3-6-3ビビ
【お知らせ】
3-6-1、3-6-2、3-6-3の三話はハンターサイドです。
読み飛ばして3-5から3-7へ進んでも話がつながります。
===================================
全くその通りだよとでも言うように、アカランカの土地はビビを受け入れ、レナーテ村は穏やかで安全だった。
ローエンの息子と並んだビビを見て、遠回りしたけど、やはりこの村は彼女がおさまるべき場所だったのだと自分に言い聞かせる。
それでも最初は女々しく、万能薬の調合が終わるまではと考えていた。
戦を終わらせたら、永久凍土と死の山への旅が残っている。それまでは、と。
でも、眠ったままのあんたの手を俺の手首からよけた時、目を覚まさなかったことに、良かったと思うより、がっかりしていた自分がいた。
ルークと笑いあう姿を「見ていられない」と感じた時にはもう、とっくに俺はビビを守る側から、害するモノに堕ちつつあった。
そこまできてようやく、離れることだけが俺にできることだと、心の底から理解した。
アカランカ王から召集があって出立の日が決まっても、俺はビビの目が見られず、あんたも傍には来ようとしなかった。
鍾乳洞での怪我を、自分をかばったせいだと気に病んでいると知っていて「足手まといだ」と、抉ったんだから無理もない。そして、そんな風に傷つけることでしか遠ざけられなかった自分がほとほと情けなかった。
それでも最後くらいは、ちゃんと挨拶がしたかったのに、見事にフられた。
隣の部屋からずっと小さな足音が聞こえている。
考え事をするとき、自分のつま先ばかり見ながらぐるぐる歩き回るクセを、目の前にいるように思い浮かべられた。
荷づくりもろくにできていないのに、何もする気になれなくて、この音を聞きながら朝を待つのも悪くないと、そう思い始めた頃。あんたは窓を開けて、庭へ降りた。
雨に濡れたビビが、泣きそうな顔で窓に手を伸ばしてきた時。もう触れるべきじゃないと分かっていたのに、抗いがたい衝動に突き動かされて抱き上げてしまった。
力の加減が効かないほど抱きしめて、苦しそうな呼吸に溺れて、聞かせたくなくて、言ってしまいたい言葉が、「ビビ」と呼ぶ声に溶けた気がした。
「迷惑をかけてごめんなさい」「あなたの帰りを待ちます」澄んだ声がまっすぐにそう言ってくれるのに、逃げ腰の薄っぺらいセリフしか言うことができない。
しまいには、彼女に励ますように手を握ってもらったまま朝を迎え、俺はビビから逃げるように従軍した。
ほらな。あんたへの手紙に書けそうなことなど、やはり一つも無かったよ。
「完全に城内に入り込まれています。400は固いかと」
「谷であれだけ無駄打ちしたのに、山越えにそれだけ割けるとは、ナナムスは兵を粘土で作っとるのか」
偵察に出ていた若い兵が報告をすると、小団長は苦い顔で頭を抱えた。
手薄だったアカランカ城が奇襲に耐えられなかったところまでは、仕方が無いと言ってもいい。
しかし、谷に布陣していたナナムスが陣を畳む気配があったのを、敗走準備だと楽観したのは痛恨のミスだった。
兵糧と武器を担いだ聖騎士たちが、騎士道もかなぐり捨てて、全力でアカランカの市街地へ逃げ、城に飛び込んでしまうまでわずか半日。
完全に虚をつかれたアカランカ軍は、まんまと別動隊と谷の兵たちを合流させてしまったのだ。
俺たちも慌ててアカランカ城壁までは距離を詰めたが、 鉄壁の要塞を誇った城が一夜で落とされ、士気は完全に低下。
軽傷者をレナーテ村に送り返していたのもたたって、城を取り返すには戦力的にも厳しい。50対400。自軍に甘く見積もってもそれが最高値だ。
人様の城でのんきに籠城の構えのナナムスは、城前広場に乱雑に荷物を置いたまま。
今のところ積極的に打って出る気配は無い。時間さえ稼げば、さらに援軍の算段があるのだろう。
「灰の牙よ、この状況をどう見る」
一人で見張りに立っていた俺のもとに、不用心なアカランカ王がやってくる。
