4-7軽い青
皇后が扇をピシャリと閉じると、会場は水を打ったように静まり返った。
「ゼペットに思い違いがあったようじゃな。よい、裁判は終いじゃ」
一言の謝罪も無く閉廷しようとしたことに、マクシムが冷やかな視線を向ける。
「ボクのお客様を疑っておいて、それは無いよね? ごめんなさいだよね?」
竜大公とは目を合わせず、皇后はハンターを見下ろした。
「客人、不服があるならば申せ。ゼペットの首が欲しいか」
ヒッと首をすくめたゼペットを見もせず、ハンターは恐れながらと口をひらいた。
「もしも皇后様からお言葉をいただけるならば、去年の夏のアカランカの件を、うちの薬師に賜りたい」
何じゃと? と眉を跳ね上げた皇后は少しの間の後、甲高い声で笑い始めた。
「そうか、あの毒を作らせたのはゼシカの薬師であったか! ははは、どうじゃった、アカランカで責められたか? なじられたのか?」
私はただ、唇を噛んでうつむく。
「せっかくわらわが授けた策だというのに、毒のワインでアカランカ王の命も取れず、莫大な金をかけた山越えでも戦に勝てん。薬師も聖騎士も呆れるほど無能じゃ、わらわが謝る筋合いなどないわ!」
ハンターとマクシムが同時に息を吸ったタイミングで「しかし薬師よ、もう良いのじゃ」と皇后が先んじた。
「敵国とはいえ、レナーテ村での働きはわらわの耳にも届いておる。薬師の
能面のような顔で、目だけが三日月型に細まる。
「竜大公様。薬師に巫女の素養があると言ったこと、今の今まで忘れておりました」
彼女の言葉の意図をおそらく一番先に理解したのはたぶんハンターで、慌てて顔を上げたが皇后の言葉を遮るには立場が弱すぎた。
「わらわの名のもと、ゼシカの薬師を歓迎して舞踏会を開くことにいたしましょう」
高らかに宣言された後で、マクシミリアンはやってくれるね、と小さくつぶやいた。
謁見の間を出てすぐに、北の塔に行こうとハンターが言う。
マクシムは姫に会うとやりずらくなりそうだから、ボクは遠慮しておくと笑って、近くの窓から飛び去ってしまった。
廊下を歩きながら、ハンターは険しい顔で囁いた。
「アカランカの件、相談もせず持ち出してすまなかった」
彼は必要も無いのに、わざわざリスクの高い話をしたりしない。
「私も、あなたのことを信じています。心配しないでください」
ぎゅっと握った手のひらを、彼も握り返す。
「無駄にはしない」
北の塔に上り公妃とヴァイスの前で、裁判の一部始終の話をする。
巫女と守護竜の話は、もはや避けて通れなかったので、それも全て説明するとアニエス様は貧血を起こして倒れてしまった。
公妃を寝室に寝かせに行ったヴァイスが戻ってきて、眉間にシワを寄せたまま私を見つめる。
「皇后の狙いは、舞踏会で3人の王子のうちの誰かとビビさんを踊らせ、求婚させて、ナナムス皇室に「薬師の巫女」を立てる。これ以外考えられません」
そういう知恵だけは本当に良く回ると、ハンターも顔をしかめる。私も深刻な顔でうつむいていると、ポンと頭に手が乗せられた。
「ビビの場合、もはや求婚されグセみたいなもんだろ。今回も何とかなる。姫がお目覚めだぞ、行ってこい」
そんなやっかいな癖はいらない、と思いながら背中を押されてルミア姫の寝室へ入る。
「来てくれたの……!」
ベッドに身を起こした姫から、思いがけずハグで歓迎されて、私は彼女の薄い背中を撫でた。
「起きられるようになったんですね。良かった」
あなたのおかげよ、と彼女は涙ぐむ。
一通り診察が終わったので、私はハンカチに包んだビスケットを差し出して、令嬢のお茶会のできごとを話して聞かせた。
「それで、本当にもらってきてしまったの?」
