3-9登山
料理と酒を片手に、今夜も村はどんちゃん騒ぎ。
集会場は踊る女性たちの熱気で、窓が曇るほどだった。
「ほら、ビビちゃんも着なさいよ、絶対似合うから」
「そんな薄い服じゃ風邪をひく。ビビはダメだ」
衣装を着せるか着せないか、延々と押し問答しているおばさま方とハンターを尻目に、独特のリズムで踊る人たちの輪を見つめる。
足のステップの速さと大胆さに反して、腕の動きはたおやかだ。片腕に付けた鈴をシャン、シャンと鳴らすのは、腰の動きと同時。
「ナマズがこの踊りを見るのか? 踊れと要求してくるわけか?」
今日はチビチビと
「ナマズだから直接何か言ってくるわけじゃないけど、あの目は踊れって言ってるわよね」
言ってる言ってると、若い子たちも言う。
「ビビさん、着替えなんかしなくてもいいですから、輪に加わってみませんか?」
ルークが、空になった皿やグラスを持って私にそう言った。今日も酒場のお手伝いをしているらしい。
「いえ、私は、踊れませんから」
「さっきからすごく熱心に見てるじゃないですか。最初はみんな初心者です。グレイさん、いいですよね?」
立ち上がった私を、ハンターはかなり意外そうな顔で見た。
「だって、この踊りにナマズ攻略の秘密があるかもしれません。行ってきてもいいですか」
私だっていつまでも足手まといのビビではいたくない。
「待ってビビちゃん、だから何でそっちの腕までっ……上がっちゃうの?」
「右足2回の、左腕の……」
だから両手が上がってるんだって、と腹がよじれそうに笑うお姉さんたち。
開始から小一時間が経過しても踊りが次のステップに進まない。全然進まないのに楽しい。
「腰振る方向も逆だってばー、もー、なにそのへっぴり腰。かわいいー」
「この踊りは斬新すぎてナマズに気に入られるかもしれないわ。祭り本番じゃなくて良かったわね」
涙をぬぐいながら踊りの先生をやってくれていたお姉さんの前に座り込む。楽しいけど、もう体力が限界だった。
「はぁ、はぁ、全然ほめられてないことだけは、わかります」
「ナマズに気に入られた女の子はひどーい目にあうからね、練習でよかったわ。ほら、ダンナが心配そうにこっち見てるから、一回戻って休んでおいで」
席にはいつのまにかローエンも来ていて、二人はなるべく無表情で私を迎えてくれようとしている。
「楽しかったですが、踊るのは諦めました」
そのようだなと言うと、彼らもこらえきれないように笑いだした。
「あんたには器用なイメージしかなかったから、なかなか衝撃的だった」
でも挑戦自体に価値があると彼はフォローしてくれる。真面目な顔で言ってくれたら、もう少しありがたい。
「まさかおまえが、雪ナマズを探してレナーテへ来ていたとは思いもしなかった」
「狩ろうってわけじゃないから安心してくれ、少しヒゲの先をもらうだけだ」
ハンターの言葉を、ローエンは冗談だと思ったのだろう。肩をすくめて酒を飲んだ。
「しかしどうにも時期が悪いな。山はもう完全に冬だ」
まだ村は秋の気配だが、真っ白に雪化粧した山は全然気候が違うのかもしれない。
「祭りを夏にやるのは、山の中腹までは雪が溶けるからだ。尾根伝いに歩いて登り、山小屋に一泊。朝から祭りをやっても下りはその日のうちで済む。だが雪が降るとそうはいかん」
おまえ一人ならまだしも、ビビさんを連れて行く気なら本格的な準備がいるぞとローエンは言う。
「俺も一緒に行ってやれればいいんだが」
面倒見のいい村長はそう言ってくれるが、帰還後彼がどれだけ忙殺されているか知っている。男衆のいなかった村の冬支度が遅れているのもわかっていたので、そこはキッチリ辞退した。
「登りで3日、頂上でナマズ釣りに3日、下山に2日というところか」
「うむ。水は要らんし食料はおまえが登りながら調達するにしても、テントと寝具とストーブだけでもかなりの荷物だ。ビビさんは雪山なんか歩いたことも無いだろう?」
ローエンとハンターが同時にこちらを向いてきたときには、私はかなり身を乗り出していた。
「雪の中でテントを張って寝るんですか?」
「そういうことになるが……ビビさん、とても寒いんだよ?」
村長は言い聞かせるように私に言う。
「はい!」
今からそんなに張り切るなよ、と笑うハンターに頭を押さえられた。
「うちの薬師は見た目よりかなりタフだ。俺も無理はしない。装備を借りられるか?」
村の恩人たちのためだ、出来る限りのものを準備させようと、彼は請け負って席を立った。
ハンターも遅くならないうちに話したいことがあると言うので、私たちも部屋に戻ることにする。
途中ですれ違ったルークが駆け寄ってきて「輪に加わってみたらいいなんて無責任なことを言ってごめんなさい」と深刻な顔で謝ってきたことに、地味に一番傷ついた。
部屋に入るなり、今度はハンターが私に頭を下げた。
「すまない、ビビ。一人で去年の夏の話を聞いたんだな」
沈んだ声に、こっちが呆気にとられる。
「ええ、でも……」
「実際祭りがどうなったかは、あんたが踊りを練習している間に聞いた。でも、俺はそれを知らないで、ビビをこの村に置いていったんだ」
