4-5病

 夜明けの頃に、ようやく姫の容態が落ち着いて、宮廷薬師は疲れた顔で私を見つめた。

「言いたくないけれど、今日ばかりは居てくれて助かったわ」

「人手があったから何とかなったとも言えます。これを、今まであなたが一人で?」


 他に誰も姫様を助けようって薬師が居ないからね、と彼女はぽつりとつぶやいた。

 もちろんいつも陛下もヴァイス様も手伝ってくださるから出来ることですよと、言い添えるのも忘れない。


「ねぇ、私のこの薬が、殿下の身体に悪いなんてこと、無いわよね?」

 熟練の薬師は、薬匙で例のとろみのある薬をかき混ぜながら、心細そうに私に尋ねた。

「ありません。姫が今日まで頑張ってこられたのは、浮腫むくみをとるための薬が効いているからだと、私は思います」


 私は氷の湖でハンターに作ってもらった薬匙を出してきて、セリフを考えてから差し出した。

「ご神木を削って作った薬匙です。あとは女神様のご加護にもすがりましょう。これを使って下さい」

「そうだね、やれることは全部やって、女神様にもおすがりしよう」

 宮廷薬師が強い瞳で、薬匙を受け取ってくれたので、私はさりげなく彼女の使っていた匙を荷袋にしまった。




 夕方まで薬師二人がかりの厳戒態勢でルミア姫を見守った。まだ熱は高いものの、新しい症状が出なくなり徐々に安定してくる。

 今日もこのまま宮廷薬師が泊まり込むらしい。

 さすがに二晩も空けると皇后の耳に入りそうだから、一旦戻ろうとハンターに言われ、渋る私に何かあれば必ず声をかけるからと、薬師が言ってくれた。


 部屋を出る前にハンターが第二公妃から包みを受け取って、大切に私の荷袋にしまう。ゴナスでヴァイスに託したヌシ様のウロコと七色の涙を入れた袋だ。

 これで、私たちの手元にドラゴンの心臓以外の素材が、一度全て戻ってきた。




 昨日はどこにいたのかと、やかましいメイドたちを、ハンターはのらりくらりとかわしながら夕食をとり、早々に彼女たちを部屋から追い出す。

 しばらく目を閉じて耳を澄ませていた彼は、テーブルを挟んで真剣な表情で私を見つめた。


「薬師の見立てを、聞かせてくれるか」

「無理を言って診察させてもらいましたが、正直、まだ混乱しています。自信がありません」

 それでも構わないと彼が言ってくれたので、私は師匠の書付をハンターに手渡した。


「そこに書かれているカノ鉱山の患者の中毒症状と、昨日のルミア姫の発作が似ていると思いませんか」

 ざっと内容に目を走らせた彼は、確かにとつぶやく。

「しかし呪いじゃなくて、中毒? まさか、あの薬師の薬か」

 即座に首を横に振って、腰を浮かしかけたハンターを制する。


「薬ではなく、気になったのはこっちです」

 宮廷薬師の使用していた薬匙を大理石のテーブルに置くと、カチャと硬質な音が鳴った。ハンターは、匙を手に取って眺める。

「これは教会から支給される合金の薬匙で、ごくありふれたものです。コニーさんも使っていました」

「あの人が使っていた覚えが無いな」

「はい。お師匠様はこの薬匙が嫌いで、手製の木の薬匙を愛用していましたから」


 丈夫で変質しにくい合金だという話だけど、小屋では新品のままホコリをかぶっていた。

 調薬において、変質しやすい金属や宝石を使用するのは、リスクでしかないというのが師匠の持論だったからだ。


「姫に飲ませる直前に薬を加熱したのは、甘味に使われている樹液の酸っぱさを飛ばすためだと思いますが、あの酸に金属を腐食させる性質があるんです」

 じゃあやっぱりあの宮廷薬師が、と眉をしかめたハンターに、まとまりきらない言葉を紡ぐ。

「ただあの薬に、中毒になるほどの金属が溶けだしているなら、私もあなたもあの場で同じ症状が出たはずで、それ以前に、そもそも公妃様やヴァイスさんが気付かないはずがありません」