まぁこの人が用心深く何かするところなんて見たこともないが。
「少しでも早く城を奪還しなければ、不利になる一方です。こちらにはもう新たな兵のアテがないのに、ナナムスからはじき援軍が来る。俺たちは挟まれて終わりです」
「軟弱な意見じゃな、らしくもない。もっと愉快なのを聞かせろ」
愉快な意見か、と頭の中を探っても泥をかき回しているようで何も浮かんで来ない。
「がっはっは。従軍するから褒美をよこせと申した威勢はどうした! 手柄をあげる好機だぞ。ちゃんと寝てしっかり食わんか!」
バカ力で叩かれながら、休憩所代わりのテントへ降りて冷めたスープと固いパンをかじる。半分食べたらもう、体が受け付けなかった。
そういえば広場の荷に
散らかるからと手で皿を作って食べるあんたの後ろ姿を思い出したら、勝手に口元が緩んだ。あれなら少し食べられる気がする。
「ビビ……」
小さな声で呼んだ。乾いた唇にさえその名は甘いのに、ずっと彼女が泣いている。
どうして最後に泣かせてきたんだろう。笑った顔が思い出せない。
ビビと居た時に無限に沸いた力は、離れたら魔法が解けたように消え失せた。いつか砂漠のヌシが言っていた言葉の意味が痛切に分かる。
昔の酒浸りの日々の喪失感は、もとから大して詰まってなかった俺がぺしゃんこになっただけに過ぎない。
でも、満たされることを知った後の飢餓感は、体の内側から命を食い荒らしていくような心地がした。
「待たせたな、じじいばかりだが戻ったぞ!」
「ローエン!」
テントに20名ほどの兵を連れてローエンが到着する。
王からの歓迎を受けた村長は、すっと俺の傍まで来ると小さな声で言った。
「村はルークに。ビビさんを預かると言っておきながらすまない」
「ここが落ちれば、次はレナーテだ。最善策だろ」
援軍の到着に一瞬騒いだ兵たちは、しかし20人増えたくらいでどうなるものかと、次第に冷静になっていく。
「なんじゃい、テオのこの華麗なステップを見てみろ!」
負傷してレナーテに戻ったと聞いていたテオが、皆の前で陽気に踊り始めて、このじいさんは相変わらずだなと苦笑いしていると、誰かが信じられんと声をあげた。
「じいさん、あんた足を切られて骨まで見えてたじゃねぇか。平気なのかよ」
「切られる前までより調子がいいぞ、ビビちゃんが治してくれたんじゃ!」
その名を聞いて、バカみたいに鼓動が早くなる。
「あのいつもグレイの背中にひっついてた子がか? 嘘だろう」
「そう、思うじゃろ。だが、ここに戻った全員がビビちゃんに治療してもらっとる。凛々しい一面にもキュンじゃよ」
復帰組は全員そうともとうなずき、何故か俺がありがとうと手を握られた。
そうか、あんたは一人でこんなにたくさん治したんだな。どんなに大変だっただろう。
それでも半信半疑の兵たちの前で、今度は俺が鎧を脱いで傷を晒す。
「これもビビが一人で治した。言っておくが胸の傷じゃない。これは、背中の傷だ」
俺が背中を見せると、貫通してるじゃねぇかと誰かがうめくように言い、傷跡に触ろうとしてきたのでその手は払った。
「これがゼシカの森の薬師の力だ。俺たちには、彼女が、ついてる」
あんたがこの傷をどれだけ案じて、どれだけ優しい手つきでいたわってくれたか、思い出しただけで足元から奮い立つような覇気が体を満たした。
「そうじゃ、アカランカ軍には女神ビビがついとるぞ!」
テオの声に空気が震え、消えかけていた士気が一気に最高潮まで高まる。
「灰の牙! 愉快な話をしろ!」
王はその波を見逃さない。無茶振りをと思いながら、腑抜けていた両頬を叩く。
さっき自分の口で言ったばかりだ、アカランカ城を取り戻せなければ、ナナムスはこの戦争に勝利し、レナーテ村が
そんなこと、俺がさせるはずがないだろう。
「ヤツらはいつでも城に入れられるつもりで、城前広場に兵糧を置きっぱなしだ。下段は修道士が作ってるクソ不味い携帯食料。惜しくないから軽く水没させてやろう」
城塞都市は水路を操作することで、水で道を塞ぐこともできれば、枯れた水路を道として使うこともできる。
