1章 沼地のヌシの大ウロコ

1-1酒場

 その酒場は、細い路地の奥でひっそり「穴熊」の看板を掲げていた。

「よぉ、アーサー。しばらく見ないと思ったら、女連れでご帰還か」

 扉を開けるなり、店中の客の注目を集めた私は顔を覆う。


 初めて乗る馬に揺られも揺られて駆け抜けて、ようやく町にたどり着いた。

 地面に降ろされたら、そのまま腰が抜けてしまって、大笑いするハンターの腕に抱えられてきたのだ。


「やぁね。やっと来てくれたと思ったのに。妬けちゃうわ」

 胸の大きく開いた服を着た店員さんの頬に、慣れた様子でキスをして「奥の席を」と彼は言う。


「この子に暖かいミルク……いや、冷えたソーダと、それからエールを」

 多分ハンターは私の赤い頬を見て、注文を替えたのだろう。女性が厨房へ行くと、彼は小さな声で言った。

「少し離れる。信頼できる店だが、一応気をつけていてくれ」


 椅子に座ると勝手に足が震えて、小さなテーブルまでガタガタした。それに気づいたハンターに、最初に馬に乗ったら皆そうなるさとフォローされて、なんだか余計にくやしい。


「おかえり、ノーラ。そのエールで、ちょっと休憩していってくれ」

 自分の座っていた椅子を立つと、スマートに彼女を座らせる。

「何、そんなに大事な子なの?」

 眉を跳ね上げた迫力ある美人さんに、ハンターは肩をすくめた。

「大事な預かりものだ。頼む」

 それだけ言うと、店の奥へ続く扉に入っていく。


 預かりものって……。出立の時のワクワクした気持ちがシュンと消えて、私は銅のコップの中ではじける泡を見つめた。

 こんなにたくさんの人に囲まれて、不安でたまらない。


「なになに? あなたアーサーとどういう関係なの?」

 興味津々といった顔で、ノーラと呼ばれた女性は身を乗り出してくる。


 昨日うちの前に倒れてたハンターと、それを治療した薬師です。

 そういう説明はできないから何と言ったらいいか分からない。


「……あの人、アーサーっていうんですか」

 困ったあげく、質問には答えないで質問を返した。

「えぇっ? 名前も知らない男にお姫様抱っこされてきたの?」

 素っ頓狂な大声で彼女が言ったせいで、再び自分に注意が集まるのが分かる。

 赤ら顔の男たちは、今にも「異端者め」と拳を振り上げてくるような気がしてフードに顔を隠した。


「ちょっとまさか、さらわれてきたわけじゃないわよね」

 ノーラが声を小さくして尋ねてきたので、違いますと私も小声で返す。ホッと息を吐いた彼女は、おそらくいい人なんだろう。


「彼の職業はハンター、ですよね?」

 再び問いかけた私に、だからどんな関係なのよとノーラは苦笑いした。

「魔物を狩ったり、採取したり、それで生計立ててる人だけがハンターを名乗れるのよ。だからアーサーは腕利きのハンターで間違いないわ」


 ちなみに、お金にもならない浪漫ろまんを追いかけて放浪する若者を、優しい呼び方で「冒険者」と言うのよというところまで師匠に教わった通りだった。


「あなた見た感じからして訳アリって雰囲気だけど、冒険者志望なの?」

「えっ、どこが訳アリ……ですか」

 一張羅いっちょうらを着てきたし、ボサボサの髪はちゃんとフードにしまってあるのに。


 ノーラは、エールを豪快に飲んで、ドンとジョッキをテーブルに置いた。

「全部よ全部。だいたいその服、アタシのおばあちゃんが若い頃に流行った柄じゃない? どこで見つけてきたのよ」

 無論師匠のお下がりで、彼女のタンスから見つけてきたものだ。そんなに時代錯誤な服なのだろうか。

 恥ずかしくて、柄を隠そうと体を縮こめる。


「どうした、腹でも冷えたか」

