3-6-2手紙

【お知らせ】

 3-6-1、3-6-2、3-6-3の三話はハンターサイドです。

 読み飛ばして3-5から3-7へ進んでも話がつながります。 

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 ビビに見せた手紙は、実は2枚あったうちの1枚だ。

 もう何年も顔を合わせていない薬師からの手紙は、人から人へ何度も渡って、くたびれきって俺の手元まで届いた。

 ナナムス教会の女神祭りに浮かれるセブカントの町はずれで、いそいそと封を切ると、一枚目の便箋には、初めて知る「弟子」の存在が記されていた。


 実は数年前から自分の技術を全て弟子に継承させていたこと、ただその弟子は、薬師としては見込みがあるが、度知らずの人見知りであること。

 まぁ、そんな風に育てたのは私だけどねと、悪びれるでもないのが老婆らしかった。


「それで、私はもう長くない。雪解けを見ることは無いだろう」

 唐突な宣告に、指先が湿った。季節はすでに夏の盛りを迎えようとしている。

「この年まで意地汚く命にしがみついたが、薬師は一人で生きる方がいい。その気持ちに変わりは無いんだよ。正直、森の外は息苦しい」


 だけどね、と彼女のしわがれた声が耳によみがえる。

「これからの長い長い孤独に、この子を一人で置いていくのが正しいのか、今になってどうにも迷ってね、そしたらあんたの顔が浮かんだ」


 これから先、ゼシカの森から施療院に定期的な納品があるか気にしていてほしい。途切れた時には、そっと様子を見に行ってほしい。

 親心のような願いに、どれだけ彼女が弟子を大切に思っているのかがにじむ。


「最後に、病み姫の薬の依頼が無くなったら、一度だけ、直接弟子に会って、森を出る気がないか聞いてやってほしいんだよ」

 あの頑固者が、うんと言うとは到底思えないけれど、それ一回こっきりで、あとは忘れてくれていい。

 自分でつかめない幸せの尻尾は、必ず手からすり抜けるものだからねと、格言めいたことをしめくくりに手紙は終わっていた。


 もう一枚の手紙は、俺に宛てているように見えるが、ほとんど弟子に向けて書かれていた。

「いずれ王女が亡くなれば、全ての罪は薬師のもの。ビビは何も知らぬまま殺されることでしょう。だからお願い。あの子を解き放ってやって」

 一番肝心なところを、こっちにぶち込んでくるのも、それでも弟子が是としなければ、もう放っといてくれという潔さも実に彼女らしかった。


 この手紙は燃やせと書かれていた1枚目だけを、焚火にくべる。

「そうか婆さん、もう、死んだのか。挨拶くらい……したかった」

 かつてない喪失感にあえいで空を見上げると、祭りで飛ばした色とりどりのランタンが細い煙と共に西の空へ流されていった。




 その後、ビビが一人で暮らしたという2年の間、ゼシカの森から施療院への薬が遅れてくることは無く、大量の小瓶が運ばれてくるところを見れば、弟子もかなりの腕前なのだろう。


 一時停戦協定までこぎつけたアカランカとナナムスの間も、毒事件であっというまに緊張状態になり、そうなれば影に日向に俺の仕事も忙しい。

 久々にゴナスの街に戻った俺を、ヴァイスが青白い顔で待ち構えていた。


「……マインドイーターの花を知っていますか。あれが、できるだけ沢山必要です」

「仕事の息抜きに麻薬で一服というのは、褒められたもんじゃないぞ」

 あまりに必死な形相でそう言うヴァイの力を抜こうと、軽口を叩く。いつもならすぐに言い返してくる真面目な男は、下を向いたまま細い声で言った。


「もう、鎮痛剤がまるで効かなくて。先月から薬師への依頼もやめました」

 膝の上で固く握った拳を見つめたままヴァイスは言葉を続ける。

「しかし、古い押収品のマインドイーターから作らせた薬なら効果があったんです。どうか、お願いします」


 姫の状態はそんなに悪いのかと問おうとして、無駄だからやめた。

「分かった。すぐに発つ、二日待っていてくれ」

 姫の薬が効かなくなったという知らせは、老婆との約束を果たす時が来たということでもあった。

 



