3-2貴人の訪問

 こんな彼を初めて見る。ヴァイスの言葉を聞いてから、サッと血の気が引いて、それきり顔色が戻らない。歩調が早すぎるので、小走りじゃないとついていけなかった。


 以前、ヴァイスと3人で話したレストランに到着すると、昼時だというのに店内には客が一人もいなかった。店員さんたちは緊張した面持ちで、壁際に立っている。


 奥の個室の扉の前に立つと、ヴァイスは私を見つめ、少し辛そうに目をそらすと扉の向こうへ声をかけた。

「お連れしました」

「入りなさい」

 室内から固い声が返ってくる。ヴァイスとその部下の人が、両扉を同時に押し開けた。

「ナナムス王国第二公妃アニエス様の御前です。無礼のないよう、お願いします」

 スッとハンターが膝をついたので、私も慌ててそれに習う。


「良いのです、灰の牙と薬師の娘。顔を上げなさい」

「わざわざこのような場所までご足労くださらずとも、はせ参じましたものを」

 頭を下げたまま、ハンターは言う。

「さんざん教会から逃げ回っておいて何を言っているのです」


 そうか、ナナムスの公妃ということは、ナナムス教会のど真ん中に住んでいるような人だ。

「こんな年若い薬師を連れ回して、いったい自分が何をしているのか分かっているのですか」


「近衛兵長に出した手紙の通り、万能薬の調合材料を求めて旅をしております」

 顔を上げずに、彼はハッキリとそう言った。

「教会本部を止めてくださったのを、陛下のお心と考えております。すでに材料は半分揃いました。灰の牙に、今しばらく時間を」


 教会に私たちを探す暇が無いよう、監査を入れたというのは、この人だったんだ。思わず顔を上げてしまうと、ピンとした姿勢で座っていた公妃は手元の扇を強く握ったところだった。


「今までわたくしのどんな依頼も叶えてくれたこと、感謝しています。しかし、もういいのです」

 わずかにハンターが身じろぎした。

「おそらくあの子は、長くありません」

 ヴァイスさんを見上げても、全くの無表情だった。けれど以前よりやつれたのは間違いない。


 公妃は気丈に先を続けた。

「残る二つは、アカランカとナナムス。教会は手元に飛び込んで来たゼシカの薬師を見逃すほど甘くはありませんよ」

「では、アカランカの永久凍土から参ります」

 ハンターは即答する。

「アカランカとは数日中に開戦します。越境は許可できません」

「しかし……」


 言い募るハンターに、彼女は言った。

「灰の牙、わたくしが責任をもって薬師を保護し、その後の生活を保障しましょう。あなたにはもう、自由になってほしいの」

 椅子から身を乗り出した女性は哀切な声で言った。前にひざまずいたままのハンターの顔は、私から見えない。


「自由に、自分の意思で彼女と旅をしているのです」

「ギルバート! 顔を上げて」

 名を呼ばれた彼は、肩を震わせてゆっくりと顔を上げる。

「お願いだから、言うことを聞いて」

 口をひらきかけた彼は、それを言葉にすることなくまたゆっくり頭を垂れた。


「ハンター風情に、陛下がお願いなどとおっしゃってはいけません」

 その場の誰からも分かるように「閉じた」彼の気配に、公妃は悲しそうに目を伏せた。


 二人の間に流れた特別な空気を吸い込むと、胸に細い針を刺されたような痛みが広がる。彼は今、とても傷ついて悲しんでいる。それは、おそらく、彼女を拒絶しなければならなかったからだ。


