3章 氷河雪ナマズのヒゲ

3-1背中

 港町ゴナスへ戻った私たちは、再び海猫亭に宿を取ることにした。

 久々の街は、なんだか少しざわついているように感じる。


「ええ、どうやらアカランカ王は本気らしいですよ。確かに去年ナナムスはやりすぎましたからねぇ。すぐ開戦にならなかったのが不思議だったくらいです」

 主人の話しに、ハンターは難しい顔をした。


「戦争になるか」

「いやいや、まだそこまでの話しじゃないでしょう。詳しくお知りになりたければ、ギルドに顔を出してやってください」

 そうだな、と応じた彼が私に「今から行けるか?」と尋ねてきたので、どのくらいの距離か聞く。

 詰所の横だと言うので、了承した。そのくらいなら傷にもさわらないだろう。




 石壁の内側を利用して作られているゴナスのギルドは、細長いつくりをしていた。

「来てくれて良かった。「灰の牙」宛にアカランカのギルド長から手紙だ」

 受付の男性がハンターに手紙を手渡す間、何気なく室内を見渡す。いくつかあるテーブルや椅子には、門の見張りと同じ服を着た人が座って雑談していた。


 そういえば、と私は思い出した。たしか一番最初の町セブカントで、穴熊酒場のマスターも彼を「灰の牙」と呼んだ。

 街ごとに名前を使い分けて、ギルドでは共通の通り名で仕事をしているのだろうか。

 手紙を読んでいたハンターは、少しため息をついて人気のない壁際に私を連れて行く。


「次の素材のために、アカランカに行くつもりだったんだが、かなりキナ臭い」

「手紙の内容を聞いても?」

「平たく言えば、こっちに付いて戦ってくれと」

 ひゅっと息を呑んだ私を、ハンターは優しくなだめる。


「大丈夫だ。わざわざ面倒なところに飛び込む必要は無い。アカランカ行きは伸ばそう」

 彼が心からそう言ってくれていると分かったので、胸をなでおろす。

「まだ体も十分じゃないんです。しっかり治すことに専念しましょう」

 これは、私が彼につけた傷だから、絶対に完治させたかった。




 それから数日は、ほとんど海猫亭から出ないで過ごした。

 宿の主人に頼んで栄養価の高い食事を出してもらったり、自分で調合した薬を飲んでもらったりもする。


 彼は退屈そうに、酒場に来る客から、アカランカが麦を大量に買い集めていることや、ナナムスが傷薬の納品を急かしているという話しを聞いていた。


 ハンターの顔を見るたび大丈夫か、痛まないかと繰り返してしまい、さすがにうんざりされているのが分かったので、気をそらすためにヌシ様のウロコと、入手したばかりの七色の涙の薬効を調べ始める。




