4-10巫女

「あと何回拍動したら止まるかまで分かる、とあなたが言った時に、まるで経験したことがあるみたいだなと思ったんです」

 ハンターの左腕をくわえたままのドラゴンは、不服そうにこっちを見つめる。


「そして、ナナムスがハセルタージャに滅ぼされる未来を見たくないと言った時、あなたがここで死ぬつもりは無いのだと気づきました。けど、その心臓を捧げて万能薬を作らせたいと言うのも嘘じゃない。それでドラゴンの心臓は複数あって、一つが止まってもまた新しいものが動くようになっているんじゃないかと」

 胸を開いたハンターもそれを確認して、一つを取り出した。


「もう治ったでしょ、ペッペッ。このオジサン、サイテーだよ」

 ドラゴンが吐き出したハンターの腕は、どこにも火傷の跡が無い。唾液に濡れたままの手を、何度も握ったり開いたりして、これはすごいなとつぶやいた。


「だから、雪ナマズの時も、あんなに怒ることなかったんですよ」

 私が言うと、ほう? と彼は凄んでくる。唾液快癒だえきかいゆ会の一員になってほしかったのに、融通がきかない。


「もしかして、城でボクの口に木のヘラをつっこんだのは、唾液の効能を調べるためだったの?」

「もちろん心臓の病気が無いかも調べましたよ」

 いつの間にか少年の姿に戻っていたマクシムに、これなら足りそうだと包帯を取り出す。


「でも、心臓を取り出した後、彼の火傷をどうやって治療するかも、私にとってとても大事な仕事でしたから。マクシム様をアテにさせてもらっていました」

 すみませんと私が言うと、竜大公はその顔はズルいよと口をとがらせる。

 さすがドラゴンというべきか、傷口を手で合わせるだけで、傷はもう開くことも無かったのだが、包帯を巻くと安心した。


「そもそも、オマエが最初から全て説明していれば、もっと色々スムーズだったんだが?」

 ハンターの言葉に、竜大公は頬をふくらませて横を向く。

「万能薬は、勇猛なる戦士の血と、慈愛の乙女の涙が落ちることで完成される。何でかその情報が伝承からすっぽ抜けちゃっててさ、血の方はどうとでもなるんだけど、ビビに心から泣いてもらうためには、ほんとのことが言えなかったんだよ」


 理由になっとらんとハンターに断じられて、少年はしおしおと肩を落とした。

「6つあるうちの3個目の心臓が止まりそうだからどうぞって? そんなんで泣いてくれるわけないでしょう。それでも、切られたら痛いんだからね」

「マクシム様、それはちょっと心外です。友人を傷つけなくちゃいけないなら、いくつ目の心臓だって悲しくて、涙が出ます」


 友人? と少年は、初めて聞いた言葉のように繰り返す。

「私に足りなかったのは、死の山のドラゴンと友達になるかもしれない、という想像力でした。だから、やっぱりごめんなさい。痛かったですね、よく耐えてくれました」


 マクシムは眉根を寄せて、首を振る。

「違うんだよほんとは、滅びてほしくないだけだってことを知らせたかった。ボクはそのためなら心臓を取り出しても構わないくらい、ナナムスを大切に思ってるんだってことを、真剣に……聞いてほしかったんだ」


 ごめんねとうつむいた横顔には、神とおそれられながらも疎まれた竜大公の深い孤独が影を落としていた。

「そういう話は、本人に言ってやるのが一番いい。だがその前に、やかましいヤツらのお出ましだぞ」




 隊列を組んで山道を登ってくる聖騎士を、私たちは見つめる。

 防具のベルトを締めなおしたハンターは、軽くその場で準備運動をした。


「やつらの狙いは、薬と、ドラゴンのヒナと、狂犬の首だ。ヒナが居ないのはすぐバレるし、あのボンクラたちにくれてやる首は無い。万能薬を死守する、ビビは星の書を持って祭壇に残れ」

