3-3武王
部屋の扉を開くとランプも付けずに、彼は壁の方を向いてベッドに横になっていた。
「ヴァイスさんこれからお帰りになるそうですよ、いいんですか」
「ああ」
短い返事に、ほんとに情けないと嘆いたヴァイスの声を思い出す。
背中を向けたまま、わざとギッと音をたててベッドの端に腰かけると、こちらを向く気配があった。
「ヴァイから聞いたか」
「陛下との関係は聞きました。でも学生や聖騎士見習いのあなたを想像できなくて……いつか学生時代の話やハンターになりたての頃の話を直接聞きたいです」
面白い話なんか一つも無い、とすげなく彼は言って、深くため息をついた。
「彼女が公妃になってから、会うのは今日が2回目だ」
ヴァイスの口ぶりで、しょっちゅうナナムスの城に出入りしていたと思い込んでいたので、その少なさに驚く。
「一回目は、灰の牙としてまだ日が浅いころ。園遊会の庭で、俺が刺客の首をぶらさげているところでバッタリ会った」
それはショッキングな再会だ。
「あの時の陛下の顔は忘れられない。世界の終わりを見た人は、たぶんあんな顔をするんだろう」
今まで自分が手を汚させていたのが、かつての教え子だったと知った瞬間の彼女の衝撃はいかばかりだっただろうか。
「今日は、いや、今日もか。助かった」
ぽつりと彼は言う。
「だが戦況が落ち着くまでアカランカには行かないと言ったのに、すまない」
「行かせてくださいと言ったのは私です」
「陛下の前であれだけ堂々と話すようになるとはな。あんたの成長にしみじみ驚いていた」
あれは、姫の病状が気になりすぎただけだ。あの話しがなければ、マゴマゴして私も
「自分が年をとったこと、割に何も成長しちゃいないこと、これは結構こたえるな」
不意に彼がそう言ったので、尋ねてみる。
「そういえば、最初に見た時に40くらいかなと思ったんですけど、本当はいくつなんですか?」
森にいた間は、師匠以外の人を良く見たことがなかったので、感覚が分からない。
「いい線だ」
そういって、実際いくつなのかは教えてくれない。
「いい線って、実際より下ですか? それとも上?」
ぴょんとお腹の上に手をかけると、彼はバツが悪そうに眉をしかめた。
「上でも下でも、あんたみたいなお嬢さんとベッドを共にしていい年じゃない」
子どもにするように、よしよしと髪を撫ででくれる。
「何歳なら一緒に寝てもいいんですか」
私の問いに、ぴくりと彼の手が止まった。
「そうだな、下なら1つか2つ、上も5つくらいまでにしておけ」
「そんな狭い範囲じゃ、寝不足で死んでしまいます。人間は眠らないと死ぬんですよ」
大げさだな、と彼は言う。睡眠の大切さを分かっていないようだ。
「あの人が亡くなった後、2年は一人で寝てたんだろう?」
彼の問いかけに、オオカミの遠吠えと、木々のざわめき、死んだような孤独を思い出す。
「じっとベッドに横になっていると、自分が消えるような感覚になるんです。すーっと、存在が薄くなって、無くなるみたいな」
ハンターの手が、慌てたようにしっかり私の背中を捕まえた。
「それでもいいなって思うと、眠っていた感じでしょうか」
「……怖いことを、言わないでくれ」
そう言った声が少し震えていた。
「でも、あなたが死にそうな顔で私の小屋に来て、あなたの肌に触れたら、自分がちゃんとここにいることが分かりました。あなたと旅をしていたら、自分がここにいてもいいんだと分かりました」
あなたの胸の中に、本当は一番大切な人がいるんだとしても。
「私は、ここにいていいんですよね」
「当たり前だ。ここにいていい」
彼の言葉に「今は」と隠されていても、その日が来るまでは、この胸のぬくもりで眠りたかった。
アカランカまでは、小麦袋と一緒に荷馬車にのせてもらうことが決まった。
