4-8舞踏会

 しかし、急に降って沸いた舞踏会への招待は、着るものだけが問題ではない。


「あぁ、ヴァイスさんごめんなさい」

 何度目かわからないほど靴の先を踏んで、私は涙目になった。

「いえ、鎧はつま先まで鉄板でできております。気になさらないで」

 どんなフォローだと、ハンターが笑う。


 私は北の塔の階段下の広場を片付けて、ダンスの練習に励んでいた。

 ルミア姫の寝室が荒らされた後からヴァイスは、北の塔を一歩も離れない。全ての仕事を持ち込んで、扉の前で立ったまま寝ているのだと、部下の人たちは噂している。


「私もダンスは得意ではありませんが……ビビさんはそれよりもう少し不得意という感じでしょうか」

 手先が器用そうだから意外で、と定型文のような慰めを聞きながら、私はしょんぼりしてぬるくなったお茶を飲む。


「王子からの求婚をどう断るかが最大の難関だと思っていましたが……」

 ヴァイスのつぶやきに、ハンターが肩をすくめる。

「さすがにこのダンスは、不敬ふけいに当たるだろ?」

 不敬のダンス! あんまりだ。


「ギル、言い過ぎですよ。ビビさん、大丈夫です。まだ舞踏会まで時間はありますから、毎日ここで練習しましょう。部下にも手伝わせます。きっと一曲くらい乗り切れるようになりますよ」

 そんなに総出で当たってもらっても、「乗り切れる」が最大値である自分の運動神経に泣きそうだった。



 

 久しぶりに姿を見せた竜大公と何やら話し込んだあとで、今のうちに死の山の地理を把握してきたいと、ハンターが相談してくれた。

「すごいヤだけど、ボクが乗せて送迎する」とマクシムは顔をしかめる。


 私も一緒にと思ったけれど、ハンターと竜大公が二人で行くほうが効率がいいのは分かり切っている。

 それに、私には王子の足を踏まずにステップだけ踏むという宿題が残ったままだ。いってらっしゃいと言うと、ハンターはすぐ戻ると頭を撫でてくれた。


「ねぇ、ビビ。ボクとも踊ってよ」

 ぱっと手をとられて、私は石の床の上でステップの数を数える。

「あはは、必死な顔もかわいい! ビビに踏まれたって全然痛くないよ、もっとのびのび踊りなよ」


 竜大公にまで手ほどきを受け、ヴァイスの部下全員の足を踏んでも、私のダンスは全く上達しないまま、舞踏会の日がやってきた。




 支度が終わって鏡を見ると、これがハンターの「作品」なのかと謎の感動を覚えた。耳飾りの一つまで完全に調和して、楚々とした令嬢を作り上げている。

「本当にお綺麗です。さぁ、坊っちゃんにも見ていただきましょうね」


 手を引かれて小部屋を出ると、見慣れない服に身を包んだハンターが、ゆっくり振り返ったところだった。

「完璧だな」

 その言葉をそのままそっくり返したくても、初めて見る彼の礼装にすぐには言葉が出てこなかった。


 全身黒一色の上等な三つ揃えは、ベストの模様にだけ光沢があり、金の縁取りが控え目に華を添えていた。

 彼のしなやかな体つきを引き立てるシルエットが、革靴のつま先で凛と整っている。

 いつもは雑に流してあるだけの髪も、無精ひげも、今日はきれいに整えられていて、改めて端正な顔をしているのだと思った。


「どうした、惚れ直したか?」

「ええ、あなたこそ完璧です」

 私の答えを冗談だと受け取ったのだろうか、ハンターはいつもの皮肉な笑いを浮かべた。

「王子に見初められるのが俺ならいいが、そうはいかんだろうな」


 近づいてきたハンターは「ヴァイスは対の書の場所をつかんでいる。ひと暴れして目くらましするか」と私にだけ聞こえるように囁く。


「では、お嬢様をエスコートする名誉を」

 恭しく差し出された手に、手のひらを重ねると、華やかな音楽に満ちた舞踏会場が開かれた。


 会場に入ると、一斉に皆の目がこちらへ向く。ハンターの後ろへ逃げ込みたい気持ちを今日はぐっとこらえた。

 顔を上げて、胸を張って、一歩ずつダンスフロアへの階段を降りていく。


「みんな、どうしてこんなにいつまでも見てくるんですか、私、何かおかしいですか」

 ざわめきに消えるくらいの小さな声で問うと、ハンターはいや、何もおかしいことはないと言う。

「あんたくらいの逸材をエスコートするのは、最高に気分がいい」

 彼の全く役に立たない囁きを聞きながら、少しずつ少しずつ壁の方へ移動する。


 ちょうど目立たなさそうな立ち位置を確保したところで、両陛下と3人の王子が入ってきた。今日も皇后陛下はどぎつい玉虫色のドレスを引きずって着座し、舞踏会の開会を宣言する。