「ではアカランカに貴重な材料と、優れた戦士を渡すわけにはいきません。薬師は聖騎士団預かりとします。灰の牙はすみやかにナナムスに従軍しなさい」

「お断りする、と申し上げたら?」

「ギル!」

 殺気立つ部屋の空気に、ヴァイスが声を荒げる。


「どうにもできません。わたくしに何の力もないことなど、あなたが一番よくわかっているでしょう」

 冷えた声で彼女は言った。

「しかし、これまでということです。あなたは売国の賊としてナナムスはおろか、ネジバロからも居場所を失うことになるでしょう」

「私はもとよりナナムスの人間ではありません。それが陛下の思し召しとあらば、仕方のないことです」


 パシと扇が閉じられ、初めてこちらにまっすぐ若草色の瞳が向けられた。

「ゼシカの薬師、あなたはどうです? 長く娘のために鎮痛剤を届けてくれた恩を、忘れてはいません。望みがあれば言いなさい」


 私の、今、一番の望みは。

「娘さんが、何故もう長くないと思うのか、詳しく教えてください」

「何と?」

 公妃はあっけにとられたように、目をしばたかせた。


「熱や、呼吸の様子、急変したと感じるなら何が原因でしたか? そうだ、ヴァイスさん、頼んでいた薬は持ってきてくれましたか」

「あ、ええ、ここに」

「おい、ビビ……」

 全員が呆然としているうちに、許可もとらずに立ち上がって、ヴァイスから薬を受け取り、薬包紙を開いて指先につけた粉を舐めた。

「効果が分かるまで、少し時間をください。その間に望みを言ってもいいですか」


 今のが望みじゃなかったのかと、つぶやいているハンターの横に、一応もう一度膝をつく。

「私たちをアカランカに行かせて下さい。でも、彼を悪者にはしないで下さい。これだけたくさんの街で、たくさんの人に頼りにされるには、長い時間がかかったはずです。無理やり従軍させるのもやめてください」

