4-2汚客様
マクシミリアンが退出すると、客室に案内するためのメイドがやってくる。
私たちを頭のてっぺんからつま先まで見て、わざとらしく咳をした。
「ひどい汚客様ね、ご案内しますわ」
城は謁見の間や大ホールのある中央棟、王や皇后が居住している南塔、そして使用人と倉庫とアニエス公妃の住まう北塔に分かれているそうだ。
客室は中央棟の南寄りに配置されていた。
すでに部屋の中には3人のメイドが立っていて、おしゃべりに興じている。
「ご到着よ、まず何でもいいから着替えさせてちょうだい、一緒に歩くだけでホコリで鼻がムズムズするわ」
そういえばアカランカから馬で走ってきたままの格好だった。冬枯れの森を駆けた馬が、土ぼこりをもうもうと上げていたのを思い出し、そっとキルトのパンツを叩く。確かにホコリっぽい。
「あの、着替えならあります。すみません、着替えてきますね」
私が荷物からワンピースを引っ張り出して、どこで着替えたらいいか部屋を見回していると、メイドたちは「一人で着替えるの?」「当たり前じゃない」とクスクス笑う。
「ねぇ、まさかドロドロの旅衣装の次は、その貧相な服で王城を歩き回ろうってわけじゃないわよね?」
一人が腕組みしながらこちらへ歩いて来た。
でも、セブカントで購入したこのワンピースが貧相なら何を着たらいいんだろう。
「もしかして、皇后陛下が着ていたようなあの……カーテンのような柄の服が良いのでしょうか」
部屋にかかっているカーテンがまさにそうだが、残念ながら持ち合わせていない。
「く……はっ」
背後でハンターが吹いた。メイドはなんだかすごい顔でこちらを見ている。
「あんたら、ビビとやりあいたいなら、正攻法じゃ無理だぞ」
私たちが案内されたこの部屋には、応接用のソファとテーブルがある。それとは別に食事用の大きな大理石のテーブルと椅子が4脚置かれており、左右の壁に一つずつ扉がついていた。
「で、この続きの部屋も使っていいんだな?」
ハンターが壁際まで歩いて行って片方の扉を開けると、クローゼットとベッドの間を、繊細な彫刻が入ったついたてが隔てている。
反対側の扉も開けてみて、同じだったので彼の元に戻った。
「こっちの部屋にしますか?」
窓から外を確認していたハンターが「どっちも同じだな」と床に荷物を放ると、モフっと煙が上がった。確かに洗濯と着替えは急務だ。
「ちょっと、まさかあなたたち同じ部屋を使うつもり? 非常識よ!」
3人のメイドが、かしましくこちらに向かって詰め寄ってくる。
私が向こうの部屋に移ったほうが? と小声で尋ねると、まさかと彼は肩をすくめて、私の首の前で手を交差した。
「おかしいな、俺の薬師は腕の中で、髪を撫でてやらないと眠れん。こっちが常識じゃなかったか?」
彼の悪い気に当てられて、真っ赤になったメイドたちは勢いよく扉を閉めた。
一度中座していたヴァイスが部屋に来ると、一斉に彼女たちはとんでもない客人の文句を言う。
近衛兵長は「竜大公様のなさることに何か?」という一言でそれを黙らせ、部屋から追い出した。
「ビビさん、気づかず嫌な思いをさせてしまいましたね。客用の湯あみ場がありますからどうぞ」
廊下を歩きながら、ハンターは令嬢いじめってヤツをはじめて見たと気楽に笑っているが、誰がいじめられたのだろう。
湯あみ場は手前にベンチのある広場の先で、二つの部屋に分かれている。ヴァイスが上がったらこれを着てくださいと箱を差し出してくれたので、受け取った。
壁に彫られた美しい彫刻を見ながら湯を使い、ついでに洗濯も済ませる。
湯から上がって、箱を開けると中に美しいドレスがおさまっていた。城ではこういう格好をするものなのか、と思った直後にその箱の角が日焼けしていることに気づく。
「ヴァイスさん、このドレス……」
湯の部屋から顔だけ出すと、ヴァイスと濡れ髪で話していたハンターが同時にこちらを向く。
「ビビさん……」「ビビ!」驚いた近衛兵長と、怒った顔のハンター。
こっちへ向かってこようとしたハンターのシャツを、ものすごい反射神経でヴァイスがつかんだ。
「ギルも、どうしてそっちへ行くんです。ビビさん肩が出ていますよ、聞こえますからむこうから言ってください」
「これ……公妃様の娘さんの……お姫様のものではありませんか? 私が着てもいいんですか」
「そうです。アニエス様がぜひビビさんにと。かなり前に仕立てたものなのですが、一度も着ていません。もう殿下には丈が短いですから、ぜひ」
ありがとうございますと礼を言って、上品な仕立ての服をまとった。
部屋に戻りながら、ハンターはヴァイスに耳打ちする。
「常時あの調子だからな、俺の苦労も分かるだろ」
「好きでしている苦労でしょうが。のろけは受け付けませんよ」
全部聞こえてるから、これは私に聞かせるつもりの内緒話だ。
「貴族の名簿と関係をまとめた資料です」
部屋に戻ってすぐ、ヴァイスがテーブルに分厚い本を置いた。めくると、ずらりと名前が列挙されていてめまいがする。
「いかに竜大公の客人といえど、貴人への無礼はその場で手打ちになってもおかしくありません。最低限の礼儀作法を身に着け、用心していただきたいのです」
「ビビの仕事はお貴族様のご機嫌取りじゃない。姫にはいつ会える?」
ハンターの言葉に、ヴァイスはメガネのツルを押し上げた。
