2-10愛

 正面の立ち入り禁止のロープを越えて鍾乳洞を出た時、空には三日月が登っていた。

 広場には誰もおらず、私たちは静かに学校へたどりつく。中は真っ暗だった。


「誰も……いない?」

 押し殺した声で尋ねると、彼は校舎へ近づきながら首を横に振る。

「いや、いるな。図書室だ」


 外で耳を澄ましていると、不意に乾いた音が響いた。

「どこにかくまって……薬師風情が……」

 険のある声がところどころ聞こえる。

 ハンターの目に冷たい光が宿って、彼は開いていた隣の部屋の窓からひらりと校内へ入り、私に手を貸してくれた。


「あんたには見せたくない。ここにいてくれ」

「いいえ。私も行きます」

 私の顔をじっと見つめて、彼は静かにうなずいた。


 派手な音をたてて、図書室の扉が蹴破られた時、中で鞭をふりあげていた男は飛び上がって驚いた。

「な、だ、誰だっ!」


 書架に両手両足を縛められて、ぐったりとうつむいていたコニーが顔を上げる。

「あ……なんで……」

「エリック!?」

 二人の声が重なり、ハンターは声もかけずにいきなり牧師の顔を殴った。


「コニーにあれこれ吹き込んで、俺を亡き者にし、火茶でウチの薬師の感覚を封じ、教会本部への手土産にしようとしてくれたのは、あんたで間違いないな」

「あひぃっ?」

 裏返った悲鳴を上げた牧師を、再びしたたかに彼の拳が打つ。

「返事はイエスかハイだ。俺は今、機嫌が悪い。早く答えろ」


 返事を待たずにもう一度拳を振り上げたハンターを、コニーの悲痛な声が止めた。

「やめてください。ハリス様が死んでしまう! あなたを殺そうとしたのは私です。罰は私が受けます。お願いハンターをとめて!」

 このくらいで死ぬものかと思いながら、牧師の横をすり抜けてコニーの前に立つ。


「こんなにされて、どうして彼をかばうんですか。コニーさんを打ったのは、この人でしょう?」

「私が悪いからです! ハリス様だけが、薬師に優しくしてくださいます。村の人たちは、私を利用しているだけで、本当は異端者だと忌み嫌っているんです」

「……そう、ハリス様が言った?」

 コニーは涙をためた目でうなずいた。

「これは、愛なのです。私のことを思うから、打ってくださるのです」


 私はそれ以上何も言えずに、コニーの四肢のロープをほどいた。

 薬師が置かれる小さな世界は、教会の手のひらでいかようにもなる。それがハリボテの世界だと気づくのは、本当に難しいことだ。


 ポン、と私の肩をハンターが叩く。彼は悪い顔をして「いいことを聞いたな」と言うと、今度は牧師を書架にはりつけにした。


「コニー、愛は受けたら返すものだ。もらいっぱなしは感心しない」

 どうぞ、とハンターは彼女の手に鞭を握らせる。

「や、やめなさい。コニー」

 ハリスが上ずったの声を上げるのと同時に、コニーの手を握ったままのハンターが牧師を打った。その衝撃が伝わったコニーは、目を見開く。


「薬師が神の使いを鞭打つなんて、女神さまが、ひーっ」

 再びパンと音が鳴った時、ハンターは両手を上げて肩をすくめた。

 続けて動いた鞭が、もう完全にコニーだけの意思で振られているのは、私にもよくわかった。




 図書室の扉は蹴破ってしまったので、隣の部屋にいても一晩中無様な悲鳴を聞かされ続ける。

 コニーの部屋でハンターの傷を確認していると、もうそんなに心配しないでくれと彼は言った。


「怖くはなかったか?」

 気づかわしげな声に、率直な感想を返す。

「時々あなたが見せるその容赦のないところが、痛快です」

 しばらく驚いた顔をした後で彼は破顔し、さすがはビビだと言った。




 明け方、妙にスッキリした表情でコニーが部屋に現れたので、私たちは一応図書室の牧師の様子を見に行く。

「コニーは筋がいいな。うまいこと打つもんだ」

「全治5日ってところでしょうか。お大事に」

 気絶している牧師はとりあえずそのままにしておく。


 部屋に戻るとぼんやり立ち尽くしていたコニーが、床にへたりと座って頭を下げた。