 久しぶりに訪れたゼシカの森で、マインドイーターの花を手当たり次第に狩る。

 この魔物は、根付いた場所から動けない代わりに、素早くて不規則なツタと、とびきりやばい毒を持っている。

 戦いながら茎の上まで登り、花を刈り取るのが面倒で消耗させられた。


 懐かしい丘を通り過ぎると、見はらしの良かったその場所にまで魔物が巣くっていた。

 ヴァイに届けるにはもう十分な量の花が集まったから、そろそろ小屋を尋ねようと思っていたが、まぁ、行き掛けの駄賃かと剣を抜く。


 最初に長いツタを切りはらって、足をかけると、魔物は委縮したように葉を縮めた。

 どいつもこうなら楽だったのにと、疲労で重くなりつつある腕を伸ばす。地上から自分の身長と同じだけ登ったあたりで、突然マインドイーターの気配が変わった。


 同時に四方からツタに襲われ、利き手に重心をかけていたせいで反応が遅れた。逆手で剣を振り回して葉や茎を切り刻んでも、追撃が止まない。

「こいつ、俺が登るのを待ってやがったのか」


 つぶやいて根元を見下ろした時、葉の影に何か人工物があるのが目に止まる。

 何だ、と目を細めると、やがてかすれた文字が解読できた。

「ゼシカの薬師、ここに……」

 それを「墓標」と認識した瞬間、血が凍るような心地がして剣の柄が滑る。脇腹を鈍い痛みが襲い、今度は沸騰するような怒りが体を満たした。


 地上に飛び降りて、上段から渾身の力で剣を振り下ろし、一抱えもある茎を両断する。

 よりにもよってあの人の墓を汚すとは、上等だ、切り刻んでやろう。

 気が済むまで魔物を細切れにして、花をむしり取り、根を引き抜き、小さな墓を直す。

 そこでようやくドクドクと痛む腹と息苦しさに、これはやらかしたな、と気が付いた。


 さらに悪いことに、這うようにたどり着いた小屋に薬師は不在だった。隠れている気配も無く、森に薬草を摘みに出ているのかもしれない。

 ある程度の毒に体は慣らしてあるし、応急処置はしたものの、腕や足と違って切り離してどうにかなる部分でもない。

 最悪、花だけはヴァイスの手に渡したいが、薬師は引き受けてくれるだろうか。思っているうちに、軽い足音が近づいてくる。


 あんたの第一印象は「手入れの悪い妖精」だった。

 

 薬師と老婆をセットで考えていた俺は、少女の登場を全く想定していなかった。

 フードに隠したもつれた髪と、時代錯誤な服。警戒もあらわに俺をにらんだ目は、琥珀色に光っていた。


 解毒薬を売ってくれと言うと、まず教会への言い訳をし、ざっと俺を見て小屋に入れと判断するまでの早さには正直驚いた。

 あの人の言うところの「度知らずの人見知り」は、薬師の仕事中には発揮されないんだって知ったのは、後々のことだからな。


 一瞬でマインドイーターの毒だと見抜き、処置も手早い。

 お嬢ちゃん薬師の登場に少し絶望していた俺は、さすが婆さんが育てただけの事はある、と胸中で手のひらを返していた。


 だからあの時、どのくらい衝撃を受けたことか。

「今から私が解毒薬を飲んで、毒を吸い出します」

 うつむいた横顔の真剣な眼差しと、少し冷たい指先。小さな唇が押し当てられた時の、あのどうしようもなくやるせない感情は、今でも説明する言葉が無い。


 もういいと腕を引いても、一顧いっこだにせず振り払われて、夜通し治療は続いた。

 この細い肩のどこにそんな力があるのか。「必ず助けますから」と俺を励ます情熱が眩しくてたまらない。


 治療を終えて、教会の話しに顔を曇らせるビビに、森に置いていくという選択肢は完全に消え失せていた。

 かついででも連れ出して、自由で平和な暮らしをさせようと、もう勝手に決めていたんだ。


 だから幼い顔に似合わない剣幕で「この花は、王家が直々に禁止した麻薬であるということを、知っているんですよね?」と、あんたが怒り出した時には、ヘタを打ったと思った。