「ええっ、今回は何もお預かりする荷物がない? どちらに行かれるんです? まさかお嬢様を危ないところになんか連れていきませんよね?」
アワアワする海猫亭のご主人をなだめて、長逗留の感謝を伝えた。
「私、海猫亭のお部屋から見える海が大好きでした。ありがとうございました」
「ああぁ、お嬢様、そんな最後のお別れみたいなあいさつやめてくださいよ。絶対絶対また、お泊りになってくださいね」
馬車乗り場までついてきたご主人と握手をして別れる。
「さあ、行くか」
いつもと変わらず彼は、荷馬車に乗り込む私に手を貸してくれた。
「はい」と元気に返事をして、北の地を目指す。
「がっはっはっは。良く来た灰の牙。おまえは必ず来てくれるだろうと信じておったよ」
穴熊酒場のマスターより、さらに大きな人を初めて見た。
白髪の大男は真っ青なマントを翻して、ハンターの背中をバシバシ叩く。
「陛下……げほっ、げほっ、熱烈なお迎え、痛み入ります」
「おぬしが来れば一騎当千。こたびの戦は勝ちじゃな、がっはっはっは」
「国境近くのゼシカ森に住んでいた薬師のビビです。彼女の滞在も許可いただければ」
突然薬師だと紹介されて、私は目を白黒させた。
「薬師だぁ?」
小山のような老人は、大げさに腰を曲げて私を見る。
さすがに恐ろしすぎて、ハンターの後ろへ逃げ込んだ。
「なんだ、小さい娘だな。薬師だなんぞと、軟弱なことを言っているからだぞ」
異端者の次は、軟弱者のレッテルを貼られた。
「アカランカはしばらく騒がしい。レナーテあたりでのんびり過ごせ。あそこに火の粉は飛ばさんからな。がっはっは!」
「ところで陛下「星の書」の話しは引き受けていただけたと思っていいんですね?」
大男の目が鋭く光った。
「男に二言は無い。便りを飛ばすのを待っていろ」
「今のがアカランカ国王陛下だ。あの調子でだいたい玉座より兵舎にいる」
「すごい迫力の人でした」
アカランカの街を歩きながら、物珍しさにきょろきょろしてしまう。
この町は山裾に構えられた巨大な砦のようだった。
山を背に質素で剛健な城があり、町はくねった細い道と、水路を跨ぐ橋とで迷路のよう。窓の小さい家ばかりなのも特徴的だった。
「陛下は教会だの信仰だのが大嫌いでな、アカランカ領には一つも教会が無い」
「一つもですか」
そうだ、と彼はうなずく。
「そのうえ、王に言わせれば、魔法も薬師も全部軟弱者のたわごとらしい。だからここでは思う存分薬師を名乗って構わない」
「でも……軟弱だって言われるんですよね?」
「あんたみたいのは、軟弱じゃなくて、かよわいって言うんだ」
なんだか、どっちもすごく嫌だ。
「もう一つナナムスとネジバロにはあって、アカランカには無いものがあるが、これも強烈だぞ。ここには、戸籍が無い」
「……どういうことだか想像もつきません」
だろう、と言ったハンターは何故か得意げだった。
「赤ん坊が産まれたら王に見せに行く、嫁さんをもらっても王に見せにいく。それを、アカランカ王は全部記憶している。国民全員の名前が言えるから、戸籍は要らないらしい」
この城塞都市だけでも、かなりの大きさだというのに本当にそんなことが可能なのだろうか。考える私に、彼は肩をすくめて見せる。
「紙にちまちま書き記すのは、軟弱なんだそうだ」
豪胆、ここに極まれり。なのだろうか。
アカランカのギルドに顔を出して、ハンターはここでも歓待を受け、一晩ギルドの客室に宿泊させてもらった。
翌日レナーテ村までの馬を借りに牧場へ行く。
南大陸の馬は小ぶりで、ナナムスの馬が中くらいだとすると、アカランカの馬は特大だった。
自分では跨がれなかったので、抱き上げて先に乗せてもらい、ハンターがひらりと後ろに飛び乗る。すると馬は出発の合図と勘違いして少し歩いた。
