4-3片腕

 あまりに深刻になった部屋の空気に、ヴァイスは話題を変えた。

「竜大公様は普段、両陛下としかお話しにならないので、あのような天真爛漫てんしんらんまんな方とは存じませんでした」

 私だって死の山のドラゴンがあんな人懐っこい笑い方をするなんて、想像もしていなかった。


「しかも、名を呼ぶことを許可するなんて本当に驚きました。今のナナムスにはビビさんだけではないでしょうか」

「うちのビビは、老若男女、ドラゴンにまでよくモテる」

 ハンターがまぜっかえすと、ヴァイスも笑顔を作る。


「城への滞在は長期に渡るかもしれません。私も極力こちらに顔を出しますが、ビビさんもギルも可能な限り対策をお願いします」

 ヴァイスの言葉に再び分厚い資料に顔を戻すと、ハンターはその本をバタンと閉じてしまった。

「そんなもの読まなくても、お貴族様のルールは簡単だ」


 行儀悪く大理石のテーブルにお尻を乗せて、ハンターは手をひらひらさせた。

「向こうから近づいてきたら避けろ。ぶつかるな、目を合わせるな、こちらから絶対話しかけるな」

 森で獣を見かけた時みたいな対応だ。

「高圧的な質問は全ていいえで答えろ。この城で今のところあんたの味方は、俺とコイツの二人だけだ。俺たちのことは迷わず頼れ。ヴァイ、他には?」


「……確かに。それで当面は乗り切れそうです。どうせあなたが四六時中一緒でしょうしね」

 当然だとハンターは言う。

 その時部屋の扉がノックされ、ゴナスで坂道ダッシュをしていたヴァイスの部下が顔を出した。


「身の回りの品を、買い集めてきました」

 両手にたくさんの袋を下げた部下に、空き部屋になる方のクローゼットに置いてくれとハンターは言う。

 私が一緒に片付けをしている最中に、ハンターはヴァイスに嫌そうに雪ナマズのヒゲを取り出して見せていた。

 ドラゴンの心臓については、あえて触れないようにしているように感じたので、私も何も言わない。


 先ほどの3人のメイドが、夕食ができたと部屋へ来た。ヴァイスがまだ居たことに驚いて、持ってきた料理を慌てて下げ、何食わぬ顔で新しいものをテーブルに並べる。

 ぜひ一緒に食事にしようとハンターが誘ったので、部下の人も一緒にテーブルを囲んだ。

 食事が終わると早々に、仕事が残っているからとヴァイスは部下を連れて部屋を出ていき、メイドたちも皿を持って逃げるように扉を閉める。


「最初に持ってきた料理だって、毒が入っているわけじゃなく、おおかたわざと盛り付けを崩してあるとか、変な味のソースをかけてやったとかその程度の嫌がらせなんだ。馬鹿馬鹿しいだろ」

