3-11氷
怒って地面を揺らすんだっておばあちゃんが言ってたわ。昔、それで山崩れがおきたんですって……。村の女性の話を思い出す。
少しずつ強くなっている揺れに悪い予感がした。
「……行って下さい!」
湖面に降りると、まっしぐらにナマズの長いヒゲに向かって一太刀振り下ろそうとするが、あまりに無茶苦茶に魚が暴れるので狙いが逸れた。
地面を削った切っ先から、氷の欠片が飛ぶ。
あのあたりで一番太い木を選んだはずなのに、ナマズがぐいぐい針を引っ張ると、嫌な音を立てて根ごと木が動き出していた。
剣の柄を下にして、多分ハンターはナマズの頭を殴って気絶させようとしたのだと思う。
テントの入り口で見ていた私には「ハンター」が「ナマズ」の射程に入ったと、ニヤリと魚が笑ったように見えた。
ズシ、と明らかに今までとは違う揺れが湖に走り、ハンターの足元の氷が生き物のように彼の足に嚙みついた。
「やめて!」
裸足で雪の上に駆けだすと、ハンターが来るなと叫んだ響きが伝わった。
腰から下を湖に固定されたハンターが、それでも剣を振りかぶると、ナマズはそれを尾ではたき落とした。
ペッと口から針も吐き出すと、彼の横でビタビタと跳ねはじめる。
返してほしかったら、こっちへおいでと、笑う顔が言っているようだ。
言われるまでもなく、全力で雪の丘を駆けて、氷の湖へ降り立った。
ドボンと湖の中に戻ったナマズは、氷の下にべったりくっついて、私の真下を泳いでいる。ダンスを踊れってことだったらどうしよう。上手くできない。
「足は大丈夫ですか!」
声が届くところまで駆け寄ると、ハンターも怒鳴り返してくる。
「心配ない! 自力で抜けられるから、湖から上がれ!」
どう見ても無理だ。最初から水の中で凍らせられたかのようにガッシリ固定されている。
ハンターの頭をギュッと一度胸に抱きしめて、私は感覚の無くなりつつある足で強く踏み出した。
釣り堀から目だけ出してこちらを見ているナマズに向かって、懇願する。
「お願い彼を放して。氷に閉じ込めたりしたら死んじゃう。お願い……」
「だめだ! そっちへ行くな!」
一歩ずつ進むごとに、ナマズがニコニコしているような気がする。地震も止んで、怒りの気配も無い。
「ナマズに気に入られた女の子はひどーい目にあうからね」という言葉を思い出すと、足がすくみそうになるけど、私はナマズの前まで進んで言った。
「私、ダンスは下手です。それでもいいですか」
真っ赤になった私の足を見つめ、ナマズの口が開かれた。
「うわ、わ、く、くすぐったいです!」
なんだか分からないけど、雪ナマズにものすごく足を舐められている。
「ビビ!」
ハンターにそんなに絶望的な声を出させるほどではないけど、くすぐったさ的には今すぐ助けてほしい。
かなり長時間、
「……治してくれたんですか。村の子にも同じようにしたんですね。でもこれ、女の子は嫌がりますよ」
私が言うと、ナマズはガーンと音がするように口を開けた。
「まず、私の大事な人を、解放してくれますか」
ナマズはチラ、と嫌そうにハンターの方を見る。
「怒ってますけど、あなたを傷つけませんから」
「そうだ、今すぐ放せ。おまえなんか細切れに切り刻んでやる」
ちょっと怒りのレベルが想定外に高い。押さえる自信は無かったので、彼のことは後回しにする。あれだけカッカしてるなら大丈夫だろう。
「もう一つお願いしてもいいですか? あなたのそのおひげの先を、少しもらうことはできますか?」
すぐにピョイと私の手にヒゲの先を乗せてくる。
そんな軽い感じでもらっていいものなのか分からないけど、気が変わらないうちに愛用のハサミでチョキンと切らせてもらった。
雪ナマズのヒゲもまた、濡れたような感触と、触れただけで分かる強い癒しの力に溢れている。
「ありがとう。あなたの湖を騒がせてごめんなさい。彼が暴れたら私も止められないので、もう逃げて下さい」
「逃がすなビビ! 絶対殺す」
私の背後で、本当に自力で氷から這い出しそうになっているハンターを見ると、雪ナマズはくわばらくわばらと言わんばかりに氷水へ潜っていった。
テントへ戻ると、今度はハンターに執拗に足を拭かれた。
先に服を着替えてくださいという言葉にも耳を貸さず、さっき溶かした雪を全部使う勢いで、布を洗っては拭く。
「そもそも氷に挟まった俺が悪いし、あのナマズに敵意がなかったのも分かる、ヒゲも手に入れて、上々だ。だが、あれは
「私はなんともありません。もうそんなに怒らないでください」
「なんともない?」
しまった、彼の怒りがこっちに向いた。ぐっと片足を持ち上げられたので、慌ててコートの裾を押さえた。
「ビビは足を舐められても、なんともない方か?」
つかまれた足首に、無精ひげが触れる。
「言いすぎました。あるほうです。すごく、くすぐったがりです」
「だいたいそう言う女ほど、楽しいことが多い。ナマズに許すなら「私の大事な人」にはもちろん何でもさせるんだろうな」
何でもさせるって、何をしたいんだろうと、逃げ回るのを中断して考える。
口に出して無いのに、ハンターは私に聞こえるように舌打ちしてから、足の裏をくすぐった。
「ひゃはっ、ごめなさい、ごめんなさいってば」
「反省しろ、次は分からせるぞ」
分かりたい気もするけど、心配させたのは本当だから、ちゃんと反省する。
レナーテ村へ戻り、借りていたものを返しながら一人一人と別れのあいさつをする。
ナマズ被害者の会の女の子たちとも語り合う時間があった。
