4章 ドラゴンの心臓

4-1竜の神託

「やぁ、キミが薬師のビビだね。会いたかったよ」

 まるで路地から沸いて出たかのように、少年はそこに立っていた。


 ハンターは今出てきたばかりの穴熊酒場の扉へ、押し付けるように私を下げ、極限まで緊張した背中で、静かに剣を抜いた。

「何の用だ」

「用があるのはそっちでしょ。会いたがってると思ってわざわざ来てあげたんだよ」

 私たちが同時に息を呑むと、宝石のような蒼い目が、にっこりと笑う。

「そう、死の山のドラゴンだよ。僕の心臓がほしいのかい?」




 アカランカから戻った私たちは、セブカントの町で、最後にして最大の難関「死の山のドラゴンの心臓」に頭を抱えていた。

「船を使って火山の南の海岸から上陸しても……山でナナムス兵とご対面で終わりだな」

「呪いの正体を把握しないまま、解呪の薬だけを作るというのも確実性に欠けます」


 星の書に具体的な調合法は何も記されていない。

 必要な素材は教えるが、それをどう調薬するのか考えるのは薬師の仕事だろうと突き放されてしまった感じだ。


 穴熊酒場のマスターから、直近のナナムスの様子を聞けば、敗戦処理に追われて城下はバタバタしているとの情報。

 危険をおかしても敵地へ飛び込むべきなのか、結論を出せないまま酒場を出て、その直後のことだった。




 ハンターが場所を移そうと言うと、ドラゴンを名乗った少年はあっさり同意して付いて来た。

 身長は私と同じくらいで、絹のシャツを着ており、半ズボンからは色白な足が伸びている。髪は珍しい漆黒だけど、楽しそうに肩を揺らしながら歩いている姿は、裕福な家庭のお坊っちゃんにしか見えなかった。


 しかし、まるで手負いのように殺気立ったままのハンターの気配が、彼が見た目通りの少年ではないことを教えてくれる。


 街道を少しそれた雑木林に到着すると、少年はニコニコしたまま言った。

「はじめましての時は、一番これが分かりやすいよね」

 彼がトンとつま先を地面につけると、周りの空気がぐっと収縮し、耳に圧を感じる。

 ずっと見ていたはずなのに、少年は忽然こつぜんと消え、代わりに黒い痩躯そうくのドラゴンがそこに座っていた。


「……」

 ギッとハンターの奥歯が鳴る。

 ドラゴンの体高はアカランカの馬と大差無く、棘のある尾がすらりと長い分だけさらに細身に見える。

 しかしそこから放たれる威圧感は、今まで対峙した何とも違う、足が震えるような強さがあった。


「そんなにおびえた顔をしないで。何もしないよ」

 ドラゴンは首を傾げて、少年の声を出す。

「……心臓を狙っていると、知っていて来たのだろう。何もしないはずがあるか?」

 ハンターの声がかすれたのを、蒼い目がわらうように一瞥いちべつした。


「ボクの心臓はもうじき止まる。だから、ビビにならあげてもいいよ」

「止まるって……どういうことですか。どうして私に?」

 私に喋るなとでも言うように、強くハンターの手が肩をつかむ。


「だって……だってビビは、とってもかわいい!」

 ふっと目の前からドラゴンが掻き消えて、気づくと私は黒髪の少年に両手をにぎられていた。

「心臓をあげるから、それまでボクのお嫁さんになってよ!」


「断る!」

 怒声と同時に、乱暴に視界が揺れて、今度はハンターの腕にひったくられて背後へ飛んだ。

「それがドラゴンの心臓を手に入れる条件ならば、心臓などいらん」


 へぇ、と少年は目をすがめる。

「ボクの心臓はキミたちの追い求めているものに、必要不可欠だよ?」

「ならば万能薬の調合なぞ諦める。ビビは、やらん」

「愚か者のオスって、一番嫌いだなぁ」


 まさに一触即発の空気に、慌てて声をあげた。

「待って、二人ともちょっと待って下さい! 冷静に話しましょう!」




「さすがに今のは言い過ぎです。短絡的すぎますよ!」

 腰に手を当てて、切り株に座ったハンターを見下ろすと、すねたように横を向いたまま目を合わせようとしない。

「怒られてるー、いい気味」

 プププとわざと口に手を当てて笑う仕草を見せるドラゴンの方へも向き直る。


「あなたもです。心臓が止まるなんて、笑いながら言うことではありませんよ。どうしてそう思うのか詳しく教えて下さい」

「えっ、いや、だから止まっちゃう前にビビにあげるってば」

 少年も気圧されるように私から目をそらす。

「その前に、今ある自覚症状を詳しく。息切れや動悸がありますか?」

「ねぇ、ちょっとこの子、何このゴリ押し感。見た目と違うんだけど!」

 今度はハンターが、うつむいたまま肩を震わせはじめた。多分笑っている。


「待って、ビビ、分かった。まず一番最初に君の願いを叶えてあげる! だから脱がさないでー!」

 脈をとり、シャツを脱がそうとしていた少年の悲鳴が、雑木林にこだました。




「ということで、ビビとそのオマケのハンターだよ。ボクの招いたお客様だから、くれぐれもよろしくね」

 荘厳な玉座には、青ざめたナナムス王と無表情の皇后が並んで座っている。

 ひざまずいている私たちの前を、気楽な足取りでウロウロしながら、ドラゴンの少年は話し続ける。


「彼女はすごくいい薬師だね。こういう子に巫女の素質があるから、大事に育てて連れて来てって言ったこと、忘れちゃったのかな?」

 少年が玉座を見上げると、王は弱ったように首を振る。

「ま、いいや。今は神託に従い、王家に授けた巫女に元気になってもらうのが一番大事だ。そのためにビビを城へ呼んだからね。彼女の邪魔はしないように」


竜大公りゅうたいこう様、そのような在野の薬師を連れて来ずとも、姫の治療には宮廷薬師が当たっておりますわ」

 うつむいて震えているだけの王の横で、皇后は堂々と口を開く。きつい面立ちに似合う重厚なドレスがシャンデリアの光に輝いた。


「そろそろいい加減にしてよ、ってことだって思ってほしいな」

 ゾッとするような冷たい声で少年は言う。

「ヒトがヒトをどれだけ害そうが、何十年にわたって生かさず殺さず苦しめ続けようが、基本的にボクの口出しする範疇ではないよ。でも今度ばかりは最後通告なんだ。ボクにも時間が無い」


