3-6-1黒い糸

【お知らせ】

 3-6-1、3-6-2、3-6-3の三話はハンターサイドです。

 読み飛ばして3-5から3-7へ進んでも話がつながります。 

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 ナナムスの兵が大振りした剣は虚しく空を切り、俺の刃は鎧の隙間から深く肉に刺さった。

 断末魔の声は若い。十分な訓練も受けぬまま、戦場の血煙になって消えていく。


 対してアカランカの兵は統率のとれた動きで、冷静に戦況を見ていた。

 王の信頼は厚く、戦士の質が良い。

 それでもアカランカは斜陽の王国だ。今の王が倒れれば、その後を引き継ぐ器のある者が居ない。


 ナナムスの兵が切っても切っても、砦から湧いてくるのは、教会の布教活動の成果だ。

 ネジバロからも、かなりの数の若者が参戦している。

 広く浅く、より生活に密着した支配を選んだ教会のやり方は、いずれアカランカを飲み込んで平らげてしまうだろう。


 山裾の谷間は赤く染まり、空だけが抜けるように青かった。




 陣幕に戻ると、休憩中の若い兵が手紙を書いていた。目が合うと照れたように紙を隠す。

「新婚なんです。縁起でもないですが、一応書いておけって言われて」

 グレイさんもどうぞと紙とペンを渡された。


「あいにく独り者でな。書く相手が居ない」

 軽く断ったが、すでに男は自分の手紙にペンを走らせはじめていた。

「村に連れてきたあのかわいい子には、いいんですか?」


 言われてふと、学生時代の話やハンターになりたての頃の話を聞いてみたい、と無邪気に言ったビビの声を思い出し、自嘲した。

 本当に面白い話など一つも無いんだ。




 そこそこ大きな商家だったうちの親父は、コネを駆使して俺をナナムスの上流学校へ留学させた。

 自分以外は、全員お貴族様。7歳から始まった全寮制の学校生活は、控え目に言っても逃げ場の無い牢獄だ。


 売られた喧嘩は全部買う主義だった俺は、上級生だろうが王家筋の嫡男ちゃくなんだろうが殴られたら殴り返す。

 寮の自室より、反省室で寝た方が多いような問題児だった。


 3度目の春がめぐってくる頃には、狂犬扱いされて、誰も俺には構わなくなった。

 教師からは無視され、正面からかかってくるような生徒もいなくなる。そんな頃に新任の音楽教師として彼女は現れた。


「ほら、またお口がへの字になってますよ。ギルバート君は声が素敵なんだから、ちゃんと先生に聞かせて下さい」

 子ども扱いしてくる彼女に、どんなに反抗しても、いつも笑ってばかりいる。


 俺が遅れていた他の教科も、匙を投げた教師たちから押し付けられて彼女が見てくれることになった。

 音楽室の床で、分からない、もうやらないとひっくり返る悪い生徒に、優しい音色のピアノを弾きながら、いつまでも付き合ってくれた。

「何時間でも弾いちゃうわよ。私、みんなと歌うのが大好きだから、おばあちゃんになるまでピアノの先生でいたいの」

 そんな女神のような人に、幼い俺が思い入れたのは、まぁ、仕方のないことだっただろう?