「もう一つ、家畜として飼育されている鳥は地面から餌を食べるので、どうしても体内に地表の微量な金属を蓄積します」

 私は灰色の器を思い出しながら先を続ける。

「中でも、鳥の肝臓は貧血の患者さんに飲ませる薬に使用できるほど効果が高い。どうして皇后様はあえてその鳥肝臓だけを許可したのでしょうか」


 昨日も公妃は自分が食事を終えた後で、姫の分を取り分けた。彼女が口にするものは、アニエス様が細心の注意を払っていると考えて間違いない。

 つまり、健康な人間が口にする分には無害で、姫には有害になる物質が中毒症状を引き起こしていると考えられる。

 信じられないというようにハンターは声を絞り出した。

「良い効果を超えて、害になるほど与えられているものがあるということか」


 ただ、ここから先が、薬師の見立てと相反する事実だった。

「宮廷薬師が一昨日の夕方、薬を飲ませた後、姫は何も口にしていないと思うのですが、どうですか?」

「夕食も朝食も全く手つかずだったのは確かだ」

「……だとすると丸一日以上も経ってから、あんな劇症が出るのはおかしいんです」

 薬に溶けた金属に中毒症状を起こしたのならば、遅くとも半日以内には症状が出るはずだった。


 これを説明するには、魔法領域にまで思いを馳せる必要がある。

 今度はヴァイスからの手紙をテーブルに広げ、発作と書かれた日付をマルで囲んだ。

「あまりに規則的だと思っていた急変の法則は、昨日の夜分かりました」

 難しい顔で黙ったままのハンターに、これだけは確信を持って言える。


「新月と、満月です」

 何だと、と彼は身を乗り出す。

 前後の体調とも飲食とも無関係に起こるこの発作は、薬師には不自然としか言いようが無い。

「呪いは、この中毒症状を繰り返し起こさせる役割を担っているのではないでしょうか」


 額に手のひらを当てたハンターが、珍しくギブアップした。

「……俺の理解の範疇はんちゅうを越えた。ちょっと待ってくれ」

「いえ。私もまだ完全に考えがまとまっていなくて……。あまり真剣に考えないで下さい」

 立ち上がると、頭がくらっとした。

 つまずきそうになった私を、彼は「すまん、疲れただろう」と支えて、そのまま抱き上げる。


 寝室に入ったハンターは一瞬足を止め、ベッドの上に私を下ろした。そうしてクローゼットの扉を空けて肩をすくめ、開いたままの荷袋を持ち上げる。

「三流の仕事だ。雑で感心せんな」


 誰かが荷物を開けたという不快感に顔がこわばる。

 探したということは、皇后に私たちの目的がバレたということでもあった。


 彼は手にしたホコリまみれの荷袋に、万能薬の素材が入った包みをしまって口を締め、ニッと笑う。

「一度探したところは、盲点になりやすい。だが、もう少し派手な細工を考えているから楽しみにしていてくれ」


 悪だくみしている彼は楽しそうだけど、眠気の方が限界だったので着替えてきたほうがいいのかと尋ねる。

「俺たちにそんな上品な習慣は無いだろう。メイドが気になるなら、起きてから寝間着に着替えればいい」


 当たり前のようにそう言われて、枕に顔をうずめる。

「……あなたがそう言うと合理的な気がするから、不思議です」

 パンクしそうに回っていた頭の中が、ハンターの腕におさまるとゆるゆるとスピードを落とす。

「あんたの寝顔を見てると、安心して考えごとができる。俺のためにもぐっすり寝てくれ」

 人の寝顔なんか見ていないで、ちゃんと眠った方がいいのに……。




 目を覚ますと、今日もハンターはベッドで手紙を書いていた。前回書いていた分と合わせるとかなりの数になる。


 起きてから慌てて寝間着に着替えたのに、クローゼットに掛けておいたドレスが見つかると「着たまま寝たでしょう! シワだらけじゃない」と叱られる。

 今日は抵抗も虚しくコルセットを締められ、新しいドレスを着付けてもらう。余計に着替えをした分、合理的では無かった。