 器楽隊が演奏のボリュームを上げ、さっそくホールに踊りの輪が開かれた。

 私にもすぐにダンスの誘いが来たが「来たばかりだ」「緊張している」「喉が渇いているようだ」とハンターは適当にあしらっていく。


 2曲ほど終わった後で、前方から聞きなれた嫌な声が近づいてきて、ハンターは露骨に顔をしかめた。聖騎士ゼペットの登場だ。


「さすがは野良犬。壁際が似合いだというくらいの分別はあったようだな」

「聖騎士様も大概しつこいな」

 やれやれと首を振るハンターに、まわりのご令嬢から視線が集まる。


「なんだと、平民の分際で昔からなんという不遜ふそんな態度。許さんぞ、ルノー家に対する挑戦と受けとる!」

「昔は知らんが、誰がこんな場所で貴族に喧嘩を売る? なぁ、お嬢さん、言いがかりだと思うよな?」

 隣に立っていた令嬢は、ハンターに流し目で話を振られて、思いますぅと返事をした。


「昔は知らん……だと? キサマ、忘れたとは言わせんぞ!」

 マクシミリアンが言っていた、一番怒るルートに突入が確定した。

「上流学校の先輩であり、貴族の中でも王家の覚えもめでたき、このゼペットの! 顔面を足蹴にし、文句があるならいつでも来いとわらった! 公衆の面前で鼻血を拭きながら、どれだけ屈辱的だったことか……許さん!」


