1-2買い物
筋肉痛がひどい足を引きずるように歩くと、いつでも抱っこしてやるぞとハンターにからかわれた。
こんな明るくて人通りも多い場所で絶対に嫌だ。
昨晩の己の甘ったれた態度を棚に上げて、お断りする。
だけど行き交う人は、みんな私を見て眉をひそめているようで、彼の影に隠れるように歩いた。
宿からほど近い屋台で、白いフワフワのパンにたっぷりとハチミツをかけたものと、厚切りのベーコンの朝食をいただく。
指先をベタベタにしながら食べる私を、頬杖をつきながら彼は見ていた。
呆れられてもかまわない。このパンはなんて美味しいんだろう。
「そういえば、例の支払いがまだだったな。これで足りるか?」
手を拭いてお茶を飲んでいると、テーブルに銀貨が3枚置かれた。
「いえ、アレは銅貨5枚です」
熱冷ましの薬は、薬草が入手しやすいのでそんなに高額ではない。
「あんたが鍋一杯飲んだ分も含めてだ。足りないかもしれんがとりあえずこれで頼む」
握らされた銀貨を一枚出して、ハンターに尋ねる。
「これで、パンは買えますか」
彼はちょっと驚いたような顔をして「そうか。使う機会がなかったか」とすぐに一人で納得した。
これが一枚あれば、と長テーブルにパンカゴがずらりと並んだ露店を指さす。
「端から端まで全部のパンが買える。ハチミツもだ」
「そんなに!」と、声がひっくり返った。
何だ、パンが足りなかったのかと笑うハンターに、私は自分の服の裾をぎゅっとつかんで言った。
「じゃあ、これで服は買えますか」
ポンと膝を叩いて彼は立ち上がった。
「それが次の行先だ」
その前にと、公衆浴場に寄り道してお風呂に入り、理髪師さんに髪を整えてもらった。
「ちょっとアーサー、この子、毛先は焦げてるし、一体どうやったらこんなに後ろ髪がもつれるの!」
「少々お転婆でな、あぁ、少し結えるくらいの長さにしておいてくれ」
散髪してもらっている間、ずっとうつむいていた私に、理髪師のお姉さんが木の櫛をくれた。
「はい、これで毎日やさしく梳けば、ツヤツヤの髪になるからね」
「……ありがとう、ございます」
消えそうな声でお礼を言うのがやっとだ。
その後に服屋の並ぶ通りへ入り、ハンターは迷うことなく一軒の上品な仕立屋の扉を叩いた。
「いらっしゃいませ。お元気でしたかな」とすぐに店主が駆け寄ってきたところを見ると、ここも彼の馴染みの店らしい。
店内の品はどれも高級感あふれる見た目で、着古したシャツとベスト姿のハンターが服を仕立てるような店には見えない。
店主の奥さんらしい女性が、私を採寸したり、色々な布を肩からかけたりして、絶対この色だと推してくれたワンピースを試着した。
どうです? と言われたが、どうだか分からないので、これでお願いしますと、銀貨2枚を支払う。すると、綺麗な靴もつけてくれた。
「同じ色のリボンがあるから、これで髪を留めて……ほら、できあがりですよ」
立たされた鏡の前で、まじまじと自分を見つめると、確かに昨日までの姿は「訳アリ」であったと思う。
「ほう、これは見違えた。どこのご令嬢かな?」
店の主人と話していたハンターは、奥から出てきた私を見て手を叩いた。
本当によくお似合いですよという店のご夫婦のお世辞に、ひきつった笑顔を返す。
「出来上がったら、穴熊酒場まで頼む。急かしてすまないな」
「坊ちゃんのご依頼ですからね、特急で仕上げますよ」
別の包みを受け取りながら、坊ちゃんはやめてくれとハンターは苦笑いした。
「初めての買い物はどうだ、満足のいくものが手にはいったか?」
石畳で買ったばかりの靴が傷つかないように、慎重に歩いていた私は、そのまま顔を上げずに答える。
「……わかりません。変じゃありませんか」
「似合っているさ。どこから見てもいいところのお嬢さんだ」