「わっ……と」
後ろにバランスが崩れて、ハンターの胸に頭が当たる。「大丈夫か」と声が降ってきたので、後頭部をあずけたまま、彼を見上げた。
「二人乗りは久しぶりですね。嬉しいです」
そうか、と彼はとても優しく目を細め、その後でニッと口の端で笑った。
「これは、久々に歩けなくなるビビが見られるな」
まさか。そんな軟弱者じゃない。
アカランカの馬はたっぷりの荷物と一緒に二人で乗っても、びくともしない。一足一足が力強く、速い。その分、揺れもなかなかのものだった。
レナーテ村までの道は、山道を下り、川沿いを走り、谷を越えて、もう一回山道を登る。
「ほら、意地を張らないで来い」
「胴まわりが違うので、乗り心地が全然違うんですよ」
村の入り口に馬をつないで、言い訳をしながらハンターに抱かれて歩く。もうあたりはかなり暗い。
すると、村の奥から青年が一人、こちらに駆けてきた。
「傭兵のグレイさんですか! ギルドから連絡を受けています」
「そうだ。世話になる」
久々の抱っこで登場に、恥ずかしくて顔が上げられない。
「えーっと、こちらは?」
「薬師のビビだ。アカランカからの道のりでこのとおりだ」
「あはは、女性にはきつい道です。誰か人を呼びましょうか」
本当に薬師の部分は、華麗に聞き流された。
「いいや、大丈夫だ。宿まで案内してくれるか」
「もちろんです、さ、どうぞ。荷物をお持ちしますね」
ハキハキとした明るい受け答えに、チラっと顔を上げると、人懐っこそうな目と視線が合って、また私は彼の腕の中で顔を伏せた。
いけない、今のはさすがに感じが悪い。
「これが、村の施設が全部入った建物です。右端が宿、廊下を渡って雑貨屋と酒場、さらに廊下を渡って集会所です」
平屋3つが渡り廊下で連結されたようなその建物を、村の青年は順に紹介してくれる。
「お疲れでしたらすぐに宿にご案内しますし、酒場に行けば食事を出せますよ」
「気が利くな、酒場に寄らせてもらおう」
酒場ですでに盛り上がっていた村人たちに、やんやと迎えられ、私はスープをもらう間も、パンをかじる間も、ずっとうつむいたまま過ごす。
「何だよ、お姫様みたいなお嬢ちゃん、こっちにも見せてくれよ」
「そうだ、独り占めはずるいぞ傭兵!」
彼女は死ぬほど人見知りだから、そんなひげ面でのぞき込んだら、泣くからやめろとハンターは言う。
かつてないほど、彼の気配がリラックスしているので、ここはいい村なんだろうと思った。
「はい、どちらも同じ部屋ですから好きなほうをお使い下さい」
二本のカギを受け取ったハンターは、その一本を私に持たせて、部屋に入れと目で合図する。私はよろよろしながら、左の方の扉を開けた。
木の香りがするその部屋は、小ぢんまりとしていて、海猫亭のような華やかさは無いが、素朴で落ち着く。
荷物をどうしたらいいのか思案しているうちに、窓がノックされた。
「一階で助かったな」
私が窓を開けると、するりと彼は部屋に上がってくる。
「どちらの部屋を使いますか?」
私が尋ねると、彼は肩をすくめた。
「思っていたより部屋が狭い。荷物はそれぞれ置こう。あんたは基本こっちの部屋を使ってくれ」
「同じ部屋じゃないんですか」
私が言うと、ハンターは片眉を上げて笑った。
「寝るときはこっちに来る。用があるのは、俺のカラダだろう?」
「なんだかこう、言い方どうにかなりませんか」
さっさと寝支度を済ませた彼は、先にベッドに横になる。
「さっき窓から入った時、これじゃあ夜這いだな、と思っただけだ」
よばい? と尋ねると、さあ、明日も早いぞ寝た寝たと、ハンターに寝かしつけられた。
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