 ポン、と頭の上に手のひらが乗せられて、視線を上げるとハンターが戻ってきていた。

「そんな丈の短い服じゃお腹も冷えるわよ。今回も稼いだんでしょ。大事な預かりものなら身なりも少し整えてあげなさいよ」

「全くだな、気が利かなくていかん」 


 彼は別の給仕の女性をつかまえて、さらにエールを2杯注文し、私にも何か頼むかと尋ねてきたが、黙って首を横に振った。


 最近市場の様子はどうだ、まけてくれそうな店はありそうか。それなら皮の卸をやっていたあの店はどう。カバンの在庫がだぶついているって話で……。


 盛り上がる二人の話の隣で、どうして森の小屋を出てきてしまったのかと後悔が押し寄せてくる。

 アーサー、アーサー、と甘ったるい声で呼ばれているハンターがまるで別の人になってしまったかのように感じて、ひたすらに心細い。


 何故だか分からないささくれだった気持ちで、テーブルの上からジョッキを引き寄せて、ぐっと飲み干した。

「あら、それ……アタシの」

 ノーラがびっくりしたように声を上げる。

 いけない、人のエールを勝手に飲んでしまった。すきっ腹にじわっとアルコールがしみる。


「なんだ、誰のかわからんほど眠かったか。すまないな、ノーラ。また来る」

 もう帰っちゃうのと、不満そうな声をあげる彼女をよそに、ハンターは私の椅子の横で立てるかと尋ねてきた。

 テーブルに手をついて立ち上がると、さっきほど足の震えはひどくない。ゆっくりなら歩けそうだ。


 彼が支払いを済ませる間に、老人のような歩みで外へ出た。店の明かりとにぎやかさを扉のむこうに閉じ込めて、暗闇に包まれると少しホッとする。


 やっぱり薬師は、こんな煌々とした場所に出てくるべきではないんだ。

 朝になったら、やっぱり小屋へ戻りますと言おうか。教会も今なら許してくれるかもしれない。


「どうした、酔っぱらったか」

 うつむいていると、店から出てきたハンターが尋ねてきた。

「あのくらいで酔いません」

「そうか。じゃ、行くか」

 そう言うと、当たり前のように私を抱き上げて歩きはじめる。


「あ、あの、もう歩け……」

 ん? と、口の端を持ち上げて彼は笑う。

「……いいえ。すみません」


 彼の右の脇腹に足が当たらないように注意しながら、怪我人に運んでもらっていることを不甲斐なく思う。

 それでも「自分で歩けます」と言えなかった。




 馬をつないだ場所まで戻ると、馬屋で干し草をやっていた男が、愛想よくおかえりなさいと言う。

 裏の建物が宿になっていたらしく、私の小さな荷物はすでに部屋に運び込まれていた。 

 私を寝台にそっと降ろし「ゆっくり休め」と言い残して部屋を出ようとした彼の袖をつかまえる。


「その前に、服を脱いで下さい」

 一瞬とても驚いた顔をした後で、眉間にシワを寄せる。

「そう唐突だと、さすがに焦るな。腹の傷ならもう心配ない」

「心配ないかどうかは、私が決めます」

「薬師の仕事になると、急に強気になるな。さっきまでのしおらしさはどうした」


 私が全く譲るつもりがなかったのが伝わったのか、しぶしぶといった雰囲気でシャツのボタンをはずす。

「寝台に横になって下さい」

「あんたのベッドだ。立ったままでいいだろう」

「横になってください」

「……さすが、あの人の弟子だ。降参降参」

 すまないな、と断って彼はブーツを脱ぎ、ベッドへ上がった。


 包帯を外すとアザのような紫色の跡が広範囲に残っているが、これはマインドイーターの毒の痕跡で数日で消える。

 布を当てていた手術箇所は完全にくっついており、血もにじんでいなかった。


「すごい……縫ってすぐにあんなに動き回ったのに、完全にふさがってる」

「ビビの腕がいいんだ」

