3-7美酒

 花嫁衣装を着るなんて、森で暮らしていたときには夢にすら見なかったことだ。

 鏡の中で真っ白な衣装に身を包んでいる私は、自信のなさそうな顔で絹の手袋をはめてもらっている。


「ちょっと、これ私が一番細かった16の頃のドレスなのよ、腰まわりがこんなに余るってどういうことなの」

ルークから賭けの内容を聞いた女性たちは、そりゃ面白いと二つ返事で早朝からの支度を引き受けてくれた。


 ハンターなんてやくざな商売だよ、うちのルー坊にしときなよ。ビビちゃんがこの村に残ってくれたらおばちゃんも嬉しいよ、と口々に言われて温かい気持ちになる。


 ふわふわの癖っ毛の女の子が最後まで私の口紅を塗りなおしたり、ベールの角度を調整したり、やたらと熱心に面倒を見てくれた。

 そして、控室を出る直前にぎゅっと強く私の手を握る。


「傭兵さんと絶対絶対お似合いです。ルークなんてお子様ですもん、ダメですよ」

 うるんだ瞳で言う彼女に、焦がれる者同士のせつない絆を感じて、私も少し涙目になって「はい」と返事をした。

 



 開け放された窓から、芳醇な香りの秋風が流れ込んでくる。

 急に冷えると思ったら、昨日一晩で湖に映る山は裾まで真っ白に雪化粧していた。

 集会場は救護場所だった時の気配をさっぱりと拭い去られて、野の花とリボンで飾り付けられている。


 入り口では正装をしたルークが私を待っていてくれたけど、こちらを見たまま、しばらく何も言わず立ちつくしてしまった。


 不格好で貧相な花嫁姿なのは分かっています。ドレスが余ったのも腰よりも胸ですもんね、あはは……。胸の中だけで言い訳が渦巻いた。

 ほらルーク、しゃんとしなよと介添えのおばさんにお尻を叩かれて、ようやく彼が大きく息を吐く音がする。


「ビビさん、とても綺麗です」

「お気遣いありがとうございます」

 ここからはルークにエスコートしてもらいなと、私の手を彼の腕に渡す。


 私たちがゆっくり会場を進むと既に集会場に集まっていた村人たちから拍手が巻き起こり、子どもたちは「花嫁さん、花嫁さん」と飛び跳ねた。

 集会場の中央まで進むと、ルークは私の手を離し一歩後ろへ下がる。

「ここを出る時も、僕があなたの手を引きたい。そう、願っています」

 彼の真摯な眼差しに、深く頭を下げた。




 ハンターが村に戻って来た時に、花嫁姿の私を見て「結婚するのか」と言ったら、仕事が終わった後でいいからもう一度、僕とのことを考えてみてほしい。

 そしてもしも彼が、その場で心から僕とあなたのことを祝福してくれたのなら、どうかこのまま村に残ってほしい。

 彼の答えが、このどちらでも無かったときは、自分が潔くあなたを諦めます。


 これがルークが私に持ち掛けた賭けの内容だった。ハンターを試すようなことをしたくないと言うと、そうでもしなければビビさんは目を覚まさないと思うからと、ルークは譲らない。

 結局、どちらにせよ引き受けている仕事が終わるまでは、無断で身の振り方を決められないということに納得してもらうのが精一杯だった。




「傭兵さん一人で帰って来た! 馬は泡吹いて倒れちゃった」

 少年の高い声が彼の到着を知らせた瞬間から、体が浮くような心地がした。

 ハンターのように気配を探るなんてできないと思っていたのに、どんどん近づいてくる彼の鼓動が聞こえてくるような気がする。


 扉が開かれてハンターの姿を見たら、ここで彼の言葉を待ってと言われていた立ち位置も忘れて、駆けだしていた。

 あんなに緊張して着ていたドレスの裾も、足にもつれて邪魔だとしか感じない。


 手を伸ばせば触れられるほどの距離に近づいた彼の目には、戸惑いと、疲労と、安堵と、あともう一つ、何かとても暖かい感情が揺れている。


「……おかえりなさい」

 声を出したら、涙が溢れて止まらなくなった。さっきまで彼が何と言うだろうと不安に思っていたのに、顔を見たらもう、無事だった、良かった、の二つだけしか出てこない。

 人前でも構わないと飛びつこうとした私に、彼は慌てて「待て、汚れる」と後ろに下がり、早口で続けた。


「幸せにしてくれるのは、あなただけって……まさかあんた、嫁に来る気か!?」


 驚きで吸い込んだ息をそのまま、返事をするために吐き出した。

「……っ、はい!」

 集会場がわっと沸く。

 口が滑ったと言わんばかりに彼は顔をしかめ「花嫁姿で出迎えとは、どんな趣向だ」と悪態をついた。




 戦士たちに、労いの言葉と共に酒を注いで歩く。

 一周すると、最初の一人が「おっと、オレはまだもらってないぜ」と冗談を言うから、何周も回ることになる。

 ハンターは村長とカウンターに座り、あちこちからお呼びがかかって焦る私を笑いながら見ていた。


 ようやくハンターのところへ戻ると、サッと腰に腕を回して、膝の上へ抱えられる。

「遅いぞ、待ちくたびれた」と、無精髭の頬をすりよせてくる彼は、とても珍しいことに少し舌っ足らずだった。


 ピュウピュウと口笛が鳴らされ、冷やかしのセリフが飛び、苦笑いするルークに見つめられるのは、さすがに居心地が悪すぎる。

「酔ったんですか、珍しいじゃないですか」

 チクチクするおひげの顔を押し返すと「酔ってない」と口を尖らせる。これは……立派な酔っぱらいだ。


「ひげが痛いか、しまったな」

「お湯を使った時に、当たってくれば良かったのに」

 昼過ぎには村の兵士が一斉に帰還したから、そんな時間は無かったのかなと思っていると、彼はすねたように言った。


「ローエンが昔、童顔だとからかったから、髭はそらない」

 本人を目の前に、年中無精髭の秘密を暴露したハンターを見て、村長はニヤッと笑った。


「勝利の美酒だぞ。飲め飲め。今日飲まんでいつ飲む」

 無責任にさらにハンターに酒をすすめ、彼はそれを一息で飲んでしまった。

「戦地から戻って、疲労も限界のはずです。あまり景気よく勧めないでください」

 小さな声で抗議すると、やあ、奥方に叱られてしまったと村長は額を叩く。


「もう部屋に戻りましょう。さすがに飲み過ぎです」

 私が言うと、ん、と彼は素直に返事をして立ち上がり、一歩踏み出しただけで見事に千鳥足だったので、体を支えた。

「すみません、先に休ませていただきます」と、頭を下げると、村長は私にクタリともたれているハンターを見て目を細めた。


「こいつは大概素直じゃないが、今なら本音の一欠片くらい吐くだろう。ビビさん、あなたもたまには本気でこいつを困らせてやるといい。どうせ明日には覚えてないさ」




「そこの足元、紙が散らばったままなので、あっ、そっちも踏まないで下さい」

 調薬の道具や、ヴァイスとの手紙のやり取り、それに日々の生活用品で混沌としていた部屋に彼を担ぎ込んで、ようやく安全地帯のベッドまでたどり着いた。

 部屋を見回して「散らかってるな」と言った無邪気な笑顔に、深刻なダメージを受ける。


「あぁ、ベストはここにあったか。無くしたかと思っていた。……何でビビのベッドの上に?」

 早朝から花嫁支度をしていて、証拠隠滅をし損ねたからですよ。

「これと寝てたのか?」

 ほわほわと笑っているハンターに、そうでしょうか、どうでしょうね? と、ごまかしで押しとおろうと首を傾げる。

 探していたはずの大切なベストを、ぽいと床に放ってハンターは腕を開いた。


「じゃあ、もう本物が来ただろ。おいでビビ」

 これはずるいと思いながら、抗いがたい気持ちで腕の中に収まる。背中に腕を回したら、すぐに分かるほど彼は痩せてしまっていた。


「おかえりなさい。大変でしたね。無事に帰ってきてくれて、本当に嬉しいです」

 一月以上も会わずにいて、たくさんたくさん考えてきたはずなのに、今、彼に伝えたいことは、たったそれだけだった。


「足手まといだなんて言って、あんたを泣かせたまま行ったこと、ずっと後悔してた。すまん」

「いいんです。もう、充分です」

 だって、私が押し掛け女房になろうとしていると、彼は勘違いしてくれた。他の誰のでもない、自分の花嫁だと思ってくれた。それでもう、充分だった。


「テオの骨もようやく連れて帰った。墓に入れてやろうな」

 しばらくの沈黙の後で、彼はそう切り出した。

「……はい。毎日皆が花を供えるから、お墓は花屋さんのように、にぎやかなんですよ」

 私が治療したから、テオは戦場へ戻り、そして命を落とした。そのやいばのような事実を薬師の宿命として受け止める。だから、弱音は吐かない。


「ナナムスにアカランカの城がとられて、実は結構追い詰められた。その時、戦線復帰してきたテオが、アカランカ軍には女神ビビがついてるって皆を励ましたんだ。そしたら嘘みたいに士気があがって、あっというまに城が奪還できた」

 女神ビビのご加護だなと、彼は言う。

「私には、あなたが戦神のごとき活躍だと、そう教えてくれました」

 大げさなじじいだと、彼の声が湿り、私たち二人でもう一度哀悼の祈りをささげた。


「女神と戦神が手を組めば、万能薬なんかもう出来たも同然だな」

 彼は半分眠っているように目を閉じてそう言った。そうですね、と私は胸の痛む部分に必死で蓋をする。

「早く万能薬を完成させましょうね、そうしたら、陛下のもとに胸を張って凱旋がいせんしましょう。そのあとは……その後はどうするつもりでしたか」


 少し震えた語尾に気づくことも無く、どうするかな、と彼はこてんと頭を預けてくる。

 さっきもう充分だと言った舌の根も乾かぬうちに、ついに言わずにいようと決めていたことを囁いてしまった。

「その後はどこへ行きますか、私もついていっていいですか? あなたが誰を一番大切に思っていても、構いませんから」


 いちばん? とオウム返ししてきた彼はぼんやり私を見上げた。

「ビビより大事なものなんか無いだろ」

 あっけらかんとそう言う。いつぞや人の寝グセをからかってくれた割に、彼の酒癖も大概じゃないだろうか。


「だから安全で平和な場所に置いていきたかった。ビビには幸せに笑っていてほしい」

 これがローエンさんが言っていた「本音の一欠片」なら、どんなに私にとって残酷でも受け入れよう。これ以上は私が、ただの彼の足枷になってしまう。


「でも、本当はビビが、ずっと俺だけ頼りにしてればいいのにと思った」

「えっ……?」

 今度はそっと私の頭を、自分の胸に抱き寄せて髪を梳く。


「ここだけが安心して眠れる場所だって、一生、あんたを騙していられればな」

 独り言のようなつぶやきは、酔っ払いの吐息に溶ける。


 その言葉の意味が頭の芯まで伝わるより早く、ぶわっと全身が熱くなって、感じたことのない動悸に襲われた。びっくりしたように肩をつかんだ彼は、体から離した私を見て、さも可笑おかしそうに笑う。


「ふ、あんたがそういう顔するのは、新鮮だな」

「何でしょうか、ある種の異常事態だってことは分かるんですが」

 かわいい、かわいいとあやすように背中を撫でながら「……ん?」と彼の手が一瞬止まった。


「ま、いいか? 寝る」

 そのまま私ごと仰向けにベッドに倒れ込んだハンターは、まもなく寝息をたてはじめる。今の彼の言葉をもう一度よく考えたいのに、私もくらくらと眠りの沼に引き込まれていった。

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