「そんなに言うなら、その問題児のクラスが国王陛下の園遊会で、賞のひとつもとれるんでしょうね?」

 主任教員に俺ばかりを悪く言うなと、くってかかった先生はそんな難題を押し付けられる。

「もちろんです」と啖呵を切ったのが、今思えば彼女の運命の分かれ道だった。


 先生は人気があったから、意外にもあっさりクラスは団結し、国王の御前で発表する聖歌を練習した2カ月くらいの間だけが、「楽しい学校の思い出」として胸に残っている。


 園遊会当日は大成功をおさめ、先生の手に陛下が直々に金色のリボンをくださった。

 誇らしい気持ちでいっぱいになった俺は、今までの態度を改め、良い生徒になろうと決心したものだ。


 しかし、その後彼女は、二度と教壇に立つことはなかった。

 あの日、国王陛下に見初められた先生は、無理やり第二公妃として王城に召し上げられたからだ。


 一夫一妻制を慣例としていたナナムスには当然激震が走る。

 王はすでに教皇の娘を正室に迎えており、これをもってナナムス王国と教会の蜜月関係が結ばれていたんだから、当然だ。

 突然召し上げた娘を「これが真実の愛だ。妃としたい」と王が宣言した時、大臣がその場でショック死したと、まことしやかに言われている。


 それでも、彼女が愛され、幸せな妃となったのなら、俺もここまでこじれなかった。

 王家あげての壮絶な虐めは、ナナムスの町に隠されることもなく漏れて来る。

 第二公妃に罵声を浴びせるメイドがいるだの、馬車から置き去りにされて裸足で城まで歩く姿を見ただの、彼女の不幸な生活の情報には事欠かなかった。


 それで、正義に燃えた若きギルバート少年がどうしたかと言えば、父親に聖騎士になるための学校へ進学させろと直談判した。

 聖騎士団には、王家の要人を警護する近衛騎士の任があるからだ。


 上流学校のハクをつけたら、さっさと商人の見習い修行をさせたかった親父は渋ったが、結局根負けさせるまで俺は粘った。


 騎士学校に入った後は、ひたすらに剣技に打ち込み、喧嘩をふっかけられても、黙って殴られた。

 下級生として入学してきたヴァイスに出会ったのもこの頃だが、この時は顔見知り程度。何なら、貴族のあいつも当たり前に俺を見下していた。

 それでも、いつか必ず不幸な彼女を助ける騎士になるのだという一心だけで、俺は何にでも耐えられるような気がしていた。




 あれは、うだるような暑い日で、今日のように空が異様に青かった。

 王宮のバルコニーに大切そうに何かを抱いた彼女が現れた。数年ぶりに姿を見た先生は遠目にも痩せて、青白い顔をして、ほほ笑んでいた。

「姫君の誕生、真におめでとうございます!」

 となりに立っていた騎士学校の生徒が、大声で叫んで、ハンカチを振り回す。


 彼女は、国王の子どもを産んだ。


 外出許可もとらぬまま、酒場で浴びるように飲んで、そのうち他の酔っ払いと喧嘩になり、マスターに外のゴミ箱につっこまれる。

 腹の中身を全部吐いてしまったら、自分でもびっくりするくらい、もう俺の中には何も残っていなかった。 

  

 卒業まであと半年だったというのに、騎士学校を無断で退学した俺に、烈火のごとく親父は怒り、当然そんな息子を勘当した。

 あれきり家には帰っていない。


 それでも、酒場の女たちはとびきり優しく、傷心のボウヤのワガママを何でも許し、甘やかしてくれた。

 なまじ腕っぷしに自信があった俺は、日銭を稼ぐために傭兵まがいの仕事を引き受けるようになり、その金を全部酒と女に溶かし、順調に転がり落ちる。


 危険な仕事ほど楽しく、命のやり取りをしている時にだけ生きている実感があった。

 そして、少年の失恋にしては、かわいげのない代償を支払って、いつしか俺の肩書は「ハンター」になっていた。




 ゼシカの森でビビのお師匠さんに会ったのもその頃だ。


 俺は片足の健を切られて、木に吊るされていた。

 分け前の話しでモメて、1対5になったのが運の尽き。獣にゆっくり食われろと言い残して奴らはその場を去り、俺はくだらない人生だったと悪態をついていた。

 