 戦闘が始まったら、私の出る幕は無い。荷物を抱えた私は、祭壇の中央に立つ。


 ここへ至る道は、途中で3人通れるかどうかという細さに一旦絞られる。ハンターはそこで戦うつもりらしかった。

 頬を撫でる風を感じて顔を上げると、再びマクシミリアンはドラゴンの姿でその場に浮いていた。私の手に、ひらひらと包帯が落ちてくる。

「ボクがやりすぎちゃったら、聖騎士に巻いてあげてー」


 わーっとときの声をあげて、兵が駆けあがってくる。

「守護竜が、自国の兵と戦っていいのか?」

 剣を抜いたハンターが先に飛び出す。

「これぞ愛のムチだよ。ゲンコツして目を覚まさせてあげないとね!」




 戦う姿を見て、彼はもともとダンスが上手だったのだ、と思った。

 複数の兵が斬りかかってくるのを、ステップ一つでかわし、次のステップで二人を吹っ飛ばし、最後の一足で、真後ろの兵がひっくり返る。

 戦う聖騎士の中を踊るように、彼の剣舞が撫でていく。 

 

 黒龍はその周りを飛び回りながら、時々長い尾で兵士の兜をゴンと叩いた。脳震盪のうしんとうを起こした兵は、その場にくらりとくず折れる。


「どういうことだ! 小さいドラゴンがいるのではなかったのかぁ!」

 ゼペットは相変わらず大声で、口から泡を飛ばしながら進軍してくる。

「しかし、ナナムスの聖騎士軍に、一人と一匹で戦おうというなら、笑止千万! 後悔するが良いぞ!」

 斜面を中ほどまで進んできていたゼペット軍を見下ろして、ハンターはまさかと笑った。

「ヴァイ! 後ろは任せたぞ!」


「竜大公様に刃を向けるとは、愚かなことを。殿下の寝所を荒らした分も、ここで清算していただきますよ」

 現れたヴァイスの部隊は、ゼペット隊の三分の一にも満たない。それでも、聖騎士一人ずつの洗練された動きが段違いだった。

 ヴァイス自身の、無駄も隙も無い剣戟けんげきも私の目には追えないほど早い。

 しんがりの兵が次々倒されていくのを、ゼペットは赤黒い顔で睨みながら、ハンターに怒鳴った。


「卑怯だぞ! 正々堂々このゼペットと勝負せんか!」

「こんな大軍で押しかけてきて、良く言う」

 言いながらも、部下の兵に少しずつ輪を狭められ、ハンターはゼペットと差し向う格好になった。


「フハハ! 今日こそ逃がさん。後ろは崖だ、死ぬ気でかかってくるが良い」

 チラリと崖下を見たハンターは、剣を逆手に持って姿勢を低くした。

「この野良犬が!」

 ゼペットの幅広の剣が振り下ろされ、ハンターがそれを受け流すと火花が散った。ゼペットは恰幅かっぷくもいいが、力も強い。


「無様なものよ、一度は騎士の剣も習ったのではなかったのか。こんな傭兵崩れの、女たらしの、薄汚い男になり下がりおって!」

 ガッ、ガッ、ガッと続けさまに打ち込まれてハンターは後退し、ついに踵が宙に浮いた。


「己の情けない現状をゆっくり噛みしめろ。ただし……地獄でな」

 ゼペットの蹴りを腹に食らったハンターは、そのまま崖下に落ちる。


「ギル! ……ビビさん!」

 落ちていくハンターの名を呼んだヴァイスは、続けてゼペットの部下に口を塞がれて腕をひねりあげられた私を見て叫んだ。


「ゼペット様! 薬師です。本も持っています」

「よくやった。フハハ、すまないな、こんなに早く未亡人になるとは思ってもおらんかっただろう」

 男を見る目が無いから、こういうことになるのだと言うゼペットを強くにらむ。


「舞踏会で私の手を取らんかったことは、無知な小娘の過ちとして許してやろう。今夜から寝所で躍らせてやる。たまらん目をしておるわい」

 今度レナーテの女性陣に会ったら、ほんとのゲスがどういうものか上手に説明できそうだ。


「おい、何だこれ。子ども用の童話だぞ?」

 私の手からひったくった本を開いた兵が、ぱらぱらとページをめくる。何ぃ? とゼペットがそれを確認して、私の口を塞いでいた兵の手をよけさせた。


「どういうことだ? 星の書はどこだ!」

「……星の書とは、どれをお探しですか? それだって、「おほしさまの物語」ですよ」

 私が荷物に視線を送ると、部下が袋を開いて中にぎっしり入った本を取り出す。


 ナナムスの書庫には星に関する本が山ほどあった。天文学の本、星占いの本、ほし草の上手な与え方……次々と本を袋から放り投げたゼペットは、振り返りざまに私の頬を打った。

