4-11褒美
謁見の間は、私たちが最初に訪れた時の様子からかなり変わっていた。
玉座のまわりを固めていたゼペット隊は、負傷者を治療所送りにするとほとんど残らず、数人の兵と共に、ゼペットが鼻にガーゼを当てて隅っこに立っている。
第二公妃はヴァイスに護衛されて凛と立ち、私たちも膝をつかずにその傍に控えた。さらに開け放された扉の向こうでは、ナナムスの国民がずらりと顔をそろえている。
玉座に座る国王陛下と皇后、それにあいかわらずフラフラと歩き回りながら喋る竜大公だけが、あの日と同じだった。
「わ、わらわを追放するじゃと?」
「うん、そうしないとアカランカのこわーい王様が、ナナムスまで殴りこみに行っちゃうぞって、お手紙に書いてある」
「ばかな、迎え撃てばいいだけのこと」
皇后の言葉に、ヴァイスが進み出た。
「今ナナムスのどこにそんな兵がおりましょう。先の戦争で捕虜になった者は、そのままアカランカについてしまうほど、騎士の心も離れております」
「そうだよ、仲良くしようねって言っておいて毒を盛るとか、一番の精鋭を集めてこそこそ山越えして敵の城奪っちゃうとか、聖騎士の名がすすり泣いているよ」
よよよ、と泣き崩れる真似をした少年は、でもねと姿勢を戻した。
「悪かったのは、全部あなただったって分かったから、皇后を追放してちゃんと謝ったら許してくれるって。アカランカ王はふとっぱらだね!」
ハンターが沢山したためていた手紙の本命は、これだったのだと気づいた。
薬の材料隠しの騒ぎにまぎれて、大胆にも敵国の王への内通文書を、送りやすくするための布石だったんだ。
ちらっと横を見上げると、ハンターは私が理解したことに満足そうにうなずいた。
「たわけたことを! ナナムス聖教会の一人娘を追放するなど、わらわが玉座を追われるなど、あるはずがない! アカランカが何だ、最後まで戦おう」
「えー、そうなの? じゃあ、自分で鎧着て戦ってね? ここにはもうだーれも、あなたに付いていく人はいないよ」
言われて謁見の間を見渡した皇后は、全員から向けられた冷やかな視線に、はくはくと口を動かした。
「教会が……わらわには、お父様がついておる」
「教皇様からも、皇后を速やかに東の地へ送り、ナナムスの都が戦火で焼かれることが無いようにとの書状が届いております」
眉一つ動かさず、ヴァイスが宣告する。
「ぁ……ああああっ!」
ついに、狂ったように皇后が悲鳴をあげ、床にひざをついた。悪の栄華を誇った皇后は断罪され、身を震わせながら呪いの言葉を叫び続ける。
「出立の支度を」
ヴァイスの部下が傍らに立つと、わらわに触るなと金切り声を上げた。
「見苦しいよ。自分がこれまで何をして、どれだけ他人を踏みにじって来たか、せめて残りの人生で反省するんだね」
竜大公に見苦しいと言われたことが、最後の彼女のプライドに触れたのか、皇后は誰の手も借りず、自分の足で立ち上がり、よろめきながら歩き始める。
そこに呆けたような声がぽつりと響いた。
「どうした、行くのか?」
最初はその場の誰もが、その声の主がどこにいるか分からず、ハンターでさえ辺りを見渡した。
「ええ。ここにはもう、わらわの居場所が無くなってしまいました。東の地へ参ります」
皇后が玉座を振り返ったので、ようやく声の主が知れた。
「そうか」
今度ははっきり国王の口が動くのが見えた。相変わらず、無表情に、けだるげにそう返答する。
「ならば、ワシも行く」
ふらっと立ち上がって、皇后の隣に立った王に一斉に周りが驚いた。
「な、ぜです。何故、わらわと……」
おそらく一番驚いている皇后は、
「わからん。だが、おまえがどうしてこうまでなったのか、それは分かる。だから、ワシも行く」
子どものように声を上げて泣き崩れた皇后を、なぐさめるでもなくただ立ち尽くす国王は、本当に彼女と共に、東の地へ送られる馬車に乗り込んだ。
最後に残ったゼペットも「お供いたします」と弱々しくつぶやいて、後を追う。
皇后は夫とたった一人の近衛を伴って、雪深い辺境の地へ送られていった。
その全てを受け入れるように、馬車が見えなくなるまでアニエス様は礼の姿勢をとったまま見送る。笑うでも、泣くでもなく、ただ静かに小さくなる馬車を見つめる横顔は、美しくて切なかった。
「うーん、それがね、ルミアは巫女になるには、ちょっとトウが立っちゃったっていうか」
皇后が追放されてから数日の後、会議室の机の上にお尻を乗せた竜大公は、失礼なことを口走りながら指先をモジモジさせていた。
「王家から巫女が立たなきゃナンタラって、神託だったんじゃないのか?」
あきれた顔のハンターに、少年はそうなんだけどと焦れたように言う。
「もっと小さくて柔軟な頃なら、精霊の声にも慣らしやすかったけど、育ちすぎちゃったんだってば!」
「この場合はどうなるんです? ナナムスの守護は……」
私が尋ねると、マクシムはノーカウントと両手を平行に広げた。
「この神託は無かったというか、努力したけど成せなかったということで、次の巫女を探そう!」
マクシミリアンのこういうユルいところが、私は結構好きだったりする。
ルミア姫は呪いの魔法が発動しなくなってから、発作が無くなった分かなり安定している。
カノ鉱山で中毒患者に有効だった治療法を学んでルミア姫にも試し、宮廷薬師と協力しながら彼女の経過を見守っていた。
「今後のことは、しばらく公妃アニエスに任せるよ。少し根暗な感じだけど、とりあえず一番常識人っぽいし。ヴァイスのサポート体制も手厚いし」
