4-9死の山

 舞踏会の招待客が、帰り支度をする城内のざわめきにまぎれて、北の塔へ上った。


 まっすぐにルミア姫の寝室に向かったヴァイスが、姫を優しく抱き上げると、ハンターが堂々とベッドを半分持ち上げる。私だけが驚く中、公妃はマットの下から小箱を取り出した。


「……まさか、ここに材料を隠していたんですか」

 外に向かってあんなに手紙や荷物を送っておいて、一番最初に疑われた場所に戻しておくとは、まさに灯台下暗しだ。

「探したところは、盲点になりやすいと言っただろう?」

 箱の中身を確認しながら、策士は片目をつむる。

「あれだけヴァイが騒げばその後、常に近衛兵長が塔に張り付いていても不自然じゃないしな」


「もちろん私は反対しましたが……殿下が良いと仰ってくださったのです」

 聖騎士の腕に横抱きにされている姫は、こくりとうなずく。

 膝をついて申し上げるのが正しいのだろうと思いながら、私はルミア姫の手を握って、しっかりと目を見つめた。


「材料を守ってくださってありがとうございました。明日、万能薬を作ります」

 決意を込めて声にすると、その場の全員がただ静かに、深くうなずく。

「よし、最終の作戦会議だ。聞いてくれ」

 北の塔の最後の夜に、ハンターの低い声が響いた。




 陽が登る前の暗い部屋に竜大公が現れた時、私とハンターはいつもの旅衣装を着て支度を整えていた。

「ビビ、準備ができたみたいだね」

 マクシミリアンが落ち着いた声でそう言ったので、私は星の書を胸の前に掲げた。


「星の書を用いて作る万能薬は、月の書に書かれている呪いを解く。それに間違いはありませんか」

「呪いの正体は分かった?」

 少年は私を試すように、質問を返した。


「ルミア様の体内の水を、月の引力と呼応させて繰り返し振動させる。それがあの呪いの正体だと思います」

 私には魔法の知識が無い。けれど、炎や癒しの魔法を考えるに、呪いの魔法だけが飛びぬけて強力な効果を持つとは思えなかった。

だから、体内の水といっても全身では無く、どこか一つの臓器限定の効果かもしれない。


「この魔法と合わせて、殿下は常になんらかの金属の中毒状態にさせられています」

 あえてそう断定して話を続けた。竜大公もハンターも一切口をはさまずに、ただ黙って聞いている。


「特に姫が苦しむ満月と新月の日に、大潮と同じく体内の水も最低から最高まで大きく動きます。この時、身体に留まった金属が浮上し、重篤な中毒症状を引き起こす」

 同時にこの不自然な水の振動が起こることが、姫の体から不要な金属物質を排出する機能を邪魔しているとも言える。


「まずは万能薬を用いて、この呪いの効果を消し、その後で、本格的に体内から金属を排出する治療を進める必要がある。私は、そう考えています」

 うん、と少年は目を細めて私の肩に手のひらを置いた。

「やっぱりボクの目に狂いはなかった。万能薬は呪いを必ず消す。きっと姫は元気になるよ」


「俺からも一つ確認させてくれ」

 今度は「ヤダ」とハンターの方を見もせず少年は舌を出すが、彼は気にせずに質問した。

「姫に呪いをかけたのは、皇后なのか」

 凍るような瞳でマクシミリアンは首肯し「愚かなことだね」と低くつぶやいた。


 そうか、とあっさりと納得したハンターは続けて問いかける。

「巫女になったら、ルミア姫はどんな仕事をする?」

「ひとつって言ったのに! でもそれはいい質問だから答えよう」

 何故か悔しそうに、竜大公はハンターの方を向いた。


「巫女にはこれから記憶を継承しながら、ナナムスを見守ってもらいたいんだ」

 記憶の継承? と私たちが顔を見合わせると、竜大公はにこっと笑った。

「そもそも、ヒトが愚かなのは、人生が刹那せつな的過ぎるからなんだよ。100年前の事を誰もちゃんと覚えてないから、同じようなことを延々と繰り返して、無駄な血を流してる」

 だから巫女には大切な記憶をずっと継いでもらえるようにするんだと、彼は言う。


「それは……巫女にとって負担では無いのですか?」

「負担が無いとは言わない。だから、巫女は世襲制にしないよ。一代限りで、また新しい巫女を選んでいくつもり」

 それに、と少年は少し切なそうに眉を曲げた。


「この次の巫女は、王家とも教会とも関係ない人から選びたい。王様だって、結婚するまではこんなんじゃなかったんだ」

 皇后の言いなりで抜け殻のようなナナムス王も、最初からそうではなかった。

 でも、配偶者や取り巻く環境で人は変わる。それを竜大公がどれほど歯がゆく思ったのかがその声ににじんでいた。 


「それにこのままじゃ、ナナムスはハセルタージャに滅ぼされちゃうんだよ」

「あの新興国にか?」

 ハンターが驚いたように声を上げた。

「今すぐじゃない。でも、ボクの感覚ならそんなに遠い日じゃないんだ。今の教会と王家の腑抜けた関係では、その日を防げない。滅びていくナナムスを見るのは、やっぱりイヤだよ」