「先ほど殿下の往診許可を申請しました。まずお抱えの宮廷薬師が許可し、アニエス様が許可し、最後に王の印が必要です。竜大公様の手前、引き伸ばしはしないでしょうが、少なくともあと2日はかかるでしょう」
相変わらず貴族社会は面倒だなと、ハンターはため息をついた。
「最初に城下で待機せよと言ってきたところを見れば、皇后は今のところ、あなたたちをそんなに強く警戒しているわけではありませんが、もちろん歓迎もしていません」
近衛騎士は少し抑えた声で言う。
「しかし近日中にあなたたちの旅の足跡をつかみ、アニエス様との繋がりを知る。そうなれば全力で潰しにかかってくると思っておいたほうが無難です」
さらりと怖いことを言うので、私は名簿を覚えようと必死になる。
「竜大公ってのは、昔からナナムス王家とこんな関係なのか?」
ハンターの問いに、近衛兵長は言いにくそうに答える。
「建国の頃から、死の山のドラゴンはナナムス王家の守護竜で、直接手も口も出してきたモノ言う神です」
「神様の心臓を、薬の材料にしようとしていたんですか!」
つい非難するような声になってしまって、ヴァイスはうつむいた。
「ならばこその万能薬だと……簡単に考えていました」
それは俺も連帯責任だ、とハンターも片手をあげる。
「じきに自分の心臓は止まるから、それを使って巫女を助けてほしいと。ドラゴンの方から持ち掛けられて城まで連れてこられたんだ」
驚きに目を見開くヴァイスに、ハンターは続けて問う。
「姫と巫女の話は? それも初耳だぞ」
「実は竜大公は今の陛下が即位された直後から、ナナムスの実権を巫女にまかせろと進言していました。ですがこれは最重要機密ですので決して口外しないで下さい」
何だと、と身を乗り出したハンターを通り越し、ヴァイスは私の方を見る。
「竜大公の言葉を借りれば、薬師は巫女の芽だそうです。国の行く末を任う巫女は、精霊から深く愛され、その声に耳を傾けて平和な世を紡ぐべきだと」
近年ドラゴンの言葉をないがしろにしてきたナナムス王家への警告でもあったのではないかと、ヴァイスは言った。
巫女の芽が育ったら、大切に育てて自分の元へ連れてくるようにと竜大公が言ったのに、王家と教会がやったのは徹底的な薬師の迫害と監視なのだから、竜大公の言葉を軽視していたというのはまず間違いない。
「教会は竜大公の言葉を曲解して、教皇の娘こそ巫女だと主張し、正妃の座に据えました。ここまで皇后の権限ばかりが強くなったのは、そのせいでもあります」
ドラゴンは皇后は巫女では無いとすぐに断じたが、彼女の増長は留まることを知らなかった。
それでもナナムス国内がどうにか運営されているのは、城下町で皇后の無茶振りを上手く振り分けている有能な公爵がいるからなのだそうだ。
「あまりに進言を無視する両陛下に、ついに守護竜は神託を下しました。王家に巫女を授ける、巫女が立った後、王はその背中を支えるべしと。神託は王家への最も強い介入で、
ヴァイスは窓の外に目を向けると、辛そうに口を開いた。
「しかしルミア様は幼少よりお体が弱く、巫女の任はおろか、一日ベッドに身を起こしていることもできません」
初めて聞いた姫の名は、騎士の声に強く守られるように私の耳に届く。思わず眉間に力が入ってしまって、それを見たヴァイスは、つとめて軽い調子でその先を続けた。
「それなのに竜大公は、巫女が立たねば、自分はナナムスを見捨てると言っているんですよ」
とっさにラノニーの集落とヌシ様のことを思い出して息を呑むと、ハンターは微かに首を横に振った。言うなということだろう。
ヴァイスの反応からは、守護神から見捨てられるということが、その国にとってどんな結果になるのか分かっていないように見えた。
「そもそも国王が阿呆だから、こんなことになっているんだろうが」
ハンターが毒づくと、ヴァイスは「阿呆」を否定せずに話を続けた。
すでに王子を二人設けて順風満帆だった皇后に、突然「第二公妃を
「先にアニエス様が懐妊され、ルミア姫がお産まれになるとすぐに、皇后も3人目のお子様を懐妊されました」
しかし結果は、第三子も男児。結局巫女になりえる女児は、第二公妃アニエスとの間にしか産まれなかった。
初めての娘の誕生を喜んで北の塔へ通い詰める国王陛下に、古くから城に仕える者たちは皇后が壊れる音を聞いた気がしたという。
小娘のワガママの範疇だった皇后の発言が、冷酷で
国王の皮を一枚ずつ剥ぐように、信頼していた忠臣たちを処刑し、血縁者を城から遠ざけていく。
気づけば国王陛下はメイドからも蔑まれる第二公妃の傍で、完全に孤立させられていた。
「皇后に『二度と北の塔へは行かない』と誓った陛下は、その後、ただ虚ろにお座りになられています。賢帝と期待されていたと聞きましたが、私が着任した時には既に、抜け殻のようなお顔しか見たことがありません」
何と反応していいか分からなかった私がハンターを見上げると、彼もため息をついたところだった。
この話の後に、竜大公が「何十年にわたって生かさず殺さず苦しめ続けようが」と表現した呪いの存在があまりにぴったりと当てはまる。
心底疎ましく思う姫だとしても、守護竜の神託の手前、消してしまうことはできない。かといって第二公妃の娘にナナムスの実権を奪われるなど、考えたくもない事だろう。
だから、生かさず殺さず生死の境をさまよわせ続ける。……そんな惨い事を考える人がいるだろうか。
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