4-4北の塔

 夕方にはお抱えの宮廷薬師が塔へ登ってきて、まだ居た私たちに怒った。

「いつまで居座っているのです! 姫様がお疲れになるでしょう!」

 白髪まじりの薬師は、眉間のシワをさらに深くする。

「殿下がこんなわけの分からない薬師に、やすやすとお体を触らせるはずがないと言ったじゃありませんか。竜大公のご指示じゃなければ、まったく……」


 ブツブツと文句を言いながら、薬師は姫の寝室に入っていく。公妃に許可をもらって、私たちも立ち会わせてもらった。


 薬師はまず最初に携帯用のアルコールストーブを用意して、小鍋にとろみのある薬を注ぎ、薬匙で混ぜながら加熱する。苦い香りが漂ってくると、殿下は嫌そうに眉を寄せた。

 鍋の火を止めてから、脈をとり、熱を測り、喉や脇の下を触診する。その間、姫は人形のようにじっと天井を見たままだった。


「今日はお薬の日ですからね。背中にクッションを入れますよ、えぇ、お上手です」

 身を起こした姫の肩から、艶の無い髪が滑り落ちる。

 公妃が浅いグラスを持って来ると、薬師は鍋の中身を注ぎ、手のひらで温度を確かめてから手渡す。姫は目を閉じて一気にグラスの中身を飲んだ。

 もう半分飲めそうかと尋ねた薬師に、殿下が泣きそうな顔で首を振ったので、道具を片付けて部屋を出る。


 扉を閉めてから、さっき姫が残した薬を私にも一匙飲ませてほしいと頼んでみた。

 公妃も飲ませてやりなさいと口添えしてくれると、怒髪天どはつてんく勢いで彼女はキエェイと叫ぶ。


「よもや陛下まで、この婆のことをお疑いですか? 一匙と言わず鍋ごとお飲み! アタシが姫様の毒になるようなもの飲ませるはずがないだろう!」


 本当に小鍋を押し付けてきた老婆のあまりの剣幕に、ハンターが先に口に含んだ。

「……すぐに分かる異常はない」

 私はグラスに移してから光に透かし、しばらく回してみてから、飲み込む。


浮腫むくみを抑えて体内の水分を排出する薬、でしょうか。滋養強壮の効果がある薬草も含まれていますね」

 私の言葉に、薬師はちょっと驚いたようにこっちを見た。

「……まぁ、方向は間違ってないよ。若いくせにやるじゃないか」


「この薬はどのくらいの間隔で飲ませているのですか」

「七日に一度を目安にはしているけど、殿下の体調がいい時じゃないと体を起こせないからね。飲ませられない時もある」

 他に姫が飲んでいる薬を見せて下さいというと、きちんと整理された薬箱から次々と薬包紙が並べられた。ほとんどが熱さまし、痛み止めなどの対処療法薬だ。 

「さぁ、これで気が済んだだろう。では陛下、私たちはこれで下がらせていただきます。何かありましたらいつでもお呼び下さい」


 片付けを終えた薬師が、何してるんだい行くよと小声で私を急かす。

「いいえ、まだ私は診察をしていません。陛下、今晩ここに泊めていただけますか?」

 まぁ、と第二公妃は口に手を当て、薬師は再度キエェイと叫んだ。




 部屋に届けられた夕食は、貴人のためとは到底思えない量と質。

 中でも灰色の塊がアクにまみれてゴロゴロ入っている器を見て、ハンターは露骨に顔をしかめた。

「鳥の肝臓煮込みか。使用人の食事でも、もう少しまともに作るだろうに。いつもこんな調子ですか?」


 そうですよと公妃は涼しい顔で煮込みを取り分ける。皇后陛下が二人に出してもいいと許可してくれた肉はこれだけなのだそうだ。

「見た目で判断してはいけませんよ。とても栄養のある部分です。ルミアにも、なるべくこれだけは食べさせるようにしているの」