「……もったいない。誰か食べたんでしょうか」


 さっきのに懲りて、メイドたちが朝には支度を手伝いに来るかもしれないから、寝間着に着替えろと言われて、クローゼットの前に立った。

 なんと貴族のご令嬢は、眠る時に専用の服に着替えるらしい。シルクのストンとしたシルエットのワンピースは確かに柔らかく、寝心地は良さそうだ。


 寝室へ移動すると、ハンターは小さなランプをひとつだけつけて、ベッドで星の書を見つめていた。

 あまりにフカフカする寝台に難儀しながら彼の元までたどりつく。


「神託に、巫女に、最後の素材は喋るドラゴンの心臓と来た。フィナーレを飾るのに相応しいな」

「竜大公はまもなく自分が死ぬと分かっているということでしょうか、彼が亡くなったらナナムスはどうなるのでしょう」

 わからんと彼は言う。

「死の山のドラゴンがナナムスと守護関係だったとは知らなかった。どうやって狩ってやろうかとしか考えてなかったからな」


 どれを考えるにしても、姫の様態が分からないことには答えが出ない。

 姫の病状を考察したメモを見ると、3日以内にはまた病状が悪化するタイミングだった。往診許可は出るだろうか。


 焦れる気持ちを押さえて、ハンターの腕の中に飛び込むと、彼は呆れたような声を出した。

「貴族の娘は、本当にこんなものを着て寝てるのか?」

「ちょっとの力で破いてしまいそうで怖いです。それに、この部屋は少し暑い……」

 初冬だというのに、掛け布団から両手を出して、足元も少し蹴る。暖炉も無いのに部屋の中自体が温められているみたいだった。


「こら、その調子で動いてたら、朝には全部脱げてるぞ。暑いなら少し離れたらどうだ」

「それは嫌なので、多少の見苦しいところは許して下さい」

 仕方がないかとため息を付き、彼は目を閉じる。少しの間、私の腰のあたりに触れていた手がすっと離れた。

「手触りも最悪だ。明日せめて綿のものと変えさせよう。眠れるか!」

 彼はシルクは嫌いらしい。私は慣れてきたから案外気に入っていたんだけど……。




 目を覚ますと窓が少し開いていて、朝の冷たい空気が気持ちいい。

「起きたか」

 肩までくるまっていた布団から顔を出して、おはようございますと目をこする。

 彼はベッドボードに背中を預けて、何かを書いていた。

「眠れませんでしたか?」


「それほど初心うぶじゃない。ちゃんと寝た」

 サイドテーブルに置いてあった封筒にしまうところを見ると、手紙を書いていたようだ。すでに封をしたものが数枚できている。

 ベッドでくつろいでいたら朝からキーキーわめかれそうだとハンターは立ち上がり、寝室を出たところで、ちょうど部屋の扉がノックされた。


 彼の予言通り、朝の支度を手伝いますと、昨日の3人がちょっとふてくされて立っている。

「では、お言葉に甘えて、お願いします」と、彼女たちをクローゼットの前へ連れて行った。

 そして用途不明だった品々を、これは何に使うものかと質問攻めにする。


「煙幕? おしろいです! 化粧をしたことが無いんですか?」

「コルセットです。まさか、これだけで着るものではありませんよ!」

「どこの田舎から出ていらしたのかと思っていましたが……本当にもの知らずなのね」


「そうなんです。ありがとうございました。勉強になりました」

 私がぺこりと頭を下げると、彼女たちは毒気を抜かれたように顔を見合わせる。

 戸口からその様子を見ていたハンターが、着替えたら朝食にしようと言ったので、私は彼女たちごと部屋から追い出して、適当なドレスに着替えた。


 コルセットを締めるべきだと言う彼女たちに、苦しそうだから勘弁してくださいと断る。

「社交界に出るような年になったらそんなこと言ってられませんよ。まぁ、今日はうるさく言いませんが」

 あんたは既に社交界に出るような年だぞ、とハンターは目線だけで言ってくる。




 その日はヴァイスも訪問せず、他にすることが無かったので、雪ナマズのヒゲを詳しく調べたり、星の書をじっくり見たりすることに時間を当てた。


 本の内部に収まっている星型の器は、硬質でガサガサとしているような、それでいて微かに光沢があるような未知の素材だ。二つの星型は、本を閉じるとぴたりと形が合うようにできている。

 中に刻まれているウロコと、ヒゲと、心臓と、3つの涙型を見つめて私は顔を上げた。


「もしかして、七色の涙は複数必要だったのでしょうか。どうしてこれだけ3つ……」

 剣の手入れをしていたハンターは、後ろから本をのぞき込むように私の肩に顎を乗せる。

「その3つ、かすれているが、微妙に少しずつ色が違う気もする。これはかなり黒っぽいし、こっちは最初から塗られていない」


 調合法のヒントなのだろうか。切り離してもプルプルする感触が失われないナマズのヒゲに触れながら、もう一度星型の固い器を見ていると、首の後ろあたりが少しぞわっとした。


「……最後の素材、ドラゴンの心臓について、私に言っていないことはありませんか」

 うん? という短い響きで、ごまかす気配が分かるくらいには長く一緒にいる。

「今入手済みのものは、無害と表現してもいい素材です。どうして調合しようとすると、こんな丈夫そうな器が必要になるのか、さては知っていますね?」


 顎を押し上げて、後ろへ向き直るとハンターはどうどうと私をなだめた。

「最後まで黙ってようと思っていたわけじゃない」

 方針が決まったら言うつもりだったと、彼は言い訳する。


「……ドラゴンの血は外気に触れると、あらゆるものを燃やす。死の山にはその業火を鎮める力があるから、あの場所でドラゴンから心臓を取り出し、燃え尽きる前に薬にする必要がある。腕のいいタフな薬師が必要なのはそれが理由だ」

