2章 19.空を見つめてみた。

 彼の姿を三人が目視した途端、ぴたりと大きな玄関扉が静止した。


「なぜここにいるのです、モルファー」


 貴婦人のその言葉は冷たく響いた。


「……クリス君を連れ戻しに来ました」


「連れ戻しですって? ここはクリスがいるべき実家です。あなたは何をおっしゃられているのですか? それに討伐ギルドへあのクリスの絵を勝手に登録したのはあなたですよね。そのせいで討伐ギルドからサーザント家まで文句を言われたのですよ? 完全なるとばっちりでした。……ですが、そのヘマをあなた自身が埋め合わせをし、クリスが戻ってくるよう仕組んだのでしょう?」


 頭がいかれていると言わんばかりに貴婦人はモルファーへ言った。


「自分は……!」


 モルファーが何かを言いたげに悔しそうに傷だらけの顔を歪ませたが、言葉を継ぐんだ時、また聞き慣れた声が届いた。


「母上、父上、……扉をはやく閉めてください」


 その声は覇気のないくぐもった声だった。


「クリス! ずっとそこに居座るつもりか!? 立派な画家になるって言ってただろ! 何があってもこの世界で生きていくって言ってただろ……! ばーちゃんに金貨も返すんだろ!? 画家として、記憶石に出来ないことをやるって言ってただろ!!」


 クリスは一瞬顔を曇らせたが、私の説得を無視し、玄関扉はむなしく閉じられようとしていた。もうこの声は届かないというのだろうか。私が流星に願ったせいで突然この世界のあの森に放り込まれ、そこで出会ったどん底のクリス。そこからここまで3人でやってきたじゃないか。君は必死に記憶石に挑み、挑戦し、絵を描き、サンダリアンもラズユーに泣かされて、凹んで、戦って、どうにかみんなで這い上がってきたじゃないか。


「クリス!!」


 私は男にきつく羽交い絞めにされながら、必死に両手を伸ばし彼の名を何度も呼んだ。あの大きな扉の傍にいるクリスへ向かって。だがこの手は何度も虚しく空を切る。もう二度と私の手は届かないというのか。この世界の底から三人で這い上がり、泣き、笑い合った日々が今、チリとなり消えていく――


 突如、耳を劈くような爆発音が響いた。


 熱を帯びた突風が私の顔を火照らせた。思わず目を閉じ、また開けると、私は言葉を失った。


 目前には、先程までは一切無かった信じられない光景が広がっていた。激しい熱風が巻き付くように火柱が上がり、燃えている。先程まで堂々と聳え立っていた鉄製の巨大な門は見るも無残な姿となっていた。焼け落ち、めらめらと炎に包まれ穴が空いている。そしてその朽ち果てた傍には、突風に棚引く黒いローブを身に着けた彼の広い背中があった。その時気が付いた。彼が火の魔術を行使したのだと。


「なんだ……!?」


「どうなっている!?」


 使用人の剣士二人がその熱風から顔を腕で隠しながら、狼狽え、驚愕し、燃え盛る炎を見つめている。サンダリアンも唖然とし、巨大な炎を見つめ、剣を持ったまま放心状態で固まっていた。


「モルファー! 貴様、何をやっている!?」


 クリスの父親から絶叫するかのように、怒りに満ちた声が響いた。


「モルファー、これは一体どういう……」

 

 私が困惑したまま投げかけると、彼はこちらへゆっくりと振り向き、優しい眼差しでこう言った。


「……償いぐらいさせてくれ、友よ」


 そう言うなり、彼は燃え盛る炎の扉を容易にくくぐり抜け、堂々と前へ進み始めた。なぜかその大きな体がいつもより更に頼もしく感じた。その時クリスの声が響いた。


「モルファーさんっ!」


 こちらへ駆け出そうとしたクリスは、父親に腕をがっしりと掴まれ無理やり静止させられた。


「なぜ……今更、そんなことを……」


 クリスの声は震えていた。


「君には酷い事をしてしまった……。出会った頃からずっと騙したままでいい、……何度もそう言い聞かせ、それでもいいと自身を思い込ませていた。だが……、君が描いてくれた肖像画を目にする度に、やはり断ち切れない自分がいた……。気が付いてしまったんだ。……己の間違いを」


「それでも! あの絵は間違い、だった! 僕は記憶石に出来ない美を見つようとした……。だけど、あなたの真の姿に気が付かず、あの絵を描いてしまった! あんなのは駄作なんだ……!!」


「クリス……」


 私は思わず彼の名を呟いた。父親に押さえつけられながら、言葉を詰まらせながら言い放つ、クリスを私は茫然と見つめていた。サンダリアンも今にも泣きだしそうな顔でクリスへ真っすぐに視線を向けていた。


「あなたは僕やレイさん、サンダリアンさんをずっとだましていた……! 友人と言って……! 僕はっ、僕は……、あなたの本当の姿を見破れなかった! ……僕は嘘を描いてしまったんだ。本当のあなたを見出す事が出来なかった……! 僕は記憶石に負けてしまったんだ……!!」

 

 クリスはあれ程までに神経を張り詰め、モルファーの究極の美を描いた己の作品と、その真実の裏で、ずっと戦っていた。クリスは一人で悩んでいたのだ。あの絵とその真実の狭間で。私は涙で溢れたクリスの白い顔を見つめた。


 するとモルファーはクリスの声に返答するかのように広大な庭園の中心まで進み、立ち止まった。そして勢いよくいつも肌身離さず身に着けていた真っ黒なローブを脱ぎ去った。装着していた黒いグローブも両手から外し、その場へ捨て去るように投げた。上半身裸となったモルファーは、強靭な筋肉の造形美を露わにし、堂々と佇んでいた。だがその両腕だけは、今まで見たこともない銀色に輝く、金属アームのようなものが装着されていた。


「クリス君、見ていてくれ」


 彼は静かに言った。同時に両腕を茜空へ真っすぐに差し出した。腕に装着された金属に夕日が反射し、美しくキラキラと輝いた。


「なぜそのローブを脱いでいるのですか……。まさか……」


 モルファーの行動を見つめるクリスの顔から、なぜかどんどん血の気が引いていく。あのローブは森でモルファーが私を助けてくれた際に、術符の反動から守ってくれたものだ。モルファーがいつでも肌身離さず身に着けていたものだった。


「モルファー、馬鹿な真似はやめなさい! 君の人生や、君の家族はどうなる!」


 クリスの父親も何かを察知したのか動揺し、狼狽えている。何やら様子がおかしい。


「……もう偽るのは今日で全ておしまいだ」


 モルファーは自分に言い聞かせるように小さく呟くと、クリスへ向かって力強く言い放った。


「クリス君! 自分は記憶石を打ち負かしている! これからも、ずっとそうだ! だから君も……!!」


 記憶石を打ち負かしている、その彼の言葉が妙に響いた。次の瞬間、夕空の中に爆音が広がった。


「花火か……? いや違う、あれは……、モルファーの魔術か……!?」

 

 モルファーの両手から術が発動されたのだ。何度もそれは繰り返され、こだまし、激しく天へ打ち上げられる。今まで見たことがないほどの夕刻を彩る大花火のようだった。それは瞬く間に次々に広がった。それはとても優美で美しく、儚い夕空を彩るものだった。だが、それとは相対するかのようにモルファーの口からは、荒くけたたましい雄叫びがずっと発せられていた。


 また大きな爆発音が何度も上空で鳴り響いた。業火が渦巻く火柱、あでやかに大きく舞いながら打ちあがる水しぶき、美しく放たれる輝く閃光の稲妻、きらめく雪を落とす芸術品のような氷の結晶、駆け上がりながらそれらを混ぜ合わす粒子の爽やかな風。サンダリアンも私も天真爛漫てんしんらんまんに広がる彼の万能術を唖然と見つめていた。


「そんな……、やめてください! モルファーさん!!」


 クリスの危機迫るような叫びで私は我に返った。彼は父親に体を押さえつけられながらも必死に訴え続けている。そんなクリスを抑えている父親も母親も、彼と同じように血の気を無くした顔だった。明らかに様子がおかしい。


 私は今でもずっと魔術を発動し続けているモルファーへ視線を移した。モルファーの様子も異様だった。空へ魔術を打ち上げるたびに明らかに苦痛に顔を歪め、疲弊しているように見える。そしてたくましい筋肉で覆われた体には魔術を放つ度に傷が増え、赤いものがそこから流れ出している。地に立つ両足にもかなりの力を込めており、立ち続けているのさえ難しく見えた。


 その時、彼の両腕の装置からは何やら色とりどりの小石が次々に飛び出していることに気が付いた。あの黒いローブで普段は隠れ、見えなかった部分だ。


「モルファーさん! お願いですからっ! やめてください!! それを使うのは……!!」


「それ、だと……?」


 その時、雷に打たれたかのように全てを理解した。クリスはずっとその事を訴え続けていたのだ。その事実に気が付いた時、一気に体中から血の気が引いた。モルファーの上半身は焼きただれ、切り傷を無数に作り、真っ赤なものが溢れていた。あれは、あの発動しているものは、魔術ではない――


「モルファー、やめろ!!」


 私は叫んだ。天に向かって唖然としている使用人の腕を振りほどき、焼きただれた門へ駆け寄りながら、必死に叫んだ。彼が、モルファーが、魔術ではなく、あのおぞましい反動が付く、術符を使っている――


 モルファーは生まれつき自然エネルギーを行使出来る魔術士ではなかったというのか。あの様子から彼の身体には既にかなりの反動が刻まれていた。その有り得ない現実にただ打ちひしがれることしか出来なかった。


 その中で次に発動された術符は、美しい氷の花火を咲かせた。小さな灯の欠片が私の顔にそっと落ち、頬にひんやりとした一筋の雫を作った。


 私が放った火の術符より威力が大きい。だとすればあの反動は――。考えたくもなかった。


 サンダリアンも気が付いたのか顔面蒼白になり、術府をやめるよう、何度も強く訴え続けている。


 その時、震える両腕を天へ掲げたまま、モルファーは語った。


「……自分は、あの肖像画を見て、罵倒するよう命じられていた。だが……、出来なかった」


 モルファーは苦痛の中、何度も歯を食い縛りながら訴え続けた。


「自分はこれまでの長い間、偽りの自分を演じてきた。両親を早くに亡くし、貧困に陥っていた時、サーザント家より雇われ、兄弟と共にこの地へ越してきた。術符の発動効果の実験体として……。それを利用し、魔術士として偽り、正体がばれぬよう誰ともかかわらず、友人も作らず、これまで過ごしてきた……」


 クリス達親子も、固唾を飲み、その姿を見つめていた。


「特殊な衣服を身に着け、術符の反動にも負けぬよう、身体の強化も行った。様々な術符を使用するうちに、万能魔術師の異名まで得た。だが……、それも今日でおしまいだ。なぜなら……」


 モルファーは息を大きく吸い込み、言い放った。


「君達に出会ってしまったから……! あの肖像画を描いてくれたクリス君、それを支えるレイ君やサンダリアン君。……これほどまでに自分を純粋に見てくれる者がいたことを、自分は知らなかった……! これは君達へ捧ぐ、万能魔術士としての、最後の礼だ……!!」


 私達は見た。彼の本当の姿を。華麗な彩りを魅せる大空に瞬く花火術府を。地に足を踏みしめ、色とりどりの鮮やかな記憶石を、ボロボロになり、傷つきながら、打ち上げる。それは決して誰も見たことがない花火だった。


 黄昏の空を彩る、火、氷、水、風、雷。私達は自然の力が培われた揺るぎない彼の証を涙と共に見上げた。それはまさしく、彼の美しさしかない、大空だった。


「……本当の自分を見てくれる人をずっと探していたのかもしれない。出会えることを願っていたのかもしれない……、ずっと……」


「モル、ファ……さ」


 クリスは言葉を詰まらせながら、モルファーを見つめていた。


「クリス君、君の居場所は君が決められる。……自分が記憶石を打ち負かしたように」


 力尽きたかのようにその場へ倒れ込んだ。

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