「またそれを見ていたのか。あんまり根を詰めすぎるなよ」

 ワインと夕飯を持って部屋の扉を開けたハンターは、呆れたようにそう言う。

 私は薬包紙を閉じて、ウロコを削った貴重な粉が飛ばないようにしまい込んだ。


「そういえば、ヴァイスさんへの手紙に、私が頼んだ件も書いてくれましたか」

 その手紙ならもうとっくに出したとハンターは言い、テーブルに料理を並べる。

「しかしマインドイーターの花でどんな薬を作ったかなんて、何故気になるんだ?」

「お師匠様から劇薬だと聞いていたので、普通の薬師なら気になりますよ」

 そんなものか? とハンターは首を傾げる。


「さあ、あなたは失血分を取り返すのにもう少し食べて下さい」

 内臓を傷つけたというのに、彼の回復はかなり早い。

 洞窟にいる間からゆっくり食事をはじめて、あっというまに何でも食べられるようになっていた。


 肉の入った皿を押すと、ワイングラスの中身をクルリと回して見せる。

「血なら補給中だ」

 子どものような事を、と思ってちょっとにらむと私にもワインを注ぎ足してくれた。


「しかし、ビビは見た目の倍ではきかないほど、酒に強いな」

「アルコールは成分の抽出に欠かせません。試薬段階からあれこれ自分で試しますから、体が慣れているのかもしれません」

 夕日が差し込んで来た窓の方へ顔を向ける。

 海猫亭のこの部屋から見える海がとても好きだった。


「それで、優秀な薬師殿の見解として、七色の涙は探していたものか?」

 うぅん、と私はあいまいな返事をした。

「ヌシ様のウロコと、七色の涙、どちらも浄化と治癒の強い効果があることは間違いありません」


「万能薬の素材として、良さそうに聞こえるが?」

「まだ4つの材料の半分ですから、今のところはこれが探していた七色の涙という結論で良いです」

 珍しく歯切れが悪いな、と彼は言い一本目のワインをグラスに全部注ぐ。


 私は借りたカップに沈めていた七色の涙を見て、その水に指先をひたした。

「説明が難しいのですが、調薬は素材のバランスが重要なんです。こんなに強い浄化と浄化を組み合わせるのが……うーん。次の素材より先に、万能薬の調合書が欲しいところですね」