眉間にシワを寄せたまま、彼は続ける。
「自分のことでめいっぱいになって忘れていた。ゴナスで聞いたビビの話しが、アカランカの一件と繋がってることは、あの時分かっていたのに……」
これから自分が戦地に行かなければならない時に、そんなことまで気にしていられないだろう。
大丈夫ですと言おうとして、私の今までの毎日が、彼のこんな
「毒薬に使った赤い花、あの成分はアルコールでゆるやかに分解されるんです。それに、たくさんの毒入りワインを作ろうとして、1本の薬を分けて使ったんじゃないでしょうか。それも幸運でした」
私は再び、秘密の話しを打ち明ける。
「ちなみに、煮立てても、凍らせても、日光に長時間当てても、あれは弱毒化します。それが薬師にできる最大の抵抗でした」
「ほんとにあんたは、すごい薬師だ」
でも、あの日誰も死ななかったことは、様々な幸運と努力が重なった奇跡だ。
私がこの村の誰かを害したことを知れば、どれほど苦しむか、それを一人で受け止めることがどれほど困難か。彼は分かっていたのだろう。
「あなたこそ、凄腕のハンターが過ぎます」
あまり聞かない言い回しだ、と彼は眉を上げた。
「ずっとそうして、私に気づかせもせず、たくさんのことから守ってくれていたんですね」
でも、と私は思う。
「そんな風にしていたら、あなたがすり減ってしまいます。少しずつですけど、私も強くなりますから、これからは少しあなたの荷物も分けてください」
彼は返事をする代わりに、私の目を見て優しく微笑した。
「わーい、カメさんカメさん!」
「ひっくりかえったカメさん!」
村の子どもたちが天井を見たままの私の周りをぐるぐる走り回っている。
ハンターが背負うらしい大きなザックを、私も背負ってみたいと頼んだら、ひっくりかえったまま床から全く起き上がれなくなった。
「遊んでないで靴を合わせてみろ。毛糸の靴下を履くから、少し大きめがいい」
倒れたままの荷物から、ひょいと抱えあげられて私は椅子に置かれた。彼の背負うものを分けてもらうには、まだまだパワーアップが必要そうだ。
「ねえ、ビビちゃんにこのオーバーはどうかしら?」
酒場に入って来たお姉さんは、昨日の祭りの衣装と同じ、藍染めの
膝が隠れるほど丈が長いので、腰回りがとても暖かい。
「暖かいです。お借りしてもいいんですか?」
「もちろん。山では気づかないうちに凍傷になることもあるから、お湯で手足を温めて血行を良くするんだよ。あと、お腹が冷えるから雪や氷をそのまま食べるのはダメだからね」
お姉さんの言葉に、何故かハンターがすいっと目をそらした。
ルークも酒場の棚からあれこれ持ってきては、荷物に入れろと勧めてくれる。
数日間の晴れを見込んで、いざ出発しようとした朝、久しぶりにヴァイスから手紙が届いた。それもカバンに大切にしまって私たちは雪の山へ登りはじめる。
「しばらくは谷を行く道だ、雪もそんなに深くない。無理のないペースで歩いてくれ、俺が後ろから行く」
サクサクと雪を踏みながら、鳥がさえずる穏やかな森を歩く。
少しずつ傾斜がきつくなって、息が弾むようになると、彼が休憩を入れてくれた。そうやって、前進と休憩を繰り返していくうちに、木立の中の小さな広場に出た。
「今日の目標地点に到着だ。案外早かった、頑張ったな」
切株の上から雪を払って、そこで少し足を休めろと私に言うと、ハンターは早速荷物を開きはじめた。まだ十分に明るいが、日差しがなくなると風が冷たく感じる。
初めに底にニカワが塗られた絨毯を敷き、その上にテントを広げて端を地面に固定する。
まっすぐな長い枝を一本切ってきて、邪魔な葉を落とし、ハンターがそれを持って布の下にもぐりこむと、ぴょこんとテント中央が持ち上がった。
「すごい! 魔法みたいですね!」
「もう中に入っていいぞ、支柱にだけ気をつけてくれ」
物珍しく中を見回していると、彼は外で組み上げた鉄のストーブをテントの中に持ち込んだ。テントの合わせ目から煙突を外に出すと、手早く小枝を中に入れる。
「炎の魔法はコイツだぞ。すぐ温まるからな」
彼の言葉通り、まもなくテントの中はぽかぽかと暖かくなってきた。
「今のうちに今夜の分の薪を拾ってくる。戻ったら手伝ってもらうから体を温めておいてくれ」
指示どおりストーブに張り付いて体を温めていると、立ち枯れの木が引っ張られてきた。
「温まっていますよ、何をしたらいいですか?」
「鍋に雪を詰めてストーブにかけてくれ」
新雪を鍋にすくってストーブにかける、任務完了だ。さすがにもう少し仕事が欲しい。
ちょうどいい長さに切った薪を、ハンターはナイフで器用に小割にしている。
手元をじっと見ていたら、やってみるか? と手招きしてくれた。手を添えてもらいながら、ナイフの頭を別の木で叩くと、パカンと気持ちのいい音がして薪が割れた。
「小屋で斧は使っていましたが、こんな割り方は初めてです」
「大抵のことはこのナイフ一本でやれる。狩人の知恵だ」
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