最終章 4.クリス
今日の星空は一段と美しく見えた。僕は画廊部屋の小さな窓から、瞬く夜空をただじっと眺めていた。あの日もこんな夜だったかもしれない。
僕があの人と出会ったのは、少し肌寒い夜だった。僕はあの時、何もかもが上手くいかず、お金もなく、自分の目指しているものから否定され、全てを諦め、森をふらふらとさまよっていた。僕がこの世から消え去れば、この苦しみから救われる、そう思って。
するとどこからか不気味な声が聞こえた。魔物かと思ったけど、違った。あの人は木の根元でパジャマ姿のまま、すやすやと寝ていた。今思えば、きっとあの不気味な声はあの人の寝言だったのだろう。こんな真夜中に危険な森の奥地にいる人間なんて極一部の限られた人間だけだ。僕と同じ打ちひしがれた思いを持ち合わせている者しかいない。だからあの人の姿を見た途端、瞬時に思ったんだ。ああ、僕と同じだ、と。
仲間がいるのはありがたかった。少しだけ心細かったから。だからあの人の隣で横になり、僕もそっと目を閉じた。空気を通してあの人のぬくもりが伝わってきて、少しだけ安心できた。その時はまさか、この人と一緒の家で過ごし、同じ屋根の下で一緒に寝るハメになるだなんて思いもしなかった。僕達はもう目覚めないと思っていたから。
だけど目が覚めたら、僕はまだこの世にいた。そしてすぐに魔物に襲われた。やっぱり怖かった僕に隣のあの人は言った。「一緒になら嬉しいだろ?」と。
あの人はいつも何かおかしいんだ。自分が死ぬと分かっていても、例え危機が訪れようとも一本ねじが外れたような発言や行動をする。もしかすると危機察知能力があの人には備わっていないのかもしれない。それは人として生きて行けるのか、心配になる。
いつもそうだ。あの人は急にこの世界へやってきても、考えても仕方ない、と一蹴して、これからどうするかだけを考えた。挙句の果てにブラジャーを買ってもらうとか言い出し、僕達に生きる目的を持たせた。サンダリアンさんの髪型も言っていたものと似ても似つかぬ風貌に仕上げ、ハートの剃り込みとか入れるし、彼をいい感じに言いくるめては、サンダリアンさんを元気にした。危険な術符も使ってみたいととしつこく言ったかと思おうと、サンダリアンさんを術符で命がけで助けようとした。僕が家に黙って帰った時も危険をかえりみず、ずっと屋敷へ向かって僕を呼び、大声で励まし続けた。
あの人はいつも後先を全く考えずに行動する。あの人はいつも前だけを見ている。あの人はいつも、僕達を困らし、そして助ける――
窓の上に広がる星々が僕へ共感するかのように、瞬いた。
流星群の事を知った時、記憶石の新たな発見を聞いた時、酷く躊躇した。あの人に伝えるべきか、それとも、僕は伝えたくないのか――
僕は一度あの人から、自ら離れた。もう二度とどこにも行ってほしくない、ずっと傍にいてほしい、そう願っていたのに。
いつかはこんな日が来ると思っていた。覚悟をしていた。
止める権利はない。いいきっかけだったのかもしれない。来年には成人なんだ。あの人に頼らず、僕もいよいよ一人立ちする日が訪れただけだ。きっと。
1週間後に訪れるその日へ向けて一人前の男として立派に送り出したい。僕がこんな顔をしていたら、さすがのあの人だって不安になるだろう。この世界から旅立つことを名残り惜しむことだろう。もっとしっかりしろ、クリス。いつまでも子供じゃいられないんだ。
あの人は何度も僕を励まし、僕が絵を描き続けていることだけに、ただ「凄い」と言ってくれた。なかなか出来る事じゃないと褒めてくれた。僕は凄く嬉しかった。
あの人と出会って、サンダリアンさんやモルファーさんと出会って、色んなことを経験して、挫折して、一人立ちして。
僕は大人になる。
あの人を笑顔で送り出すんだ――
「レイさん、ありがとう、って……」
窓から見える星々が揺らめき始めていた。一番強く光を放つあの一番星でさえ、かすんで見える。きっと気のせいだ。そんなに僕は弱いはずはないんだ。だって自分はもう、大人の階段を登っているのだから。あの人もそう言っていたように。
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