「はい。全部召し上がってと言っていただいたのですが、食べきれそうもなかったので」
笑った姫がビスケットのカケラでむせたので、慌てて水を差し出す。
「ビビは強いのね。ナイトの彼もとびきり優秀だわ」
言ってから、彼女は自分の口元を押さえる。
「あ……勝手にごめんなさい。私もビビと呼んでもいい?」
もちろんですと言うと、殿下は手の中のコップを見つめて少しためらった。
「私のことも、ルミアと呼んでくれる?」
城の滞在期間は短いが、平民の自分が、殿下と称される人を名前で呼んでいいかどうかくらいの判断はつく。
答えはもちろんノーで、恐れ多いと頭を下げるべきだ。
「……私、教会の言いつけを破り、男と逃げた不良の薬師なんです。なので……ルミア様と呼ばせていただきます。そういうつもりでよろしくお願いします!」
「やだ……あはは。不良って、こんなに可愛いのに信じられないわ」
姫が眠った後、部屋に戻るとヴァイスが居らず、代わりに公妃が戻ってきていた。
「ルミアの見舞いをありがとう」とほほ笑んだ顔に、先ほどまでの狼狽は見えない。
ハンターは、テーブルの隅で書き上げた手紙に封をして、ヴァイスの部下に託したところだった。便箋と封筒は公妃のものを借りたのか、薄紫の封筒に力強い達筆が走っている。
今日も公妃はお茶を入れてくれて、しばらくの雑談の後でポツリとつぶやいた。
「今だから言うけれど、灰の牙が届けてくれる包みを開く時、一緒に黒い砂がこぼれる幻が見えるような気がしていたの」
今まさに、手のひらからその砂がこぼれるのが見えているように、公妃は若草色の瞳をかげらせる。
「罪悪感なんて言葉にするのも軽薄なほど、私はあなたの手を汚させてしまった。ヴァイスもあんなに優秀な子なのに北の塔に縛り付けて……」
カップを置いたハンターは、優しい声で言った。
「陛下、俺たちはもう生徒じゃありません。自分の意思で何でも決めて選んできた。その結果に俺もヴァイも、結構満足しているんです」
そうねごめんなさいとアニエスは目のふちをぬぐった。そして今度は私のほうをまっすぐに見る。
「だけどあなたが来てからは、この塔に光が差し込んできたみたいに明るくなったわ。ルミアがあんなに笑うところを初めて見たの」
それにね、と公妃は少しいたずらっ子のような瞳で私に顔を寄せた。
「手紙だけでやりとりしていた「灰の牙」と、だいぶ印象が変ったわ。あなたには、てんで弱くて、少しかわいい。人に慣れたオオカミみたいだわ」
ゴホンとハンターはわざとらしく咳払いする。
「犬だのオオカミだの、悪口はもう少し小さな声で願いたいものです」
客間に戻った私が、絹の寝間着に着替えて出て来たのを、彼は額を抑えて見る。
「代わりを頼むのを忘れてた。まぁ、今日はそんなこと言ってる場合じゃないか。早く来い、疲れただろう」
「そうなんですけど、いろんなことがありすぎて、眠れないかもしれません」
そういう時のあんたが一番やっかいだ。いいから寝てくれとハンターに懇願される。
ベッドにうつ伏せになると、沈み込むような疲労感があるのに、まだ考えなくちゃいけないことも山ほどある気がして、ぐるぐる歩き回りたい。
「足をパタパタするな! 全く、この服の凶悪さは、どこぞの娼……」
言いかけた言葉を自分の手で塞ぎ、しばらく寝そべる私を見下ろしている。
「そういえば、俺の一番大切な人って、誰を思い浮かべて言っていたんだ?」
もう完全に過ぎ去りきったはずの話を持ち出されて、ぎくっと体をこわばらせてしまった。
「……なんのことです?」
「レナーテで言っていただろうが。まさかあんたに俺が
確かに彼はあの時酔っていたが、翌朝全部覚えていると言ったことも思い出す。