 アニエス様が上品に切り分けて口に運んだので、それにならって私も一口いただく。調味料もスパイスも効いていない臓物肉は、お世辞にもおいしいとは言えなかった。


 公妃はミルクに固いパンをちぎって浸した皿と、肝臓の煮込みを姫の部屋に運び、まもなく手つかずのまま戻って来た。

「陛下のお食事を分けてもらってしまい、申し訳ありません」

 急に来て泊めてくれというのは、ちょっと考え無しだったなと反省していると、公妃はコロコロと笑った。

「良いのです。こんなに楽しい夕食は、城に来て初めてでしたよ」


 自分は姫の部屋についているから、私に寝室を使いなさいと公妃が言ってくれたが、さすがにそれは固辞した。

「でも、この部屋にはソファすらありませんよ」

 旅人生活も長いから、俺たちなら床があればどこでも寝ますとハンターが言っても、公妃は首を縦に振らない。

 木の椅子に座ったままと、石の床なら、やはり床で足を延ばせるほうが楽かなと私も算段していると、小さく「お母さま」と呼ぶ声がした。


 公妃はパッと席を立って姫の部屋へ行き、少しの間二人が何か話している気配がある。

「悪い薬じゃなかったようだが、甘くて苦くてひどい味だったな。まだ喉にはりついてる感じがする」

「あの甘味が、逆に苦味を引き立ててるんですよ」

 私たちが小声でやりとりしていると、公妃は大きなクッションを二つ持って部屋から出てきた。


「これを使ってくれと、あの子が」

 渡されたクッションの柔らかさに、条件反射のように薬師を嫌がった彼女の、長い苦痛を思う。優しい姫は、私にも心を開いてくれるだろうか。

 爪痕のように細い三十日月みそかづきを見上げて、北の塔の夜は更けていった。




 翌朝、座ったハンターによりかかって寝ていた私を見て、早起きの公妃が眉を吊り上げていた。

「ギルバート……いつもこうして寝ているんじゃないでしょうね?」

 これは「先生」の顔だ。

「まさか、今日は特別です」

 平気な顔で彼はそう答え、さぁ朝メシを調達してくるかなと言って部屋を出る。多分、逃げたのだと思う。


「まさかあなたに無体なことをしたりしていないわよね? いいえ、そんな子じゃないはずよ」

 毎日一緒に寝てくれているだけだとフォローするのは、逆効果になりそうだったので黙っていた。


 しばらくして焼きたてのパンが入ったカゴと、瑞々しいフルーツを抱えてハンターが戻って来る。背中には見たことの無い箱を背負っていた。それは何ですかと聞くと、後のお楽しみだと彼は言い、まずは朝食を取る。


 朝も公妃と一緒に姫の部屋を訪れたけど、姫は一瞬こちらを見ただけで、首を振ってベッドにもぐりこんでしまい、朝食にも手をつけなかった。昨日より顔色が優れない。


 弱った表情の公妃と部屋を出ると、椅子に座ったハンターが先ほどの箱を膝にかかえていた。左手で蛇腹じゃばらを伸び縮みさせ、右手側の鍵盤を叩くとフォーンと面白い音がする。

「よし、だいたいなおった。陛下、久々に何か弾いてくれませんか」

 まぁ、とすぐにその楽器を受け取った彼女は、目を輝かせる。

「鍵盤に触るなんて、何年ぶりかしら。きっと指が動かないわ」


 言いながらも、すぐに彼女は美しい演奏を始めた。

 確かヴァイスが公妃は音楽の先生だったと言っていた。心底楽しそうに奏でるアニエス様は、本当に音楽を愛しているのだろう。ハンターも懐かしい日を思い出すように彼女を見つめている。