「ビビさん、少し願いが多すぎはしませんか?」

 焦った表情でヴァイスが口をはさむ。


「お願いした分、私が必ず万能薬を作ります」

 3人から痛いほどの視線を集めても、私はうつむかなかった。


「その薬が、わたくしの手に渡る保証がどこにあります」

 公妃の表情は固い。誰も信用できないと、細い肩が震えているようだった。

「……すでに入手した材料を、陛下にお預けするというのはどうでしょう」

 ハッとして隣を見ると、ハンターが顔を上げて彼女をまっすぐ見上げていた。

「どのみちナナムス南の死の山が最終の目的地です。城で保管していただけるのが、一番都合がいい」


 初めて助けを求めるように公妃がヴァイスを見上げると、彼は深くうなずく。

「でも……」

 迷う彼女に、問いかける。


「陛下、娘さんはここ最近手足が冷たく、何度も昏睡状態に陥ることがあるのではありませんか?」

「何故それを!」

 はじかれるように反応したのは、ヴァイスの方だった。

「この薬が強すぎるんです」

 薬包紙を見せながら私は言った。


「そんなはずはありません。信用できる城の薬師に作ってもらったし、劇的に痛みが緩和されたんです」

「この調合は、手術用の麻酔と大差ありません。何度も服用させるうちに、副作用の方が強く出て体を弱らせているんです」

 断言した私に、公妃が立ち上がった。

「では、飲むのをやめれば良くなるのですか」


「副作用は無くなりますが、もとの病が癒えるわけではありません。マインドイーターの花の処方を変えましょう」

 強い痛みを押さえる頓服とんぷく薬と、負担を減らしておだやかに苦痛を軽減する2種類を頭の中に組み立てる。ヴァイスが必死にメモをとってくれた。


「ああ……」

 ふらりと倒れそうになった公妃を、ハンターが抱きとめる。背の高い公妃は、彼の肩にすがりついた。

「彼女の腕は本物です。信じて、待ってはくれませんか」

 ハンターの言葉に、彼女は長いまつ毛をふるわせた。


「分かっているのです。今までわたくしの我儘であなたをどれだけ危険な目にあわせてきたのか。こんなことやめなくてはいけないと、分かっているのです」

 どうして彼がこんなに強くて賢いハンターになることができたのか、その答えが目の前にある気がした。

 公妃の望みを叶えるために強くなった彼は、彼女のためのナイトだったのだ。


「それでも諦められない。あの子を、失いたくないの」

 悲鳴のような第二公妃の声に、ハンターは彼女の肩を包むように手を置いて、小さな声で「先生」と、愛おしそうに彼女を呼んだ。若草色の瞳がこぼれそうに開かれる。

「この灰の牙と、ゼシカの薬師にどうかお任せください」




「確かにお預かりいたします」

 ヌシ様のウロコと七色の涙を大切そうにヴァイスは受け取った。酒場のテーブルのはしっこで、私たちは二人で座っている。


「陛下はどちらに?」

「迎えが来ましたから騒ぎになる前に戻られました。いや、城ではすでに大騒ぎでしょうけどね。それで……ミハイルは?」

 賢い聖騎士は、ゴナスの街の呼び方に合わせる。


「部屋にいるから飲んでこい、ヴァイと一緒なら心配ないだろ、とのことです」

「何です、ほんとに情けない……」

 額をおさえた彼は、大げさに頭を振った。

「あの場だって完全にビビさんがおさめてくれたようなものですし、肝が冷えましたよ」

「危なく国賊こくぞくになるところでした」

 言いますね、と聖騎士は笑ってエールのジョッキで乾杯した。


「まあ、アイツの魂胆は、この状況をうまいこと説明しておいてくれということでしょうから、聞いてください」

 色白なヴァイスの頬は、エール一口でぽっと血色が良くなった。

「ミハイルはネジバロのとある商家の長男で、ナナムスの上流学校へ留学しています。そこに音楽教師として来たのが、先ほどの第二公妃様です」

「公妃様が音楽の先生に?」


「いいえ、ただの貴族階級の音楽教師が、国王に見初められて第二公妃になったのです」

 そんなことがあるのかと驚く私に、彼はメガネを上げた。

「あなたも驚いたようにナナムス中が驚いて、皇后陛下は激怒されました。アニエス様が望んだ婚姻ではなかったのに、彼女だけが責められ、王宮でつらい毎日を送ることになったんです」


 エールで唇を湿らせたヴァイスは、それを聞いてミハイル少年はどうしたと思います? と問いかけてきた。そもそもハンターの子どもの頃が全く想像できなくて首を傾げる。

「公妃様の近衛騎士になろうと、騎士学校に入ったんです。ちなみに私は彼の後輩ですよ」

 彼が聖騎士! 全然似合わなくて、やっぱり想像ができない。


「でも、彼は騎士学校を中退しました。アニエス様がご息女のお披露目をなさったすぐ後です。それからしばらく消息が分からず、次に会った時にはもうビビさんも知るひねくれ者のハンターになっていました」

 ふぅ、と彼は息をつく。私は、そこだけ若かったころのハンターの気持ちが分かるような気がしてうつむいた。


「それから彼は、城で姫様を守りながら孤独に戦うアニエス様を「灰の牙」としてずっと支えて来ました。我々聖騎士団の手に余ることは、ほとんど彼が引き受けてくれたと言っても過言ではありません」

 その中に、人に恨まれるような仕事も、人を害するようなこともあって、彼はそれをいとわなかったのだろう。


「アニエス様が言った、自由になってほしいという言葉に嘘はないと思います。私も、そう思っていましたから」

 ヴァイスは急にじっと私を見つめた。

「でも、あなたと一緒にいる今が、彼は間違いなく幸せだと思うんです」

 思い出話から急に飛躍したヴァイスの言葉に、目をしばたたかせる。


「旧友を名乗るくらいには、ギルを見てきたつもりです。自信がありますよ」

 その自信をわけてもらったように、私の胸にも光が灯った。

「ヴァイスさんは、いつも私が欲しい言葉をくれます。ありがとうございます」

 精一杯の感謝を込めてそう言った。

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