「あー、すまないな。その頃の通常運転で、心当たりがありすぎる」

 本当に本当に悪い生徒だったらしい。

 沸騰寸前のヤカンのようになっているゼペットのもとへ、護衛を引き連れた青年が二人やってきた。


「ゼペット、案内をするんじゃなかったのか。オレたちを置いていってどうする。おぉ、この子が薬師か? なんだよ可愛いじゃないか」

「ちょっと、兄さん、さっきは薬師なんかイヤだって言ってたじゃないですか。僕が引き受けるから、まかせてくださいよ」

 押し合いをはじめる二人を、第二と第三王子殿下だとゼペットが紹介する。高座からは、第一王子と共に、刺すような視線で皇后がこちらを見ていた。


「まずは一曲踊ってやろう。苦しゅうない、手を握っていいぞ」

 伸ばされた手から身をすくめるように、ハンターの腕にすがると、彼は控え目な声色で言った。

「内気な娘です、あまり急では……」

「黙れ、オレは娘を誘っているんだ。おまえは下がれ」

 王子兄弟と、ゼペットと、その他大勢からの値踏みされるような視線を浴びて、震える手を悟られないようにハンターの横まで進み出る。


「恐れながら申し上げます。薬師は人妻の身でございます。殿下のお相手の栄誉は他のご令嬢に謹んでお譲り申し上げます」

「何だと? 人妻!? こいつが夫だというのか」

 ハンターと私を見比べながら、素っ頓狂な声を出す二人に、頭を下げたまま答える。

「はい。花嫁衣裳を着て、たくさんの方に祝っていただきました」


 皇后に耳打ちしていた従者が離れると、彼女は恐ろしい顔で手の中の扇を折った。

「なんだ、少し待てばオレがもらってやったのに、もったいないことをしたな」

 興味を失ったように、王子二人が離れていく。


 未婚の男性が、既婚女性にダンスを申し込むのはマナー違反。

 それより先に嫁を探せというのがナナムスの貴族界での常識らしい。ヴァイスからこの案が出た時、ハンターはひどく難色を示したが、うまくいってホッとした。


「キサマ、このような若い娘を……ぬうう」

 まだ諦めきれないゼペットだけが、私の前で地団駄を踏んでいる。次の曲も始まったことだし、もうみんなこっちを見てないで踊ってくればいいのに。


 頭を下げたままの私の顔の前に、太い指がぬっと差し出された。横でハンターが舌打ちしたのが聞こえる。

「では娘、私と踊る栄誉をやろうではないか。私も妻帯者だからな、何の問題も無い」

 油で固めた髪が今日も一段と光輝いている。ニヤリと笑って、さぁと私を急かす。


「北の塔でコソコソ練習に励んだようだが、少しはダンスが上達したか? ヴァイスの部下のを握ったのは、手だけか? かわいい顔をして、とんでもない女だな」

 いやだわ、とクスクス笑う声があちこちから上り、ユラリとハンターの気配が不穏なものに変わる。


 でも、今ここには書を探しに行ってくれているヴァイスはもちろん、彼の部下も、竜大公も、第二公妃も居ない。ひと暴れしたとして、勝ち目があるのだろうか。


「うぅん? 皇后陛下の舞踏会に招かれて、私は踊れませんでは済まんことくらい、覚悟しておくんだったなぁ!」

 ここで私がゼペットと不敬のダンスを踊ったら、それはそれで彼らの思い通り。

 貴族の足を傷つけたとでも、皇后の舞踏会に泥を塗ったとでも、どんな方向からでも罪を着せてくる。

 先ほどまでとは打って変わって、皇后もこちらを楽しそうに観察している。どうしたらいいと、拳を握りしめた。


 一瞬ふわりと風が起こり、対面していたはずのハンターが、自分の真横に立っていたことに、ゼペットは息を呑んだ。

「確かに、せっかく皇后陛下の舞踏会にお招きいただいたのに、一曲も踊らないなんてもったいないことだな」

 ハンターがかかとを鳴らしただけで、ゼペットはビクッとする。


「しかし聖騎士様にお相手いただくには、妻が緊張しすぎているようです。準備運動の時間をいただきたい……おいで、踊ろう」

 彼の甘い声音に、周りから黄色い声が上がった。

 私もついうっとりと手を差し出してしまったが、ホールの中央に近づくにつれて焦りが高まる。


「後半不在だったので見ていないと思いますが、ほんとに全く上達していません」

 ちょうど曲の終わりだったので、今まで踊っていた人たちが次々とフロアからいなくなってしまう。

「俺も社交ダンスはやったことがないが、安心しろ、さっき見て覚えた」

 全然安心できない一言を放ったハンターは、私の前で優雅に一礼する。 


 弦楽器の高い響きでワルツが始まり、私たち二人だけが立つダンスホールを、皆が好奇に満ちた目で見つめる。

 背中に回された手も、腕に添えられた手も、今まで相手をしてくれた誰より力強い。慌ててステップを思い出そうとすると、彼は笑って囁いた。

「バタバタするな。どうせ足元は見えない。ちょっとそのまま足をひっこめて浮いていろ」


 彼は正確なステップで、流れるように足を運ぶ。私はただ抱かれて浮いているだけなのに、会場にほぅと感心するようなため息がもれた。

「もっと体を預けていいぞ、回る時は空いてるほうの腕をひらいて。上手だ」

 魔法にかかるように、彼の目を見つめてくるくると回る。


「次に今のと同じ拍子がきたら、床に降ろす。こっちの手は離さず、二歩下がってまた戻って来い」

 つま先が床に触れ、まろぶように二歩下がると、再び腕に抱かれた。拍手が沸いて、何よすごくいいじゃないと誰かが声をあげた。


 また、静かな曲調に戻って、ドレスの裾がゆらゆら揺れている。今度はもう抱き上げられていないのに私はハンターの足を踏まなかった。

 顔を上げてろと、彼の指で顎をすくわれる。


「もう良さそうだな、あんたは基本、勘がいいんだ。俺と一緒ならどう動いたらいいか、分かるんじゃないか?」

 背中を支えられたので、体を反らす。

 

 大広間のドアでは見張りの兵が頭を並べてフロアをのぞき込んでいた。貴婦人も、給仕のメイドも、みんなハンターを見ている気がする。

 それなのに、彼の目には今、自分だけが映っている。「私が一番でしょう」って今なら言えるような気がした。




 曲の終わりと同時に、鬼のような表情で皇后は席を立った。

 衛兵たちが慌てて道を開けろと騒ぎはじめると、ゼペットも皇后の元へ駆け出し、皆の注目がそちらに集まる。


 ハンターはその隙に私を抱いて、影のようにダンスホールを出た。そのまま中央棟の奥まった場所にある部屋まで行くと、扉を独特のリズムでノックする。


 中から扉を開けたヴァイスは早速、一冊の本を差し出した。

「宝物庫から失敬してきました」

「月の書」と書かれた本を開くと、そこには星の書とはうって変わって、細かな文字が書き記されている。

「これは……」

 私には判別できなかった文字から顔を上げると、ハンターとヴァイスは同時に「魔術書だ」とつぶやいた。


 しばらく真面目な顔で紙面を見つめていたハンターは、ダメだと息を吐いた。

「炎の魔法だって勘でモノにしたんだ。魔法理論はさっぱりだ」

 代わりにヴァイスがしばらく解読を試みてくれる。

「これは……小さな容器の中の水に、波を起こすような魔法ではないでしょうか。しかしこんな魔法があるなんて聞いたことが無い」


 それに、とヴァイスは繰り返し出てくる文字を指さす。

「これは、何を表すのでしょうか。波を繰り返し発動させる役割を担っています」

「魔法のことを俺に聞くな」

 完全にお手上げのハンターの横で、私はヴァイスを見上げた。

「それがこの書の名前でもある「月」ではないでしょうか」


 月の引力を利用して、繰り返し水を震わせる魔法。全部のパーツがそれでピタリとはまった気がした。

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