2章 17.決心をしてみた。

「サンダリアン! クリスがいない! 私が起きた時にはもういなかったんだ!」


 玄関のドアを開けた瞬間、サンダリアンの顔があった。彼のいつもの眉尻の下がった顔に不思議と安堵した。昨日のクリスの様子を心配したのか仕事をはやく切り上げ、昼過ぎにはサンダリアンが仕事着の甲冑姿のまま腰に剣を下げ、この家まで来てくれた。


「そんなっ……」


 サンダリアンはみるみる顔を青くしていく。


「もしかしたら、とは思っていたが……。クリスは討伐ギルドへ3人で行ったあの日から様子がおかしかった。きっと、ずっと戦っていたんだ、己の弱さと……」


「俺のせいっす……、あの時口走ったから……。申し訳ないっす……」


 彼が先日、クリスの前でナイフのことを口走ってしまったことを言っているのだろう。だが過ぎてしまったことはもう仕方がない。肩も眉も落としているサンダリアンの左肩にそっと手を置いた。


「気にするな、勘のいいクリスにばれるのは時間の問題だった。サンダリアンのせいではない。今回の件はモルファーのせいだ」


 私はなるべく声のトーンを落とさずに努めて言った。ここで二人で落ち込んでも仕方がない。私達にはやるべきことが山積みだ。消えたクリスを探し出し、そして私達はクリスに説得を――。その時気が付いた。果たしてクリス本人はこれを望んでいるのだろうか。それに私達が説得したとして、戻って来てくれるのだろうか。なぜならクリスは――


「クリス君、なんで……。どうして……」


 サンダリアンは激しくうなだれ、涙のように言葉をこぼした。


「……私達のために画家への道を捨てたんだ」


 今にも泣き出しそうな顔をサンダリアンは私に向けた。


「……まさか、俺達がモルファーさんに襲われたからっすか!? かすり傷一つ負ってないっすよ!? 逆にモルファーさんがあごを……」


 サンダリアンはなぜか最後の言葉を濁すようにフェードアウトさせた。


「クリスにとっては、『襲われた』という事実だけがあるんだ。今後また別の刺客を送られてもおかしくはない、と考えたはずだ。あのような裏切りによって、な」


「そんな……」


 クリスは画家への道を閉ざした。私達を守るために。そう気が付いたとき、私は両拳にぐっと力を込めた。あんなに泣き虫なくせに――


 クリスは普段から変に意地を張り、誰よりも大人のように振舞うことがある。15歳という年齢で貴族の家を捨てるように家を飛び出すという事は、かなりの決意が必要だっただろう。この家でお金がないまま、これまで一人で細々と過ごしてきたのだ。画家を目指すという情熱だけにへばりついて。あのように自分の絵を批判をされても、嘆いてはいけない、泣いてはいけないと、ずっと我慢をしていたはずだ。あんなに明るく振舞いながら、彼は酷く傷ついていたのだ。


 いつでも強くありたいと思っていたクリス。だが、今回のモルファーの件が仇となり逃げ道さえなくなり、私達にも危害が及んだ事を知り、ついに何も見えなくなってしまったのだろう。だが、一人で抱え込まなくていいんだ。そこで誰かを頼りったり、嘆いたり、泣き突いたりしていいんだ。例えば、私達とかにな。


「……クリスが消えた先は検討が付いている」


「まさか……」


「ああ、戻ったんだ。自分の家にな。それしか考えられない」


 サンダリアンは口を開けたまま絶句し、現実を受け止めきれないのか、垂れた目を増々下げた。だが、これは現実だ。


「私はクリスを戻したい、ここに。だが……、サーザント家の問題が解決しない限り、説得は難しいかもしれない。それにもしクリスがここへ戻って来たとしても、私達はまたモルファーのように誰かから付け回され、生活を脅かされる可能性がある。それでも」


「いいっす!!」


 サンダリアンが私の言葉を最後まで聞かずに叫んだ。


「……いいっす、いいっすよ! だって俺は……、こんな時のために強くなろうって思ってたんす……。守りたい人さえ守れないなんて俺は嫌っす……。クリス君と出会って、レイさんと出会って、二人のおかげでランクのどん底からここまで強くなれて……。けど、まだまだなんす、俺は。もっとこれからも強くなって二人を守りたいんす。もっとカッコイイ剣士にならなくちゃいけないんす……。だからっ俺の隣にはクリス君が、画家としてのクリス君がいなくちゃいけないんす……!」


 サンダリアンが目を真っ赤にして私に訴えかけた。


「サンダリアン……」


 目頭が熱くなったが、ここはぐっと堪えた。まだだ、ここで泣くのは早い。鼻の中の水分を無理やり吸い上げた。私は、私達が待ち望むエンディングで泣くのだ。きっと。


「ああ! 私達は彼を支える、今でもな」

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