丘の上のテオにもいってきます。また必ず来ますねと手を合わせた。
晩秋の気配にすっかり村の花も枯れてしまったと思ってたら、みんながここに供えていたからで、相変わらずこの場所は楽園のように美しかった。
今日も忙しそうに働いているルークのところへ行って、精一杯大きな声で言う。
「ルークさん……ありがとう!」
好きだと言ってくれたこと、優しくしてくれたこと、私の幸せを願ってくれたこと。
「ビビさん、元気で」
最後まで彼は陽だまりのように笑って手を振った。
アカランカ城に寄り、あいかわらず兵舎にいた王に会う。
「褒美もとらんで、すっとんで帰ったと思ったら、
ハンターが口を開く前に、アカランカ王はずいっと前に出て、私の顔を見た。
「こういう儚いおなごが好みだったとはな。灰の牙も隅に置けん」
ニヤニヤと笑っている王に、彼は嫌そうな顔をしたまま一応頭を下げる。
「さあ、持っていくがいい。これがアカランカに古くから伝わる「星の書」じゃ」
ハンターがそれを押し頂き、私の手に渡す。
大型の本が載ったにしては違和感のある重量と、手触り。私がそっと本を開くとちょうど真ん中からパクリと開いた。
中には星型の器が背表紙に1つ、裏表紙に1つくっついており、ウロコとヒゲと心臓、そして何故か涙型の雫が3つ横並びに描かれている。
その絵も、内容が分かっていれば、ぎりぎりそう判別できるくらいのクオリティだった。
「……ビビはこれで調合方法が分かるのか」
「いえ……この本自体が万能薬を調合するための器だということだと思います。陛下、お聞きしてもいいですか」
なんじゃ、と彼は迫力ある顔を寄せてくる。
「星の書には、対になる書があるのではありませんか」
「何故そう思う」
ハンターを振り返ると、彼はうなずいてくれた。
「星の書を用いて作る万能薬は……強力な解呪の薬だからです」
最後のドラゴンの心臓を入手する前に結論付けるのは早計だ。
けれど3つ目まで完全に同じ「癒し、浄化する水」の要素を持つ素材を重ねる理由が、それしか思い浮かばない。
「そうか、薬師の娘と言っておったか。おぬしの考える対の書には何が書かれている?」
「おそらく……人にとって呪いとなりえる何かが、記されているのではないでしょうか」
姫の病状が不自然なことにも、残念ながらそれで説明がつく。
「ふむ、実は対の書は、古来よりナナムスの所有だ。何が書かれているかはワシも知らん!」
興味も無いとその顔に書いてある。
「がっはっは、よりにもよって呪いだと! 軟弱者。そんなもの吹き飛ばしてやれ」
王が笑って私の背中を叩こうとしたので、ハンターが顔色を変えて背後に隠してくれた。
「灰の牙の女房殿、アカランカの民を治療してくれたことは決して忘れん。いつか必ずワシを頼ってくれ」
頼もしい味方を得たような、頼もしすぎてかえって危険なような、そんな気持ちで私は一応うなずいた。
「さすれば、次なる行先はナナムスか。ついでがあれば、城の女狐をバチーンとやってきてくれ。姑息な真似ばかりしおって、自分は安全な城から絶対に出てこんつもりらしいからな」
「……ナナムス王国皇后の横っつらをですか?」
そうよ、と王とハンターは迫力のある目で見つめ合う。
「しばし戦の傷を癒したら、ワシが直々にやってもよい。その時には女狐の首なぞ、はずみで飛ぶかもしれんがな」
思わず自分の首を押さえる。あのぶ厚い手のひらで叩かれたら、本当に飛ぶに決まってる。
「愉快な話があれば、ご報告いたします」
ハンターがそう言って礼をとると、王は愉快な話は大好きじゃ、と笑った。
馬を借りる手配を終えて、今日はアカランカに宿をとる。
外見と同じく、石造りの無骨な部屋は、ひんやりと寒かった。
「しかし、ここにきて呪いときたか」
「手元の材料からの推測ではありますが、これほど強い浄化の力を必要とするのは呪いくらいしか思い浮かびません」
二人で毛布にくるまっていると、だんだん体が温まってきた。
「ここまで材料を揃えてから言うべきことではないのですけど……」
私が言い淀んでいると、ハンターは言ってくれと先を促した。
「姫の病も分かっていないのに、薬の方を調合するというのが、やはり少し無謀です。万能薬は、残念ながら万能ではないと思います」
「最後のドラゴンの心臓に、とんでもない力があったりしないのか」
期待したいのは山々だが、多分そうではない。
「最後の心臓も他の3つと同じく、癒しと浄化する作用を持つはずです。心臓そのものというより、心臓内部の血液が他の材料をひとまとまりにし、薬にするのではないかと」
「調薬に関しては、全面的にあんたの勘と力を信じる。だが、万能薬が呪いを消せば、姫は治るんじゃないのか」
それが分からない。今まで病を発見しようと考えてきたのに、呪いに割り込まれるとその枠からはみ出してしまう。
病が医学なら、呪いは魔法なのだ。私の完全な専門外だった。
頭を抱えてしまった私の背中を、ハンターは慌てて撫でた。
「すまん、ビビばかりに負担をかけているな」
いつも全部を背負ってくれているのに、こんな時まで心配してくれる。誰よりも彼の期待に応えたかった。
「たまには、私にも頑張らせて下さい」
「あんたは十分頑張ってる。あと一つだ、死の山のドラゴンを倒そう」
旅の終わりに立ちはだかる大きな影と呪いを恐れる。
それでも一緒に、この夜を越えて。いざ、ナナムスへ。
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