3-5戦争

 兵士たちが村を出てから数日間は、嵐の前の静けさだった。

 最初の負傷者が村に運び込まれてきたのは、彼が村を出てから6日後の昼。自分の軍馬に蹴られたという青年を、村の女性たちが手当する。


「かなり出血があるから、ビビさんは見ないで下さい。こっちで子どもたちと包帯を作る仕事をお願いします」

 気遣ってくれるルークの指示に従って、村の子たちと包帯を作る。


「ねぇ、お姉ちゃんは、ルークのお嫁さんになるの?」

「えっ?」

 驚いて手から落とした包帯が、コロコロと床を転がっていく。

「姉ちゃんが言ってたよ、強い傭兵さんが、ルークにお嫁さん連れてきたって」

 純真な笑顔でそう言われて固まっていると、ルークがこちらにすっとんできた。


「こら、ビビさんがびっくりしてるだろう。何てこと言うんだ」

「あーっ、ルーク真っ赤だ、まっかっかだ!」

 はやす子どもたちを追いかけ回す光景はとても平和で、まだハンターが戦場に行ってしまったのだという実感が沸かない。



 

 実感は、それからさらに3日後に訪れた。

「また運ばれてきた! どこに寝かせればいい」

「治療の順が決まるまでは、左側に一列に寝かせてください! もう少し我慢して」

 痛い痛いと動き回る兵士を押さえながら、傷を確認する。


「傷は塞いでくれたのに、ものすごく熱が高いんだよ、どうなってるんだい?」

 術後の兵士の看病をしていた女性が、青ざめた顔で走って来る。

「縫ったことで出た熱か、中で化膿したかのどちらかです。熱冷ましの薬を飲ませて、また2時間後に報告を下さい」

 ビビちゃん、とまた誰かに切羽詰まった声で呼ばれる。




「があぁ、痛てぇよ!」

 渾身の力で暴れた患者の拳があごに当たり、一瞬クラリと視界が傾く。

「ビビさん!」

 後ろに倒れる前に、誰かが支えてくれた。

「あ、ルークさん……助かり、ました」

 助けてくれたルークに礼を言って、めまいが収まるのを待ち、針を握りなおす。


「ついでに彼を押さえていてください。ごめんなさい、痛いでしょうけど絶対治しますから、あなたも頑張って」

「おっちゃん、情けないだろ、暴れないでくれ」

 ルークは必死で大柄な兵士を押さえつける。


 仕方がない、ろくに麻酔もないまま縫われるなんてこの刀傷を受けた瞬間より辛いだろう。

 どんな治療も声も上げずに受けていたハンターが、特別に我慢強かったのだ。 

 ついに気絶して静かになった患者に包帯を巻いていると、ルークは泣き出しそうな顔で言った。


「薬師というのは……本当にすごいんですね。結局みんなビビさんに頼りっぱなしで、情けない」

 道具をひとまとめにしながら、立ち上がって彼に言う。

「でも私ができるのは、薬師の仕事だけなんです。手伝ってくれてありがとうございます」

 まだ治療が終わってないのはどなたですか! と声をはりあげて、こんな大声だっていつもは出せっこないんだと唇を噛んだ。




「おお、見違える女傑じょけつっぷりだ。これはこれで惚れなおすのぅ」