 何もかも薬師の婆さんと同じ感覚でいいわけは無いよな。


 花の用途を説明しながら、ふと昔、ヴァイスと消した「万能薬」の可能性に思い当たる。

 伝説のお宝のような素材の方へ気がとられがちだが、実はこの万能薬の調合で一番揃えるのが難しいのは、薬師の存在だった。


 外気に触れた竜の血は、あらゆるものを燃やすという。

 心臓を取り出す人間は間違いなく腕を失うことになるし、死の山のドラゴンの心臓をその場で薬にできる薬師がいなければ、せっかく取り出した心臓も山を出る前に灰になってしまうだろう。


 ビビにもらった少量の解毒薬は劇的に効き、縫った傷跡がもうまるで痛まない。

 こんなに腕のいい薬師にめぐり合うことなんて二度とないだろうと思ったから、全力で口説きにかかる。

 そうして俺は、半ばあんたをさらうような強引さで、ゼシカの森を飛び出した。


 ただ俺は今まで、仕事でも女でも、決まった相方と長く続いたことが無い。

 自分がそういう性分なのだと思っていたから、ビビを連れて長旅になりそうな事には一抹の不安があった。

 連れ出しておいて持て余すというのは、あまりにも非道だろう?




 街に連れ出した小さな薬師は、森での堂々とした働きっぷりはどこへやら、完全におびえて顔を伏せてばかり。

 手入れの悪かった妖精も、少し磨いただけでただの美しい少女になってしまい、否応なしに注目を集めた。町の男たちがうっとりした視線を送っても、下ばかり向いているから、本人は気付いてもいない。


 代わりに、いつも俺を目で追い、袖をつかんで離さず、抱き上げれば額をすり寄せてくる。

 いっそ妄信的と言ってもいいほどに、ビビは俺になついた。


 人見知りで口ベタなお嬢様と、頑固で優秀な薬師。そこに、ここでなければ眠れないと囁く甘ったれのビビが加われば、これ以上の布陣も無い。

 持て余すどころか、ものの数日で大切でたまらなくなった。


 自分が守ると決めた人が、心から頼ってくれている時、こんなに呆れるほどの力が沸くものなのかと驚く。

 走り続けても、眠らなくても、彼女の穏やかな寝顔を見ているだけで何の苦にもならなかった。


 南大陸に渡って、泥沼に転がされたり、巨大なアリジゴクと戦ったり。大鍾乳洞では俺のせいでコニーの策略にはまり、危ない目にも合わせた。

「ギル、お願いだから、行かないで」と彼女の祈るような声を聞かなければ、あのままビビを暗闇に置いてきぼりにするところだったかもしれない。


 それでも。何が起こっても、彼女は変わらずにいつもまっすぐ見上げ、笑ってくれる。

 麻薬のように沸く庇護欲ひごよくと、旅の毎日が、完全に俺の感覚を狂わせていた。




 公妃とヴァイを相手に、姫の病状を詳しく教えろと、堂々と話すのを見た時、ビビが旅の毎日の中で成長していたのだと気づいた。

 俺が凍り付かせた空気に希望を吹き込んで、アカランカへの道を拓いたのが、他でもないこの小さな薬師なのだと思うと、足が震える。


 先生は母として娘を助けるために強くなり、ヴァイも姫を支えるために近衛騎士団長まで登り詰めた。じゃあ俺はいいトシになって一体何をしている?


 一人になって、自分の胸の中をのぞき込めば、そこにあるのは、あんたを守ってやりたいなんていう可愛い感情じゃない。

 ただの度の過ぎた独占欲だった。

 

 世間知らずのヒナの目をふさぎ、何も聞かせないように腕の中に閉じ込めて、ここだけが安全だとうそぶいている。

 旅を終えて、彼女が自由を手に入れたら、明るい陽射しの中を飛んでいけるように導いてやらなきゃいけない立場だったことに、ようやく気がついた。


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