「ごめんなさい」

「……いつからビビが薬師だと気付いていた?」

 謝罪を無視して、腕組みしたままハンターは問う。


「一度お二人がゴナスの街へお戻りになった日に、急に酔い覚ましの薬が必要になったとハリス様がいらしたんです」

 コニーは慌てて採取に行き、薬を作る間に牧師と何気なく世間話をした。

「ここにお泊りになっていたお嬢様に火茶ひちゃをお出ししたら、やはり耳に違和感があると言っていました。ハリス様はどうですかと尋ねると、顔色が変わりました」


 何も知らないコニーは、滞在していたハンターとお嬢様の詳細を乞われるままに話し、そこでハリスはゼシカの森から逃亡したお尋ね者の二人だと気付いたのだろう。

「火茶に反応するのは薬師だけだから、そのお嬢様は薬師に違いないとハリス様はおっしゃいました。でも、私、そんなこと信じられなくて……」


 そんな半信半疑のコニーの元に戻って早々、私は一つの鍋だけを火からはずした。

「沸騰させると薬効が失われるなんて、薬師しか知らないことですから」

 ハンターは後悔するように顔をしかめたが、そんなこと彼も知るはずが無い。完全に私のミスだった。


「ずっと楽しかったのに、薬師だと知った途端、死ぬほどお嬢様が羨ましくて。同じ薬師なのにどうしてこんなに違うのか、比べ始めたら溢れて止まらなかった」

 苦しい胸の内をハリスへの手紙にしたためると、牧師は手紙と共にあのロウソクを送ってきた。


 おまえたちの違いは、そばで守ってくれる人がいるかどうかだ。

 ならばもう一人の薬師からも、奪ってしまえばいいだろう。それで二人は対等になれるはずだ。

 そんなハリスの言葉に、彼女は従ってしまったのだという。


「でも、一番うらやましかったのは、あなたが彼女を抱いて落ちていった時です」

 まさにあの深淵をのぞき込んでいるような暗い瞳で、コニーは顔を上げた。

「私だってそんな風に死にたい。道連れに、してほしいと思った」


 彼女の甘美な死の願望は、闇の底で私が願ったことでもあった。

 孤独な時間を耐えた分、最期くらいは誰かそばにいてほしい、一緒にいこうと言われたいと、望んでしまう弱さが痛いほど分かる。


 ハンターが息を吸ったので、私が先に口を開いた。

「違います。彼は生きるために、私に道を開くために飛び込んだんです。だからほら、今ここにちゃんと二人でいるでしょう」

 ふらりとコニーの瞳がハンターの胸元に動いた。

「あんなひどい怪我を……お嬢様が治したの?」


 私がためらいながら彼女の前にひざを着くと、ハンターの手がそっと肩に乗り、ポンとサインをくれた。

「遅くなってごめんなさい。私はゼシカの森の薬師。今は旅をしているから、ただの薬師のビビです」

「ビビ……」

 また一人、私の名を呼んでくれるひとが増えた。


「お嬢様だなんて、嘘をついてごめんなさい」

 私はまっすぐ頭を下げる。

「いいの、だって私、はじめてあなたを見た時から、本当になんて素敵なお嬢様だろうと思ったんだもの」

 コニーの目から大粒の涙がこぼれた。

「ビビの大切なハンターを、傷つけて……ごめんなさい」


 むせび泣くもう一人の薬師を、どうしても責める気持ちにはなれなかった。

 もしも私がコニーと逆の立場なら、同じことをしなかったと言えるだろうか。彼に大切そうに抱かれる薬師を、羨まずにいられただろうか。


 見上げるとハンターはわざとらしくため息をついて、トンと自分の胸をたたいた。

「あんなのはカスリ傷だ。もう気に病むな」

 彼の特大の見栄が披露されたので、思わずコニーと顔を見合わせる。


「胸を一突きって……普通、致命傷です」

 泣き笑いするコニーの手を握っていると、長い長い闇からの出口のように、窓から朝日が差し込んでくる。

 二つ目の旅が、終わりを迎えようとしていた。




「知り合いの聖騎士に、モニタの町の牧師を早急に変えるよう伝える。それまでコイツは街のほうで修道院の床でも磨かせておくから心配するな」