 仰っている意味が分かりかねますと、即座に、眉も動かさずに皇后が答えたことで、姫を呪っていた本人が誰なのか、確信を得た気がした。


「繰り返すけれど、巫女が立たなければ、ボクはもう知らないよ。これは神託だからね」

 噛んで含めるような言葉が、質量を持って頭上からのしかかる。


「はい、じゃこれで話はおしまい」

 行こうか、と少年がほほ笑むと空気が緩む。

 刺すような光で私をにらみつけている皇后から逃げるように、私たちは謁見の間を後にした。




「まさか竜大公様に招かれて、王城へ乗り込んでくるとは。予想もしていませんでしたよ」

 控えの間で待っていてくれたヴァイスに、ハンターは俺のプランにもこの線は無かったと正直な感想をもらした。

 ドラゴンとナナムス王家の関係、巫女と神託。また新しく知らないことが現れて混乱する。


「ビビ、お菓子食べる? 甘いのは好き?」

 竜大公と呼ばれた少年は、無邪気に私にお菓子をすすめてくれる。

「しかし竜大公様に好かれるとは、さすがはビビさんと言うべきか」


「アカランカではローエンの息子にも求婚されてきた。目が離せないなんてもんじゃない」

 ちょっとぐったりしているハンターを、ヴァイスは楽しそうに見ている。

 しばらく和やかな空気が流れていたが、ヴァイスとハンターが同時に扉の方へ目を向けると、少し遅れてバンと扉が開かれた。


「皇后陛下よりご命令だ。薬師と浪人は、城下にて……竜大公様、まだいらしたのですか」

 横柄な口調の聖騎士は、少し焦ったように眉をしかめる。

「ボクのお客様だと言ったはずだよ。無礼じゃないか?」

 飴菓子をカリっとかじった少年は、不機嫌そうに目を細めた。


「姫の診療の際には登城を許可します。しかし聞けば、そもそも指名手配の罪人ではありませんか。城に客人として迎えるわけにはまいりません」


「ビビはかわいいから無罪放免なの。城下はバカな負け戦のせいでまだゴチャゴチャしてるからダメ。城にはいくらでも部屋があるでしょ、準備して」

 さっきあの場でそう言ったつもりだったんだけど、一から十まで全部説明しないと分からないのかなと凄む少年の二面性が怖い。


「では、その浪人だけでも……キサマ、まさかギルバートか?」

 首をめぐらせてきた聖騎士に突然名指しされて、ハンターがチラリと目線を上げる。

「さぁ、人違いじゃないか?」


「いや、間違いない。狂犬のギルバート、騎士学校から逃げた腰抜けのギルバートだ」

 ヴァイスを見ると、嫌そうに眉間にシワを寄せている。ハンターも厳しい表情で聖騎士を見つめ返した。

「どうしたそんな顔をして。ルノー家のゼペットは今となっては皇后様の側近ぞ。オマエのような浪人風情は、本来目を合わせることも叶わんのだぞ!」

 珍しく彼が何も言い返さないので、ムッとした私の気持ちが晴れない。


「はっはっは、いいだろう。城に滞在するといい。そして己の情けない現状をゆっくり噛みしめるがいいさ」

 わー、おもしろーいと少年は棒読みで言い、ゼペットはわざと鎧をガチャガチャさせながら部屋を出て行った。


 開けっ放しだった扉をヴァイスが閉めて、小さな声で言う。

「たしか彼は、あなたの一級上じゃありませんか? ゼペットに一体何をしたんです?」

「いやそれが……全く記憶に無い。誰だアイツ」

 彼が本気でそう言っているのは、この場の誰にもよくわかった。


「あー、それ一番ひどいやつだね。死ぬほど怒るよ」

「そう思ったから、言わなかっただろうが」

 賢明賢明と、初めてドラゴンはハンターを褒め、ぴょんとソファから降りた。


「さてボクもそろそろ一度、お家に帰るよ。ビビはお城の暮らしを楽しんでね」

「いえ、あの。私お城で暮らしたいとは全然願っていないのですが」

 あははと相変わらず彼は無邪気に笑う。

「そっちはオマケ。姫を診察したいって、治してあげたいって願ってくれたでしょう?」

「それは、もちろん」


 蒼い双眸が、水のゆらめきのように輝く。

「ありがとう。ビビはボクらの希望だ。お嫁さんがダメならボクの友達になってほしいな」

 そうだ、名前を教えてあげると彼が言うと、ヴァイスが後ろで息を呑んだ。


「ボクはマクシミリアン。竜大公なんて大げさなのはイヤだよ、マクシムって呼んでね」

 慌てて私も名乗ろうとしたけど、もう最初から彼は私の名前を知っている。

「あっ、自己紹介、します?」

 思い立ってハンターに水を向けると「しない」「いらない」と二人から同時に反応があった。

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