 演奏が始まってまもなく、足音も荒く、薬師が階段を登ってきて「何をしているんです!」と叫んだ。

 楽器を持っているのが公妃だと分かると、キッと私たちを見て、姫のお体に障ると言っているでしょうと、威嚇するように前歯を出す。


 そうしていそいそと朝の診察に向かった薬師は、姫の部屋で困ったような声をあげた。

「えっ? ええ……そうですが。ダメです。ほら、熱があるじゃありませんか寝てなくてはいけませんよ」

 薬師に肩までしっかり布団で包まれた姫は、そう、とつぶやいてまつ毛を伏せる。


「いいじゃないか。陛下の演奏をちゃんと聞いたことがありますか?」

 姫に話しかけたハンターに、入ってこないでちょうだい! と薬師が厳しく言う。

「ないわ、知らなかったの。もっと聴きたいわ」

 初めて姫の顔が、まっすぐこっちを向く。

「いけません! 寝ていないと熱が上がりますよ」


「じっと寝ていたって、熱が上がる時は上がります。殿下は今、起きたい気分ですか?」

 ベッドの横に立って差し出した私の手を、姫は小さくうなずいてつかんだ。

「陛下、どうぞこちらへ」

 ハンターがエスコートしてきた第二公妃は私と姫を見て、ホッとしたようにうなずく。そうして病室での小さな音楽会が始まった。


 薬師はヴァイス様に止めていただかなくてはと、怒り狂って部屋を出ていく。

「ギルバート、指がつりそうだわ、あなたも歌ってちょうだい」

 公妃が笑いながら言うと、ハンターはご指名とあらばと、胸に手をあてて艶のある重低音で唄う。この人は、本当に何から何まで器用な人だ。できないことなんかあるんだろうか。


 部屋に入ってきたヴァイスは、目をキラキラさせていた姫を見ると、心の底から嬉しそうにほほ笑んだ。

「殿下の寝所で演奏会とは、宮廷薬師の頭の血管が切れますよ」

「そうですね。あまり長時間はこたえます。今日はこのくらいにしましょう」

 そう言うと、姫がきゅっと私の手を握った。

「このまま聴いていたいわ。きっとこれからまた、ひどく悪くなるもの」


「それには何か前ぶれがありますか?」

 私の問いに、分からない、と彼女は弱くつぶやく。

「寒くて、身体の中がブクブク溶けてくみたいな、嫌な感じがするだけ」

 触れても構いませんかと問うと、彼女は首肯してくれた。全身に軽い浮腫みがある。熱が上がってきているし、肺の音も良くない。


「昨日より、苦しい感じがしますか?」

 それにはすぐに、はっきりした声で返事がある。

「いいえ、しないわ。とても楽しかったから全然苦しくない」

 そうですね、と私は彼女の手をベッドの中に戻す。


「自分の身体が「こうしたい」と感じることに、従う方が良いと思っています。多少熱があっても、窓を開けて風にあたってもいいし、湯あみをしたっていいんですよ」

「そんなの、ばあやに言ったら怒って倒れちゃうわ」

 確かにとうなずき合って、さっきの前歯を出した薬師の顔を思い浮かべる。姫と私は同時に吹き出した。




 昼間の穏やかな時間が嘘だったように、日没と同時に彼女の容態が急変する。

 「痛い」とお腹を抱えてベッドを転げまわったかと思うと、激しいおう吐とけいれんをくりかえした。えづくうちに、呼吸困難になるほど咳き込みはじめる。


「あなたたちが、姫に無理をさせたからですよ!」

「お叱りはあとで。身体の向きを変えましょう、いち、に、さんっ」

 宮廷薬師と協力して、姫を横向きにする。

 強い方の鎮痛剤を飲ませ、気管を広げる薬を湿布にしたのが良く効いて、咳がおさまると、彼女は意識を手放すように眠った。


「……今度は意識が低下しすぎです! 呼吸させていてください。気付け薬を入れます」

「ヴァイス様! 手を貸してください」

「陛下は姫に呼びかけ続けて下さい」


 こんな日を、今までこの薬師は何度も越えてきたんだろうか。症状の出方がいちいち劇的すぎて、全部後手に回らざるを得ない。

 ルミア、ルミアと呼ぶ公妃の悲痛な声を聞きながら奥歯を噛む。手元に影ができないように、二つのランプで照らしてくれているハンターを見上げた。


 万能薬を、作らなくてはいけない。こんな綱渡り「次」なんてないかもしれない。

 

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