 馬車の荷台ですまきにされている牧師をチラっと見て、はい、とコニーは返事をした。


 鞭で打つ方に回ったら、これは自分が求める愛ではないと感じた、というのがコニーの答えだった。

 後半ハリスの反応が気持ち悪かったのもあると言い添えたけど、そっちが現在の彼女の冷淡な態度に直結している気がする。


「一旦ハリスからの言葉は全部忘れて、村のやつらと向き合ってみろ。頭の固いオヤジ共も何回か鞭で打ってやれば目を覚ます」

 そんなことはしませんよとコニーは言うが、図書室の壁に鞭がかかったままなのはちょっと気になっていた。


 ゆっくりでいいから、ハリスの呪縛から解放されて、彼女の世界も開かれていくといいのにと思う。

 異端者への偏見は根強いけれど、コニーは村の人たちとの距離が近い。頼りにされているということに誇りを持てれば、それが自信に繋がっていくだろう。

 私も彼女に負けないように精進しなくてはいけない。


 ハンターが馬車に荷物を乗せている隙に、コニーが私のほうへそっと身を寄せて囁いてきた。

「両親のことを覚えていないので、お手本にすべき形がわからずにいましたが、二人を見ていたら、私が求めているのはこっちの愛だなと気づきました」

「愛、ですか」

 ふむ、と私もうなずく。


「そうですよ。愛しそうに後ろ姿を眺めてたのを、ビビが振り返った瞬間に取り繕うところとか、あれ、無自覚にやってると思いますよ。はたから見ているこっちの身にもなってください」

 そんなことしてたんですか、気づいていませんでしたと言うと、さらにコニーが顔を近づけてくる。


「実際どうなんですか、その、大人の男性ってやっぱりすごいですか?」

「それが、なかなか誘いには乗ってくれません。いい方法を知りませんか」

 えーっと小さく悲鳴をあげて、顔を真っ赤にしたコニーは足をばたつかせる。

 淑女教育がどうとか言っていたハンターに、年頃の娘たちなんて、多分みんなこんなものですよ、と舌を出した。


「薬師的には、やはり媚薬でしょうか?」

 やたらと熱のこもった瞳で、彼女はとんでもないことを言う。

「ハンター歴が長いことを考えると、自白剤や媚薬の類はあまり期待できないかもしれません」

 実はとっくに考えていたとは、言わずにおく。

 酔った勢いでというのも古風で良いのだけど、彼が酒に呑まれるのを見たことが無い。なかなかに難攻不落だ。


 正統派で攻めるほうが勝率が高そうだとか、太ももをちらつかせてみるのはどうかとか、乙女の悪しき会議が最高潮に盛り上がった頃に、コニーがポンと手を打った。

「あ、そうだ、元宿屋の娘さんから聞いたんですが、旦那さんの元気が無い時には……」


 非常に参考になりそうな情報が聞けそうなのに、私のマントが後ろからぐいっと引かれた。

「待て待て待て、何の話をしている? これ以上ビビにやっかいなことを吹き込まないでくれ。俺の身がもたない」

「あはは、残念です。次までに完璧に詳しく聞いておきますね」

「よろしくお願いします」

 私が深々と頭を下げると、何をそんなに真剣にお願いしているんだと、彼はとても焦った声を出した。




 馬車に乗り込んで、コニーが見えなくなるまで手を振った。今回初めて客車の中に、私たち二人だけが座っている。

 一応荷台にハリスがいるが、悪漢を捕縛したと言ったら、荷物料金で乗せてもらえたらしい。


 何の話をしていたのかとハンターがしつこいので「あなたを元気にする方法です」と答えたら、そのまま額を押さえて動かなくなった。


「……どうにも薬師に油断する習性がいかん」

「薬師に油断するなんてかなり珍しいタイプですよ。保護されるべきです」

 ああそうかい、とふてくされたように言って私の肩に頭を乗せてくる。


「貧血だ、保護してくれ」

 前髪を後ろへ撫でて、彼の額に自分の頬をくっつける。そして「喜んで」と囁いた。

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