カノ村のお祭りで食中毒が起きて、師匠と薬を持って駆け付けたことがある。その時に、女の子たちが着ていた明るい色のワンピースにずっとあこがれていた。
だけど、自分がこれを着ていていいのか全然わからない。
「ごめんなさい、まだ準備中で……って、アーサー! と、もしかして昨日の子?」
気づけば昨日の酒場の前まで来ていたらしい。カラの酒瓶を持ったノーラが立っている。
「マスターは、いるか?」
また置いていかれると思うと、顔がこわばった。
「中で仕込みしてるけど……マスター! アーサーよ!」
ノーラが店の中へ大きな声で叫ぶと、熊のような大男が戸口から顔を出した。
「……来たか」
扉を半開きにして、二人は低い声で話しはじめる。ハンターの姿が見えなくならなかったことに、安堵した。
「いい色のスカートね、似合ってる! 髪も綺麗な亜麻色だったんだ。もったいないわね、手入れしなさいよ」
アタシは赤毛だからうらやましいと、ノーラは相変わらずしゃべりまくっている。とりあえず、年相応の格好にはなったようだから、それにも安心した。
「急いだほうがいい」
ちょうどノーラの声が途切れたところに、マスターの声が飛び込んできた。私がパッと顔を上げたので、大男と目が合ってしまう。
「そうか、君が灰の牙を射止めたか」
のしのしと音がしそうな様子で歩み寄ってきて、私の前に屈む。
「アイツはひねくれているが腕はいい。頼れるヤツなのは、俺も保障する」
「えっ、なになに? 射止めた?」
後ろで跳ねているであろうノーラは、熊のマスターの影になって全く見えない。
「余計なことを言うなよ。少し多いようだが?」
皮袋をジャラジャラ振るハンターを、マスターは鼻で笑う。
「一匹狼でやってきたオマエが、お嬢さんを連れて歩くには足りないくらいだ」
そりゃあ大変だとハンターは首をすくめた。
「俺に届け物が来たらヴァイに伝言を頼みたい」
行こうか、と彼に手を取られる。「いいぜ、何て言付けだ」とマスターが問い返す時には、すでに歩き始めていた。
「南へ駆けると」
「はは、ヴァイスには毎度同情するな。確かに承った」
急ぎ足で宿に戻り、私は見慣れない包みと一緒に部屋に押し込まれた。
「もう少しゆっくりできるかと思ったが、出発だ」
包みをあけてくれと、扉の向こうから少し早口で彼は言う。
「せっかくお嬢様になったばかりだが、それじゃあ馬には乗れないからな。残念だろうが着替えてくれ」
袋には、キルトのパンツと、麻のシャツ、そして刺繍入りのポンチョが入っていた。
着替えると、シャツは少しサイズが大きくて袖口を折ることになったが、ポンチョを着てしまえば分からない。ピカピカの靴だけが浮いているものの、旅人のような格好になった。
「着替えました」
声をかけるとハンターも部屋へ入ってきて、よしいいな、とうなずく。
「これで仕上げだ」
そう言うと、皮のブーツを差し出した。
「……これ、あなたのとそっくり」
「仕方ないだろ、店のオヤジが同じ型しか作らないんだ」
編み上げの紐に手間取っていると、ハンターは私をベッドに座らせて調整してくれた。
「旅人の必須アイテムだぞ。靴底の減り方で、歩き方の癖から体調まで分かる」
それはすごいですねと言いながら、ふと、目の前にひざまずいている彼の髪は青灰色なのだと認識した。さっき自分の髪が亜麻色だと言われたからだ。
「立ってみてくれ、きついところはないか」
立ち上がって、つま先とかかとをトントンしてみると、足にしっくりと馴染む。
使い込まれた大きいブーツと、新品の飴色のブーツが2足並んだ時、出立の時のワクワクが急に胸に湧き上がってきて思わずつぶやいた。
「これを買えばよかったんだわ」
見上げた瞳も髪より少し明るい灰色で、虹彩にわずかに緑が混ざっている。まるで明るい曇り空みたいな色だ。