「あらゆるものって……」

 驚いた私に、彼は少し笑う。


「心臓は俺が取り出す。片腕で十分だ」

 差し出した左腕に飛びついて「ダメです」と叫ぶ。

「心配ない。万能薬を作った後で、俺の優秀な薬師が治してくれる予定だ。そうだろ?」

「火傷は治療がとても難しいんです。それに、腕だけでは済まないかもしれません!」


 大丈夫だと、彼は落ち着いた声で言った。

「最初にあんたに万能薬の話を持ち掛けた時には、別に腕の一本くらいくれてやるつもりだった。くだらない日陰のハンターの大仕事だ。そのくらいのリスクは安いもんだ」


 ぐっとシャツの胸元をつかんだ私に、ハンターは優しく目を細める。

「だが約束しただろう? もう、あんたを置いていかない。できれば、悲しませるようなこともしたくない。あらゆる可能性を考えて、最良の結果を手に入れる。ビビと俺には、それができるはずだ」


 不安を越えて、思考を研ぎ澄ます。受け止めた彼からの信頼は、胸の真ん中に熱い火を灯すようだった。




 翌朝、私たちに北の塔への往診許可が下りた。

 中央棟を抜けると城内の装飾は徐々に簡素になっていき、塔に登る長い螺旋階段の下あたりでは、完全に物置の様相。

 見張りの兵の目の前を野菜の入った箱を持った料理番が通り過ぎ、片隅に積まれた折れた槍の山にはクモの巣が張っている。


 ところどころ欠けた石階段を登って格子入りの扉の前にたどり着くと、若い聖騎士が礼をとった。

「お待ちしておりました。陛下、ハンターと薬師が到着いたしました」

 すぐに中から入りなさいと澄んだ声が返り、派手に軋む音をたてながら扉が開いた。




「……来ないで。もう誰も、触らないで」

 枕に顔をうずめたまま、彼女はそう言った。

「ルミア、長く鎮痛剤を作ってくれていた薬師です。信用に足る者ですよ」

 第二公妃がなだめるように声をかけると、細い肩がこわばった。


「痛みをごまかして、その分つらい日が伸びただけだわ。あっちへ行って!」

 ルミア! と声を荒げようとした陛下に、私は首を振って立ち上がり、ベッドを離れた。


「危険を顧みず、こんな場所まで来てくれたというのに……」

 うなだれるアニエス様は、手ずからお茶をふるまってくれた。

「苦い薬に、痛い治療、薬師を遠ざけたいのは無理もありません」


 石造りの部屋は、私たちの客間よりも狭く、小さな窓にも全て格子が入っている。今座っているやや広めの一間に、姫の寝室と、もう一部屋が直接くっついていてそれで終わりだ。

 掃除の行き届いた部屋は清潔だが、お姫様が療養する環境に相応しいとは思えない。


「第二公妃に牢獄暮らしをさせるとは、陛下に矜持きょうじってもんは無いのか」

 牢屋みたいだと私も思ったが、ハンターはよりハッキリとそう言った。

 不敬ですよと一応公妃はハンターをたしなめる。自分で無理やりお嫁さんにした女性に、牢住まいをさせて平気でいるなら、私も国王陛下にはがっかりだ。


「全ての反対を押し切り、わたくしを妻に据えて娘を産ませた。あの方の意思はそれで全部使い果たされたのでしょう。今さら何も望んではいませんよ」

 完全に諦観ていかんの表情で公妃は言う。 


 そんなことより、と公妃は私の前に立った。くたびれたドレスに身を包んでいても、凛とした品格がある。

「アカランカに渡った後も、ルミアのために心を砕いてくれたこと感謝しています。薬を変えた後は、今までに無く体調も落ち着いています、少し前はあれほど声を出すこともできませんでした」

 ありがとう、そしてあの時はごめんなさいと、小さな声で彼女は言い、私の手を細い指が包む。


「あの、私こそ、素敵なドレスをありがとうございました。お城にいる間、お借りします」

「着てくれて嬉しいわ。でも、誰も手伝いには来なかったのね」

 公妃が曇った表情で肩の辺りを少し直して、腰のリボンを結びなおしてくれたので、今日も手伝いに来てくれたメイドを部屋から追い出したと言い出せない。


「この城は、くだらない虚栄と悪意で満ちています。灰の牙、どうかこの子を傷つけさせないで」

 ハンターはかしこまって「もちろんです」と礼をした。

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