「……小娘の分際でこのゼペットをコケにするつもりか」

 衝撃の後から、ジンと痺れてくる感覚に歯を食いしばる。私はそれでも彼から目を逸らさなかった。


「地面に額をすりつけて許しを乞え、さもなくばこの場でキサマなど!」

「うわー、ほんと救えない。無抵抗な女の子にまで、ひどーい」

 背後に迫った羽音に、ゼペットは「竜大公……」とつぶやきながら振り返り、さらにその背に乗っていた人物を見て顔をひきつらせた。


「公妃、それに病み姫なのか? 何故ここに」

「久しいですねゼペット。いつまでもわたくしたちを何と呼ぶのが正しいか覚えられないのは、ルノー家に遺伝する頭の病気かしら?」


 ルミア姫の肩を抱いて、祭壇に降り立った第二公妃に睥睨へいげいされて、ゼペットは頭を下げる。

「陛下、ならびに王女殿下。ご機嫌麗しゅう」

 麗しいわけがありますかと彼女は顔を険しくさせたまま。そのドレスの裾は泥に汚れ、足には血が滲んでいる。


「ルミア、どうです飲み込めましたか」

「……はい。清い水が身体に巡っていくようです」

 ルミア姫が私の目を見て、深くうなずく。


 姫に薬を飲ませるという最後の作戦を完遂して、私はほっと息を吐いた。

 万能薬を城まで持ち帰ったとして、ルミア姫にさあどうぞと皇后が言うはずもない。ならば、一番現場が混乱しているうちに、一番意外な人が姫を連れて山を登って、さっさと薬を飲ませてしまえばいい。


「陛下の根性の賜物たまものです。よくぞ姫をおぶって、ここまで登ってこられました」

 崖下から、ひょいと手をかけて登ってきたハンターに、今度こそゼペットは目をむいた。

「キサマ生きて……まさか、私をたばかったのか!」

「あの程度を灰の牙のたばかりだと称されるのはしゃくだな。一番狙われやすそうなビビに、いつまでも薬を持たせておくほうがおかしいだろう」


 なぁ? と私を見たハンターの視線が、頬に下りた瞬間、私をおさえつけていた兵がブルっと身を震わせたのが伝わった。

「ゼペット、ツラを貸せ」



 

 再び相まみえた二人は、始めから完全にゼペットが気圧されて腰が引けている。

 ハンターは先ほどとはうって変わって、背筋を伸ばして剣を胸の前に掲げた後、騎士のように構えた。


「無様と言った俺の太刀筋だが、基本になっているのは騎士の剣だと気づかなかったか? 上段から、こう」

 ふっと彼の手元が溶けるように見えなくなって、鈍い打突音の後で、ゼペットがくらりと頭を傾げる。

「すまん、見えなかったか? もう一回やろう」

 下がった頭を今度は打ち上げられて、ゼペットが後退すると、逃げるな逃げるなと、肩をつかんで前に引っ張る。にこやかなままのハンターが怖い。


「負け犬とでも、腰抜けとでも、俺のことは好きに言うがいい。事実俺は騎士になれなかった傭兵くずれで、オマエは貴族で皇后の近衛騎士様だ」

「そうとも、キサマのようなゴミのような男に、やられるゼペットでは、がはぁっ!」

 奮い立って剣を握りなおしたゼペットは、セリフの途中で顔面を足蹴にされて、その場に尻もちをついた。鼻を押さえた指の隙間から、だらだらと血が流れる。


「だがな、ビビに手をあげたことは許さん。死ぬまで後悔させてやる。今度はそのツラ、覚えたからな、俺から逃げられると思うなよ」

 震えながらゼペットが後退りすると、公妃がようやくハンターを止めた。


「灰の牙、もうおやめなさい。ルミアがおびえているでしょう。どちらが悪役か分かりませんよ」

 公妃様からは見えていないようだけど、ルミア様のあれは、多分おびえている顔じゃない気がする。

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