 足をやられていると引継ぎをうけた兵の前に座ると、酒場で焦酒こげざけをおごってくれたテオおじさんだった。

「かなり出血があったようですが、吐き気やめまいはありませんか」

「全然じゃ。それより、ちゃちゃっとまた歩けるようにしてくれんかね」


 おどけた顔をして、治療の最中もずっと冗談を言って私を笑わせようとしてくれる。傷は深いが、しっかり療養すれば元通り歩けるようになるだろう。

「そういえばビビちゃんの傭兵、アイツは強いなぁ。戦神のごとき働きじゃ」

 そう彼は強い。強いけど神様じゃないから、傷つくし血も流す。




 テオの治療を最後に、一通り負傷者の手当が終わった。今のうちに交代で休もうと声があがる。

 皆が休んでいる間に、私が集会所に残ると言うと、あんたが一番最初に休むんだよと首根っこを捕まれて酒場に連れて行かれた。 


「さあお食べ、そして食べたらお休み」

 でんと盛られた皿を前に、一生懸命フォークを動かしても、いっこうに中身が減らない。

 ハンターが今どうしているのか考えると、ただただ怖かった。部屋に戻って一人になりたくない。


「あの……怖くて。毛布を持ってきて、ここで寝てもいいですか」

「アタシも夫が行ってるから分かるよ。怪我人を見たら不安になるよね。いいよ、持っといで」

 まだ年若い奥さんが、そう言ってくれた。

 悲惨な戦場の気配を追い出そうとするように、女性たちのおしゃべりは明るくて、力強い。端の方の椅子で膝をかかえて毛布を被った。




「まぁ、今年の氷河祭りが無事に終わった後で良かったよ」

「去年の夏は毒入りワインでさんざんだったからねぇ」

 あっはっはと笑い声が響いて、私の背中には冷たい汗が流れた。


「毒入りワインって……」 

 聞きたくないのに尋ねずにいられない。

 あら眠れないのかい、と女性は話しの輪に私を入れてくれた。


「こんな山奥の祭りに、聖騎士団がワイン担いで来るなんてのが、そもそもおかしな話しだったのさ」

 レナーテ村の村民は全員参加。アカランカの城からは王様と側近の兵と、お祭り大好きなにぎやかし。結局かなりの数が集まるらしい。

 それに去年はナナムスから聖騎士団が参加して、祭りの会場で一緒にワインを飲んだ。


「あれはね、ラベルが違ったんだよ、毒の入ってるのと、入ってないのが分かるようになってたのさ」

 最初の一人が倒れ、誰かがこれは毒だと叫び、王様が膝をつくと、ナナムスの兵は高笑いして撤退していったのだと言う。

「ほんとにあの時は、生きた心地がしなかったよ」


 毛布の下で氷のように冷たい手を握りしめる。どう考えても、私が作った毒が使われたタイミングだった。

「軟弱者がぁ! って、しばらく子どもを叱る時に流行ったもんねぇ」

「軟弱者?」

 カラカラと笑う彼女たちは、毒入りワイン事件の顛末てんまつを教えてくれた。


 おそらくその場で一番たくさん毒入りワインを飲んだ王様は、口からワインを吹き出しながら「毒なんぞにやられるのは軟弱者じゃぁ」と、かたっぱしから村人の腹を殴って吐かせて歩いた。