 彼もまた、自分の大切な者たちの未来のために、心臓を捧げる覚悟を決めたのだろうか。

 片腕など惜しくないと言ったハンターと竜大公は、まるで正反対に見えるのに、どこか良く似ているようでもあった。


「さあ行こう、止まってしまう前にボクの心臓を取り出し、巫女を救って」

 マクシミリアンの言葉に、薄く開いていた扉の前から立ち去る足音が聞こえる。ハンターのセリフを拝借するなら三流の仕事だ。


「いいのか?」

 ハンターの言葉に、少年はもちろんだよと言う。

「盗み聞いた報告を受けた皇后は、心を入れ替えて、巫女を救う勇者たちを万歳三唱で見送ってくれる。今までの過ちを悔い、守護竜の尊い犠牲に感謝して、巫女に万能薬を飲ませる。そして、巫女の手に委ねられたナナムスは、とこしえに繁栄するのでした。めでたしめでたし」


 凄腕の狩人は、皮肉に笑った。

「俺はひねくれているからな。万歳三唱で送り出された後が、オマエの予想と少し違うぞ。口うるさいドラゴンが消えて、新しいヒナが手に入るなら、今度はそいつの首に縄をつけて最初から飼いならそうと考える」

 彼は確信めいた口調で続ける。 


「薬ができた頃に聖騎士が山ほど押しかけて、万能薬を奪い、そこで野良犬と薬師は用済み。新しい守護竜が言いなりになったら神託をうやむやにして、最後に邪魔な第二公妃と姫の首を落としてしまいだ」

