3-10釣り

「ハンターは戦闘だけじゃなく、拠点を設営するのまで上手なんですね」

 いつのまに仕留めたのか、山鳥の肉をスープに入れながらハンターは少し口の端を持ち上げる。


「どちらかといえば、こっちが俺の本業だ。街に居るより、山で狩猟をしている方が性に合ってる」

 街でのスマートなふるまいを見るに、そうとは断定できないけれど、なんだかずっと楽しそうに作業をしている彼を見ると、きっと好きなのだろうなとは思う。


「魚を釣るのも得意だ。ナマズ釣りは初めてだが、任せておけ」

 出発前に何本も釣り針を並べて見比べていたのを思い出して、はいとうなずく。釣りが好きなのも間違いない。


 器に入れてくれたスープを飲むと、山鳥の甘い油が溶けたスープは体を芯から温めてくれる。美味しいと私がほっぺたを押さえているうちに、ハンターは思い立ったように外へ出て、ツララのついた枝を一本持って戻った。


 針葉樹の葉の先についた氷をパキパキ折ってコップに入れ、その上から少量の焦酒こげざけを注ぐ。

「氷をそのまま食うなと言われて来たから、村に戻って言うなよ?」

 渡されたコップを鼻先に持ってくると、シャープな香りが立ち昇った。

 一口飲み込むと、微かに葉の香りがする氷が酒を冷やしていて、喉を落ちていくときにいつもよりさらにカッと燃えるように感じる。

「これは……わるいものです。飲みすぎてしまうやつです」

「だろう?」

 これ以上無いというように、彼は嬉しそうに笑っている。




 ストーブの薪の量を調整して、寝床を整えたハンターは私を手招いた。毛布に潜り込んで身を寄せると、雪の上に寝ているなんて信じられないくらい暖かい。

「寒い時は足元に熱湯入りの水筒を入れるといいんだが、必要なさそうだな」

「はい、全然寒くありません」


 私が言うと、ハンターはランプの明かりを消した。ストーブの炎がチロチロと燃えているのが灰掻き窓から見える。

「寝具が一組で済んだから、荷も軽い。明日も歩くぞ」

 私は自分のひっくり返ったカメ姿を思い出して、やっぱり彼はすごいなと思った。




 翌日も、その翌日も晴天が続いた。順調に登山は進み、巨大な氷の塊が流れる氷河沿いをさかのぼっていく。

 積雪はかなり深くなっているようだったけど、太陽光で表面が溶けた雪は、夜の間に固まり、雪を漕いで歩くようなことも無い。


 一度だけ重い荷を背負ったハンターが、雪に足をとられてヒザまで埋まった。

 引っ張り上げようとして、私まで雪に埋まって共倒れになり、くっきり残った二人分の跡を見て大笑いした。


 そうして3日目の昼前に私たちは氷結した湖にたどり着いた。




「こいつが雪ナマズか」

 私たちが湖面に降りると、スーッと足元に巨大な魚影が寄ってきた。恐ろしく透明度の高い氷の下を、3mほどもあるナマズがゆっくり回る。

「……確かに、こいつビビの方ばかり見てるな」

「見て……ますね」


 ハンターから少し離れると、私の後ろをついてくる。

「ビビ、来い。敵意は感じないが、何となく許せん」

 彼がサッと私を抱えてしまうと、ナマズは興味を失ったように泳ぎ去っていった。




 湖を見下ろす小高い丘にテントを張り、ハンターは早速狩猟の準備をはじめた。

「氷に穴を開けて釣りあげてやろうと思っていたが、さすがにでかいな」

 小さめの針を横によけて、かぎづめのような針に太いロープを結ぶ。

「まずはこれで小手調べだ」


 私には絶対に降りてくるなと言って、彼は湖面に立った。

 最初に湖に小さな穴をあけ、そこからノコギリで一抱えほどの大きさになるように氷をカットしていく。

 ナイフを立てて、ぐっと動かすと氷のキューブが持ち上がり、ハンターはそれを湖の外へ放り投げた。


「鳥の肉と、小魚と、疑似餌ぎじえも使ってみるか」

 つぶやきながら針に餌をつけている彼が、あまりにもびしょ濡れなので驚いて尋ねた。

「寒くないんですか?」


「ん? あぁ、寒いか? テントに戻ってストーブに当たるといい」

「いえ、私じゃなくて」

 うん、と彼は生返事だけを返した。珍しい、すごく夢中だ。

 結局その後しばらく、針を投げては微調整をすることを繰り返している彼を見て、夕食の支度をしようとテントに戻った。




 すっかり暗くなってから帰って来たハンターは、着替えを済ませると食事をしながら小手調べの成果を教えてくれた。

「疑似餌はダメだった。肉の餌には興味を示して寄って来たが、俺の姿が見えると引き返していく。明日は餌を仕掛けて、こっちで待ってみるか。思いのほか長期戦になるかもしれん」