 褒められるのは嬉しいが、これは彼の回復力のたまものだ。誰でもこんなに回復するわけではない。


「念のためあと2、3日は消毒しましょう。毒の広がった場所は少しチクチクすることがありますけど、数日中に違和感も消えるはずです」

「あんたのおかげだ。感謝している」

 ボタンを留めながらハンターは起き上がり、そうすると、もう彼をひきとめる理由が何もないことに気づいた。


「……あの、あなたはどこに寝るんですか」

「階段を上がる前に、広い部屋があっただろう。入り口近くにいるから、何かあったらすぐ来るといい」

 すでに何人かの男たちが、ゴロゴロと雑魚寝をしていた部屋だ。


 昨日から一睡もしていないので、すでに疲労は限界に近い。

 私は恥をしのんで、起き上がったばかりの彼を寝台に押し倒した。


「感謝してくれるなら、今夜はここで寝てください。眠いけど、一人になったら不安で眠れる気がしません」

「なんだ、それなら眠るまでここにいてやる。ほら、横になれ」

 起き上がろうとするハンターの肩を、がっしり上から抑え込む。


「それも無理です。看病したことはあっても、されたことはないので、見下ろされて眠るのは無理です」

「……まさか」

「そうです、あなたを看病していて、寝落ちした感じで寝たいので、このままでお願いします」


「いや、それはありえん」と今までで一番狼狽しているように見える彼を後目に、部屋のランプを消し、自分の荷物を引き寄せてそれを椅子替わりに座り、ポジションを決める。

「手をここに、ぱたっと置いてください」


 もう混乱も一周回って私の言いなりになっているハンターは、清潔なシーツの上に言われるがまま手を置く。

 ごつごつした手のひらに自分の手を重ねると、穏やかに体温が伝わってきて、緊張の糸が切れたように睡魔が襲ってきた。


 ベッドにもたれかかるように上半身を預けて、暗闇の中でとても気まずそうな顔をしている彼を見つめる。

「……こうしていると寝てる間も、あなたの脈が正常か分かるんです」

「さすがは薬師殿。だが、そんな格好で眠れるのか」

「寝れますよ。へへ」

「へへ、じゃないだろう……」

 ぼやくような声を最後に、私は眠りに落ちた。




 おそらくきっかり一時間で私が目を開けた時、気配に気づいたのかハンターは素早くこちらを向いた。

「起きたのか」

「いえ、また一時間寝ます。気にせず寝てください」

「冗談だろう、いいからこっちで寝てくれ」

「無理です。おやすみなさい」


 それから二度、目覚めるたびにためいきを付き「ここにいる」となだめるように言い、ついに三度目に目を覚ました時には、彼も壁の方を向いて、静かに寝息をたてていた。

 あぁ良かった、もう心配ない。そう思うと私もようやく深い眠りに落ちていった。




 窓から朝日が差し込んできて、顔を照らす。ここはどこだろうと見慣れない壁を見つめた。

「あ、あれ……?」

 自分が寝台に横になっていることに気づく。

「苦労させられたが、良く眠ったようじゃないか」


 枕にしているのは筋張った腕、背後にはもちろん人の体温を感じる。

「つまりあんたは、後ろからこうやって抱いてやればぐっすり眠れ……」


「わーっ、わーっ!」

 寝台を飛び出して、みなまで言わせまいと顔の前でめちゃくちゃに手を振る。


 すると彼はようやく、いつものちょっと人を喰ったような笑みを浮かべた。

「なんだ、かわいいところもあるじゃないか」

「水浴びもしてないのに……」

 それはお互い様だろうがと言いながら、ハンターは肩を回し大きく伸びをした。

「さて、まずは朝飯にしようか」

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