「そんな愚かで怖い事、考えもしなかったなー」

 小首を傾げた少年の瞳に、暗い炎がゆらめいている。


「なのに、ボクがビビを死の山に連れて行くのを許すの?」

 マクシムが問うと、ハンターは私の肩に腕を回した。

「どれだけ危険でも困難でも、うちの薬師はもう覚悟を決めた。俺にできるのはビビの仕事の邪魔をさせないことだけだ」




 竜の背に乗って、山道を見下ろしながら、中腹に開かれた火口へ降りる。死の山は名前の響きとは真逆の、命の鳴動に満ちているようだった。

「お出かけですか、行ってらっしゃいませって、あれほど兵士のセリフを揃えてくると、さすがに笑えたな」

「つられてボクまで吹いちゃったよ、怪しまれたらどうするのさ」

 まるで散歩を楽しむように二人は歩いて行く。


 道のすぐ脇には赤熱した岩が転がり、草木の一本もないむき出しの岩肌の隙間からは、溶岩があふれる。地面自体が煮えるように沸く場所もあった。

 それでもこの場所を、熱いと感じない。遠くに吹きあがる噴煙を見ると、少し蒸し暑いような気はするが、ハンターもベストすら脱いでいない。

 山全体に響く、ドウ、ドウ、と鳴り続けている音には、心音に耳をすましているような不思議な安らぎさえ覚えた。




「はーい、到着。ここが命の祭壇です」

 火口を見下ろす高台に、黒い一枚岩でできた平らな台座があった。マクシミリアンはその上にひょいと登ると「ビビ先生、準備をお願いしまーす」と挙手する。


 私はあらかじめ調薬しやすいよう下準備していた3つの素材を、片側の星型の中へ置き、風に飛ばないように本を閉じた。

 そしてカラカラに乾燥していたマインドイーターの花びらを乳鉢で丁寧に砕いて、数種類の薬草と共に高濃度のアルコールで希釈する。


「切っ先をもう一度研いでください」

 ヴァイスに用意してもらった聖騎士用の新品の剣を、ハンターはもう一度水筒の水で丁寧に研ぐ。

「……準備ができました。こちらの姿で初めても?」

 台座の上で仰向けに私を見上げたマクシムは、どうして? と小さな声で尋ねる。


「麻酔の量を変えなくてはいけません」

 竜の姿と、少年の姿。与える相手が同じだから無意味なことかもしれないけど、感覚的にどうしても同量にはできない。

「いいよ、そんなの……やさしいね」

「必要の無い苦痛を与えたくないですから」

 言い終わらないうちに、台座の上には黒龍が横たわっていた。

「こっちの姿でも、ビビは悲しい? ボクだと、思ってくれる?」


 蒼く潤む瞳をみつめたら、覚悟がぐらついてしまいそうで、私は固い甲殻に覆われた鼻先に額を押し付けた。

「当たり前じゃないですか。今日ほど自分の考えなしを悔やんだことはありません。心臓を薬の材料にしようなんて、こんな……こんなことだと、思っていなかったの」

 ハンターも多分、同じ気持ちでいるのだと思う。私たちの旅に、友人の心臓を取り出すような覚悟は無かった。


「マクシム様……ごめんなさい」

「ビビ……謝らないで。これは何より、ボクの願いなんだよ。さぁ、時間だ。はじめよう」

 ヘマしたら許さないからね、とドラゴンはいつもの軽い調子で言い、ハンターは深くうなずいて請け負った。


「私の手が胸に触れているのが分かりますか」

「わかんない。麻酔なんかしてもらわなきゃよかった。少し離れて、でも血が出るまでは、ボクの手を握ってて」

 片手に星の書、もう片手にドラゴンの光る爪を握りしめ、黒龍の傍らに立ったハンターを見上げる。

「……お願いします」


 両手で柄を握り、まっすぐに突き刺した剣は、胸の甲殻の隙間に音もなく沈んだ。

 見開かれた目の中で、瞳孔が胸を開く剣の動きに合わせて激しく収縮する。

「血があふれる、足元に気を付けろ」


 彼の声と同時に、祭壇から滴った真っ赤な血がそのまま炎に変わった。

 初めて熱いと感じ、とっさにマクシムから手を離してしまう。ドラゴンの腕はそのまま力なく地面へ垂れた。


 頬を濡らしていた涙があっというまに塩に変わる。

 熱風を吸い込まないように口をおさえて、星の書を開いた。ドラゴンの身体を横向きに変えたハンターは、血に触れないように内部で剣先を動かし、手を止めて私を強く見つめる。


「いくぞ」

 はい、と私が答えると彼は竜の上へ屈み、開いた胸からまだ拍動している心臓をつかみだした。


 二の腕まで血に濡れたハンターが立ち上がるのと、彼の左腕を炎が包んだのは同時。微かに顔をゆがめただけで、彼は確かな足取りで私のもとまで歩いてきた。

「そのままこの上に心臓内部の血液を」

 彼が右手で愛用の剣を抜こうとする間にも、猛烈な熱風と肉が焼け焦げていくにおいがする。


「間に合わない……そのまま、握ってください」

 私が後ろへ飛び退ると、ハンターは業火に焼かれながら左腕に力を込めた。

「が……あああっ!」

 咆哮と共にドラゴンの血と、皮膚を焼かれたハンターの血が器に注がれる。


「心臓を離して、炎を消して下さい!」

 水で濡らしておいた布がある方向に進みはじめた彼は、途中で膝をついた。

 手のひらではまだ潰れた心臓がごうごうと炎をあげ、おそらく離すことすらできなくなっている。


「あ……ダメ。燃えちゃう」

 視界が炎に塗りつぶされて、うまく息が吸えない。私が失敗したら、なにもかもが無駄になる。でも、彼の腕が。マクシム様の心臓が。


「ビビ……大丈夫だ」

 ゆったりとした声で、ハンターは言った。

「あんたは俺が見込んだ薬師だ。皆を救い、俺を地獄じゃなくて、天国に連れて行ってくれるんだろう?」


 彼の話す声に呼吸を合わせる。

 毎晩聴いた心臓の速さで、自分の心臓を動かし、こわばった指先まで血を送る。

 深呼吸してから、星型の中で3つの材料を混ぜ合わせた。制御しきれなかった涙が落ちるのを何度も袖で拭う。

 あらゆるものを燃やすドラゴンの血は、もう一つの星型の中では炎を上げることはなく、ただ命のきらめきのように赤かった。強く強く祈って、本をパタンと閉じる。


 チリ、チリリ、と微かな鈴の音が頭の中に響いてきて、星の書が震えたかと思うと、本の合わせ目から清浄な水の力があふれ出た。

 辺りを燃やしていた炎が消え、嘘のように熱風も消える。


「……よくやった」

 はい! とハンターの方へ顔を向けた私は絶句する。膝をついた彼の腕は見るも無残に焼けただれていた。

 しかし彼は、不敵に笑って腕を掲げる。

「さて、俺の薬師よ。絶対にこの腕を治してくれ」




「頑張ったね、ビビ、ありがとう」

 祭壇の上で、ぐったりと頭を伏せたままのドラゴンは、気遣わし気な声でそう言った。

「マクシム様……」

 駆け寄って竜の首に腕を回す。


「あの、あのね、怒らないで聞いて欲しいんだ」

「薬は無事に完成しました。たったいま、あなたの新しい心臓が動き始めたことも確認しました。何を怒ることがありますか?」

 ハンターに肩を貸して、ドラゴンの前に立った私は、はい、あーんしてくださいと黒龍の口を開かせ、彼の左腕をその中へ突っ込んだ。


「!?」

「あなたの唾液にも、強力な治癒能力があることは確認しています。少しこのままでいて下さいね。今のうちに胸の傷をふさいでしまいましょう」

 まだ目を白黒させつつも、自分をにらんできたドラゴンの顎を、ハンターはするりと撫でた。

「いい子だ。歯を立てるなよ?」 

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