「なんだ、そんなに気に入ったのか」
いそいそとワンピースをカバンにしまい込みながら「はい、とても」と返した声が弾んだ。
「それなら贈り物で正解だった。しかし、ビビを喜ばせるものを探すのは難儀しそうだな」
ブーツをはいたおかげで、今までより安定して馬の背に乗れるようになった。胴にグリップが効く。
時々馬を休ませながら、一晩かけて走り、また別の町へたどりついた。
「念のため、もう一つ先の町まで今日のうちに移動したい。メシの後でまた馬に乗れそうか」
正直に言えば太ももがパンパンに張っていてしんどいけど、今日は馬から降りても一応歩ける。
「はい。でも、馬は……」
ガブガブ水を飲んでぐったりしているのを見て心配になる。
「別の馬を借りる。次の町までは、今回走った距離の半分だ。頑張れ」
そういうとハンターは颯爽と馬主の元へ駆けて行き、交渉をはじめた。彼に支えられながらただ馬に乗っている私が、こんなにへとへとでは恥ずかしい。
「いらっしゃい、エリック。久しぶりじゃないか」
「……?」
私の戸惑う視線を受け流して、ハンターは愛想よく露店の店主に注文をはじめる。
全粒粉のパンからはみでたハムをかみ切ろうと躍起になっていると「何だこの薬は。使い物にならないではないか」と、険のある声が聞こえてきた。
ビクっとして振り返ると、牧師の服を着た男性が腰に手を当てて怒鳴っている。
「それが、薬師が怪我をして薬草を摘みにいけないって言うもんでね」
「薬師を人と同じに扱うからこうなる。異端者だぞ、女神様はお嘆きだ」
ハンターは顔をしかめて私の肩を抱き「牧師だ。行こう」と囁く。
「あぁ、エリック! 寄っていたなら教会にも顔を出してくれればいいのに」
「すまない、今日は急ぐんだ。また寄るよ」
自分の体の影に私を隠すようにハンターは言い、その場を急ぎ足で離れた。
水を買って、すぐに馬に乗る。牧師の姿を見ただけですくみ上ってしまった私は、まもなくそんなことを気にしていられないほど、必死で馬にしがみつくことになった。
今度の馬は気が荒いのか、しょっちゅうハンターがどうどうと、なだめながら走る。
速度が一定しないので、町の灯が見えた時には「助かった……」とつぶやくほど疲れ果てていた。
この町は外から見ても、今までの町よりかなり大きい。町の外周は石の壁で囲まれていた。
月の高さから考えて、真夜中近くだというのに門には煌々とかがり火が焚かれている。
ハンターが私を乗せたままの馬を引いて近づくと、剣を持った男が詰所から出てきた。
「やぁ、ミハイル。連絡なしに寄るなんてめずらしいな。今回は護衛の仕事かい?」
お嬢さんこんばんはと私にもあいさつしてくれたので、ぺこりと頭を下げた。
「まぁ、そんなところだ。内密の仕事だから俺が来てると言わなくていいからな」
「僕が言わなくても、すぐ噂になるさ。人気者はつらいね」
全くだなと同意しながら書類にサインを済ませると、慣れた様子で門をくぐり、すぐ右手の道を進む。そこが宿屋街になっているようで、馬屋と宿のセットが大小さまざまに軒を連ねていた。
「遅くにすまないな、部屋は空いているか」
客の見送りに出ていた男をつかまえて、ハンターが声をかける。
「ミハイルのダンナ! いらっしゃるなら一番いい部屋をとっておきましたのに。さあ、馬をお預かりしましょう」
「ちょっと繊細な仕事でな、急ですまない」
ハンターがそう言うと、主人は訳知り顔でうなずいて馬の手綱をあずかる。
「では、お嬢様、参りましょうか」
どんな繊細な仕事なのか分からないが、どのみちもう歩けそうもない。私は大人しく彼の腕に抱えられて宿に入った。
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