 調合書かと言いながら、次のワインの栓を抜こうとしていたハンターの手を止める。

「今日はそのへんでやめてください。基本的にアルコールは体に毒です」

 残念そうな顔をしたが、素直にワインをテーブルに戻す。

 ケイブマンティスにやられてから、傷の治療に関わることは全面的に私の言うことを聞いてくれていた。

「薬を塗ったら寝ましょう。栄養と休養が大切ですよ」


 包帯を外すと、かなり傷口は快方にむかっていた。縫い合わせた部分が盛り上がっていたのが、腫れがひいてへこんできつつある。

「残念ながら跡は残りますが、これからも丹念に薬を塗っていけば、剣を握るのに気にならないくらいには治せそうです」


「跡などどうでもいいが、いつまでもビビに薬を塗ってもらう必要があるか?」

 街で素材を揃えたから、もう魔物の脂肪じゃありませんよと私が言うと、そういう問題じゃないと彼は答えた。


「でも背中のこのあたりは、自分では塗りにくいですよ」

 少し身をよじったハンターに、もしかしてと思う。

「背中が弱いですか?」

 つ、と背筋にそって指を動かすと、薬のせいでヌルりと滑った。


「あんたな……」

 うらめしそうな声がかえってくる。

「前は、気持ちがいいと言ってたじゃないですか」

「洞窟とベッドの上が同じだと思わんでくれ。何だ、まだ怒っているのか」

 手を拭いて、包帯を巻きなおしながら、あえて黙っていた。


「ビビ、もう許してくれないか」

 頬に触れてきた手のひらを押し包んで、静かに彼を見上げる。

「もう二度と私を置いて行かないと、誓ってくれるなら」

 ハンターは眉根を寄せて、目をそらす。

「……それは、誓えない」


 彼は普段、誰もを煙に巻くようにひょうひょうと生きているように見える。

 それなのに時々、不器用なまでに誠実なのは何故だろう。


「じゃあ、許しません。傷が治ってもあなたの背中を撫でながら寝ます」

 あまり強くなりすぎないように、彼の胸に額をつけて背中に腕を回した。

「これが褒美でなくて、罰だと思ってやっているなら、誰の育て方が悪かったんだと言えばいい?」

 抱き寄せられながら、耳元で聞く軽口は私のまぶたを重くする。

「やっぱりそこは、親鳥じゃないでしょうか」

 悪い親鳥もいたもんだと、彼はつぶやいた。




 チリっと首筋が痛むような感覚に目を開くと、彼もすぐにテーブルの剣に手を伸ばした。しかし、それは一瞬ですぐに過ぎ去っていく。

「……すみません。気のせいだったみたいです」


 すでに部屋は明るい。しばらく辺りの気配を探っていた彼も、つかんでいた剣から手を離した。

 起き上がって、くあっとあくびをする頬に、めずらしく枕の跡がついている。

「よく寝た」


 確かに夕暮れ早々に寝たのに、日が高くなるまで熟睡していた。それでも、旅を始めて以来、こんなに寝ぼけ顔をしているハンターを見たことがない。

 私の視線に気づいた彼は、少し笑って伸びをする。


「あんたがぐっすり寝てる時は、俺も安全なことに気づいた」

 それは逆転の発想だ。もう二度と火茶ひちゃは飲まない。私が彼の安眠を守ろう。




 朝食の後、街へ出て、私たちはガラス屋を訪れた。

 大小さまざまのガラス瓶を扱っているのはもちろん、乳鉢や漏斗ろうとも置いている。実質、薬師御用達の店だった。


 今回の治療の礼に、何でも買ってやるとハンターが言ってくれたので、是非にもと頼んで連れて来てもらったのだ。ゼシカの森の小屋に置いてきてしまった道具を、携行しやすいものに絞って買い集める。


「お嬢さんは、お使いに熱心で偉いねぇ」

 店のおばあさんは膝の上の猫を撫でながら、ニコニコしている。

 長くかかった買い物時間中、ハンターは珍しそうに店内を見回していた。




「で、これがあれば簡易的な蒸留できますから、成分だけを取り出すことができるんです!」

 いまいちピンときていない彼に、説明を重ねる。

「化膿止めなんか、苦味が無くなるので、ものすごく飲みやすくなりますよ」

「薬なんてどれも苦いものだろう。そもそも味わって飲もうと思わん」


「違いますよ! あれが私の作る最高の薬だと思わないでください。もっと上手く……」

 ハンターに苦笑いしながら口を塞がれて、私はハッとした。

「大丈夫だが、声が大きい。ビビは本当に仕事のことになると我を忘れるな」

「すみません。嬉しくて」

 購入した道具が入った袋を見て「難儀なお嬢さんだ」と、もう一度苦笑した。




「やぁ、ダンナ。また護衛のお仕事かい」

 声をかけられて私たちは足を止めた。以前スケイルの鎧を銀貨2枚でせしめた古道具屋の前だった。


「あの時はいい品をどうも。見てくれ、こいつのおかげで命拾いした」

 少し裂けているようにしか見えないその胸当てを外して、主人の手に渡す。

「こりゃあ鋭い刃物だ……胸のほうも怪我をしただろう。危ない仕事をするなぁ」

 よもやその傷が、背中の方から貫通した先だとは思わないだろう。男は同情するようにハンターを見た。


「しかし、ただの皮鎧なら串刺しで死んでたぜ。このリザードの鱗が刃先を止めたんだ、ほら」

 二人で頭を寄せて、ここがこう噛んでね、本当だなゾッとする、と胸当ての効果を検証している。

「こりゃ、お嬢さんに命を救われたな」

 胸当てを締めなおしながら、ハンターはほんとにな、とうなずいて言った。

「もう何度目なんだか、借りばかり増やしている」


 そんな事は無い。あの時、彼が一人で戦っていたら、カマキリなんかにやられなかっただろう。

 きっとそう言っても、彼に困った顔をさせるだけだと思ったから、言葉にはしないで、私はあいまいにうなずいた。




 噴水の広場で休憩していると、坂の上の方から全速力で駆けてくる姿がある。ベンチから軽く腰を浮かせて目をすがめたハンターは「ヴァイの部下か」とつぶやいた。


「ここでっ! ここでこのままお待ちください。お願いしますね!」

 名乗りもせずに私たちにそう言った騎士は、もときた坂道を再びダッシュで登っていく。

「あんな鎧を着て、よく走れますね」

「上下で21キロだからな。地獄だ」

 ずいぶん正確な数字だと思う頃には、銀縁メガネの聖騎士が大股でこちらに降りてくるところだった。


「どうしたヴァイ。この前会ったばかりじゃないか。そんなに俺が恋しかったか?」

 元より少し神経質そうな彼の眉間に、深いシワが寄せられており、冗談を受け付けていないことは私にだって分かる。


「すぐに来てください。あの方がいらしています」

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