 そこにカゴを持った老婆が現れ「助けてほしいかい?」と尋ねてくる。俺は不遜ふそんにも「助けろ」と答えたはずだ。


 婆さんは、当たり前のように俺の足の健を繋ぐ手術をし、何やら怪しい薬を塗ったり飲ませたりした。

 微かに動かせるようになったつま先に、薬師ってのはすごいもんだなと感心していたら、俺の鼻先に手のひらが差し出された。


「治療代は、金貨5枚だよ」

「薬師がハンターから直接金を取るなんて聞いたことが無い。だいたい金貨5枚なんて持ってるはずがないだろう」


「なんだい、じゃあ貧乏人がいつまでもベッドを占領するんじゃないよ。あんたは床に寝な、そんで明日から水汲みと薪割りだ。金貨5枚分、きっちり働いてもらうからね」

 さすがに老婆の戯言ざれごとだろうと思っていたら、早朝から叩き起こされて本当に働かされた。

 逃げようにも片足はまだ動かず、動かないのを知っていて、俺に水を運べと言う。


「クソババアが、覚えてろよ」

「覚えてるともさ、取り立てる相手のことを忘れるもんかね」 

 口のへらない婆さんと過ごす間、自給自足の暮らしは退屈を感じる間もないほど仕事が多い。採取に、狩猟に、雨漏りの修理。老婆は徹底的に俺をこき使った。


 そのうちに薬師の仕事を見る機会も訪れた。

 調薬する時の彼女の手つきは、剣を握る時に感じるような研ぎ澄まされた気配がある。

 いつも不機嫌そうに結ばれている老婆の口が、薬の効能を話す時にだけ少し饒舌じょうぜつになるのも、案外好きだった。


 そして、完全に足が治る頃に「少し足りないが、そろそろいいよ。出ておいき」と、ゼシカの薬師は俺を解放した。




 森での生活を終えて町へ戻ると、憑き物が落ちたように、焼けつくような焦燥や怒りが消えていた。

 ギルドからの仕事も、他人に絡むものよりは、一人で狩りをしたり採取をしたりする方を選んでいることに気づく。

 不要な争いをかわして、今まではけ口にしてきた女たちを労わることを覚えると、町の人間からの扱いも変わってきた。


 そして、今まで聞こえないフリをし続けてきた「先生」の現状に、ようやく耳を傾けることができるようになった。


 娘を産んだあとも、彼女の王家での扱いは向上しなかった。それどころか娘は体が弱く「病み姫」などとあだ名されている。

 しかし、母となった彼女はかつてのように、やられっぱなしになっているわけではない。ネジバロのギルドを通して、人、金、モノを静かに集め出した。


 もちろん、中には商店では扱えないような品物もあるし、消えてほしい人もいる。

 図らずも俺は、今、彼女が一番欲しがっているものを手に入れる力を得ていた。


 依頼を受ける時「灰の牙」を通り名に選んだのは、あの時の狂犬が、今度はあなたをお助けしますよという、俺だけが分かる洒落しゃれのつもりだったんだ。




 俺たちが再び顔を合わせたのは、何のいたずらか園遊会の庭だった。

 薔薇のアーチの下に彼女はへたり込み、俺は血に濡れて、刺客の頭をわしづかみにしていた。

「灰の牙は……ギルバート、あなただったの?」


 そうだよ、先生、びっくりしたかい? 少年の頃ならば無邪気に聞き返すことができただろうか。

 あの日の俺には「さぁな」と絞り出すのが精一杯だった。


 あんな世界の終わりのような絶望的な顔をさせるなんて、思っていなかったから。



 

 タネ明かしが済んだ後も、依頼は途切れなかった。それだけ彼女は切実な場所に生きていた。

 より緊密に確実な仕事をするために、聖騎士団を探っていたらヴァイスに当たった。

 あいつとの本当の付き合いはそこからだから、旧友というほどでもないと思うんだが、ヤツは俺との関係をよくそう表現した。


 ギルドに届く依頼文に美しい文字で「灰の牙へ」と書かれているたびに、胸に鈍痛がある。

 これが俺たちの絆だとしたら、黒い糸で繋がってしまっているのだろう。




 だから俺はその後も、度々ゼシカの森を訪れ、老婆の薬を買い付けた。王家のヤツらをギャフンと言わせるなんて楽しそうじゃないかと、薬師はいつも乗り気だった。


 それがある日を境に、これからは必要な薬は送ってやるから、もう森へは来るなと言われ、俺は結構ショックを受けた。

 薬を受け取りに行くときは大概小屋に泊めてもらい、仕事の邪魔だと言いつつも、彼女は俺のくだらない愚痴に付き合ってくれたりしていたから。


 とどのつまり俺は、薬師の婆さんにかなり長い間甘えていた。

 だから、彼女の何に一番恩義を感じているかといえば、怪我を治してもらったことだけじゃなく、森で過ごした時間全部を感謝しているのかもしれない。

 

 今思えば、ちょうどあの頃、ビビは森へ引き取られて来たんだな。

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