「ハセルタージャの踊り子じゃないだろうな?」
ヴァイスが彼を「何でそう、昔から変なところで鈍感なんですか」と嘆いていたのがよくわかる。踊り子のお姉さんは、甘い香りの印象が強すぎて顔が思い出せなかった。
「アニエス様以外の誰を勘違いするって言うんですか」
「第二公妃をか!?」
これは本気でびっくりしてる顔だ、こっちがびっくりする。
「だって、公妃様のために騎士学校をやめて、ハンターになって、今までずっと陛下のために働いてきたんですよね?」
「いや、それは大げさだ。騎士学校はヤケになって辞めたが、食うためにハンターになって、できる依頼を手伝ってきただけだ」
本気で焦った顔をして、彼は言い
「でも、腕を失ってもいいから、万能薬を作ってあげたかったんじゃ……」
「陛下のためだけじゃない。ルークにも言った通り、万能薬ができれば俺の周りの人間が一気に救われる。その代償に俺の片腕は高くないと思ったんだ」
なんだ、あんたゴナスで陛下に会った時からずっとそんなことを考えていたのか、とハンターは眉を下げた。
「こんなに長く……バカだな、何で言わない」
「戦争から戻ってきてくれて、ルークさんに言ってくれたこと、私に直接言ってくれたこと、それで満足していました」
嫌いなはずのシルクに包まれた体を、彼はぎゅっと引き寄せる。
「そういうところは、もっとワガママを言え。私が一番でしょうって、ビビになら百回聞かれても構わない」
「イヤですよ。そんな恥ずかしいこと」
間髪置かずに断ると、だからあんたの恥のポイントはどこなんだと彼は苦笑した。
「ナナムスまで呼びつけて、特急の仕立てを頼むなんて、無理を言ってすまんな」
「なんのなんの、皇后陛下主催の舞踏会に着るお衣装を作るなんて、仕立屋として最高の栄誉でございますよ」
ハンターと仕立屋のご主人のやりとりを見ていると、すっと鏡の方へ顔をむけられた。
「お嬢様、もう少しですからまっすぐ前を向いてらしてください。あら、だいぶ背が伸びているわ」
物差しの数値を見比べた女性は、手帳の方の数字を書き換える。
セブカントでワンピースを買ったお店のご夫妻が、何人かのお針子さんを連れて城まで来てくれていた。
「最初にお会いした時より、体つきも女性らしくなられたから、どんなドレスもお似合いになりますよ。まずは色から決めていきましょうか」
3人のメイドが、桃色だ黄色だとかしましく布束を選んでいるうちに、ハンターが椅子を持ってきて、鏡に映る私の後ろに座った。
「色はこれか、これ……もう少し軽い青がいい。ああ、いいな」
肩にかけられた布に、仕立て屋のおかみさんとハンターは同時にうなずく。
「髪が伸びたから少し上げよう。小さい花を挿して、片耳だけ出す」
装飾品は細い銀を、レースは控え目に、代わりにスカートのボリュームを最大にと彼は次々注文していく。
動くハンターに、仕事がしずらそうに待ち針を打っていたご主人は呆れたように声を上げた。
「坊っちゃんが女性に服を贈られるのは珍しくもありませんが、こんなに熱心なのは初めてですよ、お嬢様のご希望は伺わなくてよろしいんですか?」
言われて初めて、鏡の中の自分を他人事のように見ていたことに気づく。その場に相応しい服になるなら私は何でもいい。
「いいんだ、彼女はレースにも宝石にも興味が薄い。俺が綺麗に仕立ててやるから、全部済んだらガラス屋に行こうな?」
「いいんですか!」
思わず振り返った私を、仕立て屋のおかみさんはまた鏡の方へ戻す。ガラス屋? と首を傾げたご主人に、ハンターは靴はこれだなと差し出した。
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