2章 16.彼に嘘をついてみた。

「最近、レイさんどうしたんですか? サンダリアンさんもなんか様子が変だし、二人ともやけに僕に優しいというか……」


 クリスはダイニングの床を箒で掃きながら、思い出したかのように、怪訝そうに私へ尋ねてきた。


「何言ってるの! 気のせいったら、クリス君!」


 クリスは私の声を聞くなり、箒を持つ手をピタッと止め、「……怪しい」と一言呟き、目を細めながら明らかに疑わしい顔つきで私を見てきた。そんな視線を浴びながら、雑巾で木材の床を一生懸命拭き上げていた、素振りをした。


 あのモルファーとの出来事の後、なるべく私もサンダリアンも暗い顔をクリスへ見せぬよう意識して務めた。はっきり言ってモルファーに裏切られていた事実は私達にもそれなりのダメージを与えていた。もしかしたら彼には何かしらの深い事情があったのかもしれない。だが、裏切られた事実はここにはっきりとあり、それは明らかに絵に情熱を傾けるクリスへの冒涜だった。そこを見過ごすわけにはいかなかった。許されるはずがなかった。クリスにこの真実がばれぬよう、いつも以上に彼を気にかけ、話しかけ、モルファーの話題が出ぬよう、必死になりながら過ごした。だが、私は嘘が下手だ。すぐに感情が顔に出るし、何より、嘘をついておかねばならないというプレッシャーに自身が負けてしまうのだ。おまけに、サンダリアンまでが嘘が下手だった。なんとなくそれは予想出来ていたが。私達はこのままクリスに嘘を突き通し続けられるのだろうか。


 掃除も終わり、今日は週に1度開催される市場の大安売りのため、サンダリアンと共に3人で朝から市場に出掛けていた。露店に囲まれた道沿いを歩いている時、以前モルファーが土産として持って来てくれた珍しい果物が店に並んでいるのを発見した。私は咄嗟にまずい、と思ったが時既に遅しだ。クリスは「あ」という顔をした後に、「そういえばモルファーさんの」と言いかけた時だった。サンダリアンが突然大声を上げた。


「クリス君! 俺の改・ハイパワーポーズ見てくれ!!」


 途端にそう言ったかと思うと、颯爽と前へ走り始めてしまった。両拳を強く太陽に突き付け、「俺はハートの剣士、みんなを守る光と影の男、サンダリアン!」と言いながら。ハートの剃り込みが青々していて清々しい。剃り込みはすぐに髪の毛が映え消えて無くなるので、私が週1辺りのペースでカットを施していた。いやそんな事を今気にしている段ではない。


「ちょっ! サンダリアンさん! こんな大勢の人前でやめっ……!」


 クリスはこの世の終わりのような顔をして、大慌てでサンダリアンの後を追い駆けて行った。私も二人に続き、追いかけた。


 サンダリアンは必死だった。必死だったのだ。私は彼の気持ちが痛い程に分かっていた。両拳を天に突き上げ、未だに「俺はハートの剣士! サンダリアン!」と何度も叫びながら走り続けている。モルファーの話題が出ぬよう、あの真実がばれぬよう、クリスのために自ら晒し者となった彼に大拍手を何度も送りたかった。


 それともまさか本気なのだろうか。言葉を+αしたあれが改バージョンなのか。彼がどこまでの真意であの行動を行ったのかは彼のみぞ知る。だが、彼なりにクリスを想う気持ちだけはしっかりと私に伝わってきた。クリスだけが露知らずだ。私はそんなサンダリアンの心意気に思わずうるりとなるところだった。だがぐっと我慢した。ここで私がおいおい泣いていたらサンダリアンの努力が水の泡だ。鼻の奥がつんとしてくるのを思いっきり吸い込んだ。だが、ここで問題が更に起きた。


「今日も元気がいいのぉ~! サンダリアン君は!」


 そこで登場したのがあの魚肉じっさんだった。サンダリアンの大声に引き付けられてきたのだろう。自身の店から顔を覗かせ、和やかにサンダリアンへそう投げかけた。


「うっす! 今日も絶好調っす!」


 サンダリアンはそう答えながら、じっさんの前を勢いよく走り抜けた。その後すぐに体力がないクリスが「ま、待って……」とへろへろになりながら通り過ぎようとしていたところだった。


「あ、クリス君、ちょっと待って。君に渡したいものがあるんじゃが」


 私はその様子をクリスの背後から目視していた。店の奥へ消えた魚肉じっさんはすぐにここへ舞い戻り、右手には白い布に包まれている物を持っていた。それをすぐにクリスへ手渡してきた。


「これはなんですか?」


「クリス君の物かと思ってね。近くの路地裏に落ちてたのをお客さんが私に届けてくれたんじゃよ。ここによくクリス君、買い物に来てるから渡して、とさ。これは護身用かい? 今じゃなかなかの有名人じゃからのう、クリス君は。確かにこの辺で暮らしているのもちと物騒かもしれんし、かと言って術符を街中で使うわけにゃいかんし、ちょうどいい代物かもしれんのぉ」


 関心するような素振りで魚肉おっさんは言った。私はその言葉にとてつもなく嫌な予感がした。このような時の勘は嫌なほど当たる。その白い布を受け取ったクリスは少し困惑した様子でゆっくりとその布をはがしていった。