「おい、軽々しく恩師の悪口を挟むな。今まで日陰暮らしを強いておいて、今度は政治を押し付けようって、さすがにムシが良すぎるだろう」
「公妃はいいよって言ってくれたもん。あ、じゃあさ、代わりにやってくれる?」
はぁ? と怒気のこもった返事に、竜大公はずるい笑顔でクネクネする。
「だって、ネジバロの町を全部掌握してて、アカランカ王とも懇意で、全ギルドに顔が効く。こんな人他にいないでしょ。疲弊しているナナムスの救世主になれるよ」
「ならん。あいにく俺は自分の身の回りで手一杯だ」
「それなら、これからも時々公妃とヴァイスのことを手伝って、縁の下の力持ちをやってくれるってことで決まりだね」
今回ばかりは、マクシミリアンが一枚上手だったようだ。大げさにため息をついて、暇な時にだけなとハンターは返事をさせられていた。
「ビビ、正直に言ってほしいの。私はこの後、どうなるのかしら」
南塔の広く風通しのいい部屋に移ったルミア姫に、だしぬけにそう言われて、私はその整ったお顔をまじまじと見つめてしまう。
安定して食事が取れるようになってきたから、髪に艶が出てきた。まだほっそりとはしているが血色のいい頬が、何より彼女の順調な回復を示している。
「ご自分でも、かなり回復されている自覚があるのではありませんか? どこか不調を感じますか?」
そうじゃないわ、と彼女はうつむく。季節は最も寒い冬の時期に入っていたが、ナナムスの城はどこもポカポカと暖かい。
私は姫が次の言葉を紡ぐのをのんびりと待った。
「私はこの後、どこまで元気になれるの? 普通の人と同じようになれる?」
彼女が自分の未来に思いを馳せられるようになったことは、とてもいい兆候だった。
前よりどのくらい痛むか、前より何ができなくなったか。病に囚われている間は、とかく気持ちが過去に引っ張られやすい。
「ルミア様は、何ができるようになりたいですか? 馬で遠乗り? それとも長い船旅?」
ふるふると首を横に振った彼女が顔を上げると、頬が薔薇色に染まっていた。
「私、ヴァイスと……結婚、できるかしら」
彼女のひたむきな瞳に、胸がいっぱいになってすぐに返事ができない。
「違うの、ヴァイスがうんと言ってくれるかとか、そういうことじゃなくて、私、彼に結婚を申し込んでもいいくらい、元気になれる?」
「なれます! 私が保証します! そうですよ、すごくいい考えです!」
興奮した私が彼女の手を握ると、そう? そうよね、そうするわ! とルミア姫の瞳も輝く。
まるで呼ばれたようにノックの音がして、ヴァイスの声が優しく姫の名を呼んだ。私は控えの部屋に一旦隠れる。
そして、ヴァイスが待ってくださいと叫ぶ声を、もう待ちませんと姫がふさぐのを聞き届けて、静かに南塔を後にした。
雪が雨に変わり始め、木々に新芽が膨らむころ、まだ傷深いナナムスの城でささやかにルミア姫とヴァイスの婚礼が行われた。
それは、一つの暗黒の時代が終わり、まだか弱い指導者が立ち上がったのろしとなって、ナナムスの城下とネジバロの町にも伝わっていく。
謁見の間は玉座が取り払われて、代わりに大きなテーブルと椅子が置かれている。これからは、王も平民も一つのテーブルを囲んで話し合うのだそうだ。
アニエス様が一番最初になさったというこの模様替えの仕事は、彼女の人柄をよく表していると思った。
「ギルバート、そしてビビ、あなたがたの助けがなければ今日のナナムスはおろか、北大陸に春が来ることすらなかったかもしれません」
後に竜の守護について見識を深めたアニエス様は、自分の娘に知らずにかかっていた重責に震えた。
「数奇な運命ではありますが、わたくしが少しの間ナナムスを預かります。けれど知っての通り、わたくしには何の力も知恵もありません。竜大公様を頼り、娘婿を頼り、なによりまた、あなたがたを頼ってやっていくことになるでしょう」
彼女の言葉に、ハンターは胸に手を当てて礼をした。
「微力ではございますが、必ずや陛下のお呼びに、はせ参じましょう」
「うんうん、呼ぶから覚悟しててね!」
竜大公には、小さな声で「オマエは遠慮しろ」と囁く。
「知っての通り、ナナムスの懐事情はあまり豊かではありませんが、あなたたちの働きに報いたいのです」
「その件なら、すでに陛下が動いて下さったこと、耳に届いております」
「ありがとうございます」
私とハンターが同時に頭を下げると、アニエス様は首を横に振った。
「薬師の名誉回復は各地の教会に働きかけているところです。しかしこれは、当然行われるべきことで、褒美には当たりません。時間はかかりますが、私の手で必ず成し遂げることを約束しましょう」
ハンターが頭を下げたままでいると、陛下は迷う声で重ねて問う。
「聖騎士の
「……はい。騎士は俺には重すぎます。それにハンターの肩書に愛着があって、捨てられそうもありません」
そうですか、とアニエス様は少しだけ悲しそうに、しかしきっぱりと叙勲の話はここまでにしましょうと引き下がった。
「……陛下、本当に褒美をねだっても構いませんか」
「もちろんです。できる限りこたえます」
ハンターの言葉に、ちょっと驚いて彼を見上げる。彼は懐かしいものを思い出すように目を細めて、テーブルの下で私の手をぎゅっと握った。
「ゼシカの森の小屋を
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