、かなりの落差の滝つぼへ飛び降りなければいけなかったりと、とにかく険しい。

 後半は完全にランプの油も尽きてしまって、やっぱりこんな道、彼とでなければ進めなかった。


「七色の涙がある泉にたどり着くのは、やはり裏側のルートからでなければ無理だったな」

 ハンターは来た道を見上げてそうつぶやき、今度は出口の方へ顔を向けて、獰猛に笑った。

「さて、牧師サマと感動のご対面と洒落込もうか」

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