 すっかり遅くなった朝食のテーブルで、胃が苦しくて残してしまったパンが下げられるのを見つめていると、切羽つまったノックの直後にヴァイスの部下が扉を開けた。

「すぐ来て下さい! 団長を止めてください!」




 謁見の間の扉の前で、ヴァイスが珍しく声を荒げていた。

「皇后様のご命令とはいえ、非道がすぎる!」

「何が非道なものか、おとなしく差し出せば探す手間も省けたものを」

 あの偉そうな騎士は、ゼペットだっただろうか。相変わらず偉そうにふんぞりかえっている。


「殿下のご寝所まで荒らす必要がどこにある! やっと熱が下がったところだったんだぞ!」

 ようやく話の筋が見えて、ハンターの気配も不穏なものに代わる。それに気づいたのか、ゼペットは楽しそうにこちらを見て笑った。

「何だ、ノラ犬まで引き連れて来たのか。ヴァイス、付き合う相手は選べよ。エリオネット家の名が泣くぞ」


 中から扉が開き、兵がゼペットに何か耳打ちする。

「なんてことだ。陛下が直々に話を聞いてくださるそうだ、よかったなぁ」

 わざとらしくそう言って、扉の前の道を譲る。ヴァイスが低い声で、すまないとつぶやいた。




「今、呼ぼうと思っていたところじゃ。扉の前で何をわめいておった?」

 今日も喋っているのは皇后だけ。王は興味なさそうに、ステンドグラスの光を見ている。


「先刻アニエス様のお部屋を、ゼペット隊が通告もなくあらためられました件、近衛として見過ごすわけに参りません」

「ゼペットはわらわの命で動いただけじゃ。ゴナスから持ち帰ったものを出せと、最初に言わなかったか?」

 のぅ? と皇后はハンターを見下ろす。


「では、そのようなものが無いこと、お疑いも晴れたことでしょう。しかし、ルミア姫様の寝台まで倒す必要がどこにありましょうか」

 ヴァイスの言葉は、お黙り、と高圧的に遮られた。

「ナナムスに姫などおらん。口にするなと以前にも言わなんだか? 聞こえぬ耳なら切ってやろうか」

 頭を垂れたままヴァイスは黙る。


「それで、竜大公の客人よ、そなたら少々珍しい道筋でこのナナムスまでたどり着いたようじゃの。今までどこで何をしていたか、詳しく話しておくれ」

「勉学旅行をしておりましたが、皇后陛下にお聞かせできるような、高尚こうしょうな話はございません」

「そうか? わらわは気が長くない。戯言ざれごとに長くは付き合わんぞ」


 ヘビのような温度のない目で、皇后は私をにらむ。

「薬師よ、おまえに聞いた方が良いかな? 教会の禁を破り、仕事を放棄して男と逃避行。さぞ楽しかったじゃろう? わらわが特別に許してやるから、集めた材料をどこに隠したか言うがいい」

 確かに気が短い。最短で答えを求めてきた。

 顔を上げてもいいのか分からずにいたら、さらに皇后は話を続けた。


「あの女が突然教会に監査を行うなどと騒いだ時には、ついに気でもふれたかと思ったが、まさかこんな面白いことを企んでいたとはの。さぁ、わらわがこれほど待ってやったんじゃ。話す気になったな?」

「……いいえ」


 口を閉じるより早く、私の顔をめがけて飛んできた扇を、ハンターの手が横に弾いた。

「皇后陛下、薬師はこの通り、震えて答えなど言えるはずもございません」

「薬師が答えぬのなら、おまえの身体に聞こうか。連れてお行き」

 皇后の言葉に兵士が動き、ヴァイスの背中に焦りが浮かぶ。


「えーっ、ホントに拷問とかしちゃうの? 野蛮だよ。神聖国家の名が泣くよー」

 扉を開けてマクシミリアンが入って来た時、皇太后は悔しそうに顔をこわばらせ、ハンターは静かに笑った。彼には竜大公の到着が分かっていたのだ。


「近代国家では、スマートに裁判っていうのが、最近の流行だよ。期限は5日後。自分が吹っ掛けたものを見つけることができなかったら、あなたの負けだからね」

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