「これは……」


 クリスが言葉を止めた。次第に彼の顔付きが曇り出してきたのを、私は冷や汗をにじませながら眺めていた。


「ほら、ここにペガサスの紋章があるじゃろ? サーザント家の物だとすぐに分かってのぉ」


 魚肉おっさんは親切にその銀色のナイフの柄部分を指差し、にこやかに伝えてきた。その時、一人で走っていると気が付いたのか、サンダリアンが肩で息をしながら戻って来た。彼がナイフを見た瞬間だった。


「そのナイフはっ……!」


 時既に遅しだった。サンダリアンがばっと口を押さえたが、その行動からも明らかに怪しすぎた。彼は自身の失態にすぐ気が付き、恐怖を貼り付けたような顔で私を見た。やってしまった、という顔だ。


 クリスはすぐに私達の嘘を見破る。いや、私達が下手なのだ。これは時間の問題だった。


「……わざわざ届けてくださり、ありがとうございます」


 クリスは下を向いたまま魚肉おっさんに静かに礼を述べると、何もなかったかのようにスタスタと歩きだした。


「クリスっ……、ナイフ落としてたんだな!」


「そうなんっすね、レイさん!」


 私はどうにかこの状況を平坦に戻そうと明るく言葉を投げかけた。サンダリアンも私の会話に合わそうと明るく振舞った。ここでもし「これは僕が落としたものではないです、レイさん達、何か知っているんでしょ?」とクリスに尋ねられれば、もう正直に答えるしかない。私は腹をくくった。


「そうです、落としていたんです」


 クリスは平然とそれだけを言った。前を向いたまま歩き続けていた。清々しい程に前を向き、颯爽とし、何事もなかったかのようにクリスはいつものままだった。だが、その姿にとてつもない不安を覚え、サンダリアンと顔を見合わせた。彼も曇り顔だ。クリスはあの時もそうだった。討伐ギルドで肖像画の登録をやめてほしいと言われたあの日も。今と同じく気丈に振る舞い、やせ我慢をにじませたような顔をしていた。


「……とでも言うと思ったんですか? レイさん達は何か僕にずっと隠してますよね?」


 クリスは突然、道端でぴたっと足を止めたかと思うと、声のトーンを変え、下を向いたまま言った。


「クリス君、それは、そのっ」


「サンダリアンさん、もういいんです。下手な芝居を二人ともするのはやめてください。……僕のためにやっていたことぐらい分かってますから」


 クリスの声は怒りを兼ね備えていたが、最後の言葉はとても柔らかかった。


「クリス、すまない……」


「謝らないでください。……レイさんもサンダリアンさんも、モルファーさんのことになると、ずっと話をそらしていましたよね。……きちんと説明してください。なぜ彼はあれから一切顔を見せなくなったのですか。それにあの肖像画はまだモルファーさんの戦士カードへ登録されたままです。先日ギルドの職員からきつく言われましたよ。モルファーさんも来ないし、どうなっているんだってね」


 クリスが一人で出掛けていた時だろうか。サンダリアンもクリスを心配しているのだろう。その不安を大いに顔へ写し出していた。


「だが、いいのか……? 聞かないほうがいいこともこの世にはある」


「僕は正直に言って、まだ成人もしていない子供です。一人じゃきっとここまで辿り着くことも出来なかった……。レイさんやサンダリアンさんがいたから今の自分がここにあるんです。僕のために何かを隠してくれていた事も感謝しています。けれど……」


 クリスは体の横で拳をきつく握った。


「二人に甘えてばかりではこれ以上成長は出来ないと思っています。例え、モルファーさんが僕の思うような人ではなかったとしても、その事実を受け止めてまた前へ進まなきゃいけないんです。だから話してください。今後の僕のために」


「……分かった」


 私はあどけなさが残る背中を見つめながら言った。彼の意思を買い、モルファーの件を正直に話すことにした。洗いざらい全てだ。モルファーがサーザント家の仕事を請け負っていたこと、その理由、あの肖像画がなぜ依頼されたのか、そしてあのナイフがどう使われたのかも。


「そうですか……。モルファーさんが……。レイさん達はずっと黙ってくれていたんですね。僕が傷つかないように……」


 クリスは自身に言い聞かせるように諭すように言った。だが、身体の横にある拳はずっときつく握られていたままだった。


「クリス、最近の君はかなりやせ我慢をしているように見えた。あの討伐ギルドへ訪れた日からずっとだ。だから黙っ」


「だけどそれはっ、……レイさん達も同じでしょ!?」

 

 クリスは私達へ急に振り向き、声を上げた。その青い瞳は少し赤味を帯びていた。


「それは……」


「レイさん達が無事でほんとに良かった……」


 口からこぼすようにそう言い、クリスはくるりとまた前を向くと、細く頼りない足でスタスタと前へ歩き始めた。そこからまるで何事もなかったかのように、いつものように買い物を済ませ、帰路に着いた。そこでもクリスに特に変わった様子は見られず、普段通りに見えた。私達もこれ以上、モルファーやサーザント家のことを深く語らないほうがいいと見越し、他の話題を出しながらいつも通りにクリスと接した。


 だが次の日の朝、私が起きた瞬間にそれは訪れた。


「クリス……、どこだ……?」


 彼の姿はどこにもなかった。

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