ただでさえ迷いやすい町は、水路を加えることで立体迷路になり、これを完全に頭に叩き込んでいることだけが自軍の有利な点だった。
「兵糧を回収しようと出てきた兵を、町の迷路に引き込んで
「兵糧なんぞのために、安全な城からノコノコ出てくるか」
ローエンは厳しい顔で尋ねてくる。
「実際荷物が水に浸かるまではやつらもそう思ってるだろう。だが、夏とはいえあの険しい山を越えてきた部隊が、潤沢な食料まで背負ってきたと思うか? 四百人の腹を満たすため、ビスケットが濡れるより前に、かなりの数が飛び出してくると俺は思う」
策を詰める時間は無い。この高まった士気を全力でぶつけられなければ、万に一つも勝ち目のない戦になってしまった。
王は骨が折れそうな力で俺の肩を抱いた。
「いいぞ! それは愉快だ。夜明けと同時に広場に水が溢れるよう水門を開けろ。おまえたちは出てきた兵の攪乱、ワシは西門近くまで進み、開くのを待つ。門を開けてくれるのは……」
王の目が光り、俺はその場に膝を着いた。
「灰の牙が必ずこじあけましょう」
水門を開ける部隊が夜闇に紛れて町に散った後、テオが近づいてきて俺の腕を叩いた。
「オマエさんには待っとる人がおる。必ず帰れよ」
「……ビビは元気だったか?」
城下を見下ろしたまま俺が尋ねると、テオは自分の尻をペンと叩き、ひょこひょこと歩き出した。
「自分で確認せい。うらやましいから、教えてやらん!」
「指揮官殿! おい、指揮官殿はどこだ? まずいぞ完全に敵の罠にはまっている。食料を回収させに行った兵が一人も帰ってこないんだ! 合わせて二百も行かせたんだぞ!」
血相を変えた上級兵と、おろおろする新兵の間に、お探しのものをドサリと投げおろす。
「探しているのはそいつか? もう用は済んだ。返そう」
事切れている指揮官に、二人の兵はひぃと情けない声をあげた。
抵抗してくる様子も無いので、堂々と西門のかんぬきをあけて、憤怒の形相で待ち構えていたアカランカ王を城内に解き放つ。修羅の如き王の鉄拳で、その日のうちにアカランカ軍は城を奪還した。
勝利に沸く城内に町へ散っていた兵士が一人、また一人と戻り、一番最後にテオの
「逃げ遅れた子どもが道に。……じいさん、それをかばって」
言葉を失って遺体の前にしゃがむと、テオの死に顔は満足そうに微笑していた。
「城は取り戻した。ワシらは必ずこの戦に勝つ! 安心して先に戻っていてくれっ……」
テオの兜を掲げた王の
「陛下より許しが出た。レナーテへ戻るぞ」
ローエンの言葉を聞いた時は、このまま一人で雪ナマズのヒゲを入手して、ヴァイに目のありそうな薬師を紹介させてと、つらつらと先のことを考えながら馬に跨った。
せっかちな馬だったのか、手綱を握ると勝手に歩き始める。
その時、トンと胸に重さを感じた気がした。
「二人乗りは久しぶりですね。嬉しいです」
ずっと泣き顔しか思い出せなかったのに、その幻が、あまりに幸せそうに笑うから。
気づいたら馬の腹を蹴って駆けだしていた。
紅に色づいた湖の村は、相変わらず穏やかで、家々の扉が花で彩られている。
「あーっ、傭兵さん、帰って来た! 花嫁さん見にいこうよ。すっごく綺麗なんだから」
村の子どもに手を引かれるまま扉を開けると、集会場の真ん中に花嫁姿のビビが立っていた。
「……おかえりなさい」
とろけるように琥珀の瞳が細められ、いっぱいに涙が浮かんで、零れていく。
どれだけ帰りを待ち望んでくれていたのか、どんな阿呆にも分かるほどビビの声は甘かった。
そして自分がただ、どれだけあんたに会いたかったか思い知る。
今はもう「私を幸せにしてくれるのは、あなただけです」と言ってくれた言葉を、鵜呑みにしてしまいたかった。
戦場の汚れもそのままの俺に、白い花嫁衣裳でとびついてこようとするから、俺は慌てて息を吸い、よく考えずに声を出した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます