3-8氷河祭り

 ハンターは目を覚ましてからしばらく、ベッドの上で額を押さえていた。

「おはようございます。眠れましたか」

「……ああ」

 しゃがれた声で一応返事がある。


「お酒、残ってるんじゃありませんか、昨日のことなんてもしかして……」

「いや、すまん……顔を洗ってくる」

 ローエンの言った通り、記憶を飛ばしたらしいハンターは、重い足取りで部屋を出ていく。


 昨日のあれは酔っ払いの戯言ざれごとだったというよりも「帰ってきたらいっぱい褒めて下さい」と言った私への労いの言葉だったのではないか。

 喜ばせようと思って言ってくれたのなら、発熱しそうなほど嬉しかった。

 かなり辛そうだった顔を思い出して、量産しておいた酔い醒ましの薬を手に、部屋を出てハンターの姿を探す。




「あなたが戻る前に言うのは卑怯でしたが、そうでもしないと勝ち目がないと思ったので」

 ルークの声が聞こえてきたので、建物の角でぎくりとして足を止めた。

「あの花嫁姿は、今回の戦勝で最大の褒美だった。礼を言いたいくらいだ」

 昨晩一度も触れられなかったドレス姿をハンターがそう言ってくれたので、ちょっと照れる。


「僕は今、ビビさんに求婚した男として、あなたと対等に話しがしたいです。お願いします」

「ならば、うちの大事な薬師を誘惑してくれたようだが、見事玉砕ぎょくさいご苦労だったな。これでいいか?」

 くっ、とルークは言葉に詰まる。彼は時々、本当に容赦が無い。


「しかし、もう少しやりようは無かったのか? オマエは顔もいいし、気遣いもできる。あんな世間知らずの娘一人、口説き落とせなくてどうする」

「その世間知らずのお嬢さんを、知っていて危険な旅に巻き込んでいるのはグレイさんじゃないですか」

 世間知らずと2度も言われて、へこむことこの上ない。


「彼女は報われることがなくても、ただグレイさんの傍に居たいのだと言いました。それなのに、あなたは仕事のためにビビさんを……利用しているんですか」

 その言いぐさは、そろそろハンターを本気で怒らせそうで怖い。しかし予想に反して、気の抜けた調子で返事があった。


「……いや、逆だな。ビビを連れ回す口実が欲しくて、この仕事を勝手に始めた。納品先のお方はつい先日まで、完全には本気にしていなかったはずだ」

「どういうことです?」

 ルークが尋ねてくれてありがたい。私も知りたい。


「俺たちは、とある薬を作ろうとしている。それができれば、薬を飲んだ人も、周りで心配してた人も、俺自身も、もちろん薬を作ったビビもみんな幸せになれる予定だ」

 でも、肝心なのはな、とハンターは言葉を続けた。

「俺が幸せにしてやりたいのは、ビビだけだってことだ。他の人間は俺の手には余る。手伝えることはしてやりたいが、最終的には幸運の尻尾は自分でつかんでくれよと思っている」