「男だけじゃなくて、アタシらもよ? 死ぬような毒でもなかったんだし、お腹のアザが治るほうがよっぽど時間がかかったわよ」

「……だれも、死ななかったんですか」

「もちろん。その日のうちに皆で痛むお腹をさすりながら山を降りたくらいよ」

「よ……よかった」


 あの毒は、誰も殺さなかった。誰も、死ななかったんだ。

「まぁ、やだ! この子ったら泣いてるじゃない、なんて優しい子なの」

 ふくよかなおばさんの胸に抱き寄せられて、私は初めて女神様に感謝した。

 ありがとうございます。誰も死なせないでくれて、本当にありがとう。




 その後、村にはぽつりぽつりと、軽傷の兵が運ばれてくるくらいで、谷での戦いは膠着こうちゃく状態らしかった。

 小規模な戦闘が繰り返されているものの、アカランカが優勢なのだという。


 少し安心して、今のうちに洗濯をしようと村の子どもたちと川に向かっていると、真っ青な顔をした兵士が駆けこんできた。

「村長を呼んでくれ。アカランカが、アカランカの城が背後から奇襲された」


 知らせを受けたローエンは、厳しい顔で机をにらんだまま動かない。

 そこに、集会所から20名ほどの兵士が現れた。私が手当をした人たちばかりだ。

「ビビちゃんのおかげですっかり良くなった。まずはわしらを行かせておくれ」

 テオは、少し足をひきずりながらそう言った。


「まだ誰も完治していません。ダメです」 

「ああ、そんな顔せんでくれ、こういう時はいってらっしゃい、チュッとしてくれればいいんじゃよ」

 すっかり戦支度を終えた彼は、相変わらずひょうきんに笑う。


「……どうして」

「どうしてって、そりゃ、若者を行かせんためさ。ワシらの始めた戦争じゃ、ワシらが終わらせてくる」

 優しくも有無を言わせぬその声に、返す言葉が無い。


「待てよ、帰ってきてからの「おかえり、チュ」の方がたぎるわい、そうしよう、約束じゃぞ」

 テオはウインクを一つ残して、部屋を出ていってしまった。


「ルーク、私もアカランカに向かう。おまえが今からレナーテを預かれ」

 あっというまに何もかもが決まり、ローエンさんは皆を連れて出立し、集会場も村の中も妙にがらんとしてしまった。




 主戦場がアカランカ城に移ったことで、レナーテには負傷兵も来ない代わりに、情報も入らなくなった。残された私たちにできるのは、彼らの無事を祈るだけ。


 私はハンターの部屋に残されていた、愛用の皮のベストを抱いて浅い眠りをつないだ。

 第二公妃の娘の記録も穴が開くほど読み込む。すると読むほどに不可思議な点が目についた。


 そんな時、沈黙の続いたアカランカから、ナナムス本隊を退けた、これから掃討戦に入るという嬉しい知らせが舞い込んだ。

 そして、その知らせと一緒に、遺品のかぶとが1つ送られてきた。


 それが、誰のものだったのか気づいた時、私は鉄の兜を抱いたまま、その場にくず折れた。

「嘘、だって、おかえりの……約束。テオおじさん……!」


 その冷酷な不条理を、胸に受け止める。

 これが、戦争。人と人が殺し合うということ。

 彼は己の言葉通り、自分の手でこの戦争に幕を引き、散っていってしまった。


 見晴らしの良い墓地に彼の兜を供える時、冷たい鉄にくちづけた。私は、あなたの生き様を決して忘れません、どうか、安らかに。




 それから定期的にアカランカからの情報が入るようになり、戦後処理が終わり次第戻るという知らせに、兵士たちが寄せ書きのように名前を記したものが届いた。

 ギルバートの名を探し、見当たらなくて心臓が止まりそうになって、そういえばここではグレイだったと探せば、端の方にちゃんと書いてある。


 途端に村は活気づいて、気の早い女たちは宴の支度まで始めている。そんな時に、ルークから改まった顔で、話しがしたいと呼び出された。




「ビビさん、まずあなたに、この村の人たちをたくさん助けてもらったこと、深く感謝しています」

 そういって本当に深々と頭をさげる。

「いえ、その、お役に立てたら、幸いです」

 私がそう答えても、彼は頭を上げず、そのまま続けた。

「あえて聞かせてください。グレイさんはあなたの何ですか?」


「彼は……私のハンター……です」

 唐突な質問に、間延びしたような答えを返す。

「お二人は仕事で一緒に行動していたと、そういうことですか」

 顔を上げた彼の目があまりに真剣で、息が詰まる。


「僕は、あなたが好きです。薬師として凛々しい時も、普段のはにかみやなところも、どっちも好きです」

 初めて受ける告白を、ただただ戸惑った心で聞く。

「この村に残って下さい。僕はビビさんと、結婚したい」

 二つ年下だと言っていた彼は、とてもそうは思えない堂々とした態度でそう言った。


「……ごめんなさい。それはできません」

 私はせめて彼の想いにつりあうくらいの誠実な言葉を、胸の中から探した。

「グレイは仕事のために私と居ます。でも私は、彼と、居たいから。彼の傍にいたいから一緒にいるんです」

 きゅっとルークは拳を握った。


「それで、ビビさんは幸せになれますか。僕にはそう思えません」

「私は……それで幸せです」

 美しいアニエス様の姿を思い浮かべてしまって、首を振った。たとえ、そうだとしてもだ。


 ルークはひたむきなまなざしのまま、最後にこう言った。

「ビビさん僕と一つ、賭けをしてくれませんか」

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