 明日は早朝からのテントの撤収作業が無いので、のんびりヴァイスからの手紙を読む。彼はその傍らで枝を削って何かを作りはじめた。


「何を作っているんですか?」

「ただの暇つぶしだ。あんたの口に合う小さいスプーンにしようかと思っていた」

 それなら、と私は荷物袋から古びた薬匙を一本取り出す。


「これと似たようなものも作れますか? 柄がひび割れてきているんです」

 匙を受け取ったハンターは、そういうことは早く言えと更に枝を細く削っていく。

「何本欲しい? 30くらいなら朝までに仕上げるぞ」

「予備も合わせて3本もあれば十分ですよ」


 そんなにあったら薬匙屋さんが開けてしまうと思っているうちに、手のひらに古いものと寸分違わぬ新しい薬匙が置かれた。

「……木彫り職人になれますね」

 二本目を削りながら「老後はそれで食っていくか」と彼は笑い、その後5本同じものを作ってくれた。


「むこうの様子はどうだ?」

 ちょうど手紙を読み終わった頃に問われて、ハンターからも見えるように手紙を広げる。ヴァイスの几帳面な字でびっしりと経過が書き込まれていた。

「ここからが多分、前回処方した薬を飲んだ後で、体温の上がった分だけ覚醒時間が伸びている気がします」


 全文を読んだ後で、私はためらいながら口をひらいた。

「これは、私の独り言だと思って聞いて下さい。どうしてもお姫様の病状が、不自然な気がするんです」

 不自然? と当然彼は尋ねてくる。


「喉が痛いなと思っていたら翌日熱を出したとか、寝込んでいたけど快方に向かってきたなと感じるとか、症状の出方や治り方には、ある程度の決まった流れがあると思います」

 確かにそうだな、とハンターはうなずく。


 だけど、と私は彼女が特に苦痛を訴えている日を、この日、この日、と指で追った。

「約15日周期。手紙の内容を見る限り、前後の体調の良し悪しとは完全に無関係に起こっている。こんな症状の出かたをする病気を私は知りません」

「……ビビは病気ではなくて、別の要因を疑っているということか」

「憶測にすぎません。でも、あなたにだけは何でも伝えておきます」


 ふぅ、と彼は息を吐いた。

「姫はヴァイが護衛しているから外的要因は考えたことがなかった。薬さえできれば解決すると思っていたんだが、甘いか」

「直接診られればと、もどかしい思いはあります」 

 それは厳しいな、とハンターはつぶやき、すぐにハッとして顔を上げる。


「アカランカ王から褒美の星の書をもらってくるのを忘れていた。これじゃ何のために従軍したんだかわからん」

 珍しくウッカリ続きだ。戦地に行くということは、それほどに彼を深く疲弊させたのだろう。


 眉間にシワを寄せてしまったハンターに、何か別の話題は無いかと考えると、村に帰って来た日のことを思い出した。

「……そういえばあの日あなただけ、村長さんたちよりもだいぶ早く戻ってきましたよね」

 そうだったか? とごまかそうとする顔をのぞきこむと、彼は片眉を上げた。


「何だその顔は。何を言わせたい?」

「言ってくれるなら、たまには歯の浮きそうなセリフを」

「吐けと言われて吐けるなら、ハンターをやめて役者でもやっている」


 商家の息子に生まれ、騎士見習いからハンターになり、役者を経て老後は木彫り職人。なかなか波乱万丈な人生だ。


 素敵なセリフが聞けないのは残念と思いながら、留守番をしていた間のことを思い返し、何気なく彼の手をとった。

「私は会いたかったですよ。一カ月も会わずにいると、なんだかあなたの姿がおぼろげになっていく気がして、怖かった」

 手のひらに頬を押し当てて、目を閉じる。


「なのに不思議と、あなたが私にどうやって触れたか、どんな風に撫でてくれたか、その感覚だけずっと鮮やかで、結構自分を持て余しました」

「……その言い方、どうにかならんのか」

 そのセリフなら、私も似たようなのを言った覚えがある。


「確かに、あんたが最後の晩に仕掛けてきた夜這いの感触は強烈だったな。あんな濡れたシャツで男の腕に抱かれるなんて不用心もいいところだ」

 だが、あれは俺もむこうで思い出したと、少し熱っぽく囁かれる。

 その色香にクラっとしながら彼を見上げると、だからそういう顔をしてくれるな、と毛布で丸め込まれた。

 



 翌朝、昨日一生懸命氷を切ってよけた場所は、針を落とせないほど細かい氷でぎっしり埋まっていた。

「こりゃあ厄介だ。氷をかき出すしかないな」

 手頃な木を森から選んできて、それを大きなスプーンのようにナイフで加工していく。


 昼食をとった後、そのスプーンで彼が湖から氷の粒をかきだす間に、私は山鳥の肉をカットして、針に刺す仕事を請け負った。

 罠として利用できるよう、針には太いロープがついていて、それを後ろの木に結んである。

「このくらい針先が出ていれば……」

 彼に餌の具合を見てもらおうと、手元の肉を見ながら歩いて行くと、ハンターは急に大きな声を出した。


「ビビ、止まれ!」

「ひゃっ」

 片足が湖面の穴に落ち、一瞬で氷に体温が奪われる。

 文字通りその場から飛んできたハンターにすぐに抱えあげられて、水からは上がったが、たちまち濡れたズボンが凍り付いていく。


「怪我は無いか? テントに戻るぞ」

 入り口に私を降ろすと、湯を沸かすための雪と薪を集めてくるから、ブーツもズボンも脱いでおけと早口でハンターは言って、テントの裏へ消えた。

 水に浸かったのはほんの短時間だというのに、ズボンを脱ぐと太ももからつま先まで真っ赤になっている。


「不注意でした。ごめんなさい」

 あらゆる容器いっぱいに雪を詰めてきた彼にそう言うと、私の足を見たハンターは眉をしかめた。

「いい。気に病むな。痛いか?」


「いえ、ごく軽度の凍傷です。放っておいてもすぐに治まります。ここまで水に浸かりましたが……」

 コートの裾を持ち上げようとすると、ガッとその手を彼がつかんだ。

「どこまで浸かったかは、俺も見た。裾を上げるな」


 今からお湯を沸かすから、これで、と彼が言った瞬間、ジジジ……と足元が微かに震えはじめた。

 急速にあたりに怒りの気配が満ちて、ハンターは私の肩を抱いたままテントの布を上げる。

「……こんな時に、アイツ、かかったのか!」

 湖面から頭を出した雪ナマズが、ロープで木に繋がれて、猛烈な勢いで体を震わせていた。

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