「ビビさんだけを大切に思っていると、そういうことですか」

 真摯な青年の言葉に、ハンターは少しごまかすような声色を返す。

「まぁ、ビビだけが俺の内側で、あとは外側。そういうことだ」


「どうして彼女にそう伝えてあげないんですか、そうしたらあんな悲しそうな顔で『私はそれで幸せです』なんて言わせなかったのに!」

 そうだなぁ、とハンターは多分、伸びをしながら少し歩いた。


「ビビには、俺よりオマエがふさわしい」

「えっ……」

 戸惑うルークの肩が、ポンと叩かれた音がした。

「単純だろ、誰でもそう思う。だがビビにはそういう、大人の理屈だとか矜持きょうじだとかが時々全く通じない。果てしなく頑固だ」

「……そこには、一部同意します」

 ルークにまで同意されてしまった。


「しかも離れてみたら、俺の方がてんでダメだった。だから、もう観念する」

「そうですか……じゃあこれで僕の心配は全部無くなりました。あとは、ビビさんにもちゃんとそう言って安心させてあげてください」

 オマエはほんとに、もったいないほどいいヤツだなとハンターは言った。


「昨日酔っぱらって、言うつもりの無いことまでしゃべったよ。おかげでひどい二日酔いだ。さて、もうそろそろ顔を洗ってもいいかな?」

 すみませんでしたどうぞと、ルークは普段通りの礼儀正しい青年に戻る。

 酔い覚ましに効くスープを作っておきますから後で酒場に顔を出してください、と言って駆けだした後で、足音がぴたりと止まった。

「グレイさん、僕と真剣に話して下さってありがとうございました」




 私はしゃがみこんだまま、立ち去るタイミングを完全に逸した事に気づいた。

 そもそも、常時私の周辺に気を配っているハンターにとって。


「盗み聞きとは、少し離れていた間に悪いことを覚えたもんだな」

 どうやったのか、私は井戸の方向を向いていたのに、彼に背後をとられていた。

「ここに来た時から分かっていたのでは?」

 私の問いには応えずに、ハンターは腕組みする。


「ルークは、ほんとにいいヤツだぞ、あんたが気に入らないなら俺が嫁に欲しいくらいだ」

 本当にいい人だということは、最初からブレずにそう思う。でも、ハンターのお嫁さんには来てくれないような気がする。


「昨晩話したこと、忘れてなかったんですね」

「さすがに……全部覚えている」

 ハンターは渋い顔をした。


「酔ったところまでは分かるとして、記憶を飛ばすとは、らしくないなと思ってたんです」

「可能なら今からでも、俺からも、あんたからも記憶を飛ばしたい」

「てっきり、私を喜ばすためのご褒美かと思っていました」

「あんたにはあれが、褒美になるのか? どうかしてる」

 してませんよとつぶやいて、ギュッと彼のシャツに顔を押し付けた。


「私は世間知らずで、頑固者のビビですから、さっきルークさんとしていた話しも全部本当のことだと信じ込んでしまいますよ。一つでも嘘があったら、今教えて下さい」

 無いよ、と彼はすぐに言った。


「あんたに聞かせるために喋ってたことくらい、分かってるだろう」

「私だけを幸せにしたいと思ってくれているんですか」

 そうだ、と大きな手が背中を撫でた。


「私が幸せになれるのは、ここでだけだってことも分かってくれたということですか」 

「分かったというか、まぁ、観念したよ」

 よっ、とハンターは私を自分と同じ目の高さまで持ち上げた。


「もう、ビビひとりを置いてどこへも行かない。その代わり俺の行先が地獄でも、最後まであんたにつきあってもらうからな。覚悟してくれ」


 まるで生涯を誓う言葉みたい。少し物騒だけど、そんなことどうでも良かった。

「はい! でも、せっかくなら一緒に天国へ行きましょうね」

 ぎゅっと首に抱き着いた私は、また彼の呆れたような「ビビ……」を聞いた。

「こうなったからには、この先、洒落しゃれに聞こえんあおりは慎んでくれよ」

「……?」


 しばらく居心地の悪い沈黙が続いて、ハンターは私を地面に降ろす。そして、やっぱり俺はルークを嫁にもらう、と酒場に向かって歩いていってしまった。

 そう考えると、私もお嫁さんをもらうなら掃除上手のコニーがいい。




 兵士が持ち帰ってきた大量の洗濯ものを洗うべく、女性全員で川に来ていた。

 水は冷たいけど、みんなで息が切れるほど洗濯物の上で足踏みすれば体は温まる。


「みんなスカートをまくって仕事するってのに、ついてくるって聞かないんだから、助平すけべえな傭兵さんだよ」

 もう、と背中を叩かれながら、ハンターは高い木へのロープ渡しを買って出た。


「好機と見れば逃さないのが、傭兵の生き残るコツだからな」

 笑う彼に、あっというまに数人の奥様方が骨抜きにされそうになる。この村は安全ないい村だけど、彼はこの村の危険分子なのではなかろうか。 


「それで、ビビは何が聞きたかったんだったかな」

 お茶休憩に入ったところで、ハンターに水を向けられたので私はおばさま方に尋ねた。


「去年の夏は大変だったということですが、例年はどんなお祭り……えっ、ど、どうしたんです」

 突然隣でお茶を飲んでいた彼の顔が、紙のように白くなったので、驚いてにじり寄った。

「あ、いや、すまない。痛恨だったが、もう遅い話だ。続けてくれ」

 さりげなく手を重ねると、かなり速かった脈拍が徐々に落ち着きつつあるところだった。

 毒や急病では無い。でも、こんな風に顔に出ることは珍しかったので、しばらく隣にも注意を払いながら話を続けた。


「氷河祭りというのは、どんなお祭りなんですか?」

「永久凍土の氷河をずっと遡っていくと、大きな湖に出るんだよ。夏でも厚い氷が張ったままの湖上が祭りの会場さ。そこで男たちはアタシらが踊るダンスをさかなに酒盛りするってわけよ」

「ダンスですか……じゃあ、みなさん踊りができるんですね」


 そうだよ、腰の振りがポイントだからねと言うとノリの良い2、3人が立ち上がってその踊りを見せてくれた。

 洗濯でまくれるスカートはダメで、踊りはいいのかと思うほど、大胆な足さばきにこっちがドキドキしてしまう。


「でね、これを氷の下からじーっとアイツが見てるわけよ」

「えっ! 誰がですか」

 それはものすごく嫌だと思ったのが顔に出たらしい、おばさま方はにぎやかに笑った。


「そりゃ、助平な雪ナマズ様のための祭りだもの! ナマズに決まってるわ」

 氷河雪ナマズを探す手がかりを得ようとしていた私たちは、あっけなく転がり込んできたナマズの情報に目をしばたたかせた。


「その雪ナマズ様というのは、この村の守り神のようなものなのか?」

 ようやくハンターも参戦してくれる。

「まぁあの湖からの綺麗な水でアタシたちは暮らしてるけど、守り神……って言うにはちょっとゲスかしらねぇ」

「氷の下にべったりくっついて若い子が踊る後をついていくところなんか、ほんと助平ジジイの顔そのものだからね」

 漠然と砂漠のヌシ様を想像していた私は、村の人たちからのあまりの言われように驚く。


「でも、年に一度は祭りを開かないと、怒って地面を揺らすんだっておばあちゃんが言ってたわ。昔それで山崩れがおきたんですって」


 少なくとも昨今は、種まきを終えた後の夏祭りとして開催され、アカランカの娯楽として根付いている行事らしい。

 ひらひらした衣装をまとって踊る未婚女性は、たいがいその席で求婚されるものなんだそうだ。


 今年の祭りはもう終わっちゃったから、集会場で衣装だけでもみせてあげるわよと誰かが言うと、じゃあ男衆も帰ったことだし、今晩集会場で踊っちゃう? とたちまち場が盛り上がった。


 話しが決まると、おばちゃんたちの行動は速い。分担を決めて、即散開。私たちは宴の準備のために大量のイモの皮むきを仰せつかった。

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